レディース・アンド・ガールズウィメン

王谷 晶

レディース・アンド・ガールズウィメン

©nao

3

ばばあ日傘

 ああ、暑い。ばかみたいに暑い。
 参るねえ。なんなんだいここは。あたしはてっきり待合室でもあるのかと思ってたよ。
 お兄ちゃんも迎え? そうだよ、あたしもだよ。他に何の用事があるってのさ、こんな所に。
 うーんひどい天気だ。ほんとに今は九月かね。お兄ちゃん、あんたそんなとこ居たら熱中症になるよ。こっち来な。連れが来るまで日傘に入れてやるよ。なんだい、遠慮しなくていいよ。それともこんな汚いばばあと相合傘は嫌だって?
 あっはっは。
 そうそう、ちょっとの間なんだからさ。素直が一番だよ。
 今日はご家族が来るのかい、それとも彼女かなんかかい。
 嫁さん。そうかね。いいね。なかなかできるもんじゃないよ。見かけによらず優しいじゃないか。あんたいい男だねえ。男っぷりってのはそういうところに出るもんなんだ。
 あたし? あたしは......なんだろうね。家族じゃないねえ。友達でも絶対ないよ。
 あんな女と友達だなんて、ゾッとする。
 古なじみではあるね。おんなじ年のおんなじ月に産まれたんだ。
 でもさ、あっちは白亜の御殿生まれ。あたしは犬小屋生まれだよ。
 お兄ちゃん、下女って分かるかい。金持ちの家で下働きする召使みたいな女のことだよ。メイドさん? まあ、今様ならそう言うのかね。
 あたしはね、産まれた時から下女になるのが決まってたんだ。
 山の手にね、おおーきなお屋敷があったんだよ。まさに御殿だよ。その御殿の裏庭の隅っこに、ちっこい小屋が建ってたんだ。そこがあたしん家。見た目はなかなかのもんだったよ。きちんと屋根瓦葺いて、サッシ窓だってしっかり嵌ってた。
 けど、あたしにとっちゃ世界一みじめでみすぼらしい犬小屋だったね。
 あたしの父ちゃんは御殿付きの運転手で、母ちゃんは御殿の下女。そしたら産まれたあたしも、当然下女になる。家畜の繁殖みたいなもんさ。アハハハ。
 お屋敷の大旦那様は、まあお偉い人でね。お兄ちゃんも学校で習ってるかもしれないね。父ちゃんは神様みたいに尊敬してた。いつお呼びがかかるか分からないてんで酒は死ぬまで一滴も飲まなかったし、髭は一日二回あたってたよ。奥様も上品な、きれいな方でね。人あしらいも悪くはなかった。なんであんないい人たちから、あの女みたいな根性曲がりが産まれたのか皆目検討もつかないよ。
 ええ? そりゃあ、もちろんあたしだって赤ん坊の頃から下女だったわけじゃないさ。まあでも、似たようなもんかね。子供の時分は、あたしはあの女の遊び相手をさせられてた。
 嫌だったねえ。あの女と遊ばされるときは、母ちゃんがあたしにわざわざ一張羅を着せるんだよ。今でも覚えてるよ。青いモスリンに黄色いひなげしのアップリケつけたスカート。それに白い丸襟のブラウス。髪もきちんと梳かされて、子供部屋に連れていかれるんだ。あたしと父ちゃん母ちゃんが暮らしてる小屋の何倍も広い部屋にだよ。
 遊びはいつもごっこ遊びだったね。お姫様と家来ごっこさ。あたしが家来だと思うだろ。違うんだよ。あの女が家来なんだ。自分でその役をやりたがるんだよ。嫌味だろ。乳母日傘で育った女が、わざわざへいこら頭を下げる家来をやるんだ。
 子供部屋に二人っきりになると、あたしはあの女にいつも馬になるよう命令したよ。面白いくらいに言いなりになるんだ。あたしの何十倍も上等な服で床に四つん這いになって、ハイドウドウと歩きまわってさ。少しでも粗相をしたら叱り飛ばしてやった。そんな時、あの女はいつも木偶みたいに黙ってヘラヘラ笑ってるんだ。気味が悪いったらなかったよ。

