レディース・アンド・ガールズウィメン

王谷 晶

レディース・アンド・ガールズウィメン

©nao

4

Same Sex,Different Day.

「そもそも、タチとネコって何をもってして......って思いません?」
 窓の外ではじゃばじゃばと、ホースで水を撒いているような粗暴な雨が降っている。
 部屋の中は湿っぽく、空気はしんと冷えていた。朝子は床に落ちていたヘアバンドを拾い邪魔くさい前髪を上げると、部屋の明かりをつけた。
「疑問だよね」
 そう返すと、茉那美まなみはほっとしたように表情をゆるめた。そのインド綿のブラウスの前ボタンが四つほど外れているのを見て、オクラの産毛が指に刺さる程度の罪悪感の痛みがちくりと湧いてくる。
「ゲイの人は分かりやすいですよね。ちんちん入れる方がタチで、入れられる方がネコ」
「リードする方がタチでされる方がウケじゃなくて?」
「なんですかリードって。要はちんちん入れるんでしょう」
「入れない人もいっぱいいるって」
「そうか......。じゃあ、入れない人はどうやってタチネコ決めてるんでしょうかね。リードするとかされるとか、曖昧過ぎません? ダンスじゃねんですから」
 朝子はンーと喉の奥で音を鳴らしてからやはり床に置いてあった十六茶を一口飲み、そしてちょっと迷ってから、茉那美にも渡した。
 セックスはそもそも曖昧なものだ、と朝子は思う。特に女同士のセックスなんて、もずくとめかぶが混ざり合いどっちがどっちか分からなくなってしまうような、そんな曖昧模糊としたとろけあうところが楽しいのだ。そう考えていたのだが。
「あーさんは、自覚したきっかけってなんです」
「レズを?」
「いや、タチを」
 言われて朝子はまたンーと唸った。茉那美は今日こそこの問題を「解決」しようとしているらしい。茉那美は曖昧を嫌う。朝子は曖昧を愛するが曖昧を嫌う茉那美も愛している。

 朝子と茉那美は出会って十ヶ月、付き合って四ヶ月になるが、まだ一度もセックスらしいセックスをしたことがない。
 会話はできる。照れずに見つめ合える。キスもできる。互いの身体に腕を巻きつけぴったりと隙間なく抱きしめあうこともできる。
 だけど、その先。唇が顎より下に降りてゆき、指が辞書で性器と定義付けられている部分に向かおうとすると、とたんにだめになる。お互いに。今夜もまた、何回目かのトライが失敗に終わったばかりだった。
「きっかけなあ」
 朝子はタチで、茉那美もタチだ。今までお互いタチとしてそれぞれのセックスライフを過ごし、何人かの女を「抱いて」きた。
「抱いてきた、とあたしも思ってたしそこに疑問は持ってなかったんですよ。でもよくよく考えると『抱く』ってなんなんでしょう?」
 茉那美はベッドに座ったまま、十六茶をぐいぐいと飲んだ。
「だってやってることって、お互いそう変わらないじゃないですか。少なくともあたしの場合はそうでしたけど。舐めたし指も入れたけど、向こうもこっちを舐めて指入れて、でもあたしが『抱いて』、向こうが『抱かれた』ことになってる」
 おかしかないですか。と続ける茉那美が軽々しく語る過去のそのセックスを頭に思い描いてしまい、朝子の胸中は苛立ちと不発のまま留まっている性衝動でもんじゃのようにぐちゃぐちゃになってしまう。
 だが、言っていることそのものは理解できた。朝子だって舐めたり舐められたりの人生だ。そして性行為に受動的でもなければ、極端に能動的でもない。道具もそんなに使ったことはないし、なんなら指を入れる行為にもぜんぜんこだわっていない。でも、自分はタチであるとはっきり自覚しているし、それはアイデンティティのひとつになっている。もしかするとそれは同性愛者であることよりひとつ上のレイヤーにある自我かもしれない。
 単純に女が好き、という気持ちと、男相手だと強制的にネコにされるから男とは寝ない、という気持ちがどれくらいの割合で混ざり合って朝子が出来上がっているのか、真面目に考えたことはない。なんだか恐ろしいから。
「やらない恋人って恋人なのかな。やらないんだったら、友達と何が違うんでしょうか」
「セックスだけが恋愛じゃないでしょ」
「そうですけど。いや、そうなのかな。一般論でキレイにまとめようとしないでくださいよ」
「友情と恋情って曖昧だよ。グラデーションだよ。百パー友情とか、百パー恋とか、ないでしょ」
「あたしだってあーさんに友情は抱いてますよ。でも性欲由来の友情はもはや友情とは呼べないと思う。思いません?」
「そんな植物由来の洗浄力みたいに言われても」
「あたしはあーさんを抱きたい」
 振りかぶって投げた茉那美のパンチラインは、百五十キロ超級のスピードで朝子の頭にめりこんだ。

