定年入門

髙橋秀実

定年入門

23

武士道も定年後

 石川啄木の歌集を読み返してみると、こんな歌もあった。

 何事も思ふことなく
 いそがしく
 暮らせし一日を忘れじと思ふ
                (『一握の砂・悲しき玩具』新潮文庫 昭和27年)

 これも定年後か、と私は思った。まるで定年後の心得とされる「きょういく」と「きょうよう」ではないか。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」もそうだったが、20代にもかかわらず、啄木はすでに「定年後」だったのではないだろうか。
 考えてみれば、男が書いたいわゆる「古典文学」はどれも「定年後」っぽい。軍記物の『平家物語』も戦の様を描いているが、それは「驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し」。つまり現役時代を振り返る視点である。随筆の『徒然草』にしても「つれづれなるままに日ぐらし」というくらいで時間を持て余しているし、「行く河のながれ」を見つめる『方丈記』も「閑居の気味」に浸り、ヒマにまかせて「昔・今とを、なぞらふるばかりなり」と回想に耽っている。かの『五輪書』も50歳を過ぎて特にやる事がなくなった宮本武蔵が「尋ね入るべき道なくして、光陰を送る」まにまに記したもの。武士道の聖典とされる『葉隠』も40代で佐賀藩を退職した山本常朝による現役武士への批判である。「時代の風と云ふものは、かへられぬ事なり」(『葉隠 上』岩波文庫 1940年 以下同)と嘆いているが、その一方でこんなことも語っていた。

 六十七十まで奉公する人あるに、四十二にて出家いたし、思へば短き在世にて候。それに付有難き事哉と思はるゝなり。その時死身に決定して出家になりたり。今思へば、今時まで勤めたらば扨々(さてさて)いかい苦労仕るべく候。十四年安楽に暮し候事不思議の仕合せなり。

 要するに、自分は早く辞めてよかった、ということ。60歳を過ぎてまで勤めていたら苦労したにちがいない。早く辞めることで「安楽」に暮らせる「不思議の仕合せ」。武士道の指南というより早期退職のすすめ。現役を離れたからこそ「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」などと放言できるというわけなのだ。
 ちなみに彼は武士道の「奥の手」(秘伝)として「すいた事をして暮すべきなり」とアドバイスしていた。一生は短いのだから「すかぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚なることなり」とのこと。嫌いな事を避けて好きな事をして暮らす。彼自身は何が好きなのかというと「我は寝る事が好きなり」。現役時代もそう心がけており、退職後は「いよいよ禁足して、寝て暮すべしと思ふなり」と決意をあらたにしている。俗世は所詮、「夢の間の世の中」なので、だったら寝て暮らそうというのだ。
 まさに夢を見るような「定年後」。
 これらの作品が読み継がれているということは、男は生来「定年後」に憧れを抱いている。心の中はずっと「定年後」なのかもしれない。

