才能の分岐点

おおたとしまさ

才能の分岐点

5

両親が、僕をプロ野球選手に育ててくれた(1)


元プロ野球選手・福本誠さんインタビュー【前編】

「趣味」で終わるのか、才能を開花させ「プロ」の道を歩むのか――。教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏が、「才能の分岐点」と題して、「習い事」と「才能」の関係について探っていきます。今回は「プロ野球選手」。今も昔も男の子の憧れの職業ですが、プロ野球選手の夢を実現できるのはほんの一握りのスーパーエリートのみ。それでもプロを目指す意味、幼いころからの「好き」を仕事にしていく方法を、元プロ野球選手に聞きました。


野手出身なのにバッティングピッチャー

 ナイターの日は、試合前に球場でミーティングがある。現役選手たちが続々と球場に「通勤」する。それを出迎えるファンたち。お気に入りの選手にプレゼントを手渡す熱心な人もいる。
 ミーティングのあとはナイターの試合開始の18時直前まで練習。福本さんは主力選手のバッティングピッチャーとして1日100〜120球を投げる。
 「キャンプ中は1日150球くらい投げます。7割程度の力で投げますから肩を壊すようなことはありません(笑)」
 野球選手というよりトレンディー俳優のようなたたずまい。澄んだ目と爽やかな笑顔が印象的だ。身長179センチ。スポーツ選手としてはさほど大柄ではない。
 バッティングピッチャーとは、バッティング練習の際にバッターの打ちたい球を投げる、いわば「練習専用」のピッチャーだ。
 「主力の選手にはルーティンがあって、自分の安心できるバッティングピッチャーでないとダメなんです」
 息の合わない人と練習すると調子を崩してしまう。思い通りの練習ができないと選手たちもピリピリしてくる。特に主力選手を相手にするとバッティングピッチャーにも相当なプレッシャーがのしかかり、往年の名投手でもストライクが入らなくなってしまうことがあるという。
 しかし福本さんはもともと内野手。ピッチャー出身ではない。それなのになぜバッティングピッチャーなのか。そこに福本さんの野球人生の味噌がある。


地元の少年野球では常にエースで4番

 小学校2年生で東京都日野市の少年野球団に入った。地元のお父さんたちがコーチをするようなどこにでもある少年野球チームである。
 「少年野球の世界は僕が子供のころから全然変わっていないですね。小学生を相手に野球を『教える』ということ自体がおかしいなと思います。野球のルールは教えてあげなければいけないけれど、お父さんたちが小学生相手に『もっとこう打て』とか『こうやって投げろ』とか言うのには今考えてもすごい違和感があります。そんなことしたら、なんだろう、つまんなくなっちゃうと思うんですよね。しかも教え方も違うんだよなと感じます。それなのに子供は正直だから言われたとおりにやろうとしてしまいます。あんまり教えすぎないでほしいです。技術的なことよりも野球の楽しさを教えればいいのにと思います」
 でも福本さんは嫌にならなかった。
 「僕の場合は、『うるせぇなぁ』と適当に聞き流していました(笑)。4年生のときに6年生に混じって試合に出るくらいに活躍していましたからあまりうるさいことは言われていなかったのかもしれません」
 もともと運動神経が良く、地元の少年野球のレベルではすぐに頭角を現すことができた。チームとしても、日野市の大会では毎回優勝だった。
 「僕の場合はむしろ、『天狗になるなよ』とよく言われました。話を聞くときは帽子を取って相手の目を見ろとか、野球以外の忠告は今にも生きていると思います」
 昔からたしかに少年野球のコーチたちは礼儀に厳しい。しかし一方で小学生相手にやたらと威圧的な態度を取るコーチが目立つのも、今も昔も変わらない。
 「ストレスのはけ口みたいに怒鳴り散らしているコーチもいますよね。本当にやめてほしい。でも彼らもプライベートを削ってやっているんだからそこはやっぱり感謝しなきゃいけないし......」
 福本さんが小学生のころはまだ、土曜日にも学校の授業があった。野球の練習は日曜日だけだった。しかし「自主練」は毎日した。
 「家の前に公園がありました。4〜5人の友達と、そこのグランドに毎朝7時半くらいに集まって、登校時間ぎりぎりまで野球をしました。放課後もそこに集合して、暗くなるまでやっていました。練習というようなちゃんとしたことではなくて、とにかく投げて打って、ゲーム形式で遊んでいただけですけど」


中学の野球部には所属しないのが「主流」

 いつくらいから甲子園とかプロを目指そうと思ったのか。
 「桑田さん、清原さんがPL学園1年生で一大旋風を巻き起こしたころ、あれに憧れたのがきっかけでしたね」
 1983年夏の甲子園である。福本さん、そのとき7歳。
 「両親は本当に一生懸命サポートしてくれました。母親は日曜日にいつも応援に来てくれて、弁当を作ってくれて。父親も毎週コーチみたいにかり出されていました。今思うと大変なことですよね。僕が勝手にプロ野球選手になったのではなく、うちの両親が僕をプロ野球選手に育ててくれたんだと思います。本当に感謝しています。でも、練習しろとか言われたことはないです」
 父親もスポーツ万能で野球経験者ではあるが、父親から野球のことで技術的な指導を受けたことはない。
 「甲子園を目指すような高いレベルで野球をしたいと思う子供は、中学の野球部には所属せず、シニアリーグに参加します。私もそこで初めて硬式野球を始めました」
 野球の場合、そこが第一の分かれ道になる。そのような「業界のしくみ」は少年野球でプレーしていると自然に見えてくる。
 小学生のころは常にエースで4番だったが、シニアリーグに行くと自分と同じレベルの強者がほかにもいた。しかも福本さんは中学生まで体が小さかった。
 「でも負けず嫌いでした。シニアリーグの指導者は、人よりも1回でも多く素振りしろ、人よりも1周でも多く走り込めという人でした。僕もそれをまともに信じてがんばりました。1日休んだら筋肉は3日分落ちるとか。そんなことあるわけないんだけど(笑)。休むのが怖くて、正月でも走って素振りして。今の自分より後退するのが怖かった。先輩のスパイクを預かって夜に磨いたりと、上下関係も厳しかったですね。一方でそういうこと自体に、普通の中学生とは違う、ちょっと大人に近いことをしているんだという感じがあって、嫌ではありませんでした」