 ええと......どうやるんだったかね。携帯屋の子にやってもらったんだけどね......ああ、これだ。ほらお兄ちゃん、この写真見てみな。美人? そうかい。そうだろ。これはねえ、何を隠そうこのあたしだよ。あっはっは。時間ってのは残酷だろ。どんな美人だって、年をとったらみいんなこういう汚いばばあになるんだ。
 あの女は不美人だったよ。番茶も出花なんて言うけどね、十八の時のあの女はあばただらけの面に女相撲みたいな体格で、着るものなんかみんな特注だった。そのうえ頭の出来も悪くてさ。ほとんど喋らないで何を言ったってぼーっとしてんだ。お嬢さん学校に通ってたけど、家にご学友を連れてきたことは一度もなかったね。
 あたしはその頃、一番きれいな時だった。けど毎日お仕着せの仕事着で働き詰め。奥様のご厚情で近所の高校に通わせてもらってたけど、どんなにいい成績取ったって行く末は母ちゃんと同じ下女の一生だと思うと、気持ちがくさくさしたね。
 そんな時、夏休みに美術の宿題が出たんだ。身近な花を描いてきなさいってやつ。あたしは絵だけはどうしても苦手でね。猫を描きゃ豚になるし、花なんて子供のラクガキ以上のもんはどうしても仕上げられなかった。それでも宿題出さなきゃ叱られるから、こっそり朝早くお屋敷の庭に行って、そこで咲いてる芙蓉の花を一生懸命描いてたんだよ。
 何って、芙蓉は芙蓉だよ。まあ、男の子は花の名前なんか知りゃしないか。
 でね、そしたら、いつの間にか後ろにあの女が立ってたんだ。大きな画板と鉛筆持って。偶然、あっちの女学校でも同じ宿題が出てたんだね。あの女はニタニタ笑いながら、黙ってあたしに自分の絵を見せた。
 びっくりしたよ。神様てのはひとつくらいは人に取り柄を作ってくれるっていうけど、あれは本当だと思ったね。まるで本物みたいな芙蓉の花が、画用紙の中に咲いてたんだ。見事な......本当に見事な絵だったよ。
 気がついたら、あたしはその絵をひったくってた。そして、あたしの描いたラクガキみたいな芙蓉の絵をあの女に押し付けた。あの女はぽかんとしてたけど、大人しくされるがままになってた。いつもとおんなじに。
 休み明けに絵を提出したら、大騒ぎになったね。美術の先生はあたしに美大に行くよう熱心に口説いてさ。ごまかすのに一苦労だった。本当はあの女が受けるはずだった賞賛を、手柄を横取りしてやった。気持ちよかったね。ちょっとだけ胸がすーっとしたよ。

 二十歳のときに、あの女は入婿をもらった。元華族だなんだかいう大層な家柄のお人で、これがまた、目が醒めるような美男でねえ。あたしは辛くて悔しくてしょうがなかった。あの女の何十倍もきれいで頭の切れるあたしが一日中土間や廊下や便所に這いつくばって働いて男友達の一人も作れないでいるってのに、あの不細工は御殿に生まれたってだけで王子様みたいなお婿をもらえるんだ。神も仏もいないのかと思ったよ。
 披露宴からいくらも経たないうちに、旦那様は脳梗塞であっけなく逝っちまった。若旦那様は『先生に代わってお義母様と妻を一生支えます』なんて涙ながらに挨拶してさ。披露宴よりいい葬式だったね。
 そんなばたばたが少し落ち着いたあたりだった。あたしはいつも通りあの女と若旦那様の寝所を掃除してた。そしたら、屑籠の中に妙なものが入ってたんだよ。髪の毛さ。ごっそり抜けた長くて黒い髪が、それから毎日屑籠に入ってるようになった。あの女、旦那様が亡くなってよっぽど気落ちしてるのか、みるみるげっそり痩せて髪も減っていってね。一気に十も二十も老けこんだみたいになった。
 あたしは可哀想に思ってさ。あの女じゃないよ。若旦那様をさ。ただでさえ不細工な新妻が余計小汚くなってんだ。いくら家同士が決めた結婚だからってあんまりじゃないか。だから、あたしは若旦那様にはなるべくにっこり、愛想よくお世話するようにしたんだ。
 そしたらある日、若旦那様に書斎に呼ばれた。
 その日あの女は療養所に入院してた大奥様をお見舞いに行っててね。屋敷にはあたしと若旦那様ふたりきりだった。そりゃ、緊張したさ。ときめきっていうのかね。ハハハ。
 若旦那様は優しい笑顔で、あたしの普段の働きをねぎらってくれた。そして、この家に来た時からあたしに惹かれた、なんて綺麗なんだろうと思った、お前がここのお嬢さんだったらよかったのに......って言ってくれてね。あたしはもう有頂天だった。
 それから若旦那様は、『絵が上手なんだそうだね』って言って、あたしを手招きした。近づくと、白い綺麗な手があたしの肩をそっと抱いた。どきどきしたよ。まるで映画みたいだと思った。
 若旦那様は自分も絵が好きで集めてるんだと言って、一冊の本を広げて見せてくれた。
 春画だった。
 それも、女が縄で吊るされてアンコウみたいに斬り捌かれてたり、馬に犯されたり、裸で磔獄門にされてる絵ばかりなんだ。
 あたしは一気に身体が氷みたいに冷たくなって、ぶるぶる震えだした。すると若旦那様が書棚を開けたんだ。
 中にはまるで宝物みたいに、張り型がいくつも並べてあった。人の腕くらいの大きさで、猫のアレみたいに棘が生えてるやつもあった。


