レディース・アンド・ガールズウィメン

王谷 晶

レディース・アンド・ガールズウィメン

©nao

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カナちゃんは足が無い

『あんたさあ、買い出しに何時間かかってんの? 時計あるよね。時計見れるよね。出てったの何時だったっけ? いやごめんなさいじゃなくてさ。あんたは何時に出てって今は何時なのかって、そういう質問をしてるわけ。まずは質問に答えてよ。ていうかこういうやり取りそのものも無駄だよね。無駄にしてるよね。あたしの時間を。あたしの!』
 携帯電話の向こうから聞こえてくるカナちゃんの声に、私は何度も小さく頷きます。片手に下げたスーパーのビニール袋、持ち手が指に食い込んでとても痛みます。中身は全て、カナちゃんの指定のものです。一軒のスーパーだけでは買い集めることができなくて、少し遠いイオンにまで足を伸ばしていたら時間がかかってしまいました。でも、それは言い訳なので言いません。私はカナちゃんの言葉をじっと聞いています。指が痛みます。
 五分以上、その場に立ちすくんでカナちゃんの言葉を聞き、最後に『さっさと戻って』と言ってもらいやっと私は電話を切って動くことができました。戻って、と言われたので嬉しいです。『もう戻るな』と言われてしまうのが、一番恐ろしいので。
 カナちゃんと私が暮らすマンションは一階にコンシェルジュさんが常駐しており、買い物やクリーニングの手配などのサポートもしてくれるのですが、カナちゃんはそれを利用するのをよしとせず生活の事は全て私に言い付けてくれます。眼が覚めた時から眠るまで、五月雨式に飛び出てくるカナちゃんの希望をすぐさまメモに書きつけて、午前中と夕方に一回ずつ買い物に行くのは私の大切な仕事です。
機嫌がいいとき、カナちゃんは出かける私に『さっさと行ってきてよ。こっちは足が無いんだから』と言います。それは車や自転車等の移動手段が無いという意味ではなく、文字通り、カナちゃんには足が無いのです。
 ビニール袋を下げてマンションに戻ると、カナちゃんはソファに座りテレビを見ていました。朝着せたお気に入りの黒いレースのチュニックドレスの裾からしどけなく太腿を出し、つるりとしたその先端をアームレストからはみ出させてゆらゆらと揺らしています。
「トイレ」
 視線はテレビに向けたままでカナちゃんが言います。私ははい、と返事をして、すぐに準備を始めます。
 
 カナちゃんと出会ったのは中学生の時です。その時からすでにカナちゃんに足はありませんでした。事故なのか病気なのか生まれつきなのか、そういう説明は担任の先生からもありませんでした。カナちゃん自身も言いませんでした。カナちゃんは決して笑わず、誰に声を掛けられてもまともに返事はせず、車椅子で人を蹴散らして移動し、たまに喋ると悪態をマシンガンのように撒き散らしていました。誰もカナちゃんと友達になろうとしませんでしたし、カナちゃんも誰にも興味を向けることはありませんでした。私以外には。

「おい、また間違えてんだけど。誰がアーモンドクラッシュポッキー買ってこいって言った? あたしが言ったのはポッキートリニティのアーモンドだよ。あんたさあ、ほんと耳悪いんじゃないの。ちゃんと聞いてればこんなの間違えるはずがないんだよ。真面目にやってないんだろ。適当でいいって思ってんだろ。なあ!」
 お菓子の箱が投げ付けられます。私はごめんなさいと謝って、首から下げているメモ帳に「ポッキートリニティのアーモンド」と書き付けます。

 私はカナちゃんと同じ高校に進学し、その後介護福祉の専門学校に入り、各種資格を取得し、それからずっとこのマンションでカナちゃんと二人で暮らしています。生活するお金はカナちゃんのご両親が専用の口座に毎月振り込んでくれます。ご両親にお会いしたのは一度だけですが、カナちゃんよりももっと無表情で無口な人たちでした。
 トイレは一度使うごとに丁寧に掃除するよう言い付けられているので、私は一日に何度もトイレ掃除をします。部屋もリビングから寝室、物置、廊下、使っていない部屋まできれいに掃除をします。カナちゃんはその間ずっと、テレビを見ているかノートパソコンでインターネットを閲覧しています。ネット通販で買い物をする時もあります。何をしていても、カナちゃんは用事があれば私を呼びます。私は何をしていても、すぐにそれに応えます。それが私たちの間にある唯一絶対のルールです。
 このルールは話し合いで決めたわけではありません。初めてカナちゃんと出会った十二歳の四月一日の入学式その日から、一言も言葉を交わさないうちから、このルールは当たり前のように私たちの間に存在していました。カナちゃんは私に命令し、私がそれを聞く。雨が空から降るように、煙が空に昇るように、ごく当たり前のこととしてそれは私の頭の中に一瞬で刻み込まれました。カナちゃんの要望を叶えているとき、私はしみじみと、自分は本当にこの為に、これをするためだけにこの世に生まれてきたのだと感じるのです。

