定年入門

髙橋秀実

定年入門

15

男たちのデイサービス

 千葉ニュータウンは北総鉄道北総線に沿って東西18キロに広がる、文字通り新しい町である。昭和42年から総事業費約1兆2000億円を投じて開発が進められ、マンションなどの住宅はもとより巨大なショッピングセンターや公園、病院、文化センターなども整備された。平成26年に事業は完了し、約10万人が移住。都心にほど近く、成田空港にもアクセスしやすい「小さな世界都市」、「田園と都市の融合」(千葉県企業土地管理局)を目指しているそうなのだ。
 ここで活動している地域のNPO法人「しろい環境塾」に、多くの定年退職者が集まっているという。自分たちの住む町をキレイにする。ニュータウンの周囲には里山が広がっており、それを保全して次世代に継承したい、というのがその主旨らしい。
「もともとは産業廃棄物の問題だったそうです」
 語るのは3年前から理事長を務めている小池正夫さん(67歳)。彼自身も新聞社を定年退職してこの活動に参加したという。学生時代からワンダーフォーゲル部に所属し、ヒマラヤなど海外の山々にも出かけている。今でも登山に備えて週2回はジムで体を鍛えているそうで、とても溌剌としていた。
「17年前に発足したころは、千葉ニュータウンの開発工事で大量の産業廃棄物があちこちに捨てられていたらしいんです。このあたりは農家に後継ぎがいなくて耕作放棄地となった田畑が多く、荒れている状態でしたから捨てやすい。いったん捨てれば捨てていいということになって、また誰かが捨てる。これはなんとかしないといけない、というのが当初の動機だと聞いています。きちんと見て回ってゴミを撤去しようと」
 活動を始めたのは「白井市民大学校」の有志たち。「クラスメート」の中から広がっていったそうなのである。
 白井市民大学校とは地元、白井市が主催する生涯学習のコース。3つの学部があり、それぞれ月2回の講義を1~2年間受けて卒業する。ちなみに3つの学部とは、

 ・健康生活学部(40歳以上)
 ・シニア学部(60歳以上)
 ・しろい発見部(40歳以上)

