定年入門

髙橋秀実

定年入門

21

おはようおかえり

「これからはモザイクをやります」
 意気揚々と宣言したのは4カ月前に出版社を退職した大泉芳雄さん(66歳)である。
 彼は元役員。役員は2年ごとに契約を更新するのだが、今年は「僕も希望しないし、会社も無理に引き留めるわけでもなかったので」更新せず、退職することにしたらしい。
 彼のいう「モザイク」とは、ガラスや陶片など砕き、それらを貼りつけて絵画(図柄)を浮かび上がらせるアート。すでに素材は揃え、自宅2階の子供部屋をアトリエに変えるとのことで準備万端のようなのだが、どことなく違和感が漂う。
 男の趣味にありがちな道具や準備へのこだわり。それがひと段落ついて何やら終わったような気配すら感じられるのである。ずっと営業畑を歩んできたという彼は、わざわざ私を車で出迎え、昼食の蕎麦や食後のデザートまで用意し、サーブまでしてくれる。その軽やかな身のこなしとモザイクという地道な作業が合わないような気がしてならない。実際、モザイクについてたずねてみても「いっぺんにできません。1日少しずつなんです」と当たり前といえば当たり前のことを言う。「やりたい」というより「やる」と決めたことが重要なようで、リビングに掛けてあるカレンダーを見ると、土日はすべて「ゴルフ」と書かれていた。
――ゴルフもされるんですか?
 私がたずねると、彼はうれしそうにこう答えた。
「3年前から本格的にやっています」
――本格的?
 モザイクは? と思いつつ、私は訊いた。
「ついに会員権を買ったんです。ずっと仕事が忙しくてできなかったんで。だから毎月1回はコンペですよ」
 目を輝かせる大泉さん。聞けば、彼が購入したのは河川敷のゴルフ場で価格は「数十万円」だったという。名門ゴルフクラブの会員権は1000万円を超えるそうで、それに比べると「格安」らしい。
「格安だからメンバーが多く、予約を取るのが大変でして。2カ月前から受け付けるので2カ月前の金曜日に早朝から電話を入れるんです。仲間が電話を入れるんですが、彼から『取りました!』というメールが来たら、それはもう行かなきゃダメでしょ。僕は絶対に断らない。『NOと言わない大泉』と呼ばれているくらいです」
 誇らしげに語る大泉さん。会員権を持てばグリーンフィーが無料になる。しかしカートやキャディフィー、食事代などがかかるので1回の費用は7000~8000円になるという。節約のために弁当を持参することも考えられるが、仲間たちに「せこいヤツ」と言われてしまうので、2000円ほどのランチを一緒に食べなければいけないそうである。
――ゴルフって面白いんですか?
 そう質問すると、彼は「えっ、ゴルフしないんですか?」と目を丸くした。「しません」とうなずくと、こう続けた。
「ゴルフは気持ちいいですよ。あの野原を駆け巡る感じ。緑を独占する気分です」
 コンペになれば「負けたくはない」ので頑張れるし、仲間たちとのコミュニケーションも楽しいと彼は言う。仲間とは業界関係者で、まるで「会社帰りの居酒屋」のように上司の悪口やら業界の動向などをめぐって盛り上がるそうだ。
――会社はもう、辞められたんですよね。
 念のために確認すると、彼が答える。
「仲間の中には現役の人もいるんです。それに将来的なお付き合いもあるんで、ゴルフは続けます」
 退職しても接待は続くということか。モザイクのアーティストではなくゴルファーになるようで、「ゴルフ以外には何を?」と話を戻そうとすると、彼はニッコリ微笑んだ。
「盆栽」
――盆栽?
「いや、昔、盆栽をやっていたんですよ。サツキとか買ってきて。でも当時はマンションに住んでいましてね。まわりがコンクリートだとすぐに乾燥してしまうんです。一日中水をあげなければいけないんで、これは相当ヒマな人でないとできません」
――それで?
「それで、これです」
 大泉さんはリビングに置かれた籠を指差した。籠の中には陶器のぐい呑みの数々。全国各地で集めたそうである。
「出張で出かけると、必ず古道具屋に寄って買いました。サラリーマンなので高価なモノは買えないんで、ぐい呑みがちょうどいい。でも集めているうちにだんだん目が肥えてくるじゃないですか。そうなるといいモノはやっぱり高くて手が出せなくなる」
 拝見すると、図柄からして小さな盆栽のようにも見える。「見ているだけで気持ちが落ち着くでしょ」と彼に言われ、「確かにそうですね」とうなずくと、「ところがこれは誰も喜ばないんですよ」とぼやいた。
「集めてもしょうがない。残したって価値がないし。安いから」
 安いから集めたのに、安いせいで集めた価値もなくなるのだ。
――自分で使えばいいんじゃないですか?
「実は僕、日本酒は飲まないんです。もっぱらビールなもんで」
――そうなんですか......。
「それでモザイクなんですよ」
 ぐい呑みとのつながりがさっぱりわからなかったのだが、よくよく聞いてみると、実はモザイクは奥様の和代さんの趣味。彼女の影響で「僕もやってみようかな」と思い立ったそうなのだ。
