【第2回】私たちは、いったい「誰」に黙らされているのか?

荒井裕樹×石戸諭

【第2回】私たちは、いったい「誰」に黙らされているのか?

構成:天野潤平

「黙らなかった人たち」を連載中の文学者・荒井裕樹さんと、『リスクと生きる、死者と生きる』の著者でノンフィクションライター・石戸諭さんとの対談第2回。第1回では、これまでのニュースでは取り上げられてこなかった「断片的な言葉」の持つ価値や魅力について確認しました。今回は、一人ひとりの苦しみや悲しみに寄り添うことの意味を再考し、自分で自分を追い込まないための言葉のあり方を模索します。キーワードは「黙らせる圧力」と「ゴースト」です。

日常に潜む「黙らせる圧力」

石戸諭(以下、石戸) 荒井さんに聞きたかったんですが、連載の第1回で「黙らせる圧力」を問題として設定したじゃないですか。これはどこから出てきたものなんですか?

荒井裕樹(以下、荒井) 冒頭にうつ病になったAさんの話がありますが、実は似たような状況になった人が周りに複数名いるんです。個人に配慮して、それを「Aさん」という形で最大公約数的にデフォルメしたんだけど、決して嘘ではない。似たような形で自分で自分を追い込んでしまう人のことを目の当たりにして、「なんでこの人たちは『助けて』って言えなかったんだろう」と思ったところから始まりました。

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石戸 なるほど。

荒井 すごく身近で大切な人たちが、自分で自分を黙らせてしまう「負のスパイラル」みたいな言葉の使い方をしていたということがショックだったんです。それが例えばうつ病だったり、生活保護だったりするんですが。生活保護もよく、受給している人たちに対する辛辣な言葉を、日々の生活の中で耳にしますよね。すごい怖いことだと思っていて。

石戸 うんうん。

荒井 今、例えば、親がそういう言葉を日常的に口にするような家庭内の空気があったとして、その子どもが将来、困窮状態になって生活保護を必要とした時、きちんと「権利」として申請できるかといったら、ちょっと厳しいでしょうね。困窮状態なんて、だれが、いつ、どんな理由で陥るかなんて本当にわからないのに。それと、子どもが生活保護を受給している人と特別な感情で結びつきたいとなった時に、「かつて大人たちから聞かされた言葉」が歯止めになったりするんじゃないかとも思う。「黙らせる圧力」っていうと、大きな権力によって黙らされるようなイメージがあるけど、もっと怖いのは、僕らの日常の生活言語の中に、そういうものが混じり始めていることだと思うんです。


その苦しさが「言葉にならない」のはなぜか

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石戸 とても身に刺さるというか、他人事じゃないなと思ったんです。僕もその手の負のスパイラルに陥りがちなタイプなので(笑)。自分で自分を追い詰めていくような言葉の使い方ってあると思うんですよ。特に、理不尽な事態に直面した時って、自分なりに理由を探そうとするじゃないですか。自分のこういう行動が悪かったじゃないかとか。そんな理由ないはずなんだけど、自分の中にある落ち度を見つけて「だから自分はダメなんだ」と思ってしまう人は少なくない。

荒井 うんうん。

石戸 震災の話も、やっぱりまだまだ黙っている人は多くて。例えば、僕がこの本(『リスクと生きる、死者と生きる』)に書けたのは、あくまで語ってくれた人たちだけなんです。その先には、まだ自分の感情に決着をつけられていない人たちがいっぱいいる。先日ラジオに出た時に、気仙沼からリスナーのメールが届きました。その女性はすごく悲しい経験をしたのだけど、今まで泣けなかったというんです。震災の記事を読んでも他人事にしか思えないと。でも僕の本や記事を読んで、「やっと涙を流せてほっとした」と書いてくれました。僕は今そんな感想が出てくることにすごくびっくりした。自分に対する「黙らせる圧力」っていうのは、どこかでロックを解除しないと溜まり続けるということがわかっちゃったんですよ。

9 .jpg荒井 いろんな形で黙っちゃうんでしょうね。誰かに明確に強制されたわけじゃないけど、自分で「重さ比べ」をしちゃう人もいると思うんです。「言葉にならない」と言った時、つらくて苦しくて言葉にならないという意味での「言葉にならない」と、自分の中で重さ比べをして言葉を飲んでしまうという意味での「言葉にならない」がある。苦しくて言葉にならない人には、「言葉になるまで持ちましょう」と言えるかもしれません。でも、重さ比べをして口を閉ざしてしまう人にも、こじ開ける権利は誰にもないんだけれども、「そうじゃないかもしれませんよ?」という言葉は投げてみたい気はするんですよね。


何人亡くなったら、自分の経験を語っていいんですか?

