【第1回】なぜ今、ニュースにならない断片的な言葉を取り上げるのか?

荒井裕樹×石戸諭

【第1回】なぜ今、ニュースにならない断片的な言葉を取り上げるのか?

構成:天野潤平

言葉が降り積もるとすれば、あなたは、どんな言葉が降り積もった社会を次の世代に引き継ぎたいですか?――2018年2月から始まった、文学者・荒井裕樹さんの連載「黙らなかった人たち」。理不尽な事態に直面したとき、社会に対して黙らなかった「普通の人」が残した名言を毎回紹介しています。このたびの対談は、この春BuzzFeedから独立し、フリーのノンフィクションライターとなった石戸諭さんからのオファーで実現しました。今「待つ」という態度がジャーナリズムにおいて重要なのではないか、という話に始まり、ニュースにならない言葉の価値や社会の分断についてなど、話題は多岐にわたりました。全3回に分けてその様子をお送りします。

「うまいこと」を言わないとニュースにならない

石戸諭(以下、石戸) 今日、どうして荒井さんとお話ししたかったかというと、「黙らなかった人たち」の第2回でお書きになっていたような「励ます言葉」の機能っていうのがまだ残っていると思っているからです。『リスクと生きる、死者と生きる』という本を出したり、今年も3月に震災の取材をやったりしたんですけど、やっぱり、今じゃないと言えないっていう人がたくさんいるんですよ。

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荒井裕樹(以下、荒井) うん。

石戸 多くの人にとって震災の話というのは「もう出尽くした」とか「終わった」とか、そうな思われがちなんですよね。本当にそうなのかっていうところをもう一回考えたいと思いました。そこで、取材先に急がせないというか、彼らから言葉が出てくるのを「待つ」。社会に"ない言葉"を見つけようという時に、彼らが内側に持っているものを「待つ」という態度が、ジャーナリズムの世界にいるからか、すごく重要なんじゃないかと思ったんです。

荒井 石戸さんは新聞記者だったし、ネットジャーナルの記者だったから、「賞味期限」のあるものを書かなきゃいけないわけですよね。その時その瞬間に書かなきゃいけないものがたくさんある。でも、問題意識って、のどに刺さった魚の小骨みたいに残るじゃないですか。学者はひとつの問題について、10年とか20年とか、時間をかけて考えてもいいわけですけど、新聞社とかネットジャーナルって、それはやりにくいですよね。

石戸 そうなんですよ。

荒井 苦しくなかった?

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石戸 苦しいんですよ(笑)。

荒井 ふふふ(笑)

石戸 新聞の世界を出て行った理由はそこにあって、賞味期限のあるもの書いていくことに対するどうしようもなさみたいなものがあった。新聞に出てくる言葉って枠が非常に限定されているから、一言でうまいことを言っている言葉のほうが流通しやすいという側面があります。それはカギカッコにきちんと収まるものなんだけど、そんなにうまくカギカッコに収まる言葉なんて本当は出てこない。枠がないというところに、僕がインターネットの世界に入った理由の1つがあるんですよね。


ジャーナリズムで機能しがちな「肩書き」を外したかった

石戸 なんで枠がないほうがいいのか。被災した人たちに話を聞いていると、それぞれが、それぞれに経験した物凄い喪失感の中から出発している。語れないとか、悲しすぎて涙が出ないっていうところから出発するわけです。そういう人たちが少しずつ歩みを進めていく過程を取材するわけですけど、きれいにカギカッコで括れる話ばかりではないんですよ。

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荒井 うんうん。

石戸 僕の本や記事に出てくる人たちはみんなそうなんですけど、一貫した行動をとっているとは限らないんです。その場その場で考え方を変えていったり、気持ちがあっちこっち揺らいだりしている。時として矛盾したり合理的でない言動をとりがちなんだけれども、僕はそういうもののほうが人として本当というか、本質的なものを含んでいるんだと思ったんです。

荒井 きれいに切り取って、文章に引用できるような喋り方をしてくれる人っていうのは......、しゃべり慣れている人なんですよね(笑)。

石戸 そうなんですよ(笑)。

荒井 こちらで勝手に切り貼りできないような語りがやっぱりある。それに対するリスペクトみたいなものを石戸さんの本には感じました。例えば、図式的に問題を捉えた時に語りにくくなる人っていますよね。

石戸 いますね。

荒井 そういう人たちの語りを本の中で汲みとっている。たとえば、大川小学校の先生の息子さんとか、高校を卒業して原発の作業員一筋で生きてきた人とか。そういう人たちの語りが入るスペースって、メジャーなメディアの中にはあんまりなかった気がするんです。石戸さんの本は、そこをクローズアップしているじゃないですか。大枠から人を捉えようとするんじゃなくて、個人から大枠そのものを捉え返すようなところがすごいなと思ったんですよ。

石戸 ジャーナリズムで機能しがちな言葉って、「肩書き」なんですよね。「被災者」とか「大川小の遺族」とか「元東電社員」とか。でもそうじゃなくて、個人の世界観というか、その人そのものから投射されるものを書くことで、その先に社会とつながる接点が見えてくるというやり方をとっています。だからそう読み取ってくれたのはすごく嬉しいです。


論文には入らない「断片的な言葉」の持つ力

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荒井 石戸さんは、かなり「断片的」なことを必死に残そうとしていますよね。今回ぼくがはじめた連載も、「やりたいこと」が似ている気がします。どういうことかというと、マイノリティ運動の人たちと付き合っていると、「論文には入れられないけど、すごい素敵な言葉」にたくさん出会うんです。

石戸 なんで論文には入らないんですか?