 そんなある日、二度目のトイレ掃除を終えた私をカナちゃんが呼びつけました。
「見てみこれ」
 カナちゃんはインターネットブラウザを私に指し示しました。そこにはたくさんの半裸や全裸の女の人たちの画像が表示されています。アダルトサイトのようでした。そしてその画像の女の人たちは、皆カナちゃんのように足が無かったり、手が無かったりしているのです。
「知ってた? 欠損フェチって言うんだって。エロ動画まであるよ、ほら」
 再生された動画では、片足の無い女性が四肢のある男性と性行為する姿が映されていました。
「ねえ」
 画面をスクロールし、カナちゃんは小さなバナーをクリックしました。
「ここ、モデル募集してる」
 何と応えたらいいのか分からなかったので黙っていると、カナちゃんは舌打ちしました。
「こんなブスがキメ顔と乳首晒してんのバカみたいだと思わない? この程度で『最高に可愛い』とか『女神』とかレビューされてんの、いくらニッチな趣味でも世界狭すぎでしょ」
 やっぱり何と応えていいのか分からなかったので引き続き黙っていると、カナちゃんは眉間に皺を寄せて私を睨みつけました。
「あたし、これのモデルになる」
 私の喉に、きゅうっと酸っぱいものがこみ上げてきました。それでも私は、ルールなので、はい、と答えました。
「動画に出てもいいな。面白そうじゃん? このヤッてる男さ、やっぱ欠損フェチなのかな。気色わる。変態じゃん」
 カナちゃんが次々とクリックする動画を、私は黙って鑑賞しました。
「あたし、これのモデルになる」
 カナちゃんは同じ言葉を繰り返しました。カナちゃんは嘘だけは決して言いません。一度口に出したことは絶対に実行に移します。カナちゃんがそう決めたのなら、私がやることはただ一つ、カナちゃんの望みを叶える手助けをすることだけです。
「でも、最初のセックスがエロ動画の撮影なのは嫌だな。それだとさ、足が無い女のセックスじゃなくて、処女のセックスって方がフォーカスされちゃいそう。それは嫌だな。先にセックス済ませておきたい」
 私が黙っていると、カナちゃんは新しいタブを開いて検索窓に「出張ホスト」と打ち込みました。
「男のデリヘル買う。どれがいいかな。みんな大したことないツラだなー。イケメンぜんぜんいないじゃん。つか、髪型がキモい。なんで全員前髪長いの?」
「カナちゃん」
 カナちゃんは目を見開いて私を見つめました。私からカナちゃんに話しかけることは、めったにないからです。
「カナちゃんとセックスをする男の人を選ぶのを、私に任せてもらえませんか」

 三日後の午後。私はマンションから一駅離れた町のジョナサンで出張ホストの方と対面しました。年齢は私とカナちゃんより三歳上。年上の方が何かと慣れているだろうというカナちゃんの意見で決めました。セイヤさんというホストの方に、私は偽名を名乗り、そしてセックスをしたいと言いました。事前のメールと電話のやりとりでその旨はあらかじめ伝えておいたつもりでしたが、セイヤさんは少し驚いたような素振りを見せました。それでも、これは私の仕事なのです。
 ジョナサンのすぐ裏にあるあらかじめ調べておいたラブホテルに移動し、私はセイヤさんとセックスをしました。私にとって初めてのセックスです。私は事前に考えておいたチェックポイントを頭の中で復唱しながら、セイヤさんの性行為を吟味しました。
 挿入時間はだいぶ長かったような気がします。私もセイヤさんもオーガズムには達さないまま、時間が来たのでセックスは終了となりました。シャワーを浴び服を着替えたあと、セイヤさんはなぜか馴れ馴れしく私の髪を触ってきました。私はこの人をカナちゃんと性交させるわけにはいかないな、と思い、候補リストの中からセイヤさんを除外しました。
 その後二週間かけて、私は五人の出張ホストの方と面談し、セックスをしました。その中で四人目のヒロキさんが合格に値すると思ったので、あらためてサイトを通じて連絡を取り、私の本当の目的を説明したのでした。
 ヒロキさんは失礼でない程度に表情を強張らせ、一度は申し出を断りました。それは想定内のことだったので、即座に私とセックスしたときの十倍の料金を提示しました。ジョナサンのテーブルを挟みしばし沈黙したのち、ヒロキさんは小さな声で承諾してくれました。