石戸 今年の3月、BuzzFeedに書いた記事なんですけど、そこに登場した方が「あの日経験した辛さや悲しみは、その人のなかでMAXのつらさや悲しみなんだよね。みんな、それぞれに辛いものがあったから、比較できないものなんだよ」と語っています。とてもいい言葉だなと思いました。彼女の場合、年老いた両親2人が亡くなったんです。でもメディアって残酷で、グリーフケアの集まりに彼女が行くと、集中するのは「子どもを亡くした親」なんですよね。彼女からすると父母2人を亡くしたという強烈な悲しみを抱いているのに、外から見ると「やっぱり子どものほう」となってしまう。それで心を閉ざした時期があったんです。

荒井 ああ......。

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石戸 彼女自身はもう語れるようにはなったんですけど、その時に気づいたのは、「自分にとって最大限の悲しみを語る。それを比較してもしょうがない」ということ。2人よりも10人亡くなった人じゃないと語れないとなったら、10人亡くなった人は11人亡くなった人がいたら語れないのかとなる。「何人亡くなる経験をしたら自分の経験を語っていいんですか?」という競争にしかならないわけです。僕らジャーナリズムの世界の人間は、「より悲劇の人」を探しがちだけど、やっぱりそうじゃないと彼女の言葉を聞いて思った。重さ比べをしてはいけないんです。というか、しなくていい。

荒井 本当は天秤に乗らないはずのものなので、比べられる性質のものではないんですよね。

石戸 そうなんです。どちらが重いという問いそのものがおかしいと、言わなきゃいけないんですよ。


実在しないゴーストに騙されるな

荒井 でも変な話、メディアは「理想的な被害者」とか「標準的な被災者」みたいなイメージを作っちゃうわけですよね。

石戸 だから僕らは、それに対して自覚的にならないといけないです。取材をしていても、いろいろなところで功罪みたいなものを感じたんですよね。

荒井 僕が思うに、問題には、100人に1回ずつ会わないとわからない問題と、1人に100回会わないとわからない問題があって、僕はどちらかというと1人に100回派なんですよ。

石戸 ええ。

荒井 でも、ネットジャーナルの3,000~4,000字の記事を書くんだったら、インタビュー時間は2~3時間が一番書きやすい。これが、一人に対して2~3年間話を聞き続けると、もう書けなくなる。どんなことを書いても取りこぼすものが出てくるので。以前書いた『生きていく絵』や横田弘さんの本(『差別されてる自覚はあるか』)は、何回会ったかわからないくらい本人に会ったから、何を書いてもこぼれてくんです。その不全感みたいなものと戦いながら書き続けた。でも、それはそれで間違ってないと思う。人って錯覚してしまうんですよね。ほら、レーダーチャートってあるじゃないですか。例えば個性なら「協調性がある」とか「独創性がある」とか、そういった要素を点数化して可視化するグラフ。

石戸 ありますね。

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荒井 「標準的」な人間って、どこにも偏らずにバランスよくなっている人間のことですよね。例えば、5つの項目、各項5点満点ですべてが3.0とか。

石戸 はい。

荒井 こういう人間って「標準」なんですけれども、こういう人間が実体としているわけではないんです。本当はみんなどこかが偏っていて、それぞれに偏りを持った人間を1万人分くらい集めて平均を取ると、「各項目3.0」みたいになるだけ。つまり1万人分の平均だからといって、その「平均」が実体として存在しているわけではない。これは「ゴースト」なんです。人はこの「ゴースト」を「平均」とか「標準」だと思ってしまうところがある。でも、僕らが見なきゃいけないのは「ゴースト」ではなくて、一人ひとりの出っ張ったりへっこんだりしている部分です。それをきちんと書く。「どこにもいないゴースト」を作るんじゃなくて、一人ひとりをきちんと見ていくってことが大事なんじゃないかなと思います。


