東京老舗ごはん 大正の味

森まゆみ

東京老舗ごはん 大正の味

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八重洲「八重洲とよだ」

 八重洲はオランダ人ヤン・ヨーステンに発祥する。1600年、豊後にイングランド人ウィリアム・アダムスとともに漂着した。徳川家康は彼らを丁重にもてなし、世界事情を聞き出す目的もあったのだろうが、江戸城の内堀の中に屋敷を与えた。それが今の八重洲である。この人の名をとって、八重洲という地名が生まれた。ヤン・ヨーステンは朱印船貿易の実務に関わり、70近くなってジャカルタから帰国しようとしたが、船が座礁して溺死したという。
 久しぶりに東京駅の八重洲口に出る。八重洲会館というビルのにぎやかな横丁を入ると「とよだ」がある。ここが大正2年創業と聞いて、ランチを味わいに来たのだ。黒い壁のモダンな椅子席。1200円の焼き魚定食が、実にふっくら、いい焼き加減である。味噌汁も美味しいし、エプロン姿の明るい女性の対応も気に入って、取材を申し込むことにした。「店のことなら主人に聞いてくださいね」と女将さんは言った。

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 今日は社長の富永一(はじめ)さんが時間を割いてくださった。上背のある、声の大きな方であった。本当に感じの良い女将さんですね。
「感じいいのは店でだけです(笑)。あの人は高島屋にいたのを見つけてきたんです」
 日本橋にも「とよだ」ってありますね。
「あそこが本家で、うちはそこから分かれたんです。あちらもご主人は今は豊田さんでなく橋本さんですが。うちのひい爺さんが初代幅留吉と言って、おそらく日本橋とよだで修行したのではないでしょうか。それで八重洲に暖簾分けで店を開いたのが大正2年なんです。その頃、この辺は日本橋檜物町と言いました」
 小山雪岱の絵で有名ですね。その当時は京橋区。でも東京駅丸の内口赤レンガ駅舎ができたのが大正3年、なんとその前からあるんですね。
「東京駅はあまり関係ないかもしれません。東京駅との間には外堀がありましたから。むしろ中央通りに高島屋や三越がある。三越は越後屋呉服店と言って、日本橋は江戸のもっとも栄えた土地でした。その頃どんな料理を出していたかはわかりません。幅留吉という人も私が生まれる前の人で、僕がおぼえているのは、その息子で2代目の祖父、幅一雄です。 
 おじいちゃんは昔気質の職人でね。なんでも京都で修業したそうです。初代が倒れて呼び戻されて帰る列車で、ずっと店でやる献立を考えたんだそうです。最初は東京駅の駅前通りにあったんですが、60年前くらいかな、八重洲会館が建つというので、今のところに引っ越しました。当初は木造二階建てでしたが、55年前にビルにしました。
 僕は料理の技術は祖父から教わったんです。孫のなかで惣領だったので、とっても可愛がってもらいました」
 そうするとここで生まれ育ったわけですか?
「いえ、うちの母が一雄の娘で、商社マンと結婚し、僕は1967年の生まれですが、8歳までペルーにいました。ペルーに行ったごく初期の日本人だと思います(笑)」
 へええ。ペルー。じゃスペイン語が話せます?
「発音はかなりいいと思いますよ。父がアメリカ人居住区でなく、現地人の住む町に住んで、僕はそこの学校に放り込まれたので、生きていくためにはスペイン語も覚えなくてはならなかった。だから日本に帰ってきた時のあだ名はセニョールでした(笑)。
杉並に住んでいましたが、しょっちゅうここの店に来ていました。その頃は八重洲にも住んでいる人が結構いて、ここの前の道でローセキで地面に絵を描いたり、メンコやベーゴマをして近所の子供たちとよく遊びましたよ。ちょっと行くと凧揚げのできる原っぱもありました」
 私の叔母も八重洲で新所帯を持ったのを覚えています。
「今うちの町会は5、6軒しかないんですよ。ここの前の矢間登さん、島村さん、うちが最後ですが、みんな割烹です。ちょうどお祭りが終わったところ、赤坂の日枝神社の氏子です。日枝神社は日本一、氏子圏が広いんですね。住民だけではとうていお神輿は担げないので、外の方にも来てもらっています」
 お父さんが富永姓だと思いますが、お店にはタッチされなかったんですね。
「ええ、父も母も関わってはいません。母の妹が店を手伝って、この人が中継ぎの3代目、今もこの上に住んでいます。僕は小さな時から料理が好きで、小学校の家庭科の時間には店から割烹着を借りて本格的なものを作りましたよ。その頃から紙に理想の店の図面なんかたくさん書いてました。ここに池があって、ここに客席があってと。学生の時から、店を手伝っていましたね」
 学生時代というと30年くらい前だと思いますが、おじいさんはどんな商売をしていたんですか。
「まあ、昔ながらの割烹ですね。先付、お造り、焼き物、揚げ物、茶碗蒸し、ご飯、吸い物、お新香、デザートを出すような。ただ進取の試みがなかったわけではありません。昭和30年代、800円くらいのランチをこの辺のサラリーマン相手に始めたのもうちが最初です。天丼、刺身定食、天ぷら定食とか数種類でしたが。それとこの辺、何百とマージャン屋があったんです。そこへの出前が多かったので、祖父は食べやすい半月弁当というのを考案し、店でもランチに出していました。
 その妻の貞子が僕の祖母で、この人は小松川の大工の棟梁の娘ですが、女将として着物姿でがんばってました。ただ祖父にも迷いはあったんでしょうね。魚にベーコンを巻いてみたり、若い者は肉が食いたいだろうと言って、ゴム草履みたいな大きな肉を焼いて出したりしていた。そういうのはちょっとなあ、と思いましたよ。
 どこでもあることでしょうが、親子でも店や宿の経営は衝突する。ましてや祖父と孫ですから、世代が違いすぎる。おじいちゃん、大好きなんですけどね。あまり喧嘩するので父が言いました。『この店はおじいちゃんの店だ。若旦那なんて言われていい気になるな。文句があるならお前がやめろ』。それで僕は店を出て、ロイヤルホストのアルバイトを皮切りに、中華料理の店に勤めたりしました。680円の時給で月に350時間働いたこともありますが、苦にならなかった。
 そのうち、おじいちゃんも80過ぎてあまり体が動かないようになってきた。16年前のある日、僕が『戻ってこようか』と聞いたら『戻って来てくれるのかい』という答えが返ってきました。『わかった、でもやるならじいちゃん、金だけ出して、あとは好きなようにやらせてくれ』と言いました。それでカウンターとテーブル、全部で29席しかない、今の店に改造したんです。おじいちゃんは満足して、いつも店の前に座ってました。それがまた「とよだ」の看板というか、名物だったんです。
 これでは厨房が小さすぎると設計者に言われましたが、僕はそういう動線のオペレーションはロイヤルホストで身につけていて、得意だから大丈夫と言ったんです」
 一さんになって、いくら作っても儲からない800円のランチはやめた。1500円くらいに値上げして、その代わり、刺身、煮魚、焼き魚、夜と同じ食材を惜しげもなく使い、おいしい、リーズナブルという評判が高まった。夜は6500円からのコースを中心に、お酒込みで1万円くらい。看板メニューはキンキの煮付け、ヒレ肉のバター焼きなどだ。
「この辺、日本一給料のいい会社ばかりですもん。OLさんもお金を持ってますし、夜は企業の接待も多いです。でも『今日はプライベートだから領収書はいいよ』とさらっと飲んでいかれるお客はかっこいいと思いますね」
 一さんは、小さな町会の青年部長を務め、町の環境浄化に携わってきた。
「飲食店が多いのに、生ゴミの出し方の悪い店がありますね。それを注意するんです。それとこの辺にも新宿や池袋ほどじゃないですが、キャバクラなどの風俗店も出てきました」
 そうしたことを解決しているうちに、請われて中央区の区議になったので、今は店には一切口も手も出さない。
「最初は断ったんですが。良い商売をするには良い地域が必要です。それに貢献できるかもしれないと思いました。議員として税金から報酬をいただいている以上、地域社会に奉仕するのが本業で、包丁を握るのは誤解の元ですから。常連のお客が見えたら挨拶くらいはしますが」