 朝子は茉那美が好きで、茉那美も朝子を好いている。コーヒーゼリーにガムシロップは入れずフレッシュだけの朝子。卵焼きはしょっぱい派の茉那美。チャンピオン派の朝子。ボンボンを欠かさず買ってもらっていた茉那美。TSUTAYAでNOWや青春歌年鑑をレンタルする朝子。コンビニで廉価版のクッキングパパを買う茉那美。たまに一人で釣り堀に行く朝子。競馬場に馬を見に行く茉那美。ルソー、ダリ、マグリットが好きな朝子。倉橋由美子、舞城王太郎、筒井康隆が好きな茉那美。傘を差すのが嫌いな朝子。手袋をしたがらない茉那美。ソリティアで休日をつぶした朝子。帰省中ひたすらテトリスしていた茉那美。パンツがLLの朝子。靴が26cmEEEの茉那美。アイシャドウをいくつもいくつも買ってしまう朝子。業者かというくらいマスキングテープを集めている茉那美。家財道具についていちいち悩みたくないので思考放棄の一環として無印を愛用している朝子。ユニクロにファミリーセールがあったら絶対呼ばれている茉那美。逆上がりができない朝子。身体が硬い茉那美。ガラケーの朝子。ラジカセでAM放送を聞く茉那美。
 二人は、ぴったりだった。二人はとてもしっくりきていた。お互い三十過ぎていて、ばかばかしいほどのロマンチストで、もしかしたらこれが最後の恋になるのかと頭の隅で考えていた。
 こんなにこんなにしっくりくるのに、肉体だけが重ならない。

「私も抱きたいよ」
 茉那美の広い肩幅や小さな尻や大きなくるぶしの骨を朝子は愛している。それらとその他の部分に触れたいといつも考えている。
「抱きたいけど、抱かれたくない」
「知ってます」
「頑張ってるんだよ、一応。抱かれていいかなとも考えてるし」
「分かってます」
「考えてるけど、身体が追いつかない。まーの言うとおりこれ行為というより気分の問題なんだろうけどさ、でも、抱かれるのは嫌なの。よ。ね」
「分かります」
「そっちが譲歩してくれようとしてるのも、理解してる。ほんとに」
「でも相手が心から楽しんでくれてないと、セックスする意味なくないですか」
「そう。それ」
「あーさん抱きたいけど、抱かれてるあーさんが我慢してるなーって思ったらもうそこで萎える。あ、この『萎える』も謎ですよね。どこが萎えんだ。萎えるとこないわ」
「分かる」
「あたしも抱かれてもいいって思ってますよ。でもこの、抱かれてやってもいいぜみたいな気持ちになるの、よくないなって。第一やっぱり、頭で分かってても身体がだめだし」
「だめなこと、無理にさせたくないよ」
「あたしもです」
 視線を合わせて、気の抜けた笑い声を出す。
「......でもさ、長く付き合ったら、どうせセックスレスになるかもしれないしさ」
「やりまくった後のセックスレスと、最初からやれないセックスレスじゃ意味合い変わってくると思います」
 茉那美の言うことはいちいちもっともで、二歳差があるだけなのに若者の青臭さをぶつけられている気になるし、朝子も必要以上に老成した気分になる。
「やりたいのにやれないってこんなに辛いんですね。......あーさんも辛い?」
「辛いよ」
「やれなくてもあたしの事好き?」
「好きだよ」
「嬉しい。あたしも大好きです。でもあたし、やっぱりしたいですよ。セックス」
 雨はまだ街を打ち据えるように降っている。
「やっぱり、したいですよ」
 茉那美はサビの部分のように繰り返した。
 そんなもん。私だってやりたいわ。あほか。
 朝子はその言葉を飲み込んだ。飲み込むことでいずれ遠くない未来にこの素晴らしくしっくりくる女との別れがやってくるのを分かって、飲み込んだ。


