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第5回

幸せの国殺人事件

 太市のアカウントが消えていることに気づいた未夢は、最初は何かデータ上のトラブルが起きたのだと思ったそうだ。それですぐに太市に「WoNのアカウント消えちゃってるよ」とLINEでメッセージを送った。しばらくして太市から「自分で消した」とだけ返信があり、驚いて僕に電話をしてきたのだという。

 僕は未夢にその日、太市と会ったこと、冬美真璃の居場所を知っているかと尋ねたことを話した。

「太市は、知らないって答えた。でも様子が変だった。多分、嘘をついてたと思う」

 そう打ち明けると、未夢は言葉が出ない様子で黙り込んだ。スマホを手にしたまま自分の部屋に向かい、無駄だと分かっていながらもWoNにログインする。未夢の言ったとおり、僕のフレンドのリストに表示されているのは未夢だけだった。

 冬美真璃について尋ねたことで、僕は太市を追い詰めてしまったのだろうか。小学生の頃から三人で一緒にプレイしてきた、このWoNのアカウントを削除させるほどに。

 だとしたら、太市は彼女の行方に関して、いったいどんな秘密を抱えているのだろう。不安で呼吸が浅くなり、コントローラーを握る手に汗がにじんだ。

「どうしよう。今から太市に電話してみる? グループ通話で」

「いや、僕は会って話したい。明日、太市の家に行ってくるよ。どうしてアカウントを消したのか、聞いてくる」

 おずおずと提案した未夢に、僕はそう主張した。電話だと、太市の仕草や表情は見えない。本当のことを言っているのか分からない。

 けれど結局のところ、僕は翌日も、その次の日も、太市に会うことができなかった。団地のインターホンを押しても応答がなく、会って話したいとLINEを送っても、既読にはなったものの返事がなかった。未夢も何度かメッセージを送ったり、電話をかけたりしたけれど、同じように返信はなく、通話も繋がらなかったという。

 そして太市のアカウントが消えてから三日後の昼下がり。僕と未夢は二人揃って太市の家を訪ねた。僕らが避けられているのはもう分かっていたので、事前に連絡はせずインターホンを押した。きっとまた無視されるのだと思っていたら、意外にもドアが開いた。

「ごめんね。太市、このところ体調が悪くて寝てるのよ」

 太市の母親は、疲れた表情でそう告げた。夜勤明けで休んでいたところだったのか、部屋着姿で長い髪を下ろしている。母親は太市とよく似た色の濃い瞳で眩しそうに僕たちを見ると、「心配してもらって申しわけないんだけど、太市のことは、しばらくそっとしておいてくれる?」と言い添えた。

 お邪魔しました、と頭を下げて、重い足取りで階段を下りる。あんなふうに言われてしまっては、もう家に訪ねてくることはできない。LINEの返事もなく、電話も出てもらえないのでは打つ手がない。

 太市が何を考えているのか、どんな事情があるのか分からないまま、一方的に僕らとの関係が断たれたことに納得がいかなかった。太市を心配するというよりも、僕は腹を立てていた。何も言わずに逃げ回るなんて、卑怯だと思った。

 振り込め詐欺注意の張り紙がされた団地の壁の掲示板を睨みながら、奥歯を噛み締めたその時、前を歩いていた未夢が不意に立ち止まり、こちらを振り返った。

「――海斗。冬美真璃さんの家に行ってみない?」

 思い詰めた表情で、そう提案された。長い前髪の下から、決意を固めたような強い眼差しが僕を捉える。

「真璃さんの家がどこか、知ってるの?」

「太市と同じ市営団地にお兄さんと二人で住んでるって、前に聞いたの。二つ隣の棟だって。何号室か分からないけど、郵便受けに名前があるかも」

 僕は掲示板の隣に並んだ金属製の集合ポストに目をやった。八つ並んだポストのうち、四つは苗字が書かれていて、二つはイニシャルだけが書かれている。残り二つは空室なのか、差し入れ口の部分が養生テープで塞がれていた。

