レディース・アンド・ガールズウィメン

王谷 晶

レディース・アンド・ガールズウィメン

©nao

9

十本目の生娘

 なんだあ、こんなもんか......。
 っていうのが一番最初に出てきた感想だった。ガッカリだよね。後生大事に(してたわけじゃないけど)二十歳までとっといたんだから、それなりのインパクトが欲しかったのに。もちろん痛みはあったし衝撃もあったけど、これなら駅の階段で滑って転んだときのほうが痛かったしショッキングだった。それに「身近に感じる」とか「コミュニケーション」とかよく聞くけど、隣で寝てる男はする前よりももっとさらにわけのわからない生き物に見えてるんだからますます意味不明。なんだ、こりゃ? 頭の中はハテナマークでいっぱい。とにかくそれが、私の初セックス。一本目のちんこの感想。

 田舎のママは『なんでもすぐに投げ出しちゃだめ。ちょっときついとか向いてないと思っても、なるべく続けてがんばりなさい。継続は力なり』が口癖で、私はわりと真面目にその教えを守っていた。だから一本で投げ出しちゃダメって思ったんだ。私が悪いのか相手が悪いのかよく分からなかったけど、とりあえずあまり間を開けずに二本目にチャレンジしてみた。ちょっと年上のおじさんで、一本目の時より触られたり舐められたりいろいろ時間を掛けられて、でもやっぱり入れる段になるとあんまりテンションが上がらない。漫画とか小説とかドラマとか映画とか、まあなんでもいいけどそういうのに出てくるセックスってみんな集中! って感じで挑んでたけど、実際は意識があっちこっちに飛ぶ。ぶっちゃけ退屈、と思った。テレビがついてたら観ながらしてたと思う。これが二本目。

 二本目のおじさんがうとうとしてる間にホテルを抜け出して、私は夕暮れの街をぶらぶら歩いた。身体を動かしたせいかお腹がすいて、最初に見つけた喫茶店に入った。
 八十年代くらいで時間が止まってるような店だった。テーブルにはレース模様のべたべたするビニールクロスが掛かってて、ヤニで茶色い壁によくわかんない絵のジグソーパズルが飾られてて、極めつけはサザンオールスターズの曲をオルゴールにしたやつがBGMになっている。うーん。でも今のちょっと疲れた気分にはしっくり来る気がして、私は店の一番奥の席に座った。他にお客はいない。
「いらっしゃいませ」
 ど金髪の女の子が水とおしぼりを持ってきた。痩せた身体に黒い長袖Tシャツ着てて、お、バンギャルさんかなって感じ。私はハンバーグセット、ホットの紅茶で頼んで、柔らかすぎるソファに身体を沈めた。
 カウンターの中にエプロンを着けたおじさんが居て、たぶんその人がマスターなのかな。何かを炒めるような音が聞こえてきた。五分もしないで出てきたセットは、レトルトのハンバーグに炒めたてのあつあつナポリタンとライスが付いていた。フォークでそれをがつがつ食べてると、金髪さんがだるそうにカウンターの前の椅子に座ってスポーツ新聞を読み始めた。BGMは『マンピーのG★SPOT』になっていた。これオルゴールにするか? ふつう。
 食べ終わって一息つくと金髪さんがお皿を下げてくれて、そしたらマスターがエプロンを外し「じゃちょっと頼むね」と金髪さんに声をかけて店の外に出ていった。
 短い間、お皿を洗う音が聞こえて、そしてオルゴールのBGMが止まった。金髪さんがオーディオをいじっている。すぐに爆音でマーク・ロンソンとブルーノ・マーズの『Uptown Funk』が流れてきた。意外なパリピ選曲。でも、好き、この曲。
 Girls hit your hallelujah, Girls hit your hallelujah......ファンキーな歌声に乗せて金髪さんはちっちゃいジョウロを片手に、リズミカルにお尻を振りながら店の中にたくさんある観葉植物に水をあげはじめた。フリーダムな店員だ。そしてUptown funk you up!のリフレインに入ったところでくるっとターンして、私と目が合って、照れくさそうにニヤッと笑った。

 三本目に取り掛かる前に、一本目の対応に少し手こずってしまった。何回も要領を得ないLINEを送ってくるので、どうすればいいのかな?と八秒くらい考えてからブロックした。で、三本目。今度は年下の人だったんだけど、これもダメダメだった。「いろいろ教えてください」なんて言われたけど、こっちだってまだ二本しか知らないし、私、子供のくせに子供ぶる人が苦手なんだなって初めて分かった。背伸びしない子供ってなんていやらしいんだろう。大人より大人のずる賢さを纏ってる。それって謙虚とか素直っていうのとは、ぜんぜん違う。
 ぐねぐねつきまとってくる三本目をしっしって追い払ってから、私はまっすぐ家に帰るのがなんとなく怖くてあちこち歩き回った。どうしてうまくいかないのかな? すいすいとみんなが楽しそうに漕いでいる自転車に、一人だけ乗れてない気分。
 足が止まった。いつの間にかこの前の喫茶店の前に来ていた。そっと中を覗き込むと、やっぱりお客さんはいなくて、あの金髪さんがカウンター席に座っている。
 手が勝手にドアを開けて、店の中に入っていた。金髪さんはちらっとこっちに目線をよこし、私が座るとだるそうに水とおしぼりを持ってきた。
 ケーキセットを待つ間、ぼんやりとオルゴール版『約束の橋』(佐野元春ね)を聞いて、ケーキを食べながら『夢を信じて』(徳永英明ね)を聞いた。まったくテンションが上がらない。この前みたいに金髪さんがアガるDJとダンスをしてくれないかなと思ったけど、今日はそういう日じゃないみたいだった。私は無表情の金髪さんに七百円払って店を出た。

