レディース・アンド・ガールズウィメン

王谷 晶

レディース・アンド・ガールズウィメン

©nao

小桜妙子をどう呼べばいい

 こんにちは。 小桜妙子 こざくらたえこ は、小桜妙子と申します。ちょっとした問題を抱えております。
 一人称、ご存じでしょうか。ご存じですよね。今検索してみましたらば、『一人称【いちにんしょう】人称の一つ。話し手自身を指す。』と出てまいりました。話し手が自分を呼ぶとき、自分を表すときに使う言葉です。
 小桜妙子は、この一人称に疑問というか不自由というか、どうにも曖昧で申し訳ありませんけど、とにかく、ままならない思いを背負い込んでいるのです。

 小桜妙子は、ここ日本で生まれ育ちました。埼玉は大宮の出身です。駅近くの、こう、ごちゃごちゃっとした住宅街で二十三歳まで暮らしました。三十歳現在は東京都大田区にて一人暮らし中。弟妹が一人ずつおります。長女です。
 弟は幼い時分は一人称を「たっちゃん」としておりましたが、保育園に通うようになって「おれ」を使い始めました。妹は中学生くらいまでは「麻衣」を一人称として使い、高校に通い始めたら急に「あたし」となりました。父は「俺」、母は「私」または「お母さん」を使います。
 それでは小桜妙子はどうかというと、ここで冒頭の「ちょっとした問題」に立ち返ります。
 小桜妙子は、どの一人称を使えばよいか分からず悩んでいるのです。
 どの一人称もしっくりこなくて、どの一人称で自分を呼んでもそれは小桜妙子でない気がして、己の事は最早、小桜妙子と呼ぶしかありません。個人的な、小さなばかばかしい問題であります。しかし、小桜妙子にとっては非常に深刻な悩みなのです。
 昔からこうだったわけではありません。小桜妙子も、幼少のみぎりは自己を「たーえー」と呼んでおりました。アクセントは「コーエー」と同じです。ゲームメーカーの。物心ついてからは主に「わたし」を、対外的には現在まで使用しております。
 小桜妙子は、漫画や本をよく読む子供でした。ゲームでもよく遊びました。フィクションのキャラクターは多彩な一人称を使っています。小桜妙子もそれに憧れて、ごく小さいころに一人称を「オラ」にしてみたことがあります。結果、父にこっぴどく叱られました。幼い小桜妙子はなぜそんなに怒られなければならなかったのか、まるで理解できませんでした。
 その後幾つかの一人称の遍歴を経て、自己を「わたし」と呼ぶことに慣れてきたころ。あれは高校二年生くらいの時でしたでしょうか。小桜妙子は昼休み、図書室で何気なく一冊の本を手に取りました。『貴・女・に・贈・る...ジュニア・ノベルの書き方』という、昭和の時代に出版されたティーン向けの小説執筆ハウツー本です。著者・雪柳ゆめみ先生。なぜそんな本を手にしたか今もって謎なのですが、とにかく小桜妙子はぱらぱらめくってみました。そこに、一人称に関するコラムが載っていたのです。以下引用。

雪ちゃん先生のノベル・コラム ナメちゃいけない?! 差がつく「一人称」のハナシ
 キャラクターの個性を光らせるためには、一人称を上手に使いこなそう! そのキャラクターが自分をどう呼ぶかで、印象がガラッと変わっちゃうノダ。

・男の子の一人称
◎俺......ワイルド、ぶっきらぼう、頼りになる、スポーツ万能、強いヤツ......etcのイメージ。カタカナで「オレ」にすると、ちょっとカルい男の子に?
◎僕......優しい、優等生、ガリ勉クン、上品、王子様、病弱......etcのイメージ。カタカナの「ボク」はキザなプレイボーイに。

・女の子の一人称
◎私......真面目、ふつうの子。「わたくし」「あたくし」だとタカビーなお嬢様に!
◎あたし......おきゃん、おてんば、ススんだ子。「アタシ」にするとスケバン風?