 その後。朝子は他人のエロチャットのログやサンプル動画等を見ながらマスターベーションするたびに賢者タイムの中で茉那美を思い出すことが、約五年続いた。一方茉那美は新しい恋人のパンツを歯で咥えて引きずり下ろすときも、事後にウエットティッシュで指を拭いているときも、朝子を思い出すことはなかった。
 ただ時折、まったくセックスと関係のない空間にいるとき。落ち着いて穏やかな気持ちでいるとき。茉那美の脳裏にふと朝子が顔を出すことがあった。朝子の無印だらけの部屋が。夏の間中履いていた革のサンダルが。髪の匂いが。ツボにはまった駄洒落が。
 最初の半年、そのリフレインは茉那美の心を強く揺さぶった。だが次第にそれが間遠になり、松屋の朝定食や朝マックの垂れ幕にもはっとしなくなり、朝子を思い出している最中に高収入求人情報バニラのトラックが横を通って行くと思い出したことすら忘れてしまうようになり、そしてやがて茉那美の中の朝子は、時間に押し流されていく。日々の中で、恋と欲情がゆっくり分解され、変わって、終わっていく。

                                     終

Profile

王谷 晶

東京都生まれ。小説家。著書に『探偵小説(ミステリー)には向かない探偵』『あやかしリストランテ 奇妙な客人のためのアラカルト』(ともに集英社オレンジ文庫)などがある。@tori7810

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お知らせ

Cov_Kuko_R.jpg『最高の空港の歩き方』の刊行を記念してトークイベント「夏休み、空の玄関で逢いましょう。」を7月23日(日)にジュンク堂書店大阪本店で開催いたします。いま空港がアミューズメントパーク化しています。ご当地グルメ、空港限定グッズ、お風呂、空港アート、飛行機撮影、工場見学ーー飛行機に乗る人も、乗らない人も楽しめる「空の玄関」の遊び方と、その背景にある「進化の理由」を『最高の空港の歩き方』の著者・齊藤成人さんと空港ファンであるイラストレーターの綱本武雄のふたりが熱く語ります。入場無料(先着40名)です。

170713_img.jpgポプラ文庫ピュアフルの人気シリーズ、「ばんぱいやのパフェ屋さん」(佐々木禎子 著)の1巻が、コミックスになりました! 漫画はやぎさん、このたび新創刊したレーベル「アニメージュコミックスmiere」(発行:ティーダワークス 発売:徳間書店)にて、7月5日発売です。文庫もコミックスも、よろしくお願いいたします!

978-4-591-15498-4.jpgのサムネイル画像ポプラ文庫ピュアフル7月新刊『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売を記念して、著者深沢仁さんから読者の皆さんに、抽選で、キーホルダーやコンパクトミラーなどの英国土産をプレゼントいたします。新刊オビの応募券にてご応募ください。詳細と英国旅行のミニレポートをこちらでご紹介しています。

『あざみ野高校女子送球部! 』(ポプラ文庫ピュアフル、680円+税)の刊行を記念して、小瀬木麻美さん トーク&サイン会を開催いたします。

場所 :リブロ港北東急SC店特設会場  日時 : 2017年7月16日(日) 午後2時~

参加特典として、小瀬木麻美さんが今回のイベントのために書き下ろした「『あざみ野高校女子送球部!』番外編」をもれなくプレゼント!センター南が舞台になった短編小説です。

Cov_shigotoba_R.jpg佐藤ジュンコさんのコミックエッセイ『仕事場のちょっと奥までよろしいですか?』が刊行になりました。作家・伊坂幸太郎さん、漫画家・いがらしみきおさんから伝統工芸の職人さんまで「作ること」のプロ15名の仕事術をイラストでルポ!

達人たちの仕事場にお邪魔したら、楽しい驚きがいっぱい。まさに大人の社会科見学!ふむふむ、へーと読んでいるうちに、むくむくとやる気が湧いてくるお仕事エッセイです。

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