 一番端にあるこの棟が十一号棟なので、冬美真崇と真璃の兄妹の部屋があるのは九号棟のはずだ。名前がイニシャルで表記されていたとしても、判別できる可能性は高い。

「家に行ったからって中に入れるわけじゃないし、何が分かるでもないと思うんだけど、どれくらいの間、留守にしてるのかくらいは、調べられるんじゃないかな。ポストに溜まったチラシの量とかで」

 確かに、それだけのことしか分からないかもしれない。けれどこのまま何もせずに帰るよりはと、僕はうなずいた。未夢と連れ立って団地の前の道路を坂の反対方向に進み、九号棟へと向かう。

 他の棟と同じく建物の左右に階段がある造りで、僕らはまず右側から見ていった。そこには一〇三号室から四〇四号室までの、八部屋分のポストが並んでいる。そのうち、名前やイニシャルの入っているポストは五つあったが、「冬美」や「H」または「F」の文字はない。

「空き部屋じゃないけど、名前がないポストも一個あるね」

 未夢が三〇三号室のポストを指差す。差し入れ口はテープで塞がれていないが、名札が入る部分には何も書かれていない。未夢は手を伸ばすと、無造作にポストの蓋を持ち上げた。金属の擦れる音が大きく響いて、思わず周囲を見回す。

「ここは佐藤さんって人が住んでるみたい。だから違うね」

 ポストの中にあったダイレクトメールの宛名を確認すると、なんでもない様子で蓋を閉めた。さっさと左手の階段へ向かう未夢のあとを、腰が引けながらも追いかける。今の行為は、何かの罪に問われたりしないのだろうか。

 左側の集合ポストにも、名前やイニシャルで冬美家のものと分かるポストはなかった。けれど空室じゃないのに名前のないポストが二箇所ある。未夢がまた郵便物をあらためるつもりなのか、ポストに手を伸ばした。

 その時だった。階段の上の方でドアが開く音がした。鍵をかける音に続いて、階段を下りる足音が近づいてくる。

 ぽかんとした顔で上階を見上げたまま固まっている未夢の腕を掴み、慌てて入口脇にある自転車置き場の陰に二人でしゃがんで身を隠した。住人がこっちに来ないように祈りながら、自転車置き場のフェンスの隙間からこっそり様子を窺う。やがて姿を見せたのは、チェックのシャツにチノパン姿の男の人だった。

 階段を下りてきたその人は、ポストの前でしばらくの間、何かをしていた。こちらに背中を向けているので顔は見えなかったが、やがて彼が道路の方へと歩き出した時に、知っている人だと分かった。立ち上がり、思わずそのあとを追って走り出す。そして名前を呼んだ。

「すみません! 鎌倉芸術大学の梶さんですよね」

 振り返ったその男の人は、僕を見て驚いた顔になった。

「ああ、ちょっと前にオープンキャンパスに来てた中学生の子か。急に声をかけられてびっくりしたよ」

 鎌倉芸術大学の映像学科の学生である梶謙弥は、そう言って人の良さそうな笑顔を浮かべた。

「一度話しただけなのに、よく俺の名前覚えてたね」と感心され、「記憶力がいい方なので」と誤魔化す。映像研究会のサークル展示を見に行った時、僕は彼が名乗るより以前に、姉の茜から教わって名前を知っていた。

「そう言えば、藤沢市から来たって聞いたね。この辺に住んでるの?」

「友達がここの団地に住んでるんです。この間は、色々教えてもらってありがとうございました」

 先日のお礼を言って頭を下げると、梶は「じゃあ、俺と同じだね」と九号棟を振り仰ぐ。

「俺も前にここに友達が住んでて、ちょっと彼に頼まれた用事を済ませにきたんだ。そいつ、今は横浜に住んでるから、なかなかこっちに来られないらしくて」

 その友達というのは、ほぼ間違いなく真崇のことだろう。冬美真崇と梶謙弥は中学の同級生で、冬美真崇は横浜で働いていると姉が話していた。鎌倉の大学なら藤沢から電車で通える範囲だから、梶は今も藤沢の実家に住んでいるのだ。

