定年入門

髙橋秀実

定年入門

14

素直になれる時間

 定年後に畑仕事をしてみたい。
 という声をよく耳にする。いわゆる「田舎暮らし」。土いじりをして暮らしてみたい、自分で野菜をつくって自給自足の生活をしてみたい、などと夢を思い描くようなのだが、私は即座に「やめたほうがいい」と忠告したくなる。実際に農業を始めた人々を取材してみると、彼らは慣れない作業でぎっくり腰になったり、農機具でケガをしていた。野菜を育てるのは楽しくても、収穫した野菜は食べ切ることはできず、知人などに送ってかえって迷惑がられたりする。収穫した野菜をそのまま土に返して肥料にしている人もいるくらいで、これでは何のために農作業しているのかわからなくなる。それに大抵は奥様の同意が得られない。本格的に取り組みたいと田舎に移り住もうとすると猛反対されて結局、別居ということになり、家族にとっても心配の種になるだけなのである。
――大丈夫なんでしょうか。
 不躾ながら私は西田良平さん(67歳)にたずねた。彼は千葉県在住。58歳で国際援助機関を管理職定年となり、関連機関に移って65歳で定年退職。定年後、地元で農業を始めようと一念発起して農家から畑を借りたのだという。苗などを育てるためにこのビニールハウスまで建てたそうなのだが、体がどこかつらそうなのである。
「僕は脊柱管狭窄症でしてね。ついこの前まで杖をついて歩いていたんです。5分おきに体を伸ばさないといけない」
 さらりと答える西田さん。なんでも20代の頃から腰痛持ちで、もともと農業には向いていないようなのだ。「本当に大丈夫なんですか?」と私が念を押すと、彼は「大丈夫です」とうなずき、「疲れた時はこうするんです」と木箱を並べてその上に横になった。簡易ベッドのようだが、木箱は硬く、かえって痛そうなのである。
「手術をすれば治るそうなんですが、僕は決めたんです。腰痛は畑で治す、と」
 私が「マジですか?」と驚くと、彼は「実際、よくなっています」と微笑み、「だってほら」と遠くを指差した。
 ビニールハウスの周辺は見渡す限り畑である。遠くで腰の曲がったおばあさんがほうれん草の収穫をしている。曲がった状態で歩き、曲がったままほうれん草を摘み取る。腰痛に悩まされている体勢は、農作業の基本姿勢でもあるらしい。
「実はこのあたりの多くは耕作放棄地なんです。どの家も後継者がいない。畑をやっていけないんです」
――しかし、ちゃんと耕されているようですが......。
「我々が雑草を刈り取っているんです。だって遊ばせておくのはもったいないでしょ。それに一応、農地にしておかなければいけないんで......」
 日本の農地は継続的な耕作が義務づけられている。農地は「現在及び将来における国民のための限られた資源」(農地法第1条)だからだ。それを監視すべく市の農業委員会が定期的にパトロールをする。そして雑草が生い茂っていると「遊休農地」だと判定され、農業委員会から「指導」「通知」「勧告」が行なわれ、勧告に従わない場合は、都道府県知事の裁定により、農地保有合理化法人などに利用権を設定される。早い話、農地を奪われてしまうのである。農地を売るにしても農業委員会の許可が必要で、許可を得るには「農地を効率的に利用して耕作していること」や「農作業に従事する日数が概ね150日以上」であることが条件。農地を維持するにせよ売却するにせよ、農家は「農作業をしている」様子を見せなければならず、それを西田さんたちが請け負っているようなのである。
