定年入門

髙橋秀実

定年入門

24

平凡こそが非凡

「いや、たまたま妻が娘のいる北海道に出かけましてね。それで家にひとりになっちゃって。なんだか虫がうるさくて、それを詠んだだけなんですよ」
 名句「独り身によってたかって虫の声」の作者である中野修さん(74歳)は軽やかな口調で解説した。俳号は名前のまま「修」。キャップを被り、八分丈のズボンにスニーカーという出で立ちで、散歩の途中に立ち寄ったという風情である。
――独身というわけじゃなかったんですか?
 私が念を押すと、彼はにこやかに首を振った。
「あくまで『ひとりみ』ですから」
――でも「ひとりみ」は独身ということでは?
「独身は独身でしょ。ずっと独身でいる人は『ひとりみ』の寂しさは知らないんじゃないでしょうか。だってずっとひとりなんだから。『ひとりみ』を実感できるのは、やっぱり結婚している人じゃないでしょうか」
 なるほど、と私は静かにうなずいた。聞けば、彼は俳句を始めてまだ6カ月だという。もしかして根っからの俳人ではないかと他の句も見せていただくと、こんな感じだった。

 生醤油をうどんに垂らす薄暑かな
 父の日や娘の電話妻に似て
 収穫の甘蔗に妻の笑み溢る
 朝練の壁打つ音や風光る
 秋刀魚焼く妻と過ごせし幾年ぞ
 背丈ほどの芋の葉擦れや妻の声
 ......