 いったい梶は、真崇に何を頼まれたのだろう。なんとか聞き出せないものかと質問の仕方を考えていた時、後ろでか細い声がした。

「――お兄さん、鎌倉芸術大学の人なんですか」

 いつの間にか、僕の背後に立っていた未夢が、遠慮がちに梶に尋ねる。突然現れた小さな女の子に、少し戸惑った表情になりながらも、「うん。一応、映画専攻だけど」と梶は答えた。未夢は見開いた大きな目で梶を見上げる。

「シナリオコンクールで入賞した安堂篤子さんも、同じ大学ですよね! 私、安堂さんの作品の大ファンで、安堂さんと同じ藤沢南高校に入りたいんです。できれば大学も、鎌倉芸術大学に行きたいって思ってて」

 興奮気味にまくし立てる未夢を、梶は「ちょっと待って」と硬い声で制した。そして僕に鋭い視線を向ける。

「もしかして君も、安堂先輩のファン? この間オープンキャンパスに来たのは、安堂先輩に会いたかったからなのか? 確かあの時、先輩が出ている映画のことを色々聞いてきたよね。そういうの困るんだよ。やめてもらえるかな」

「いや、僕は――」

 彼女が暴行を受ける動画を見た、なんて話をするわけにはいかない。

 しかし、どうして梶は急に、こんなふうに僕たちを警戒し始めたのか。そう言えばサークルの教室で安堂篤子のことを聞いた時も、「四年生だから就活が忙しくて大学に来ていない」と嘘をついていた。彼の態度は明らかに不自然だった。

「僕はその人のことは、友達から聞くまでよく知らなかったんです。安堂さんって名前だって、梶さんに教わって知りました」

 射抜くようにこちらを見据えた梶から目を逸らさず、落ち着いた口調で言い切った。まるで母親みたいに平気で嘘をついている自分に気づいて、ちくりと胸が痛んだ。

「ていうか、なんでファンだったらいけないんですか」

 低い声で言いながら、僕を押し退けるようにして、未夢が一歩前へ出た。自分より三〇センチは背の高い梶謙弥を、下から睨みつける。

「あなたこそ、安堂さんのなんなんですか。彼氏なの? なんの権利があって、困るとか言ってるんですか」

 未夢の剣幕に、梶は焦った顔で「いや、そういうことじゃなくて」と言いわけするように手を振った。そして僕の方に向き直る。

「ごめん――君がそうだとは思わないけど、安堂先輩には熱狂的なファンが多いから、気をつけないといけなくて」

 言い淀むように言葉を切ったあと、梶は重い口調で打ち明けた。

「安堂先輩は、大学一年生の頃に、ストーカーに襲われたことがあるんだ」

「――安堂さんが襲われたって、どういう状況だったんですか?」

 梶謙弥がベンチに腰を下ろしたところで、未夢はその向かいに立つと、真剣な面持ちで尋ねた。

 団地の中道沿いにある小さな公園に場所を移した僕たちは、安堂篤子の身に三年前、何が起きたのかを改めて尋ねた。梶は最初、この件について話したくなさそうだった。けれど「教えてもらえないなら自分で調べます」と未夢が言い出した途端、「変に騒ぎになると、安堂先輩に迷惑が掛かるから」と、慌てて詳細を教えると了承したのだった。

「初めは、ただのファンだと思ってたんだ。安堂先輩のSNSにコメントをつけて、ドラマの感想を長文で伝えてきたりして。だけどしばらくしてそいつ、実は安堂先輩と同じ高校の出身だって言い出して、急に距離を詰めてきたんだよ」

 つまりそのストーカーは、安堂篤子や僕の姉の茜と同じ、藤沢南高校の卒業生ということになる。

「そのうち、そいつは安堂先輩がSNSにアップしたカフェの料理の写真なんかから、安堂先輩がよく通っているお店を特定して、そこに現れるようになったんだ」

 思わず隣の未夢の顔を見つめる。ついこの間、それと同じようなことを未夢にされて、驚かされたところだった。未夢は淡々と「そんな人がいるんですか。怖いですね」と受け流すと、それからどうなったのかと続きを促した。