 すべて定員は20名。健康生活学部では様々な体操やパークゴルフなどを学んだり、健康のための料理教室も開かれる。シニア学部は友人や生きがいをつくるための学部で、認知症予防の講習や絵手紙の講座、JRA競馬学校の見学、裁判員裁判の体験などが実施されている。しろい発見学部は地元の歴史を学び、「魅力スポット」を歩いたり、農家を訪ねて農作業を手伝ったりする。年間の学費は3000円。いずれも充実した内容で最後には卒業式も行われて卒業証書を授与される。大学校の入学資格は市内に在住・在勤している人で、「学習成果を自らの生活で実践し、積極的に生かす意欲がある方」。学んだことは生かすべし。まさに実践に移したのだ。
「先輩方に聞いた話ですが、会員を募集するために、駅などで産廃の現状を知らせる写真を展示したそうです。すると集まったのは会社を定年退職した方ばかり。中には奥様が旦那さんを連れてきて、『ウチの旦那も使ってください』と頼んだりしたこともあったそうです。そのうち農家の支援や炭焼きを始めたり、子供の環境教育など、どんどん活動範囲が広がっていったんです」
 小池さん自身は耕作放棄地などで農業を実践しているらしい。曰く「モノをつくるよろこび」、さらには「自分でつくったモノを自分で食うよろこび」を味わえる。土づくりから始まって小さな種が大根やスイカになっていく。無農薬で取り組んでいるので、見た目は悪くても安心でおいしいとのことで、里芋などは「天下一品」だと熱弁をふるった。
――農業以外にはどんな活動をされているんですか?
「実は今、事業部体制をとっていまして......」
――事業部体制?
 その組織図を見て私は驚いた。役職が実に多いのである。頂点には理事長、副理事長、事務局長、事務局次長、相談役。そして専門部として、里山保全部、農業支援部、子供環境教育部、市民交流部。管理部として施設管理部があり、それぞれの部には部長と副部長、顧問がいる。さらに里山保全部には下部組織として炭焼チーム、竹細工チーム、キノコ栽培チーム。農業支援部には水田チームと蕎麦小麦チームがあり、それぞれに担当部長と担当副部長がいる。物事を協議する際も、まず企画委員会で協議され、理事と監事で構成される理事会で決定され、部長と副部長の集まる事業部会で具体的な活動内容を検討するそうなのだ。
――まるで会社みたいですね。
 思わず私は指摘した。会社を定年退職した人々が、また新たな会社をつくっているように見えたのである。
「でも、ここでは利益を上げなくてもいい。それに上下関係や命令したりすることもありません」
 理事長の隣に座る事務局長が答えた。
――しかし部長というくらいですから、命令することも......。
 私が言いかけると、彼が遮る。
「『あんたはこれをやれ!』なんて言いません。『これはどうですか?』と訊くんです」
 入会すると1年ほど様々な部署の仕事を経験し、その後に気に入った部に所属することになるらしい。新たなことを始めたい場合は、その人が部長となって後継者を育てていくのだそうだ。事務局長が続ける。
「基本的に皆さんの前歴は問いません。何をしていた人なのか、みんな知らないんです」
――俺が俺が、というか、自分勝手な人はいないんですか?
 会社組織のようなので、再び威張る人も現われそうである。
「そういう人は最初からここに来ませんから」
 事務局長はきっぱりと言い切って、こう続けた。
「会社との一番大きな違いは、休んでも構わない、ということですね。会社は休めなかったでしょ。でもここは休んでもいいんです」
 重んじられているのは「自主性」とのこと。休んではいけないと思うと休みたくなるが、休んでもよいとなると、休みたくならないそうである。聞けば、彼らは真夏の炎天下でも農作業などをするという。人生経験を積んでいるので「調子が悪くなるのを予見できる。若い人はそれがわからないからパタッと倒れる」そうで、腰痛なども「休んで治すより使いながら治すほうがよい」らしいのだ。
 実際の活動は週3日(月・水・土)。午前9時45分に森の中につくられた「ベースキャンプ」に集まり、朝礼の後に各自の担当業務に出かける。ある人は農地で種まきに、ある人は竹の伐採へ。全員が作業着姿で、何やらボーイスカウトの出陣のようである。
「この活動をすることで一番よろこんでいるのは奥さんですよ」
 高らかにそう語ったのは、炭焼チーム担当部長の柳田さん(仮名)だ。彼は周辺で伐採した竹を、ベースキャンプに設営された窯で72~90時間焼いて炭にする。それを商品として販売しているのである。
――奥様がよろこぶんですか?
「そりゃそうですよ。だって俺が家にいないんだから」
 まわりの会員たちもうなずく。
「女性たちはいくらでも行くところがあるでしょ。ジムやらカラオケやら、あれをやったりこれをやったり。でも俺たちは行くとこないから」
――だからここに?
「そう」
――炭焼きは面白いんですか?
 私がたずねると彼は「う~ん」と唸り、こう続けた。
「いやこれはね、ずーっと見ていなきゃいけないんで、本当に時間がつぶせるんです。はっきり言ってここでも暮らせます」
 ベースキャンプには自分たちでつくったテーブルとイスが整然と並んでおり、食料も自給自足できそうで、本当に暮らせそうな雰囲気。活動日は週3日とされるが、中には毎日出勤する人もいるそうだ。
「私は農業は好きじゃないです」