(眼鏡をかけた猫のイラストに大きな吹き出しが付いていてその中に手書き文字で)
その他にも一人称はこ~んなにたくさんあるヨ! 日本語ってムズカシ~!
オイラ、俺様、僕ちゃん、オラ、拙者、ワシ、やつがれ、ワイ、ワテ、あたくし、わらわ、あっし、アタイ、おいどん、朕、余、小生、わっち、我輩、それがし、麻呂、etc......☆

 引用終わり。
 このコラムを読んで、小桜妙子は強いショックを受けました。確かに、自分を「あたし」と呼ぶ子と「わたし」と呼ぶ子は、微妙に印象が違います。さらに文字にすると、同じ読みなのに「私」「わたし」「ワタシ」も全てニュアンスが変わって見えます。
 一人称。それは個性であり、その人のイメージを固める要素の一つ。
 自分を何と呼ぶか。それは大きな、大切な問題。
「わたし」は小桜妙子を表す的確な一人称なのか?
 
 それを考え始めたらもうグルグルと止まらなくなってしまい、小桜妙子は知っている限りのあらゆる一人称で自分を呼んでみたのです。でも、どれも自分を表す呼び方ではない気がする。
 そうこうしているうちに、恐ろしいことに、それまで何も考えずに使っていた「わたし」すらしっくり来なくなってしまい、小桜妙子は迷い込んでしまったのです。一人称の迷宮に。

 実際問題、日常生活では小桜妙子はごく普通に一人称を使い、会話をしメールを書いたりしています。使っているのはさっきも申し上げたとおり、「わたし」です。でも、これが大変なんです。小桜妙子は小桜妙子を「わたし」と呼ぶのに納得していない。でもそう呼ばないと日常生活が立ち行かない。なので非常に頑張って、心を奮い立たせながら発音しているのです。
「わ」と口に出したときは、まだ元気です。やってやろうじゃないかという気が漲っています。
 しかし「た」に差し掛かると早くも疲れが見えてきます。心の膝が折れかかっています。
「し」になるともういけません。腹の奥から力が抜けていくような、破れかぶれのたいへん荒んだ気持ちが脳味噌を覆います。
 これを、「わたし」と発音し書くたびに繰り返しているわけです。疲れそうでしょう。実際、小桜妙子は疲れています。