高校進学にも大学進学にも学校の成績は必要だった

 シニアリーグでは西東京地区で優勝も経験した。しかしそれも中学の3年間で終わり。その後さらに野球を続ける子供たちは、野球の強い高校にそれぞれ進学する。これも運命の大きな分かれ道だ。
 「シニアリーグの監督が法政大学第二高等学校(以下、法政二高)の出身でした。その勧めで、法政二高の野球推薦をいただけるということになりました。ただし中学3年生の2学期の成績でオール4以上をとることが条件でした。このときは勉強を頑張りました」
 法政二高の野球部にはさらにたくさんの猛者がいた。3学年全体で部員が150人くらい。1年生の間はベンチにも入れなかった。
 「桁違いの才能を感じさせる選手がごろごろいるんです。このとき、自分がプロにいけるという確信はありませんでした」
 特に下級生のうちは下働きがつらかった。始発で学校に行き、授業が始まる前にグランド整備を終えなければいけなかった。放課後の練習はほとんどボール拾いでおしまい。終わったら道具磨きをして、上級生が全員帰ってから、21時とか22時とかに室内練習場に行ってやっと自分の練習。終電で帰宅しても翌日は始発でグランド整備。そんな毎日だった。
 「地獄だったですね」
 2年生から試合に出られるようになっていたが、結局甲子園には行けなかった。大学に行っても野球が続けられるか、不安もあった。
 「高校進学のときには実は強豪・國學院久我山のセレクションも受けて合格して、特待生枠をもらっていました。でも六大学野球に憧れていたから法政二高を選びました。ところが法政二高から法政大学野球部への推薦枠はなかったんです。法政大学に野球で入るためには、甲子園のベスト8以上もしくはプロ野球が注目するほどの選手でないと入れないという掟がありました」
 福本さんは、野球に関係なく、法政二高から法政大学への通常の内部推薦枠で進学することを決める。それでまた勉強した。高校進学も大学進学も、結局は学校の成績が必要だった。

後編公開予定は11月16日!



Profile

おおたとしまさ

育児・教育ジャーナリスト。1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。上智大学英語学科卒業。リクルート入社後、2005年に独立。育児・教育に関する執筆・講演活動をおこなう。心理カウンセラー、中高の教員免許を持ち、私立小学校の教員経験もある。著書に『男子御三家』(中公新書ラクレ)、『名門校とは何か?』(朝日新書)、『ルポ塾歴社会』(幻冬舎新書)、『ルポ父親たちの葛藤』(PHPビジネス新書)などがある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

お知らせ

Cov_Kuko_R.jpg『最高の空港の歩き方』の刊行を記念してトークイベント「夏休み、空の玄関で逢いましょう。」を7月23日(日)にジュンク堂書店大阪本店で開催いたします。いま空港がアミューズメントパーク化しています。ご当地グルメ、空港限定グッズ、お風呂、空港アート、飛行機撮影、工場見学ーー飛行機に乗る人も、乗らない人も楽しめる「空の玄関」の遊び方と、その背景にある「進化の理由」を『最高の空港の歩き方』の著者・齊藤成人さんと空港ファンであるイラストレーターの綱本武雄のふたりが熱く語ります。入場無料(先着40名)です。

170713_img.jpgポプラ文庫ピュアフルの人気シリーズ、「ばんぱいやのパフェ屋さん」(佐々木禎子 著)の1巻が、コミックスになりました! 漫画はやぎさん、このたび新創刊したレーベル「アニメージュコミックスmiere」(発行:ティーダワークス 発売:徳間書店)にて、7月5日発売です。文庫もコミックスも、よろしくお願いいたします!

978-4-591-15498-4.jpgのサムネイル画像ポプラ文庫ピュアフル7月新刊『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売を記念して、著者深沢仁さんから読者の皆さんに、抽選で、キーホルダーやコンパクトミラーなどの英国土産をプレゼントいたします。新刊オビの応募券にてご応募ください。詳細と英国旅行のミニレポートをこちらでご紹介しています。

『あざみ野高校女子送球部! 』(ポプラ文庫ピュアフル、680円+税)の刊行を記念して、小瀬木麻美さん トーク&サイン会を開催いたします。

場所 :リブロ港北東急SC店特設会場  日時 : 2017年7月16日(日) 午後2時~

参加特典として、小瀬木麻美さんが今回のイベントのために書き下ろした「『あざみ野高校女子送球部!』番外編」をもれなくプレゼント!センター南が舞台になった短編小説です。

Cov_shigotoba_R.jpg佐藤ジュンコさんのコミックエッセイ『仕事場のちょっと奥までよろしいですか?』が刊行になりました。作家・伊坂幸太郎さん、漫画家・いがらしみきおさんから伝統工芸の職人さんまで「作ること」のプロ15名の仕事術をイラストでルポ!

達人たちの仕事場にお邪魔したら、楽しい驚きがいっぱい。まさに大人の社会科見学!ふむふむ、へーと読んでいるうちに、むくむくとやる気が湧いてくるお仕事エッセイです。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