 なんだい兄ちゃん。気分が悪いのかい。あっはっはっは。ばばあのシモの話なんざ聞きたかないか。悪い、悪い。身体? そうさね、ひと月くらい立つのも座るのもしんどかったね。夜も眠れなくて、髪がゴッソリ抜けたよ。ああこれかぁと思ったね。あの女もおんなじ目に遭ってたんだ。
 逃げるったって、どこに逃げるのさ。
 だってあたしは産まれたときから、あの御殿の下女になるのが決まってたんだよ。あそこで生きてく以外、路はなかったのさ。
 しばらく続いたね。あたしが四十近くなって、はげを隠す気も失せてシワも目立ってきて、それでようやく止んだ。それから長いこと平和だったんだ。
 でも、あの日。
 夏の盛りの昼時だった。
 あたしは台所で汗だくになりながら出汁を煮立てて茶そばを茹でて鯵のたたきをこしらえてた。そしたらふらっと若旦那様がやってきてね。真っ昼間から酔っ払った赤い顔で、ニヤニヤしながらあたしの尻を触ったんだ。『随分垂れたな』って言いながら。

 気が付いたら、握ってた出刃包丁で若旦那様の胸を突いてた。

 そうだよ。あたしが刺したんだ。このあたしが。
 あんがいスルッと入ってくもんなんだよ、包丁てのは。あれはたぶん砥ぎが良かったんだね。出入りの職人に頼んでたから。今の人は、包丁なんて砥がないだろ。
 なんだい、青い顔して。怖いのかい。ばかだね、もうこんなクチャクチャのばばあだよ。怖いことあるかい。お兄ちゃんがその気になりゃ、あたしなんて丸めてポーイだよ。怖がるこたないよ。
 なんであたしがこっちに居るのかって?
 そりゃ、あの女が根性曲がりだからさ。
 あたしは若旦那様が土間でのたうち回るのを見てた。足がすくんで動かなかった。そしたら、すうーっと戸が開いて、あの女がやってきたんだ。
 覚悟したね。獄門行きを。主人殺しだ。死罪になるかもしれない。
 けどあの女、泣きも喚きもしないで、そのまま若旦那様をじいーっと見てた。じいーっと。
 びっくりしたよ。あのあばた面が、そのときだけなんでか芙蓉の花びらみたいにさぁーっと透き通ってばかに綺麗に見えてさ。後光が射したみたいに、ありがたいくらいきらきらしてた。
 しばらくすると、若旦那様は動かなくなった。
 するとあの女はまるで幽霊みたいに音もなく近づいてきて、あたしの手から包丁奪って、動かなくなった若旦那様をメッタ刺しにしはじめたんだ。
 あたしはびっくりして動けなくて、一部始終を見てた。スコップで土を掘り返してるような刺しっぷりだったよ。気がついたら、若旦那様の首から下はそれこそ鯵のたたきみたいになってた。おかげであれ以来食えなくなっちまったよ。好物だったのに。
 あの女は返り血で真っ赤に染まってたけど、呼吸ひとつ乱れてなかった。それから包丁を土間に放り投げると立ち上がって、あたしを見て笑ったんだ。子供部屋で遊んでた頃みたいに。

 その後そのまま自分で警察に電話して、何から何まで自分がやったって最後まで言い張った。そんで結局、あたしは何のお咎めも受けず、あの女はあのお堀の向こうさ。お屋敷は人手に渡って取り壊されて、今はでっかいマンションが建ってるよ。

 かばった? あたしを? あの女が?
 そんなわけあるかい。あの女はさ、悔しくなったんだよ。「手柄」をまた横取りされたのが。何十年も手前が殺りたいと思ってた男を、あたしが殺っちゃったのが気に食わなかったんだ。さっさと自分で殺っちまわないからいけないんだよ。トロいお嬢さんだよ。ばかだねえ。

 あ。来たかな。
 
 ああ、ほら出てきた。ヨレヨレしちゃってまあ、見る影もなしだ。どうせこっからのバスの乗り方も知りやしないんだ。ほんとばかな女だよ。ほんと。ほんと、ばか。
 お兄ちゃん悪いね。先行くよ。ちゃんと日陰に入ってなよ。
 ははは、お礼なんて言われるほどのもんじゃないよ。あんたほんと見かけによらずしっかりしてるね。ん? そうだろ、いい日傘だろ。これはモノがいいんだよ。変わった柄かい。そうかね。花柄だよ。どこにでもあるよ。
 花の名前?
 知らないねえ。
 ああ、ほんとなんて天気だろうね。日傘が無かったら頭が煮えちまうよ。どうせあの女、帽子も持っちゃいないんだ。世話がやけるよ。まったくね。

Profile

王谷 晶

東京都生まれ。小説家。著書に『探偵小説(ミステリー)には向かない探偵』『あやかしリストランテ 奇妙な客人のためのアラカルト』(ともに集英社オレンジ文庫)などがある。@tori7810

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