「そのストーカーは、安堂先輩に付きまとっては、どうやってそのストーリーを思いついたのか、なんて質問をしてたよ。だから安堂先輩は、自分と同じ脚本家志望だと思って、色々とアドバイスをしてあげていたんだ。そいつは安藤先輩の真似をするみたいに同じ本を読んだり、先輩の作品に似たシナリオを書いたりしていたらしい。けど、だんだん様子がおかしくなっていった」

 梶謙弥は膝の上に置いた自身の手元に視線を落とす。心なしか、その横顔が青ざめているように見えた。

「そいつは安堂先輩のアドバイスを受け入れず、否定的なことを言ったり、安堂先輩の作品を批判したりするようになった。さすがに相手をするのにうんざりして、先輩はそいつを無視するようになった。そうしたら、そいつが――」

 言葉を切ると、梶は自分の左拳を右手で包むようにして握り締めた。そして苦しげな声で告げた。

「ある日、ストーカーはネットの掲示板に、《安堂篤子は盗作をしている》という投稿をしたんだ」

 怪訝な顔になった未夢が「どういうことですか?」と首を傾げる。

「安堂さんに好意を持って近づいたストーカーが、今度は嫌がらせを始めたってことですか? そんなふうに嘘を書き込んで――」

 違う、と彼は首を振る。こちらを見た梶の目には、恐れの色が浮かんでいた。

「そのストーカーは、安堂先輩が自分の作品を盗作している、、、、、、、、、、、、って言い出したんだ。安堂篤子は、自分のアイデアを盗んでるって」

 ということは、つまり――。

「そいつは、安堂先輩が自分が書いた話を盗作してるって、本気で思い込んでた。自分の小説をブログにアップして、安堂先輩の脚本との類似点を箇条書きにして――でも、誰も相手にしなかったよ。確かにその小説のストーリーは安堂先輩の『夢の箱庭にて』に似ていたけど、その小説が過去にどこかの小説サイトに投稿されたことはない。要は安堂先輩の脚本が書かれる以前に書いたって証拠がなかったんだ」

 その人は、安堂篤子に執着するあまり、そんな異常な思い込みをするようになってしまったのだろうか。安堂篤子の『夢の箱庭にて』は、僕は観ていなかったけれど、ドラマ化もされたような有名な作品だ。それを真似て書いた小説をブログに掲載して、自分が昔書いたものだと主張していたのだろう。

「安堂先輩は、当然そんな書き込みは無視してたよ。あまり関わらない方がいいって考えたんだろうな。けど、そのことでさらにストーカーは逆上した。大学の帰り道、一人で歩いていた安堂先輩を無理矢理自分の車に押し込んで、拉致したんだ」

 未夢は、その先を聞くことを拒むように顔を背けていた。梶は平坦な調子で続ける。

「そいつは安堂先輩を、今は閉鎖されている遊園地――ハピネスランドに連れ込んだ、、、、、、、、、、、、、。そして特殊警棒っていう、黒くて細い棒で殴りつけた、、、、、、、、、、、、。安堂先輩はそのせいで怪我をして、しばらく大学を休んだんだ」

 驚くべき証言に、思わず未夢の方を見ると、未夢もこちらに視線を向けてうなずいた。あの動画と同じだ。

 安堂篤子はあの動画が撮影されたハピネスランドに拉致され、そしておそらく動画と同じ凶器で暴行を受けていた。先日の僕らの話し合いでは、ゲームのムービーではないかという結論に落ち着いたが、まさかあの動画は、その暴行の状況を撮影したものだったのだろうか。