荒井 体系的にならないから。

石戸 なるほど。

荒井 ただぽつりとこぼした一言が素敵だったとか、そういった断片的なものにすごく魅力を感じるんですけど、学術論文というのは、社会の問題を分析するための視座を与えてくれるような要素がないと成立しにくい。ただね、いきなり社会がどうこうとか言うよりも、言葉そのものの重みみたいなものに一回沈みこんでみたかったんです。でも、それは学術論文としての目的がわからないから成立しない(笑)。

石戸 なんだそれはと(笑)。

荒井 でも、結論が明確でないことって、個人の中では溢れているので、そういうことを大事にしたいですよね。石戸さんの本にも似たような問題意識を感じました。自分で作った米を捨ててしまった農家の人がいるじゃないですか(第1章1)。あのエピソードを紹介するけど、でも石戸さんは「じゃあこうしましょう」っていう、その先の話は書いていない。まずは受け止めましょうという話ですよね。

石戸 そうそう。

荒井 そこがよかったんです。こういう話が出ると、「心のケアを」とか「風評被害の払拭を」とか、そういう話をしてしまいがちですけど、まずは一度そこに踏みとどまって、「その人が米を捨ててしまったこと」に寄り添ってみるということですよね。

石戸 多分、彼は捨ててしまったという事実を後悔しています。それに対して、「後悔する必要はありません、あなたは科学的に正しい行動をとったのだから」とか、「後悔すべきです、科学的に正しくない行動とったあなたはおかしいです」とか言っても、はっきりって意味がない。彼が「次の年は」と思い返したように、回復の道筋みたいなものを、自分なりに作っていったところをそのままを見るのが大事だと思っています。荒井さんの連載でも、すごくいいのがありましたね。ハンセン病の詩人の。

荒井 山下道輔さんですね(第2回)。

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石戸 共感したのは、「その人が生きていたという事実がある」というところなんです。荒井さんの言葉を借りるなら、僕の本に出てくるのはみんな「自分の力ではどうにもならない事態」に直面しちゃった人。でも、亡くなった子どもや親、そういう誰かのために何かしたい、あるいは喪失した代々の土地を回復したいという時に、ふっと出てくる言葉みたいなものに非常に力を感じるわけです。その辺に住んでいるおじさんとかおばさんみたいな人たちですら、そういうことをぽろぽろと言ってくるその力(笑)。だから僕は、山下さんが言っていたことに対して非常に共感を覚えたわけです。

荒井 ありがとうございます。


取りこぼしてきた言葉を集めなおす

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荒井 実は、山下さんの話に盛り込めなかったエピソードがあって。山下さんは、お父さんも同じ病気で同じ療養所に入っていたんですよ。

石戸 ハンセン病で? へえー。

荒井 戦後の食糧難の時にお父さんは亡くなるんです。療養所は私物をほとんど持てないので、お父さんが生きていたという事実を証明するものがなくなるわけなんですよ。だから山下さんはお父さんが亡くなった日、お父さんの枕元に座って、一晩かけて似顔絵を描いたんです。

石戸 へえー!

荒井 火葬してしまったら何も残らないので、似顔絵を描いたっていうんです。すごく心打たれるエピソード。ただ、これが文章を書く時の苦しいところでもあって、ある一つのまとまった原稿、だいたい4000字くらいなんですけど、その文字数で書こうとした時に、こういったエピソードを入れると、文章の流れが乱れるんですよ。だから諦めないといけない。でも僕は、取りこぼしたもののほうが捨て難い(笑)。

石戸 あははは(笑)。

荒井 そうやって取りこぼしてきたものが溜まっていくんですよね。だから今、いろいろなところで取りこぼしてきたものをかき集めて連載しているわけです。石戸さんも新聞記者としてやってきて、取りこぼしてきたもののほうが大きく刺さっていたわけでしょ?(笑)

石戸 刺さってる! 一緒ですよ、完全にそうですもん。

荒井 それが本になっちゃったわけですよね。

石戸 取りこぼしすぎてね(笑)。新聞にいたらこういう本は書けなかったし、こういう文体にもならなかったと思います。こんな新聞記事の書き方はないから。

荒井 タイトルも震災を前面には出していないですね。

石戸 震災、そして原発事故をテーマにした話ではあるし、それを隠す気もないけれど、ただもっと深い、もう少し普遍的な意味合いを込めているんです。やっぱり、喪失感と向き合っていくっていうのはみんなどこかでやっていることだから、地続きなんです。決してあっちの世界の話ではないというのをやりたかったんですよ。


<第2回はこちら

Profile

荒井裕樹

1980年東京都生まれ。2009年東京大学大学院人文社会系研究科終了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科付属次世代人文学開発センター特任研究員を経て、現在、二松學舍大学文学部専任講師。専門は障害者文化論・日本近現代文学。著書に『差別されてる自覚はあるか――横田弘と青い芝の会「行動綱領」』(現代書館)、『生きていく絵――アートが人を〈癒す〉とき』(亜紀書房)、『隔離の文学――ハンセン病療養所の自己表現史』(書肆アルス)、『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(現代書館)がある。

石戸諭

記者/ノンフィクションライター。1984年生まれ、東京都出身。2006年 立命館大学卒業後、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立した。初の単著『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)が読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど高い評価を得ている。

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