「片や働き手のいない農家。片や定年後に土いじりをしたい我々。ピッタリ合うんです」
 需要と供給が合致しているらしい。
「僕が自分で耕作するために借りたのは7反(2100坪)です。借地料は1反当たり年間17000円。これが市民農園だと、わずか2坪で月1000円。民間の貸し出し農園だと月6000円にもなる。それらに比べると、農家と直接交渉して借りたほうが安いんですよ」
――それにしても広すぎませんか?
 この広さをひとりで耕作するのは、働き手のいない農家とあまり変わらないのではないだろうか。
「ですからNPO法人を立ち上げたんです。会員を募ってみんなで耕作する。現在会員は31名。農福連携を目指しているんです」
 農福連携とは農業と福祉の連携。定年退職の人々に限らず、引きこもりなど心の病いなどを患う人々にも参加してもらい、社会福祉を兼ねて農業の活性化を図る。彼は市が主催する農業講習会(週4日で半年間)を受講し、1年がかりでNPO法人の認可を取得。着々と地歩を固めている様子なのである。
「定年退職した時は、これでもう仕事しなくていい、とよろこんだんですけどね」
 ポツリとつぶやく西田さん。
――そうだったんですか?
「だってもう通わなくてもいいんですから。朝なんか家で新聞を隅から隅まで読んだりしてね。のんびり過ごせて、すごくいいなあと思ったんです、1週間くらいは」
――1週間ですか?
「それは一時のよろこびにすぎない。1週間くらい経つと、なんか悪いことをしているような気がしてくる。罪悪感のようなものに襲われたんですよ。何もしないでいることが恥ずかしいというか......」
 私などはのんびりしていると、あっという間に半年くらい経っていたりするが、彼らにとっては1週間が「のんびり」の限界なのだろうか。
――それで、どうされたんですか?
「まず図書館に行きました。利用者カードをつくったりなんかして。でもしばらく通っているうちに、自分と同じような人たちばっかりだと気がつきましてね。他に居場所がなくて、ただ時間を持て余している。自分もいずれこうなってしまうんじゃないかと恐ろしくなりましてね。そこで『自分は何なんだ?』と考えました。行きつく先はやっぱり自分の専門性。原点に戻ろうと思ったんです」
 西田さんは大学の農学部出身だった。学生時代はガンディーに憧れ、1年間休学してインドのアシュラム(修行道場)に滞在したこともある。大学卒業後は青年海外協力隊に参加し、3年間にわたってバングラディシュで稲作の指導。帰国後、大学院に通ったり、コンサルタント業を手伝ったりするなど「ウロウロした」末、34歳で国際援助機関に職員として採用されたのである。
「我々の世代は、できもしないことをやろうとしてましたからね」
――例えば、どんなことを?
「世界平和とか」
 彼は即答した。
――世界平和ですか......。
「平然と『世界平和のために』とか『地域の平和と安定』とか言ってましたもん。ひとりでやれるわけがないのに、それこそひとりでやる勢いでして。我々はいちいち大義名分を掲げる。掲げないと気が済まない。今でいう『上から目線』ですね。とにかくなんでもかんでも大袈裟に言いたくなっちゃう。それじゃ若い人もついてこないですよね」
 反省する西田さん。ちなみに彼の敬愛するガンディーも理想などの「遠くの景色」に惑わされるなと戒めていた。 