「当然、ストーカーは逮捕されたんですよね」

 安堂篤子に心酔する未夢が、勢い込んでそう確かめる。なぜか射抜くような目で僕たちを見ていた梶は、この質問に静かに首を振った。未夢は唖然とした様子で眉を上げる。

「そんな――だって、それだけのことをしたんでしょう。安堂さんだって、警察に届けましたよね」

「もちろんそうしようとしたよ。でも、できなかった」

 悔しそうに目を伏せた梶に、どうして――と未夢が迫る。梶は大きくため息をつくと、その理由を述べた。

「ストーカーの國友(くにとも)咲良(さくら)って女は、安堂先輩に暴行を加えたあと、姿を消したんだ。それ以来、行方不明になってしまった」

 僕は動揺のあまり、声が出なかった。ストーカーは女だった、、、、、、、、、、。そしてその人物は、行方不明になっている、、、、、、、、、、

 その事実に、真っ先に思い浮かんだのは、あのハピネスランドで見つかった女性の遺体のことだった。

 僕は遺体が冬美真璃のものではないかと考え、そのことについて太市が何か知っているんじゃないかと疑って、問いただすような真似をしてしまった。それがまったくの見当違いだったとしたら――太市はどれだけ傷ついただろう。

 強い後悔に駆られ、拳を握り込んだ時、一つ疑念が浮かんだ。

「その國友咲良さんって、どういう人なんですか? 行方不明っていうことは、当然捜索願いが出されてますよね。ずっと見つからないなんて、おかしくないですか」

 思わず、そう梶に尋ねていた。もしもあの遺体が、過去に安堂篤子にストーカー行為をして行方不明になった國友咲良のものだったとしたら、どうしてすぐに遺体の身元が分からなかったのだろう。三年も前にいなくなったのだとしたら、家族が捜索願いを出しているので照会されたはずだ。

 だがその疑問には、梶の次の返答で説明がついた。

「國友咲良は両親を事故で亡くして、両親と住んでいた藤沢市内の実家で、一人暮らしをしていたんだ。横浜の大学に通ってて、安堂先輩と同じ一年生だったみたいだけど、ほとんど講義には出ていなかった。だから行方不明になったってことに、しばらく誰も気づかないままだったらしい。捜索願いも出されていなかったんだと思うよ」

 國友咲良には身寄りがなく、実家で一人暮らしをしていた。アパートやマンション住まいなら、家賃が支払われていないと気づいた大家が訪ねてくるかもしれないが、実家ならそういうことも起こらない。近所付き合いなどもなければ、誰にも行方不明だとは思われないだろう。

「國友咲良のバイト先の店長が、何度か連絡を取ろうとしたけれど携帯も繋がらなくて、それで分かったんだ。でもその時には居なくなってから、一か月は経ってたと思う。多分、逮捕されることを恐れて逃げたんだろうな」

 確かに、状況からすれば、そう考えるのが自然なのかもしれない。しかし、いまだに行方不明のままなのだとしたら、逃亡期間としては長すぎる。

「加害者と連絡も取れない状態だからというので、安堂先輩は被害届を出さなかった。あの事件以来、先輩はかなり様子が変わってしまったんだ。明るい人だったのに、あまり話さなくなって、長かった髪も短く切ってね。なのに安堂先輩が盗作をしたっていう國友咲良のブログは、今もあの時のまま残っている。もうずっと更新が止まってるし、誰も見てないとは思うけどね」

 梶は無念そうにため息をつくと、立ち上がった。

「そんなことがあったから、安堂先輩のファンだっていう人間は、つい警戒しちゃうんだ。嫌な思いをさせて悪かったね」

 そう言って詫びると、これから用事があるからと梶は帰っていった。

 時刻は午後四時になろうとしていた。その場に立ち尽くす未夢に、僕らもそろそろ帰ろうと促す。だが未夢は毅然とした顔で首を振った。

「帰る前に、やらなきゃいけないことがあるでしょ」

 なんのことか分からず、ぽかんとしている僕を置いて、未夢はさっさと団地の方へと歩いていく。そして冬美真璃の部屋があると思われる九号棟――先ほど梶が出てきた棟の前で足を止めた。入口の集合ポストを見渡すと、そのうちの四〇一号室のポストをいきなり無断で開ける。