 きっぱり宣言するのは村川さん(80歳/仮名)だ。聞いてみると、彼は60歳でアパレル関係の会社を定年退職。まず趣味として「写真」を始めたが、撮りたい被写体が孫だけで、次第に撮る機会もなくなってしまい「挫折」した。その後、散歩や植木に挑戦し、料理教室にも通ったという。5年間通って和食洋食中華はもとより懐石料理までマスターし、さらには地元で蕎麦打ちも習い、その果てにこのNPO法人に参加したそうである。
――何が好きで参加したんですか?
「私はトラクターに乗りたかったんです」
――トラクターに? なんでですか?
「だってトラクターってオープンカーじゃないですか」
 さらりと答える村川さん。
「私は昔から車が好きなもので。トラクターはスポーツカーでもあるんですよ。乗っているのは農家から譲り受けた40年前のトラクターなんでクラシックカーでもある」
 トラクターは普通免許で乗れるらしい。時速30キロ以下のクラシックなスポーツカーということか。
「トラクターは普通の車と違って、ブレーキが左右別々なんです。例えば右のブレーキをかけるとそこでロックされるので回転半径がゼロになる。駆動力もメインとサブがあり、それらを組み合わせることによって、スピードと力を細かく変化させることができる。人が歩くのとあまり変わらないスピードですが、そりゃあもう楽しいです」
 手振りを交えながら解説する村川さん。トラクターは後ろにロータリーと呼ばれる作業機を取り付ける。土を耕したり、雑草を刈り取ったり。モデルチェンジも随時楽しめるらしい。ちなみに彼は調理部長でもあり、イベントの際は料理全般を仕切るのだという。
 少年のようだな、と感心していると、遠くから「方向よ~し」という会員の声が聞こえた。何が起きたのかと駆け寄ってみると、ヘルメットを被った会員たちが木の伐採を始めている。農家に依頼されて直径50センチほどの大木を「伐倒」するらしい。
「これはもう快感ですよ」
 うれしそうに語る会員。
――快感なんですか?
「ドーンと地響きをたてて木が倒れる。倒れる方向の安全確認をしてロープを張り、チェーンソーを入れて。男のロマン。カッコイイでしょ。サラリーマン時代には絶対に経験できなかったこと。まさに生きている実感ですよ」
 彼は定年退職後、46日かけて四国八十八カ所を巡り、この活動に参加した。彼らは付近の竹林も管理している。ほうっておくと、たちまち雑草が生い茂り、藪になってしまうので、定期的に雑草も伐採しているのだ。
「竹林の中はいいですよ」
 しみじみと彼は言う。
「竹林の中にいるだけでいい。私はずっといられます」
 竹林には清涼な空気が流れているようで、彼はその中に佇むことが好きらしい。
「僕は機械いじりが好きなんです」
 手の中でネジを転がしながら施設管理部長の北村さん(仮名)が言った。彼はもともと会社で営業マンだったそうだが、少年の頃から機械が好きで、サラリーマン時代もボランティアで「おもちゃの病院」に通い、子供のおもちゃの修理をしていたそうだ。
「定年退職したら、それはできないでしょ」
――なぜ、ですか?
「だって電車の定期券がないから。定期がないと通えないじゃないですか。その点、ここは歩いて来れるし、機械がいっぱいある。稲刈り機もあればコンバイン、バインダーもある。それにほら」
 そう言って彼はチェーンソーの倉庫を私に見せた。整然とチェーンソーが並んでおり、彼はその機能の違いについて講釈した。「なるほど」と相槌を打っていると、彼は思い出したようにこう語った。
「要するに、ここはデイサービスなんです」
――デイサービス?
「健常な男たちが通うデイサービス。ここで遊んで帰るんです」
 環境問題への取り組みはいつの間にか、高齢者福祉の受け皿になっていたのだ。
 理事長の小池さんによると、活動範囲が広がったことで、それぞれの人が「生かされる場を提供できる」ようになったという。その力を結集することで、将来はヒマワリやコスモス、彼岸花、花菖蒲などを植えて、花に彩られた景観をつくり出したい、とのこと。魅力ある地域づくり。魅力があれば、ゴミを捨てることもなくなり、後を継ぎたいという人もきっと現われるはずだと。
 これもひとつの会社なのかもしれない。
 私はふとそう思った。「会社」とは、もともと江戸時代後期につくられた和製漢語。『英和字彙』(明治6年)などを見てみると、「会社」は英語の「society」や「club」の翻訳語とされており、「ナカマ」というルビが振られていた。つまり男同士の仲間のことを「会社」と呼んでいたのである。今では「社会」という和製漢語のほうが定着してしまったが、もともとは「会社」。高齢化社会も本当は高齢化会社で、社会の一員より会社の一員のほうが楽しく力を発揮できるようである。

※小池さん以外、登場人物は仮名です。

Profile

髙橋秀実

たかはし・ひでみね。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社、出版編集プロダクションを経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国 ニッポン』『趣味は何ですか?』『男は邪魔!』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』など。近著に『日本男子♂余れるところ』(双葉社)。

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