――なんか、こう、「妻」が目立ちますね。
 私が指摘すると、彼は驚いた様子で「そうですか?」と首を傾げた。
――そうですよ。
「言われてみると確かに多いですね。いや、実は私、花鳥風月がダメなんです。俳句といえば花鳥風月ですが、どうしても上手く愛でられない。だから私は生活俳句なんです」
――生活俳句?
「生活や家族のことを詠むんです。そうなると『妻』が入ってくるんでしょう」
 題目としての「妻」ということか。となると私がよく理解できないのは最後の「背丈ほどの芋の葉擦れや妻の声」である。
――この「芋の葉擦れや」っていうのは何なんですか?
 彼はしみじみと答える。
「ウチでは庭で芋を育てていましてね。芋の葉っぱの擦れる音。その音を聞いて、妻に呼ばれたような気がしたんです」
――すみません、あの、奥様はご健在なんですか?
 私は憚りながら確認した。彼の俳句はどこか偲んでいるようにも読めるのである。
「おかげさまで元気です」
 修さんは大笑いし、「そう読めちゃいますかね」と自作を読み返した。
 もしかすると俳句には「寂しさ」が必須なのかもしれない。実際の寂しさとは別の寂しい口ぶりというべきか。講座でも「バリバリとセロリを齧る君が好き」という投句があった。簡潔で爽やかなので私は○をつけたのだが、よくよく考えてみると、その楽しげな口ぶりは俳句というよりマヨネーズのキャッチコピーのようである。修さんによると「仕事も詠みにくい」とのこと。仕事をテーマにすると、つい「左右確認 安全第一」のような力強い標語になってしまうのだ。
「いや、でも私は生活俳句を目指しているわけじゃないんです」
 いきなり否定する修さん。
「花鳥風月が上手く詠めないっていうだけでして。なんだかわからないうちに生活俳句になっていたというだけでして。そもそも私は俳句をやりたいと思っていたわけじゃないんです」
――えっ、では、何を?
「写真です。退職後に地域の写真クラブに入りまして。発表会などもあって風景写真を撮っていたんですが、私はどちらかというと写真よりカメラ自体のほうが好きなんで、あんまり上手く撮れない。そんな時、ある人に写真に俳句をつければいいと教わったんです。それで俳句をつくってみたんですが、その人に『それじゃ情景が見えない』『言葉が重複している』とかいろいろ言われましてね。よくよく考えると彼の言うことは正しい。正しいからなおさら癪に障ったんですよ。こん畜生! とね」
――それで?
「それで俳句教室にも通うようになったというわけです」
 男のプライドということか。彼は「ああだこうだ言われると癪に障るから」、奥様にも俳句を見せないらしい。男のプライドは傷つきやすいのである。
 修さんは60歳で電機メーカーを定年退職した。一貫して労務管理の仕事に携わってきたので、退職とほぼ同時に裁判所の「労働審判員」に就任したのだという。
 平成18年から裁判所では「労働審判制度」がスタートしている。これは労働者と事業主の紛争解決の場。民事訴訟になると仮処分などの煩雑な手続きを要するため、それを「迅速、適正かつ実効的に解決」(裁判所HP)するためにつくられた制度なのである。例えば労働者から「給料の不払い」などの申し立てがあると、裁判官1名と民間から任命された労働審判員2名が調停して解決する。調停がまとまらなければ、その3名が審判を下し、それに異議があれば民事訴訟に移行するという仕組みだ。
 労働審判員は経団連や連合などの推薦を受けた「労働関係に関する専門的な知識経験を有する」人。2年ごとに契約更新するそうで、こちらの定年は70歳。修さんは契約途中で定年を迎えないように68歳まで務めたらしい。
「それこそ殴り合いや喧嘩になりそうな場面もあるんです。そこをお互いに納得できるように解決策へと導いていく。個別にお話を聞いて妥協できるところを探っていく。定年後の仕事としては、刺激になるし、やりがいも感じました」
 審判はひとつの案件につき3回以内とされている。1回に要する時間は2~3時間程度だが、事前に裁判所から送られてくる大量の資料を読み込んで理解し、証拠類も見ておかなければいけないので、準備にかなりの時間をとられるそうだ。
「私は日経連の推薦を受けていましたが、経営者側の立場ではありません。あくまで公平な立場で、法律と自己の良心のみに従うんです」
――自己の良心ですか......。
「そうなんです。会社ではそういうことってあんまりないでしょ。いつも目上の意向をうかがったり、上司がどう考えるかと察したりして。労働審判ではそれが一切ない。本当に『自己の良心』なんです」
 最高裁判所からの辞令を受け取ると彼は身を引き締めたという。これまでの労務管理の経験を生かせる。自己の良心に基づいて生かせるわけで、会社での仕事もこれで総括できたのかもしれない。
「私は30代からゲートボールもやっているんです」
 さらりと続ける修さん。なんでゲートボール? とたずねると「たまたまウチの隣にゲートボール場が出来まして。誘われて地元のクラブに入っただけなんです」とのこと。若かった彼は戦力としても頼りにされ、キャリアを積んだ今となってはチームを引率して全国大会などにも出場しているそうだ。
 まさに充実人生。俳句に必須の「寂しさ」とは無縁の定年後ではないだろうか。
――ところで俳句ってどうやってつくるんですか?
「パソコンに思いついたキーワードを入れておくんです。『豆腐』とか『ラッパ』とか。それで『豆腐、ラッパ、俳句』と入力して検索する。そうするといっぱい出てくるでしょ。もちろん真似してはいけないけど、そこでいろんな俳句なども見られるんです。パソコンは本当に助かる。パソコンがなかったら大変ですよ」
 検索するのか、と私は呆気にとられた。電機メーカー出身の彼はパソコンを自作している。家にいる時は「飯、風呂、寝る以外はずっとパソコンに向かっている」そうで、あまり俳人っぽくないのである。実際、修さんを真似てネットで検索してみると、俳句のみならず大量の文例が出てくる。それらを眺めているうちに、キーワードをつなぐ言葉も発見できそうなのだ。
「そのうち自動俳句作成機もできますよ。将棋だってそうなんですから」
 彼はそう断言した。確かにネット上にあふれる文章や俳句をデータ処理し、AIにパターン認識させれば俳句は自動的につくられそうである。将棋と同じように、決められたルールの中での組み合わせが勝負の世界では、コンピュータのほうが強いのだ。
 俳句は人間味が重視されるが、パソコンには敵わない。修さんはそう悟っているかのようで、だからこだわりもない。こだわりがないから名句を詠めるのだろうか。
 そういえば「放浪の俳人」と讃えられる種田山頭火も放浪の挙げ句、こう語っていた。

 所詮、人は人の中である。孤立は許されない。怨み罵りつゝも人と人とは離れがたいのである。人は人を恋ふ。愛しても愛さなくても、家を持たずにはゐられないのである。みだりに放浪とか孤独とかいふなかれ!
 (前出『山頭火句集』)

 孤独を詠んでいた彼も本当は「人は人の中」「人は人を恋ふ」と思っていたわけで、自作の中の「孤独」を真に受けるな、と戒めている。ひとりでないから「ひとり」も詠める。彼はまた「道は非凡を求むるところになくして、平凡を行ずることにある」(同前)とも言っていた。句作の秘訣は平凡な定年後。平凡こそが非凡で味わい深いのである。

※登場人物はすべて仮名です。

Profile

髙橋秀実

たかはし・ひでみね。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社、出版編集プロダクションを経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国 ニッポン』『趣味は何ですか?』『男は邪魔!』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』など。近著に『日本男子♂余れるところ』(双葉社)。

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