レディース・アンド・ガールズウィメン

王谷 晶

レディース・アンド・ガールズウィメン

©nao

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友人スワンプシング

 さっつんの様子がおかしくなったのは、梅雨入りの少し前あたりだった。
「夢、見んの......」
 インターパークの王将で牛骨塩ラーメンを見つめながら、さっつんがぼそりと言う。
「やな夢見んだ。二週間くらい、続けて見てんの」
「エロい夢け」
「ちっげーよ」
 舌打ちして、さっつんは箸でラーメンをかき回す。あたしはもうこの時点でめっちゃヘンだなと思ってた。三食ラーメンでもオッケーむしろウェルカムっていうさっつんが、スープも飲まないでドンブリ見てるだけとか。
 うちらは中学からのツレで、ずっと地元で遊んでる。あたしはおととし鬼怒通りにある不動産屋に就職して、さっつんは最近清原団地のポテチ工場でバイトを始めた。
「足、無くなんの」
 まだスープをかき混ぜながらさっつんが言う。
「足がさ、なんかドロドロに溶けてくんだよ。そんで手とか顔とかもヌルヌルしてきて、びびって起きっと汗びっしょなの」
「やっぱエロい夢」
「だから、ちげーって」
 さっつんのど金髪(バイトチーフに毎回髪茶色い髪茶色い言われてキレてさらに脱色したらしい)に、王将の明かりがきらっと反射する。ほっそい背中が丸まっていて、なんだか疲れてる感じだった。
「まいんち見んだよ。きしょくて」
「なんかのー、呪いとか」
「なんかってなんだよ。適当こくな」
 あたしは黙った。イラってるさっつんはおっかない。中学んとき、かなりギャルだったし。だからそれ以上はなんも言わないで、背骨が浮いてるさっつんの背中を横目に見ながら豚カルビ炒飯をかっこんだ。

 次にさっつんから連絡来たのは、それから五日くらい経ってからだった。あたしはちょうど仕事上がりで、車の中でママとLINEしてた。そこにさっつんからメッセが入った。

『みず』

 そんだけだった。普段はだいたいスタンプなのに。あたしは「なに?」て返信した。すぐに既読になったけど、返信は来なかった。
 なんか、いやーな予感がした。さっつんちは、ちょっとアレな家だ。父ちゃんヤクザで兄ちゃんニートで母ちゃん失踪。家、一回行ったことあるけど、窓も扉も全部バリバリに割れてるか壊れてるかしててかなりヤバかった。さっつん、小さいころ兄ちゃんにガチ殴りされて病院送りになったことあるって言ってたし、なんか、まずいことになってんのかもしれない。
 あたしはもう一度さっつんに返信した。

『だいじ?』

 既読はいつまで経っても付かない。
 どうしようと思った。こっから車飛ばせばさっつんち、二十分ぐらいだけど。もっぺん『おい』って送った。
 既読付かない。
 あたしは車のエンジンをかけた。

