藤野恵美「見習い編集者・真島のよろず探偵簿」シリーズ

老子の思想を取り入れたコミカルでチャーミングなミステリ

老子の思想を取り入れたコミカルでチャーミングなミステリ

 老子といわれても普通は「大昔の中国にそういうひとがいたよね」程度の知識しかないだろう。老子というのは本名ではなく、「偉大な人物」を意味する尊称らしい。その生涯・業績には不明な点が多いけれども、「道(タオ)」を中心概念とする道教の創立者とされており、中国の思想・宗教に大きな影響を与えた存在である。
 それにしても、ミステリの批評をメインとしている私が、まさか書評の冒頭で老子について説明する日が来るとは思わなかった。というのも、老子とミステリを結びつけた作品が現れるなどとは予想していなかったからである。しかし、普通なら思いつかないようなアイディアを実現させてしまうのが小説家の空想力というものだ。『ハルさん』『初恋料理教室』などの作品で知られる藤野恵美の「見習い編集者・真島のよろず探偵簿」シリーズこそは、ミステリに老子の思想を取り入れた前代未聞の試みなのである。


 こう書いたからといって「堅苦しそう」と敬遠しないでいただきたい。このシリーズは、個性的なキャラクターが躍動するコミカルでチャーミングなミステリなのだから。シリーズの狂言回し的存在は、関東にあるらしい架空の街・江角市のタウン誌「え~すみか」のバイト編集者・真島。職場には、人使いの荒い編集長や、真島とは気が合わないのに仕事で一緒に行動することが多い巨漢のカメラマン・太田がいる。
 その「え~すみか」には、胡蝶という書道家がコラムを連載していたが、担当は編集長なので真島は面識がない。ところが、猫喫茶から猫が消失した事件の謎をたちどころに解決したのが、その胡蝶だった。その後も幾つもの事件を解決した彼女は、チャイナドレスに黒髪の絶世の美女で、老子の思想に通じているらしく、「すべての推理は、タオなのだから」を決め台詞として、老子の言葉を援用した鮮やかな推理を披露するのが常だ。彼女は何者かと対立しているらしく、敵から逃れるため真島のアパートに転がり込んだ。そのため、真島はベッドを彼女に譲り、自分はベランダで寝袋にくるまって寝ることを余儀なくされている状態である。
 五つのエピソードが収録されていた第一作『猫入りチョコレート事件』に続く第二作『老子収集狂事件』も同様の構成だ。前作のタイトルがアントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』のパロディなのは海外ミステリファンならすぐに気づくだろうが、今回のタイトルの元ネタもジョン・ディクスン・カーの代表作『帽子収集狂事件』。のみならず、収録作のタイトルも「見えないスクリーン」「金曜日ナビは故障した」「五匹の仔猫」「そして江角市の鐘が鳴る」と、それぞれジョン・スラデック『見えないグリーン』、ハリイ・ケメルマン『金曜日ラビは寝坊した』、アガサ・クリスティー『五匹の子豚』、キャサリン・エアード『そして死の鐘が鳴る』といった海外ミステリのもじりとなっているのが愉快である。
 今回、胡蝶が解決してゆくのは、事故が多発しているという幽霊トンネルの謎、前作の序章で謎の男たちに破壊され、新たに作り直された江角市の鐘の上に並んでいる三つの輪が、本来なら動くように作られていたのにそうなっていなかった謎などだが、中でも秀逸なのが、神社に三千万円もの賽銭が投げ込まれた出来事と、映画館で女性が後ろの席の見知らぬ男にいきなり殴られたという事件とが意外なかたちで結びつく第一話「見えないスクリーン」。この真相はなかなか衝撃的だ。一匹の猫に飼い主を名乗る人物が五人も現れた謎を扱った「五匹の仔猫」は、胡蝶が直接関与しなかったにもかかわらず、その場に胡蝶の書が現れたというだけで解決してしまうという異色作である。
 個々のエピソードとは別に、このシリーズには全体を通した謎がある。胡蝶が敵対している人物の正体と、前作でも描かれていた連続猫失踪事件に関してである。胡蝶によると、その人物は老子という名前の猫を狙っているらしい。何故、猫の老子が狙われなければならないのか。老子を狙う人物と胡蝶との関わりとは。各エピソードの背景に見え隠れしていたその謎は、最終話「老子収集狂事件」でついに明らかになる。そして、胡蝶が会ったばかりの頃の真島に「タオがあるわね」と言った真意も......。老子ずくめのシリーズに相応しい閉幕だ。

Profile

評者 千街晶之
ミステリ評論家。著書に、『幻視者のリアル』『読み出したら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』などがある。

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