東京老舗ごはん 大正の味

森まゆみ

東京老舗ごはん 大正の味

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浅草「赤垣」

 浅草六区、すし屋横丁の近く、新仲見世の一本裏に、小体な居酒屋赤垣がある。ここに昔連れて行ってくれたのは、作家の小沢信男さんだか、大編集者にして評論家の大村彦次郎さんだか、忘れてしまった。お2人とも下町育ち、こういうお店が実にお好きだと思う。私も好きだ。

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「他の店はみんな新仲見世を向いていて、こっち側は裏通り。こっちを向いているのはうちと隣だけ」という大将・正さんは、ギリシア映画かなんかに出てきそうな、鼻の高い美男。そういう、そっぽ向き感がたまらない。
 大正6年創業というからロシア革命の年に開店だ。そのお話を聞かせてと、開店より少し早くお尋ねした。するとこれまた半端ない美女の麻里さんが、「義母から聞いた話」をメモにまとめていてくれた。美人なのに、ちっとも気取っていない、あったかいやさしい人だ。
「初代は兵庫県赤穂の人、吉水源之助、こすげ夫婦で、東京の一大歓楽街、浅草で一旗揚げようと上京して、この場所で酒場を始めました。店の2階に住んでいました」とメモにある。
 生まれてないから知りっこないや、と、隅の椅子にはすに腰掛けていた正さんの口がだんだんほぐれてくる。
「赤垣ってのは赤穂浪士にいるんですよ。赤垣源太というのがね。それに源之助も同じ字が入っているから、シンパシーからそうしたんじゃないの。初代は頑固なおじいさんだったよ。初代は69歳まで、妻のこすげさんは102歳まで生きました」
 その頃の浅草とか、どんなものを出していたとか知りませんか?
「わからないですね。浅草は一大歓楽街で、シミ金とかエノケンとかいうよりまだ前でしょう。震災の時はどうしていたのかもわからない」
「この辺みんな焼け野原になっちゃって、でもこの店だけは建ってた、ってお客様から聞いたわよ」と麻里さん。
「そりゃ、戦災の時の話だろ」
「ああ、そうだ」と麻里さん。なかなか素敵な掛け合いです。
「2代目は大正14年生まれの太郎と昭和3年生まれの文子です」と麻里さんが髪を読み上げる。
 文子さんはどこからお嫁に来たんでしょう。
「桐生です。親父は大正14年だから、兵隊にとられる年だけど、工業系の学校を出て、桐生の大日本機械で働いていて、戦争にはいかなかった。そこで文子と知り合って結婚したんです。父も本当は店を継ぐつもりはなかったと思います」と正さん。
 太郎さんは戦時中は桐生にいたので、浅草の空襲にも遭っていない。戦後、店を再開するとき、太郎さんは最初間口の半分を借りて自転車屋をしていたが、そのうち店を手伝うようになった。
「親父は親思いでしたね」と正さん。「足立区に住んでいて、そこから浅草に通い、初代の隠居をきっかけに住まいを交換。2代目の家族が浅草に住むようになりました」とメモは続く。
「太郎の妹の節子っていう、僕のおばさんもお店を手伝っていたんです。僕は子供の頃は足立に住んでいましたが、こっちに来たのが小学校6年の時。母は店の2階にまだ元気でいます」
 麻里さん、「このメモは義母に聞いて作ったんです。義母の話では、昔は映画終了が夜の11時で、その時間から飲みに来る人も多かったって。銭湯も夜中の1時まで開いていたけど、それに間に合わないって、いつも焦ってたそうです」
 太郎さんの時代はトロブツと煮込みとおでんが看板メニューだった。
「あとはきゅうり味噌とかね。そんなもんですよ。あの頃、豆腐が大きくて、一丁を半分にして出しても今の一丁くらいはあったね。刺身は近くに魚屋があったので、客がそこで買って持ち込んだりしてた」
 昭和58年、2代目が58歳で亡くなった時、店を閉める話もあった。入院中もしばらく休業していたという。ところが赤垣のお客が「絶対やめちゃダメだよ」の大合唱。そこで、3代目正さんが店を継ぐことになった。
「僕はスーパーに勤めてて、店を継ぐ気はなかったんですが。この人は秋田の高校出て、洋服の売り子をしていて知り合いました。それから2人で店をやることになって、もう30年以上になります」
「覚えているのはね、私が来た時はまだ昭和の初期に建った古いお店で、入り口がゆがんでいたこと。戸を閉めても上の方は隙間が空いてた。鍵が中々閉まらなくて。それを建て替えたんです」。
 2代目、3代目が継ぐ気はなかったというのに、4代目の尚人さんは野球少年から、調理師学校に学び、最初から継ぐ気満々だったという。
 午後5時。開店の時間が迫った。4代目が前掛けを閉め、厨房を出入りする。正さんが暖簾と提灯を出す。「水曜が定休日。昔ほど夜遅くまではやっていません。でも、日曜日は午後4時に開けます」
 昔は平日が3時から。日曜日には昼間の2時から開けていたのだという。