 それから季節はめぐり、私は辛抱強く四本、五本、六本と続けたけど、やっぱり結果は芳しくはなかった。ちんこを見たり触ったり入れたりするたびに、まるで初めてするみたいな気分になる。それは新鮮って意味じゃなくて、慣れなくて馴染まないってこと。同じちんこと何回かしたほうがいいのかなと思って二本目に再登壇願ったけど、それでもダメでした。
 セックス向いてない。セックスが下手。セックスが苦手。これのどれかなのかな。でも私はまだ二十歳で、そろそろ二十一歳になるけど、そんな若さで「セックス」っていう世界的ムーヴメント、巨大なイベントを諦めちゃうのはなんだかもったいない気がしてしょうがなかった。
 よし。十本だ。
 とりあえず十本まで頑張って、それでもダメだったら後はそのとき考えよう。病院行くとか、占いに行くとか、尼寺に行くとか。継続は力なり、継続は力なり。
 七本目は趣向を変えて一ヶ月くらい時間をかけて向き合ってみたけど、三週間目くらいで私がするなと言ったことをしようとしたり、したくないことをさせようとしてきたので、放逐した。八本目は悪くなかった。けっこう楽しかった。あ、これかな、これが当たりなのかなと思ったけど、一回したっきり連絡がつかなくなってしまった。世の中ほんとうまくいかないのね。これはわりとショックで、私はへこんで元気がなくなっちゃった。当座の目標まであと二本だったけど、諦めてお遍路さんにでも行こうかとまで思い詰めてしまった。またはピースボートに乗るとか。
 そのとき、ふと、あの喫茶店と金髪さんのことを思い出した。
 
 店に入る前に、しばらく近くの酒屋さんの影で様子をうかがった。まだ明るい夕方のぼんやりした時間。少し待つと中からマスターが出てきて、その足でまっすぐ向かいのパチンコ屋に入っていった。
 三十秒くらい息を吸ったり吐いたりしてから、私は店の中に入った。
 金髪さんはちょうどオーディオ機器の前にいた。ドアベルの音で振り向いて私を見ると
「古い曲好き?」
 と訊いてきた。
「古い曲にもいろいろあるけど......」
 そう返すと、金髪さんはまた照れくさそうに笑って何かのスイッチを押した。びりっと鼓膜が痛くなるくらいの音量で、知らない曲が流れ出した。
 耳に入る音は脈打つみたいなビートと掠れた女の人のボーカルだけ。何を喋っても聞こえないし伝わらない。私はメニューを指差して注文した。席には座らないで、カウンターの中で金髪さんが腰や肩をくねらせながら雑にクリームソーダを作るのを見てた。
 金髪さんはどんなセックスをするんだろう。楽しんでるのかな。それとも私みたいに自転車に乗れない組なのかな。尖った左右の肩が八の字を描きながら揺れるさまはとても色っぽかった。
 この人は、きっと、本物のセックスをしたことがある。すっごい楽しくて気持ちいいやつを。
 そう思った瞬間、今すぐ、即座に、ジャストナウ、九本目を探さないといけないという雷みたいな衝動が私の脳味噌と身体をつらぬいた。
 カウンターに出されたクリームソーダを置いて私は店を出て走った。

 五時間後は雨。ホテルを出たらやけに冷たい水滴がばらばらと私の頭に降り注いで。水を吸った毛布みたいな気分になって、ずるずる足を引きずりながら歩いた。背にした建物の中に置いてきた九本目の、もう顔どころかちんこも思い出せない。私、円周率が百二十桁まで言える記憶力の持ち主なのに。
 立ち止まって目を閉じる。驚くべきことに、一本目から八本目までも顔はもう曖昧だった。一生懸命思い出そうとしても、だめ。名前を聞いたひとも何人か居たはずだけど、それも思い出せない。
 目を開けると、冷たい雨の隙間に、きらきら光る金色のほうき星が見えた。透明のビニール傘をさした金髪さんだった。
「あの!」
 私は走って、金髪さんに近付いた。黒いMA-1を着た薄い背中がきれいなターンでこっちを向く。
 私、この人の顔は、この一年一回も忘れてない。
「セックスについて教えて欲しいんです!」
 金髪さんはぽかんと口を開けた。私は慌てて左手はパー、右手は親指を折り曲げて、両手で「九」を表して
「九本やったけど分からないんです!」
 と付け足した。
 金髪さんは私の指と私の顔を三回くらい交互に見て、
「オッケー」
 と言った。
 ほうき星がきらきら、目の前で揺れる。
 細い指が、折り曲げた私の親指に触れた。
 すると、まるで千回もそうされてきたみたいな気持ちと、初めて他人に触れられたような気持ちと、雨が肌の上で蒸発する感触と、心臓と時間と呼吸が音もなく止まる感覚と、名前の知らない曲が鼓膜の中で炸裂する幻聴が私を一度に包み込んで、それから弾けた。口から勝手に「あっ」って声が出た。その瞬間、私、長い初体験を終えたの。

Profile

王谷 晶

東京都生まれ。小説家。著書に『探偵小説(ミステリー)には向かない探偵』『あやかしリストランテ 奇妙な客人のためのアラカルト』(ともに集英社オレンジ文庫)などがある。@tori7810

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