自分自身を縛る呪縛からの鮮やかな解放の物語

評者 藤田香織

吉川トリコ『女優の娘』

吉川トリコ『女優の娘』

田村正和、寺尾聰、船越英一郎、佐藤浩市、中井貴一。髙嶋政宏&高嶋政伸、緒形直人、松田龍平&翔太、柄本佑&時生、三浦貴大に新田真剣佑。特に検索しなくても、「有名俳優の父親と同じ職に就き、活躍している息子」の名前は頭に浮かんでくる。ところが、どうだろう。父親を母親に、息子を娘にしてみると、これがまったく思いつかない。わかりやすく言い換えると、「女優として成功している、大女優の娘」ということだが、うーん、と考えてみても、眉間に皺が寄るばかりだ。  

本書の主人公、斉藤いとの母親・赤井霧子は女優だった。子どもだったいとに、霧子は何度も、くりかえしこう言ったという。

「女優って、優れた女って書くのよ」

「良い女と書いて娘。だからあんたは、どうしたって私にかなわないの」  

優>良。読みながら、じわっと恐ろしくなった。もしかして、世の中に母親より成功した「女優の娘」が少ないのは、その呪縛があるからではないのか。本人たちにも、そして傍から見ている私たちにも。  

物語は、いとが母・霧子が死んだと連絡を受ける場面から幕を開ける。話によると、今日、自宅のベッドで受話器を抱いたまま冷たくなっていたという。昨日の夜にはまだ生きていた。死因はわかっていないが、遺体の近くには何種類かの錠剤と空のシャンパンボトルが転がっていた。警察に搬送されることになるだろう。立て続けに思いもよらぬ状況の説明を受け、すぐに来られる? と問われたいとは、しかし、「そんなこと言われても困る」と答える。  

二十四歳のいとは東京・代々木を拠点に活動するアイドルプロジェクト「YO!YO!ファーム」の一期生で、五人組のユニット「ヨヨギモチ」の最年長メンバーとして活動していた。いとが連絡を受けたのはライブ会場でのこと。〈芸能人は親の死に目に会えない〉〈親が死のうが槍が降ろうが本番第一〉。いとは世間に流布するそうした物語にとりあえずのっかって〈親の死を知りながら毅然とステージをこなす健気なアイドル〉モードでライブをこなす。  

この導入部分が、早くも「何かある」気配濃厚で、先を読みたいと気が逸る。  

ファーム来場者の投票によって月に一度発表される人気ランキングの順位も気にせず(ちなみにいとは常に中位)地味ブスを売りにしている(と仲間に言われる)アイドルらしからぬアイドル。いとは思う。〈私はみんなとちがう。みんながキャンディなら私は胡桃。それを自分でわかっていた。母親の死を知らされて、涙のひとつも流れてこない。私のほかにそんな子は、ここにはいない〉。  

それはいったい何故なのか。  

いとの母親、赤井霧子は、かつて一世を風靡した「伝説」と称されるほどの元ポルノ女優だった。未婚のまま、いとを出産し、ぶっ飛んだ言動でワイドショーを賑わせプッツン女優とも呼ばれた「女優」。いとは、その事実を事務所にもメンバーにも秘密にしていたが、「伝説の女優」が不審死したというニュースは、その娘がアイドルをしているという新事実と合わせ大いに世間を賑わせてしまう。  

そこに、ヌーベルポルノを撮っていた駆け出し時代に霧子の作品を手掛け、今や日本映画界を代表するヒットメーカーとなった映画監督の小向井祐介が、いとをナビゲーターにして赤井霧子の追悼ドキュメンタリーを撮るという話が持ち上がる。小向井には、いとの父親ではないかという噂もあり、注目を集めるには十分。計算と思惑が交差するなか、いとは小向井と共に母親にゆかりのある人々を訪ね、カメラの前で「赤井霧子」にまつわるエピソードを聞くことになるというのが物語の大枠である。  

母の過去を知ることで、目を逸らしてきた物事と向き合い、知らなかった感情を抱いて、ぶつかって、困惑して、戸惑いながらも前を向く。そうまとめてしまえば、本書はまごうかたなき成長小説である。成人したアイドルたちが焼酎片手に語る本音はめちゃくちゃリアルだし、霧子が渋谷で拾って以来、家族の一員だったフィーとの関係性も読ませる(特に後半!)。いとは何故アイドルになり、何から逃げてきたのか。結局、霧子の死は事故だったのか、自殺だったのか。秘められた謎も、十分に惹き付けられる。  

けれど、本書の最大の魅力は、そんなふうに「まとめて」しまえない部分にこそあるのだ。母親の過去と向き合うといっても、感じたままを表情に出すわけにはいかない。自分のなかにあった獰猛な欲求、譲れないもの、渡したくないもの。母の死をきっかけに、気付いたり知り得たひとつひとつの物事が、いとの呪縛を解いていく。  

鮮やかな解放の物語である。  

ラストシーン。同じ場所に立っているのに、いとには、もう違うものが見えているだろう。走り出したくなるような「よき」物語である。

Profile

評者 藤田香織
1968年三重県生まれ。書評家。著書に『だらしな日記 食事と体脂肪と読書の因果関係を考察する』『やっぱりだらしな日記+だらしなマンション購入記』『ホンのお楽しみ』。

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