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 さて、私たちも客になろう、とテーブル席の端に座り直した。カウンターは常連のものだ。今日来て今日座るのはおこがましい。店奥のテレビもスイッチが入った。秋場所だ。でも音が小さいので気にならない。
「横綱は休場が多いのね」などと一緒に行った編集者とたわいない話。もともと飲み仲間が高じて仕事仲間になってしまった同世代の女性である。
 まずお酒は秋田の高清水、樽酒を。
 麻里さん、枡の上にコップを置いて、あふれるばかりになみなみと注いだ。
「うちには2代目が書を書いた酒夏酒冬という正一合の徳利があるんですけどね。最近は燗酒を頼む方はめったにいません」
 つまみはいろいろあって目うつりする。隣に男性が1人座った。「4人大丈夫?」と言ったから、あとから連れが来るのだろう。「よく見えるんですか?」と聞くと、「いや、初めて初めて」と言いながら、ささっと塩辛やしめ鯖を頼んでいる。
 隣の芝生というのでしょうか。私たちもつられて、「手作りの塩辛、名物のしめ鯖、あと白エビのかき揚げ!」と叫んだ。
 突き出しは優しい味のポテサラ。甘くも辛くもマヨネーズっぽくもない、すっと口で溶ける。塩辛、これも柚子の香りが効いて、まったく嫌味のない味。しめ鯖はこれもあまり辛くも酸っぱくもなく、お刺身と言ってもいいくらいスッキリとした味。
「僕は左利きでね。最初に店を継いだ時、カウンターで見ていたお客から、左利き用の柳刃を買わなくちゃダメじゃないか、と言われました。刃の向きが違うんでね。盛り付けも逆になっちゃうんです」と正さん。
 よく切れる包丁で、切り口も滑らかだ。
 次にカウンターに横縞の青いTシャツの男性。やがて同じピンクの横縞Tシャツの女性。カップルかと思ったら、またもう1人女性が来て、前の彼女が帰っていった。外人のカップルが来た。英語のメニューを出すと、しめ鯖を頼んで、ビールで乾杯、さっと帰っていった。
 なるほど、水が流れるようにさらさらと運営されているお店だ。何も滞りがない。お客も欲張らない。主人たちの手元を見て、無理のない範囲で少しずつ頼む。
 2杯目を頼む時に麻里さんに聞いた。著名なお客というのもありましたか?
「まあねえ、いろんなお客さまが見えますからねえ。山田洋次さんが隅の席で静かに飲まれていたこともありました。俳優の吉田鋼太郎さんがいらしたときにはびっくりしました。落語家さんも多いですね。春風亭、なんといったかな」
「春風亭柳橋、その孫弟子の昇太さんもみえたね」と正さんが助太刀。
「吉田類さんがテレビで紹介してくださったときは、地方からうちを目当てに来てくださる方が多くて。この本の表紙もここで撮ったんですよ」と『酒場放浪記』を見せてくれた。
 メヒカリの天ぷら、マグロのカマ焼きに心を残しながら、6時過ぎ、店を出た。空はまだ明るい。今度は寒さの身に沁む頃、白子ポン酢を食べに来よう。

★赤垣
大正6年(1917)創業
〒111-0032 台東区浅草1-23-3
電話03-3844-2327

Profile

森まゆみ

もり・まゆみ。1954年、東京生まれ。84年、友人と地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。東京の下町を歩き回り、庶民的な店での一杯を口福とする。著書は『鷗外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜」の冒険』(紫式部文学賞)など多数。近著に『子規の音』『暗い時代の人々』などがある。

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