「私は昔から細かいことをするのが好きなんです」
 静かに語る和代さん。彼女は大学(薬学部)を卒業後、製薬会社に就職したが、結婚を機に退職。そしてお子さんが中学生になった頃に薬剤師として再就職、調剤薬局に勤務してきた。子育てと仕事の合間に、編み物、刺繡、そしてモザイクなどの「細かいこと」をずっと続けてきたそうなのである。
「時が経つのを忘れます」
 しみじみと語る和代さん。
「作業を始めると、その世界の中に入るでしょう。それこそが自分の時間なんだと思いますね」
――自分の時間ですか?
「子育てをしている時もそうでした。どうしても続きをやりたいので旅行にも必ず刺繡を持っていって、子供たちが遊んでいる傍らで刺繡をする。ほんの少しの間でもいい。刺繡することで『自分の時間』をつくり出すんです」
――つくり出すんですね......。
 私は考えさせられた。通常、「自分の時間」というと仕事や家事などの用を除いた時間のことだと思いがちである。いうなれば引き算のようなもので、仕事や生活に追われれば追われるほど「自分の時間」はなくなっていく気がする。逆に定年後にすべてが自分の時間になってしまうと、あえて「きょうよう」や「きょういく」などの用をつくって引き算しようとする。引き算の先に「自分の時間」があるようで、もっぱら引き続けてしまうのである。
 和代さんの「時間」とは、おそらく時の間。24時間からの引き算ではなく、たとえ数分でも「間」をつくり出し、それを重ねていくのだろう。
 あらためて彼女のモザイク作品を拝見すると、芳雄さんの試作品とはまったく違うことに気がついた。モザイクは「近くで見るとなんだかわからないが、遠くから見るとわかるのが特徴」と芳雄さんは説明していたが、和代さんのものは近くで見ても美しい。きめが細かく、埋め込まれたガラス片の一つひとつが、その場所でなければならない唯一のピースであるかのようなのだ。
「大切なのはモザイク目なんです」
 と和代さん。編み物や刺繡と同じようにモザイクには「目」がある。ガラス片とガラス片の連なりの間にできる筋。バラバラのようで筋が通っているのである。芳雄さんの作品はガラス片の形は揃っているが、揃っているとなぜか「目」が出ない。和代さんのガラス片には様々な形があり、形のバリエーションが「目」を紡ぎ出すようなのである。
「彼女は几帳面なんです。根気強いし。僕にはできないことです」
 芳雄さんが和代さんを評し、弱音を吐いた。
――でも、これから取り組むわけでしょう。
「やりますよ」
 大きくうなずく芳雄さん。
――モザイクはどんなところが面白いんですか?
 あらためて訊いてみると、彼は「う~ん」と唸ってこう答えた。
「モザイク自体の面白さというより、僕は何かに夢中になっている人を見ると、『どんな魅力があるんだろう』と思うんです。だから魅力を知りたいんです」
 モザイクを知ることは妻を知ること。もしかすると時の重ね方を学ぶことなのかもしれない。
――芳雄さんが退職されて生活は変わりましたか?
 和代さんにたずねると、彼女は微笑んだ。
「ふたりともなぜか太りました」
――4カ月で、ですか?
「そうなんです。私たちにとって食は大事ですから。ふたりでいると朝、昼、晩、ちゃんと食べる。ゆっくりとしっかり食べる。きっとそのせいね」
 隣で芳雄さんが腹を叩く。会社に通っていた頃は、わざわざ離れた駅で下車し、1時間も歩いていたそうで、今は「運動不足」らしい。
「それと不思議なことなんですが、最近、彼が出かける時になぜか『おはようおかえり』と声をかけたくなるんです」
――おはようおかえり?
「京都弁で『早く帰っておいで』という意味です。子供の頃、母にいつもそう言われていたんです。安全と無事を願う言葉。本当は子供に向かって言うことなんですが、この歳になるといつ何があるかわからないじゃないですか。だから『おはようおかえり』」
 これは「早く帰ってきてね」という愛の言葉にも聞こえる。そういえば、ゴルフ焼けした芳雄さんはどこか子供のようでもある。これからは和代さんがモザイクの先生であり、人生のマエストロなのだろう。

※登場人物はすべて仮名です。

Profile

髙橋秀実

たかはし・ひでみね。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社、出版編集プロダクションを経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国 ニッポン』『趣味は何ですか?』『男は邪魔!』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』など。近著に『日本男子♂余れるところ』(双葉社)。

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