「何してるんだよ。誰かに見られたら――」

 周囲を見回しながら、未夢に駆け寄った。幸い、近くに人はいなかったが、未夢は他人の家のポストの中に平然と手を突っ込んでいる。そして中から何かを取り出した。

「さっき梶さんが、このポストの前で立ち止まって何かしてたでしょう。郵便物を取り出してるのかと思ったけど、手には何も持っていなかった。中を確かめただけにしては、ずいぶん時間が掛かってたんだよね。だからきっと、これを隠してるんだと思ったの」

 そう言って未夢は手の中にあるものを見せた。

「内側に、マグネットでくっつけておいたみたい」

 未夢がポストから取り出したのは、冬美真璃の部屋のものと思われる鍵だった。

 僕がオープンキャンパスに潜り込んだのとはわけが違う。これは不法侵入だと、僕はなんとかして未夢を止めようとした。

「不法侵入なら、もうやってるじゃん。ハピネスランドに」

「あそこは閉鎖された遊園地で、こっちは人の家だよ。全然違うだろ」

「ハピネスランドだって、管理している会社の持ち物だよ。犯罪には変わりないでしょ」

 犯罪だと分かっていながらそれを実行しようとしているのが、なおさら良くないと思うのだが、未夢は平気なようだ。

「梶さんだって入ってたわけだし、ちょっとだけならいいじゃん。何も壊したり、盗んだりしなければ気づかれないと思うし。それに万が一捕まっても、未成年だから怒られるだけで済むって」

 そんな恐ろしいことを言いながら、階段を上っていってしまう。僕は未夢のあとについて階段を上りながら、どうにか小声で説得しようとしたが、そうこうしているうちに四〇一号室の前に到着してしまった。

 さすがに少しは緊張しているのか、未夢は硬い表情で鍵を鍵穴に差し入れた。回すと思いのほか大きなカシャンという音がして、びくりと肩を震わせる。ドアレバーを下ろして開けると、素早く体を滑り込ませた未夢が「早く」とささやく。

 もうあとには戻れないと諦め、未夢に続いて中へ入るとドアを閉めた。そしてなるべく音を立てないようにゆっくりと、ドアレバーの上のサムターンキーのつまみを回した。これで誰かが入ってくることはない。

 ほっとしたところで、二人で靴を脱いで廊下を進むと、室内を見回した。間取りは太市の家と同じで、玄関を入って右手にトイレと洗面所とお風呂。左手にドアが二つあり、それぞれ洋室とリビングダイニングに繋がっている。そしてリビングダイニングの隣に襖で仕切られた和室が一部屋あった。

 未夢がすぐ左にある洋室のドアを開ける。カーテンが閉じられているが、この時間だとまだそれほど暗くないので、明かりをつける必要がなくて助かった。部屋にはベッドと学習机が置かれ、壁のフックにセーラー服が掛かっていた。どうやらここが冬美真璃の部屋のようだ。

「とりあえず、女の人の部屋だし、私が調べるよ。海斗はリビングの方をお願い」

「待ってよ。調べるって、具体的にどんなことを調べればいいの?」

 僕はまだ、冬美真璃の家に侵入した理由も聞かされていなかった。

「真璃さんがどこに行ったか分かるようなもの――例えば旅行雑誌とか、新幹線のチケットの領収書とか、行き先のヒントになるものが残っているかもしれない。日記とかがあれば、姿を消した理由も書いてるかもしれないし」

 そんなに都合良く手がかりが残っているものだろうかと首を傾げつつも、とにかくここに長居はしたくなかったので未夢の指示に従った。

 リビングダイニングはうちのリビングより狭く、物も少なかったので調べるのは楽だった。リビングの中央のローテーブルにはテレビのリモコンと箱ティッシュしか置かれておらず、雑誌の類は見当たらない。