世界の涯(はて)まで奉仕活動に駆けずりまわる人は、大志をくじかれるだけではなく、隣人への義務(つとめ)にも失敗するのです。
        (『ガンディー獄中からの手紙』森本達雄訳 岩波文庫 2010年)

 遠くの人を救おうとするより、「身近な隣人たちへの奉仕」(同前)。彼が参加した青年海外協力隊も途上国を支援するというより、現地での体験を帰国後に地域で生かすことこそが重要らしく、かくして彼は地元の農家に注目したのである。
 西田さんは母校(大学)にも出向いてNPO法人の参加者を募ったという。
「今の若い人は堅実ですからね。何事もできる範囲でしかしようとしない。手の届く夢しか追わない。だからあんまり大袈裟に言わないほうがいいんです。それに定年後になんかムキになる人っていますよね」
――ムキになる?
「なんか若ぶって元気いっぱいの人。定年で若返ろうとする人。ああいうのはどうなんでしょうか、若い人たちから見ると」
 う~んと私は唸った。確かに若い人たちにとって、今は夢を抱きにくい時代に思える。西田さんのように高度成長の時代を享受し、お金もしっかり貯めている世代が元気溌剌としているのは、まぶしくて「うざい」かもしれない。
「だから私も『ついてこい』じゃなくて同情を買うようにしているんです。腰痛も隠さず、つらいとこぼす。素直に『助けてくれ』と言うようにしているんです」
 実際、大学で「助けてくれ」と声をかけたら、女子学生の数人が「私がやります」と協力を申し出てくれたらしい。
「僕は農作業のおかげで素直になれたのかもしれません」
 西田さんがしみじみと語った。
「畑にはたくさんの生き物たちがいます。小さな鳥やムクドリもやってくる。ネズミが走ったり、モグラが出てきたり。みんな自然の中で生かされているんだ、と思うと心が落ち着くんです。それに農作業って、鍬でひたすらカヤの茎を集めたりする単純なことの繰り返し。単純だからおのずと自分を見つめる時間になるんです」
――自分を見つめるんですか?
「人生を回顧するんです」
――あの時はよかった、とか?
「それはありません。悔やむことばかりです。悔しいこと、失敗したこと。あの時、ああしなければよかったとか。子供の頃、ウチのおふくろは猫の額ほどの畑をやっていたんですけど、僕は手伝いもしなかった。高校時代も剣道ばっかりで、もっと勉強しておけばよかったとか。社会人になってからのことでも、もしかして俺はあの人を騙したことになるのか、とふと気がついたり。あいつが言っていたのはそういうことだったのか、と今頃わかったり。やっぱりあれは自分の責任だったと悔やみ、その時に『自分を責めるな』と声をかけてくれた上司を思い出して涙ぐんだりしてね」
 農作業は過去が次々と甦る悔やむ時間。悔やむことで素直になれるのだろうか。
「僕は女房に対しても素直なんです」
 唐突に切り出す西田さん。聞けば、専業主婦だった奥様は彼が定年退職後、彼と入れ替わるように塾の英語講師として働き始めたらしい。
「知らないうちに、自分で仕事を見つけてきたんです」
――そうだったんですか?
「これって僕がずっと家にいると思ったからじゃないでしょうか」
 その可能性は極めて高いような気もするが、夫婦間のことは私にはわからない。
――奥様は農業には......。
 私が言いかけると、西田さんは「虫が嫌いだから」と即答した。
「夫婦には定年がないんです。死ぬまで現役。今も喧嘩して切磋琢磨しています」
――切磋琢磨ですか?
「子供も独立しているので夫婦ふたりきり。女房にとって、はけ口は僕しかいない。僕だって本音を言えるのは女房だけなんです」
 定年後、彼は料理も洗濯もするようになったという。朝6時に起きて朝食をとり、自分で弁当をつくり、8時に家を出てビニールハウスへ。午後4時半頃まで農作業をして帰宅。そこから御飯の支度をして風呂もわかす。そして9時頃に奥様の仕事が終わるので、駅まで車でお迎えに行く。以前は晩酌を楽しみにしていたが、車を運転するために断酒したというのである。
「素直でしょ」
 彼は念を押した。
――そうですね。
「よくこれだけ素直になれるなと自分でも感心しているんです。僕、今まで女房に『飯つくれ!』と言ったことありません。晩飯は誰がつくるの? 僕? わかりました! という感じですっすっすっとつくっていますもん。車でお迎えに行く時になんか、今までになかった愛が芽生えている感じさえするんです」
 照れくさそうに語る西田さん。彼は「本当にいい亭主だと思いますよ」と自画自賛し、なぜか私たちは大笑いした。
「僕はね、定年で辞めたことを女房には少しはよかったと思ってほしい」
 彼は切実にそう訴え、「これだけは断言できる」と続けた。
「農業をやれば行き先もはっきりしているし、24時間家にいるわけではない、という表明にもなる。それだけでも農業には価値があります」
 定年後、男は農業をすべし。家の外に居場所を確保できるということで、もしかすると農業は動物のマーキングのようなものなのかもしれない。
 午後4時半を過ぎると、畑にも夕暮れが迫る。遠くに舞う土埃を眺めながら、私は子供の頃のことを思い出した。もうちょっと遊びたいが、早く帰らないと叱られる。ビニールハウスもまるで秘密基地のようで、私も木箱の上に寝そべりたくなったのである。

※登場人物はすべて仮名です。

Profile

髙橋秀実

たかはし・ひでみね。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社、出版編集プロダクションを経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『男は邪魔!』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』など。

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