「こぼれ落ちるもの」への想像力を働かせる

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石戸 おそらく、平均的なものが出てくると、それに合わない自分に黙っちゃうことがあるんですよね。

荒井 なるほど。

石戸 先ほどの女性の話でも「私は本当に被災者なんだろうか?」と彼女は言っていた。親は亡くしたけれど津波は見てない。実家は流れたけど自分のマンションは揺れで済んだ。じゃあ私は本当に被災者なのかという時に、テレビを見たら、避難所には励ましの手紙とかがいっぱい来ているわけです。一方、自分の家には支援物資や励ましの何かが来るわけではない。「自分はテレビに映っている被災者とは違う。違うけど、こんなに苦しいのに誰も手を差し伸べてくれない。私は被災者じゃないのか」という感情を彼女は持ってしまったんです。だから、みんなで励まし合いましょうと言った時に、そこからこぼれ落ちる人がいて、その人たちが実はすごく苦しい思いを抱えていたという事実があるんです。

荒井 うんうん。

石戸 悲しみも苦しみも本当に一人一人違うものだから、それを前提でやっていかないとやっぱり大変だと思います。もちろん、政策上こういうことをやらないといけないという時に、大きな括りでやるのはいいんです。ただその時に、個人にもっと焦点を当てながら物事を見ていくというアプローチもある。どんな政策も全員をうまくとらえることなんてできないし、こぼれ落ちるものは現実にあるのだけど、「それはこぼれ落ちるものなんですよ」と言うだけでも大事だと思うんですよね。

荒井 うん。そうやってこぼれ落ちる人たちの「尊厳」とか「個の重さ」みたいなものをずっと訴え続けていかないと、権力の行使って抑制的にならないんですよね。「こぼれ落ちることの怖さを知っていますか?」ということを訴え続けないといけない。

石戸 荒井さんの研究されている「青い芝の会」(脳性麻痺者の当事者団体)なんかまさにそうだったんじゃないですか?

荒井 「それは俺たちが切り捨てられるってことだぞ。それでも権力を行使するのか?」と、あの人たちは訴え続けたわけです。でも「一人ひとりに寄り添う」とか言うと、理想論に見られたり、「寄り添うと言ったって、そのあとどうすんの?」みたいなことを言われたりする(笑)。

石戸 はいはい(笑)。

荒井 でもね、一人ひとりに寄り添うということの想像力みたいなものを積み立てておかないと、それをごそっと削り取っていくような権力の行使があった時に抗えないでしょう。そのためにも、そういう想像力って必要なんですよ。


俺たちを排除するな

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石戸 本当にその通りだと思います。荒井さんが書かれた横田弘さんの評伝も目から鱗だったんです。横田さんって、「過激な障害者運動のデモンストレーションを連発した伝説の男」みたいなイメージが先走っているけど、荒井さんが描きだしたのは、彼の繊細な「表現者」の顔ですよね。「行動綱領」(青い芝の会の運動方針)も含めて、すべての表現物が彼の詩のようだと僕は受け取ったんです。

荒井 そうそう。

石戸 結局、彼らがしているのは「排除しないでくれ」という話ですよね。これは本当に重要なアプローチだと思っています。異物感、ここに合わない感覚と言ったらいいのかな。例えば「組織に合わないやつはとりあえず外す」みたいなことって、いろんな場所でたくさん起きている。でも、「それはおかしいでしょ」と彼らは言った。そんな彼らを日常の延長線上で「それはおかしい」と言った人たちと捉えると、急に身近な存在になるんですよね。「わかるわかる、合わないやつって外されがちだよね」みたいな感じで。

荒井 そうなんですよね。

石戸 「じゃあなんで自分たちは社会にいないといけないのか」となった時に、彼らは「自分たちみたいな存在がいる」ことを見せた。「想像力を働かせてみてください」と言った。「社会」というテーブルがあるとして、「ここに椅子があるなら俺らも座るから」と。何かを期待しているわけではないんですよね。「とりあえず座らせろ。座った先のことはあとで考えてくれて」という話でしかないから。