 その日はからりと晴れた気持ちのいい日でした。いつもより早く掃除を終え、窓を開けて換気をし、カナちゃんをお風呂に入れ、髪を乾かし、着替えの手伝いをし、軽い食事を摂り、ヒロキさんから連絡が来るのを待ちました。あらかじめ、ヒロキさんが来ることはコンシェルジュさんに伝えてあります。
 カナちゃんはいつもより無口で、髪の梳かし方にも服の着せ方にも文句を言いませんでした。緊張しているんだ、と気づくと、なんだか腹立たしくて泣きたい気持ちになりました。
 不思議な時間が流れていました。カナちゃんはテレビも見ず、ネットも見ず、静かにベッドの上に座って風に吹かれています。あれが欲しいこれ買ってこいとも言わず、私に無理難題も言い付けません。世界中から音が消えてしまったような錯覚がしました。
 時間ぴったりにヒロキさんはやってきました。服装や髪型は事前にカナちゃんの好みを聞いて伝えてあります。きちんとその通りの格好で来てくれました。まずは私が応対し、料金が全額入った封筒を渡し、それから寝室に案内しました。カナちゃんがいつも使っている寝室ではなく、私の寝室です。自分の寝室に他人を入れるのをカナちゃんが嫌がったからです。
 ヒロキさんは気さくかつ礼儀正しくカナちゃんに挨拶し、カナちゃんは黙って頷きました。物がなく、ベッドが置いてあるだけの私の部屋の中で、新しい下着と青いミニのネグリジェを着たカナちゃんは妖精か、または妖怪のように見えます。つるりとした太腿の先を見せつけるように、カナちゃんは足を組み替えるような仕草をしました。
 一緒にお風呂に入る?と訊いたヒロキさんに、カナちゃんは頭を左右に振りました。
「余計なオプションはいらない。セックスだけ済ませたい」
 ヒロキさんが振り返り、私を見ました。私は頷き、部屋を出ようとしました。
「待って」
 カナちゃんが私を指差します。
「あんた、何逃げようとしてんの」
 その日初めて、カナちゃんの眼が私に向きました。
 私はぺこりと頭を下げ、ベッドの側まで行きました。ヒロキさんが小さな声で、三人でするの?と言いました。
「違う。ヤるのはあたしとだけ。さっさと始めて」
 短い沈黙のあと、ヒロキさんはそれじゃ、と言って、服を脱ぎ始めました。カナちゃんの眼がヒロキさんの均整の取れた身体に向けられます。数日前に私の身体を触った手が、カナちゃんの肩に触れました。
「それはいらない」
 キスを拒否し、カナちゃんはネグリジェを脱がせていくヒロキさんの手を視線で追い、それから、ベッド脇に立つ私を見上げました。
 カナちゃんの片手が、私に差し出されます。
 私は黙って、それを握りました。カナちゃんは眼を閉じ、そして、セックスが終わるまで一度も瞼を開かず、声も出さず、ずっと私の手を握り続けていました。

 セックスが終了し、身支度を整えたヒロキさんに改めてお礼を言い、玄関までお見送りしました。ヒロキさんは何か言いたいような顔をしていましたが、何も言わず、微笑みながら小さな声でそれじゃ、失礼しますと言って帰っていきました。実によい人を選んだと、私は密かに自画自賛しました。

 すぐに寝室に戻り、カナちゃんを抱きかかえバスルームに入りました。髪と身体をもう一度丁寧に洗い、いつも通りお気に入りのバスローブを着せ髪を乾かしていると、カナちゃんが私の手をつつきました。
「散歩に行きたい」
 約一年半ぶりの外出の要望でした。

 外は日が暮れて少し肌寒くなっていました。ニットカーディガンを着たカナちゃんが乗った車椅子を押しながら、私は広い歩道をゆっくり進みます。
「部屋に戻ったら、あのモデル募集にメール出すから。添付する写真撮って」
 私ははい、と答えます。
 するとカナちゃんがふいに、肩越しに私の手に触れました。私はすぐに車椅子を止め、その手を握りました。
 夕暮れの風が優しく吹いて、シャンプーのいい香りのするカナちゃんの髪をひらひらと撫でていきます。それは夢のように綺麗な景色でした。
「何もかも、うまく行きそうな気がする」
 カナちゃんがはっきりした声でそう言います。
「ねえ、何もかもうまく行くよ。何もかも。全て」
 私ははい、と答えます。カナちゃんは嘘だけは決して言いません。だから、何もかもうまく行くのでしょう。何もかも。全て。

Profile

王谷 晶

東京都生まれ。小説家。著書に『探偵小説(ミステリー)には向かない探偵』『あやかしリストランテ 奇妙な客人のためのアラカルト』(ともに集英社オレンジ文庫)などがある。@tori7810

Pick Up Book

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  • 私のスポットライト
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