 夏実クラーク横山さんに会ったのは、そんな疲労困憊の日々の中でした。
「あ、オイラはシャンディガフお願いします」
 仕事の打ち上げの席で、小桜妙子の横に座った夏実クラーク横山さんは明るく大きな声でそう発言しました。店員さんが「そちら飲み放題メニュー外になりますが」と告げても、夏実クラーク横山さんは「うーん、でも飲みたいな、シャンディガフ」と譲りません。
「ビールとジンジャーエール頼んでセルフで混ぜるのはどうですか」
 小桜妙子は横からついそんな余計なお世話を口に出してしまいました。が、夏実クラーク横山さんはぱっと顔を輝かせて
「あったまいー!」
 と叫び、店員さんにビールとジンジャーエールを注文したのでした。
 夏実クラーク横山さんは短期アルバイターの大学生で、お父さんがオーストラリアの方で、十四歳までアメリカのニュー・ジャージー州で暮らしていたのだそうです。面接を担当したのは小桜妙子でした。その時は確かに、夏実クラーク横山さんは自分を「わたし」と呼んでいたはずです。
「あたし、ビールそのまんまだと飲めないんすよね。でも何かで割るとだいっすき」
 夏実クラーク横山さんは大きな目をぐりぐりとよく動かし、唐揚げやチーズ餃子、じゃこ海苔サラダを自分の皿にひょいひょいとよそってはがつがつと食べております。
「小桜サンはそれ、何飲んでるんすか」
「ただのビール......。あの、横山さんは普段自分のこと何て呼んでるの?」
「どゆこと?」
「自分を指す、一人称っていうか......ワタシ、とかボク、とかの」
「え、別に決めてなーいっす」
 決めてない。
 小桜妙子はあのコラムを読んだ時以来の衝撃を受けました。
 決めてないって、そんなことがありえるのでしょうか。
「日本はー、それいっぱいあるじゃない?」
 それ、とは一人称のことでしょう。小桜妙子は思わず力強くうんと頷きました。
「いっぱいあるから、気分で好きなの使うのね。『オレ』の気分のときとか、『わたくし』の気分のときとか、あるでしょ」
 あるかな。
 ......あるかもしれない。
 ......気分かあ......。
 これはカルチャー・ショックというものでしょうか。小桜妙子は頭の中をふらふらさせたまま、大きなイヤリングを揺らしながらゲソ揚げを噛みしめる夏実クラーク横山さんの横顔になおも疑問を投げかけました。
「それって、頭の中、混乱しない......?」
「しないす。アタマで考え事するときは全部英語なんで。I,My,Meしか使わない。かんたーん」
 ね? とにっこり笑う夏実クラーク横山さんに、小桜妙子は返事をすることもできないでいました。
 小桜妙子の手にはぬるくなったビールのグラスがあります。
 それを持ち上げて、ぐっと一口飲んでみます。
 いつもなら、
『小桜妙子はビールを飲んだ』
 と考えるところです。それを、
『I drank beer』
 と考えてみました。
 I
 そのことばには、何の「ニュアンス」も「含み」もありませんでした。
 年齢も性別も所属も、出自も性格も出身地方も、何も読み取れません。
『I』はただ、自分。
 I eat Karaage.
 I smell Yakitori.
 ああ、なんて爽快。どうして今まで気付かなかったのでしょうか。
「小桜サン、カオ、すんごい真っ赤~」
 夏実クラーク横山さんがけらけらと笑っています。
 I see her.
 She is smiling to me.
 I feel good. So good.

 夏実クラーク横山さんは程なくして契約期間が終わり、小桜妙子の職場には来なくなりました。でも、個人的にお友達になってもらったので問題はありません。
 今、小桜妙子は月に数回、夏実クラーク横山さんに英語を教わっています。夏実クラーク横山さんのように頭の中で考える時も英語がスイスイ出てくるようになるのが目標なのですが、それはネイティブじゃないと難しいとのことです。
 授業はだいたい、一緒にごはんを食べたりお酒を飲んだりしながら行います。
「妙ちゃんはもっと発音気にしないでドンドン喋んなきゃだーよ。言いたいこと言ってこうぜ。なんでもいいよ。 あちし 、、、 になんでも言ってみなよ」
 ビールとトマトジュースを混ぜたカクテル、レッドアイを飲みながら、夏実クラーク横山さんは鉄板餃子をばくばく食べています。日本語でも英語でも、一人称の迷宮のはるか上空をひらひらと飛んでいるその唇はまるで羽根のようにしなやかに動きます。
「I like you」
「えーなんだよお嬉しい。でももっとフクザツな話をさー、しようよしてみようよー」
「わたしの語彙だとこれが限界だよ」
「うっそでしょ。もっとちゃんと教えてるよ!」
 なぜでしょう、夏実クラーク横山さんの英語の授業を受け始めてから、小桜妙子は小桜妙子を「わたし」と呼ぶのが、あまり苦痛でなくなりました。最近はたまに「気分」で自分を「僕」と呼んだり、幼子のときのように「オラ」と言ってみたりもします。
 そのとき想像するのはいつも、 彼女 、、 の羽根の生えた唇が わたし 、、、 を掴んで迷宮の上を飛んで行く さま です。
 それを、その気持ちを英語で上手に説明できるようになるには、さらなる精進が必要だなと、小桜妙子は思っております。

                                      終

Profile

王谷 晶

東京都生まれ。小説家。著書に『探偵小説(ミステリー)には向かない探偵』『あやかしリストランテ 奇妙な客人のためのアラカルト』(ともに集英社オレンジ文庫)などがある。@tori7810

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