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 さて取材の後はカウンターで軽く一杯やろうと思っていた。でも今日は満席だという。「7時までは空いています」と店の人。一さんは板場にテキパキと注文を出してくれ、「一時間、楽しんでいってください」と言い置いて区議の仕事に戻っていった。料理人も似合うが、声もいいし、見栄えはするし、政治家にも向いている。
 わーい、カウンターの口開けの客だ。ピカピカに磨きこまれたステンレスの壁、お鍋、青い炎のガス台、仕込みに夢中な板前さんも、聞けばあれこれ答えてくれる。お酒は京都の辛口を。つまみはまずは刺し盛り、トロ、赤身、イカ、しめ鯖、盛り付けも美しい。つづいてカニコロッケ、揚げたてをサクッ。そしてキャベツにカニを混ぜたちょっとあったかいマヨネーズサラダ。これが一番の人気メニューだという。
 右端にいるスラッとした男性が、7つ違いの一さんの弟、二郎さんで、お酒担当。「バーで長いこと修業しました。兄貴も僕も一滴も飲めない。だからいいんです。自分が飲んじゃうと、お客様に出す量も銘柄もあやふやになります」と笑う。
 だんだん客が増えてくる。みんなメニューを眺めて沈思黙考、ということはこの方たちはコースではない。「今日は満席なもので、板場がテンパっちゃう前に早めにご注文くださいね」と二郎さん、優しく促す。その間にも、何日か先の予約の電話が入り、予約なしに来たお客を丁寧に断わる。板さんたちはせっせと皿に盛り付ける。女性がお皿を持ってすうっと通り過ぎる。
 活き活きした店の無駄のない動きを見ているだけで楽しい。そうか、これをオペレーションというのか。八海山の芳醇な吟醸を飲みながら、大正の店というこだわりもなんだか溶けていくようであった。
 でもさっき一さんが言っていた。カウンターで卵焼きを焼いていたら、客が「関西で修業してこい」と言った。さすがに一さん、「これが東京の卵焼きだ」と言い返したとか。「東京の魚なんか食えない」と東京のまん真ん中で繰り返す客に「お客様、失礼ですが田舎自慢ですか?」と出て行ってもらった、とか。「店にケチつけ、他のお客に嫌な思いをさせるような客はいらねえ」というところが、大正創業の老舗の心意気というものか。それは祖父から孫にダイレクトに受け継がれたものだろうか。
 さあ、7時、次のお客がいらっしゃる。長居は無用、そろそろ帰ろう。

★八重洲とよだ
大正2年(1913)創業
〒103-0028 中央区八重洲1-6-15
03-3271-9235
http://yaesu-toyoda.tokyo/index.html

Profile

森まゆみ

もり・まゆみ。1954年、東京生まれ。84年、友人と地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。東京の下町を歩き回り、庶民的な店での一杯を口福とする。著書は『鷗外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜」の冒険』(紫式部文学賞)など多数。近著に『子規の音』『暗い時代の人々』などがある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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