 
 さっつんちの前に車停めて、外出た瞬間うわっと思った。空気めちゃくちゃ湿っぽい。さっきはこんなんじゃなかった。雨降るんかな。
 家はまっくらだった。庭にプリウスとさっつんのワゴンRも停まってんのに、誰もいないっぽい。前飼ってたはずの犬の鳴き声もしない。
「さっつん?」
 玄関の引き戸がちょっと開いてる。やばいな、帰ったほうがぜったいいいべこれ。と思ったけど、なんかそこを離れらんなくて、あたしはそおっと戸を開けた。
 ぶわっ、と、湿気と一緒にゲロしそうな生臭い臭いが溢れてきた。掃除してないプールの臭い。奥の部屋にも電気ついてなくて、スマホの懐中電灯つけたら、玄関の床に空き缶とか、トイレットペーパーとか、チキンラーメン袋入りとか、いろんなものがぶち撒けられていた。
「さっつーん......」
 静かだった。
 臭いはほんとエグくて、もう半分ゲロってたけど、なんでかここで逃げたらさっつんに二度と会えない気がしてあたしは進んだ。
 するとどこかで、たー......っと、蛇口から水が流れるような音がした。
 そうだ、と思って通話かけた。したっけすぐに着信音がガンガン響いて、辿って行ったらそれは風呂場で鳴ってるみたいだった。
 壁を手さぐりして、風呂場の電気をつけた。
「マヒロ......」
 せっまい風呂場、真四角のバスタブの中に、さっつんが体育座りで入ってた。全身びしょびしょで、上は脱いでっけどなんでか青緑色の変なスカートはいたまんまで。
 床のタイルがぬるぬるしてて、ドロドロした赤茶色い、生理んときの血みたいなのが排水口の周りに溜まってた。
「うえっ」
 やばいマジ吐く。
「さっつん、何してんだよ。家の人は?」
「みず......」
 さっつん、髪びしょびしょなのに唇カッサカサ。すっぴんでカラコンも入れてなくて、それでもなんか眼だけギラギラしてて。
「さっつん、もしかして、なんかヤバイことしてんの」
 薬やるような奴じゃない。でも、どう見たってさっつんはフツーじゃなかった。
「みず......マヒロ、水、足りねえ」
 バスタブの淵に手をかけて、さっつんが立ち上がった。ていうか、立つってかこれは
「何、それ、コスプレけ......?」
 さっつんのへそのあたりから下が、魚になっていた。青緑色のリアルなウロコが一枚一枚付いてて、水に濡れててらてら光っている。
「海行きてえ......。水、これじゃ足りねえ......」
 さっつんがあたしに手を伸ばした。その爪が真っ赤なの、ネイルじゃなくて、血だ。
「マヒロ頼む。うち、もうこの家いらんない......」
 さっつんはぽろぽろと涙をこぼした。つるんでから初めて見る涙だった。

「海ってったってよ、どこがいんだよ。一番近くて茨城だぞたぶん」
 後ろの席にバスタオル敷いてさっつん乗せて、あたしは車を走らせた。
「水......」
 さっつんはもうそれしか言わんくなってて、ときどきでっかい尾びれで窓ガラスをズルズル撫でる。
「さっつんそれさあ、人魚? 人魚って海、大洗でいいのけ? 沖縄とかハワイでなくてだいじなんかよ?」
 あたしはもう完全パニくって、ばかみたいな事叫びながら、スマホのナビでまっすぐに大洗海岸を目指した。
 でも十分くらい走ると、いきなりさっつんが叫びだした。
「痛てえ! いっったい! 死ぬ!」
「ちょ、だいじ?! 病院、やっぱ病院行くべ!」
「水! 水入りたい!」
 あたしは焦った。ナビ見ると、ちょっと先に池みたいなんが表示されてた。いちかばちかでハンドル切って、農道に突っ込んでそこを目指す。
 そこは、使ってない田んぼの隅っこにある農業用水の溜池だった。そこそこ広いけど、ヘッドライトで照らしてもドロッとした汚い水がいっぱいになってるのが分かった。こんなとこにさっつんを入れたくない。けど、さっつんは車の中で絶叫し続けていた。
「さっつん、我慢してな。ここ水きたねーけど、あたしガソスタかコンビニ行って天然水買ってくっから!」
 車からさっつんをバスタオルごと引きずり出して、溜池の側まで連れて行く。
「みず......!」
 あっ、と思った瞬間、さっつんはあたしの手を振りほどいてゴロゴロ転がりながら溜池の中に落ちていってしまった。
「さっつん?! やだ! やだー! さっつん!」
 あたしはぼろぼろ泣きながらさっつんを呼んだ。さっつんが死んでしまった。なんでかすごいそう思い込んじゃって、悲しくてデロデロに泣いていた。
「さっつん、さっつんどこ」
 溜池の水面に、ぼこぼこと泡が立った。
 どぶ色の水の底から、何か白くてキラキラしたものが浮かび上がってくる。怖い。あたしは吐きそうになって、脚もぶるぶる震えてきた。
 ぬるぬるした油みたいな水の下から、さっつんの上半身がざばりと出てきた。
「マヒロ......」
 金色の長い髪が濡れて髪ブラ状態になってて、マジの人魚姫みたいで。
 さっつん、めちゃくちゃきれいだった。
「マヒロ......あんがと」
 さっつんの声は、なんか妙にぼわーんと聞こえた。プールで耳に水入ったときみたいな。
「さっつん、だいじ? 車もどろ? 戻れる?」
 手を伸ばすと、さっつんはなぜか頭をぶるぶる振った。
「マヒロ、もういいよ。うち、ここに棲む」
「えっ、海は」
「いいよ、ここで......」
 さっつんは寝起きみたいなぼーっとした顔で、なんかやる気なさそうな、さびしそうな顔して言った。こんなのさっつんらしくない。あたしは急にイラついてきた。
「んでだよ。海行くべよ。すぐ行けっし。大洗ならちけーし!」
「いいよ。うち、たぶん、淡水魚っしょこれ......」
 さっつんはシャンプーのCMみたいに髪を両手で掻き上げた。丸出しになった乳の下あたりまでウロコが生えてきてるのが見えた。
「栃木、海ねえし......ここで生まれて育ってっし。なんかほら、これ下半身、フナとかブラックバスぽいし。だからうち、淡水魚の人魚。ここでいいよマヒロ。うち、ここのヌシになる」
「ばかおめー、こんな、こんな小きたねえ溜池、だめだって。農薬とか入っし!」
「いいよ。だいじだって。ありがとな。あとさ、もうさ、ここ来んな。なんか、うち、たぶんもうマヒロのこと覚えてらんない。頭ん中まで魚になりそ。そんな感じ、する......」

