ブックレビュー『黒いサカナ』<東えりか>

 夏場、土用の丑の日が近づくと、スーパーやコンビニ前に「ウナギ」と書かれた大きな幟が立つ。いまや日本の夏の一大風物詩である。人気商品名だけにスーパーマーケットの専業売り場でも、ウナギは幅を利かせている。絶滅危惧種と叫ばれて久しく、一時よりは値段も高騰しているが、贅沢だと思っても、多少無理をすれば庶民の手に届かないこともない。

 蔵本里奈はこの春、東京の国立大学を卒業し、日本最大規模を誇る複合型スーパー『ヴィアンモールチェーン』を統括している『株式会社ヴィアン・リテーリング』に入社した。新入社員研修ではスーパーの生鮮三品である青果部門、精肉部門、水産部門の売り場研修が課せられる。里奈は現在「ヴィアンモール」北大阪店水産部門で研修中だ。

幼い頃から食欲旺盛な里奈は、この売り場に来て二月で三キロ太った。うな丼が絶品なのだ。ヴィアンモールでは外国産ウナギは扱わず、背中が濃い青色の『藍ウナギ』で有名な日向灘に面する小木曽町漁協から仕入れている。

いまでは天然ものはほとんど手に入らず、五十年以上前から養鰻業が主流だが、養殖物とはいえ気候のいい南九州の実績のある業者によって育てられたウナギは味も歯触りもトップクラス。それを日本全国に展開するヴィアンモール二百店舗で専属契約し、通常の国産ウナギより二割ほど安いともなれば、人気商品になるのは当たり前だ。

ある日、鮮魚売り場で写真を撮り始める挙動不審の男がいる。里奈と同じ大学で一緒に釣りサークルに所属していた香川春樹だ。出版社に就職した春樹はグルメ雑誌の取材で、各スーパーをまわり産地調査を行っているという。

 久しぶりに一緒に釣りを楽しむため、南紀の里奈の祖父を訪ねると、そこに有名な総会屋の沢木隆一がいた。バブル時代、ヴィアン・リテーリングが産地偽装で信用を失墜した時に頼ったのが沢木だ。彼の出身地は小木曽である。

 香川春樹の故郷もまた小木曽だった。世界的にシラスウナギが取れないと叫ばれているなか、なぜ日本のスーパーにウナギが途切れることなく入荷されるのか。ヴィアンモールで売られているウナギの産地偽装を探るため小木曽に帰る春樹に里奈は同行を決めた。

 小木曽漁協の組合長で春樹の父、賢一に養鰻場や漁港を案内してもらい、卵から成体まで完全養殖を研究する国立海洋研究センターの設立の話も聞く。ただ、表向きは景気のいい養鰻業も、一皮むけば地方自治体の苦境に国が介入し、その隙間にヤクザたちが利益を得るという世界だった。

 里奈と春樹の探るウナギの産地偽装の秘密には、実は一九九〇年に起こった政治家の汚職事件が関わっていた。巨額の裏金の責任を取らされ、自殺を強要される男の姿が綴られる。三〇年の時を越えて、二つの物語が収束する先に、いったい何が起こるのか。蔵本里奈と香川春樹が知ることになるウナギの正体とは何だったのか。

 希望に満ちた新入社員の里奈は、どこにでもいるような若い女性だ。自分の職場に誇りを持ち、その中で精いっぱい働こうとする姿は、私の記憶のなかにもある。

 だが正しいと思っていたことが否定されたとき、人はどうするだろう。保身のため、見なかったことにするか、それとも里奈や春樹のように、とことん追求することを選ぶか。真実を知った後のこともある。受け入れられるか、それとも断固として拒否するか。若い二人の正義感はとても清々しい。

 しかし私は他の大人たちの選択が間違っていたとは言い切れないのだ。小木曽のように限界集落に近い地方都市では、土地を、産業を、住民たちの生活を守るために最善の努力をしてきた人たちが存在している。小さな齟齬が大きな過ちに繋がったとしても、責めきれないと思うのだ。

人々が一番大切にするのは自分たちの生活だ。地元産業の衰退によって雇用が無くなり高齢化し、人がいなくなる。阻止するために、正義とは言えない大義名分をひねり出す。食や安全が脅かされていることは隠蔽され、大事件や大災害が起こって初めて明らかになることが繰り返されているのではないだろうか。

 実際、市場に出荷される海産物の一部の産地偽装が囁かれている。『サカナとヤクザ』(小学館)は、暴力団関連記事を得意とするフリーライターの鈴木智彦が、日本中に散らばる産地偽装の漁業現場に単身乗り込み、その実態を明かしたノンフィクションである。海に境界がない以上、他の場所で獲れたものを船で移動させ、ブランドものとして出荷しても、何も証拠は残らない。

 その中にウナギに関する記述もある。世界的に獲れなくなっているというシラスウナギをアジアのある国からひそかに輸入するカラクリには驚かされた。

 我々が口にしているものは本当に安全なのか。誰が保証してくれるのか。『黒いサカナ』で暴かれるラストは衝撃的だ。

この作品を読み進んでいくと、正体を暴かれていくニホンウナギたちが哀れになる。多分、里奈もそう思ったのだろう。彼女の選んだ道に幸あれと祈らずにはいられない。

 本書は、日本の自動車産業の事故隠蔽を描いた『リコール』(ポプラ社)でデビューした保坂祐希の二作目である。飽くなき美食への欲望を、壮大なスケールでダイナミックに描いたミステリーはがっつりと読みごたえたっぷりだ。この作家のさらなる飛躍を期待したい。

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黒いサカナ
保坂祐希
定価:本体1600円(税別)

Profile

評者 東えりか
*東えりか(あづまえりか)*書評家。新刊ノンフィクション書評サイトHONZ副代表。信州大学農学部卒。22年間北方謙三氏の秘書を務めたのち独立。朝日新聞、読売新聞、週刊新潮、ミステリマガジンなど書評連載多数。

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