社会は優しくない、障害者に慣れただけ

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荒井 今のはすごく大事なことで、横田さんたちが運動を始めた1970年代っていうのは、街の中に障害者が出ること自体が運動だったんですよ。とにかく人の目に自分たちの存在を見せることが運動だったんです。障害者が街を歩いたり、電車に乗るだけで、みんなギョッとして空気が凍ったんです。それで、半世紀経ってどうなったかと言うと、僕たちは街で車いすの人を見ても驚いたりはしないですよね。

石戸 しない。

荒井 これって、別に社会が障害者に対して優しくなったわけではないと思うんです。本当に、ただ単純に慣れただけだと思う。その人たちが必死になって街中に出てきたことで、街のほうがその人たちに慣れたということです。だからあの運動は、とんでもなく大切なことだったんですよ。「異なる事情を持った人たちが同じ生活空間にいる」ということに気が付かなければ、そもそも「異なる事情を持った人たちが存在している」ということ自体に気づかないわけですから。だから横田さんたちの運動って、50年とか100年というスパンで「社会のあり方」を考えるのに、すごくすごく大事なことだったんですよね。だって、「異なる事情を持った人たちは、こことは別の見えない場所に居てもらいましょう」となった時に、50年後とか100年後の社会はどうなっているかってことです。もっと大変なことになっているかもしれない。

石戸 すべてはいなくなる(笑)。でもそれって、本当にすごいことですね。


負けた人間だから言えることがある

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荒井 横田さんって、書いている文章の中でも、僕との話の中でも、よく「負けた」という言い方をしたんですよ。「自分たちの運動は負けたんだ」と。「負け」って、普通あんまり認めたくないじゃないですか。何とか交渉に持ち込んで、7対3なり8対2なり爪痕を残そうとする。でも横田さんは「負けた」って言った。これ実はすごく重要で、負けた人間だから言えることがあると思うんですよね。

石戸 なるほど。

荒井 確かに横田さんたちの主張は通らずに負けた部分が多いんです。でも負けたということは、「自分たちは力でねじ伏せられたのであって、自分たちを組み伏せた力を正義と認めたわけじゃない」ということなんです。変な話、大人の運動だったら、「2割くらいはこちらの言い分を入れてください」みたいに妥協しなさいと言われるわけですよ。

石戸 今、そちらのほうが多いですよね(笑)。

荒井 「落としどころを探せ」とか「対案を出せ」とかね(笑)。横田さんたちが、なんであんなにも頑なに原理原則にこだわったかというと、そこだったと思うんです。自分たちはこてんぱんに負けたんだから、こてんぱんに負けた人間として言えることがあるという。

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石戸 あははは(笑)。いいですねえ。そういうこてんぱんに負けた敗者の歴史って、マジで埋もれるじゃないですか(笑)。

荒井 全員にそれをやられると困るし、社会は大変なことになるんだけど(笑)。

石戸 でも、その負け感みたいなものはいいですね。横田さんが「負けた」と認めているのも面白い。だって、あとから見れば自分たちの言っていたことが割と普通になったんだから、「勝ったと言えるんじゃないですか?」と僕は言いたくなっちゃいます。けど、本人的には全然違うんでしょうね。

荒井 例えば、車椅子のままバスや電車に乗れるような道が拓けたり、インクルーシブ教育みたいな概念が出てきたりしたというのは確実にあると思うけど、「負け」を噛みしめていた。でも、確かにそうかもしれないですよ。だって、相模原のような事件が起きてしまったから。

石戸 ああ、なるほどね......。

荒井 ああいった事件を肯定する意見が普通に出てくるし、世間もあの事件をすでに忘れかけているし。

石戸 そうか、そういう意味では確かに、負けたのかもしれないですね。


<対談 第1回はこちら
<対談 最終回はこちら

Profile

荒井裕樹

1980年東京都生まれ。2009年東京大学大学院人文社会系研究科終了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科付属次世代人文学開発センター特任研究員を経て、現在、二松學舍大学文学部専任講師。専門は障害者文化論・日本近現代文学。著書に『差別されてる自覚はあるか――横田弘と青い芝の会「行動綱領」』(現代書館)、『生きていく絵――アートが人を〈癒す〉とき』(亜紀書房)、『隔離の文学――ハンセン病療養所の自己表現史』(書肆アルス)、『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(現代書館)がある。

石戸諭

記者/ノンフィクションライター。1984年生まれ、東京都出身。2006年 立命館大学卒業後、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立した。初の単著『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)が読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど高い評価を得ている。

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