 そういえば定年後の人々の間で俳句が人気らしい。私の大学時代の先輩なども新聞に投稿しており、掲載されると随時「選ばれました」という連絡が入る。定年後の環境は俳境ともいえるそうなので、私も俳句教室を見学してみることにした。
 東京・南青山にあるNHK文化センター青山教室。このカルチャーセンターでは20近くの俳句講座が開かれている。いずれもキャンセル待ちという人気ぶりで、たまたま空席ができたという『日曜俳句レッスン~私の一句を探して~』を体験受講させていただくことにした。「初心者の方も安心してご参加いただけます」とのことなので、私も「私の一句」の探し方を学んでみよう。
 日曜日の午後1時。教室に入ると、6人の生徒たちが着席していた。うち3人が男性で、彼らは会社を定年退職した方々だった。私はあくまで体験なので隅のほうに着席していると、ひとりの男性が「こっちにいらっしゃいよ」と声をかけてくれた。彼は新入生を迎える学級委員のようで、「講座に必要なテキストは『俳句歳時記』。これを参考にしながら俳句をつくるんです」とのこと。俳句を書く時も「本当は鉛筆を使ったほうがよいけど僕はこのペン」などと懇切丁寧に教えてくれる。私が「俳句って何が面白いんですか?」とたずねてみると、彼は笑顔でこう答えた。
「つくる過程が面白いんです」
――つくる過程ですか......。
「そうです。頭をしぼって考えるでしょ。そうするとヒマでなくなる。時間もつぶれるじゃないですか」
 考えることで時間がつぶれる。考えるにあたって、季語の花などは実物を確認するために出かけることになったりするので「運動にもなる」らしい。頭も体も動かすようで、俳句は健康にもよさそうなのである。
「秀実さんは、俳句をつくられてきましたか?」
 講師である俳人、大高翔先生にいきなり問われ、私は「えっ」と目を丸くした。てっきり先生のアドバイスを受けながら、ここで句作するのかと思っていたのだが、そうではない。この講座はつくった俳句を持ち寄ってみんなで鑑賞する「句会」だったのである。
 流れとしてはまず「投句(俳句を短冊状の用紙に書く)」。それを集めて先生がシャッフルし、参加者たちに割り当てる。参加者は受け取った俳句を閲覧用の別の紙に「清記(清書)」する。それらをまとめた一覧表を見ながら、参加者たちがよいと思う句を5つ選び(「選句」)、〇をつける。それを先生が集計し、〇のついた句を読み上げ(「披講」)、選んだ人がそれを評し、最後に作者が名乗りをあげる。要するに、誰の句なのかわからないまま、全員で公平にジャッジするというシステムなのである。ちなみに句会ではお互いを俳号で呼び合う。新参者の私は暫定的に下の名前で呼ばれたというわけだ。
「俳句は考えてできるものじゃありません」
 参加者のひとりは言う。
「ふっと思いつくものなんです。それに『できた』と思っても、相手にされないこともある。逆に『どうなのかな』と思う句が評価されたりするんです」
――勝負みたいなものなんでしょうか?
 私がたずねると彼が即答した。
「そりゃ、つくる以上は認められたいですよ」
――そりゃそうですね。
「男はプライドがありますから。誰も〇をつけてくれなかったら、落ち込みますよ。たとえ一句でもいい。〇がつけばニコニコです」
 プライドがかかっているのか......。
 私は清記から参加したのだが、清記もかなり緊張した。プライドをかけてつくってきた俳句を私が下手な字で清書すると台無しである。おそらくこの緊張感が他の人の俳句に対する敬意につながっているのだろう。
 上手いなぁ......。
 皆さんの俳句を読んで私は感心した。その日の課題は俳句に「オノマトペを入れる」ということだったのだが、実に上手く詠み込まれている。例えば、「相撲取る足裏見せてでんと落つ」「深深と無沙汰を詫びる墓参り」......。オノマトペのみならず、すべて秋の季語が入っている。いずれも情景が目に浮かぶようで、『俳句歳時記』にお手本として掲載されていてもおかしくない俳句ではないか。中でも私が刮目したのは次の一句だ。

 独り身によってたかって虫の声

 名句である。ひとり暮らしの寂しさに、そこはかとなくユーモアが漂う。「よってたかって」の語感をひとつのオノマトペと解釈しているらしく、そうなると宗匠の風格さえ感じられる。そういえば「自由奔放」「波乱万丈」の代名詞である俳人、種田山頭火もこんな俳句を詠んでいた。

 ひとりで蚊にくわれてゐる
 (『山頭火句集』ちくま文庫 1996年)

 他にも「鴉啼いてわたしも一人」などと詠んでおり、察するに俳人たちは「ひとり(一人)」を好むようである。かの与謝蕪村にも「一人来て一人を訪ふや秋の暮」という名句があるし、小林一茶も「獨寝やはや門松も夜の雨」「獨身や上野歩行てとし忘」などとひとりの世界をしみじみと詠む。生命保険会社を早期退職して俳人となった尾崎放哉なども「一人」を連発していた。

 咳をしても一人
 墓地からもどつて来ても一人
 たつた一人になり切つて夕空
 一人つめたくいつ迄藪蚊出る事か
 こんなよい月を一人で見て寝る
 曇り日の落葉掃ききれぬ一人である
 一人の道が暮れてきた
 一人分の米白々と洗ひあげたる
 一人呑む夜のお茶あつし
 淋しいぞ一人五本のゆびを開いてみる
 ......。
  (『尾崎放哉全句集』ちくま文庫 2008年)

 彼はくどいまでに「一人」。孤独を強調しすぎているようだが、そもそも五・七・五で完結させるということは、自分の内面に封じ込めること。おのずとひとりの世界になってしまうのかもしれない。
 人は皆、最期はひとりということか。いわゆる「俳境」とは「ひとり」を味わうことなのだろうか。

Profile

髙橋秀実

たかはし・ひでみね。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社、出版編集プロダクションを経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国 ニッポン』『趣味は何ですか?』『男は邪魔!』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』など。近著に『日本男子♂余れるところ』(双葉社)。

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