「やだよ。さっつん、そんなんやだよ、やだよお」
 あたしは泣いた。ギャン泣きした。
「マヒロばいばい。サンキューな......」
 さっつんは水の中でぐるっ、ぐるっ、と何回かでんぐり返しをした。尾ひれが汚い水を跳ね上げて、水の粒がヘッドライトに反射してスワロみたいに光りながら溜池に散らばった。
「さっつん! 待てよ! さっつんてば!」
 それから静かに、静かに、さっつんは水の奥深くに沈んでいった。

 さっつん家は一家失踪事件てことになって、しばらく地元はその話題でめちゃめちゃ騒がしかった。さっつんの父ちゃんも兄ちゃんも、水の泡になったみたいにどこかに消えてしまった。近所にテレビとか来たし、あたしも警察に聞き込みされた。 
 でもあたしは何も話さない。これはあたしとさっつんだけの秘密。
 さっつんの言いつけを破って、あたしはたまにあの溜池に遊びに行ってる。ほとりに立って、チキンラーメンをぽーんと水の中に放り込む。あたしを忘れてしまっても、きっとさっつんはラーメンは好きなまんまだから。
「さっつん、うまいかー?」
 溜池はガラスの床みたいにしーんとして動かない。あれからさっつんは一度も姿を現していない。でもここにさっつんは居る。汚い溜池のきれいな主になってる。頭の中まで魚になって、きっとハッピーに生きてる。あたしは信じてる。そして、ラーメンをまた投げる。

                                   終

Profile

王谷 晶

東京都生まれ。小説家。著書に『探偵小説(ミステリー)には向かない探偵』『あやかしリストランテ 奇妙な客人のためのアラカルト』(ともに集英社オレンジ文庫)などがある。@tori7810

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Cov_Kuko_R.jpg『最高の空港の歩き方』の刊行を記念してトークイベント「夏休み、空の玄関で逢いましょう。」を7月23日(日)にジュンク堂書店大阪本店で開催いたします。いま空港がアミューズメントパーク化しています。ご当地グルメ、空港限定グッズ、お風呂、空港アート、飛行機撮影、工場見学ーー飛行機に乗る人も、乗らない人も楽しめる「空の玄関」の遊び方と、その背景にある「進化の理由」を『最高の空港の歩き方』の著者・齊藤成人さんと空港ファンであるイラストレーターの綱本武雄のふたりが熱く語ります。入場無料(先着40名)です。

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978-4-591-15498-4.jpgのサムネイル画像ポプラ文庫ピュアフル7月新刊『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売を記念して、著者深沢仁さんから読者の皆さんに、抽選で、キーホルダーやコンパクトミラーなどの英国土産をプレゼントいたします。新刊オビの応募券にてご応募ください。詳細と英国旅行のミニレポートをこちらでご紹介しています。

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達人たちの仕事場にお邪魔したら、楽しい驚きがいっぱい。まさに大人の社会科見学!ふむふむ、へーと読んでいるうちに、むくむくとやる気が湧いてくるお仕事エッセイです。

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