 壁際にテレビ台と横置きしたカラーボックスがあったが、テレビ台の下の収納はDVDレコーダーとアニメのDVDが積んであるだけで、特に変わったものはない。カラーボックスには、一番右側にゲーム機、真ん中には真崇のものなのか、重そうなダンベルや腹筋ローラーなどの筋トレグッズが仕舞われている。左側にはカラーボックスにぴったり収まるサイズのカゴが入っていて、引き出すとタオルやハンカチ、ポケットティッシュが綺麗に収納されていた。

 念のため、DVDのケースを出してテレビ台の奥を覗き込んでいると、未夢がリビングに入ってきた。

「何か見つかった? こっちの部屋は教科書とかノート以外だと、ファッション雑誌くらいしかなかったよ。スマホも手帳もなくて、あとクローゼットの中に、洋服が少ししか残ってなかった。それに部屋の中も、凄く綺麗に片づいてる」

「それって、どういうこと?」

「真璃さんがいなくなったのは、自分の意志だと思う。自分で家出するんじゃなかったら、着替えとか持っていかないでしょ」

 そう言って未夢は、少しほっとしたような顔をした。冬美真璃の身に何かが起きて、無理矢理連れ去られたのではないと分かったからだろう。

「リビングの方には、特に何も手がかりらしいものはなかった。そっちの和室はまだ見てないけど」

 僕の報告を聞いた未夢は、襖の方へと目をやった。

「多分、こっちはお兄さんの真崇さんの部屋だよね。真璃さんのものはないだろうけど、一応、ちょっと見ておこうか」

 言いながらそちらへ足を向ける。やや建てつけの悪い襖を両手で引き開けた未夢は、部屋の中を覗き込むと、はっとした顔で、なぜかそのまま固まってしまった。

「どうしたの? 何かあった?」

 未夢の頭の上から、僕も和室の様子を確認した。こちらもカーテンが閉まっていて薄暗いが、室内の状況は見てとれた。六帖の広さの畳の部屋に四角いモザイク柄のラグマットが敷かれ、ガラステーブルと座椅子が置かれている。テーブルの上には灰皿とバイクの雑誌が並んでいた。

 部屋の右手には布団が畳んだ状態で積まれ、部屋の奥の窓の脇にはカラーボックスが置かれている。ボックスの中は雑誌やゲームソフトが詰め込まれており、天板の上にはバイクとアメコミのヒーローのフィギュアが並んでいた。左手には半畳サイズの物入れがある。

 特におかしなものがあるわけでもない、ごく普通の部屋だった。何が未夢を驚かせたのか、まったく分からない。不思議に思って、もう一度、どうしたのかと尋ねた。未夢は部屋の中へと歩を進め、ラグマットの上に膝をつくと、その表面を撫でた。

「私、この部屋、つい最近見たことがある、、、、、、、、、、、

 ラグマットを見つめたまま、未夢が不可解なことをつぶやいた。

 そんなことはあり得ない。ここに入るのは初めてなはずだ。勘違いじゃないのかと僕が言うと、未夢はぶんぶんと首を振った。

「間違いないよ。このラグマットの模様、覚えてるもん」

 そう言ってマットを指差し、真剣な表情で訴える。

「でもこれ、既製品だろ? たまたま同じのを敷いてる家を見ただけかも」

「ううん。このガラステーブルも確かあったの。ああ――どこで見たんだっけ」

 未夢は苛立った様子でうろうろと部屋の中を歩き回る。冬美真崇の部屋を、いったい何で見る機会があったというのか。まるで見当がつかなかった。特におしゃれなわけでもないこの部屋を、SNSなどにアップしたとは思えない。

「――分かった。あれだ!」

 突如そう叫ぶと、未夢はスマホを取り出し、慌てた様子で操作し始めた。見守っていた僕に、スマホの画面を突き出してくる。

「このフリマアプリの商品画像見て。間違いないでしょ」

 表示された画像には、ガラステーブルの上に、CDケースが置かれているのが写っている。ガラステーブルを透かして、モザイク模様のラグマットもはっきり識別できた。確かに画像が撮られたのは、この部屋で間違いないだろう。そしてそのCDケースのパッケージには――。

「『幸せの国殺人事件、、、、、、、、』――三万円の値段がついてたあのゲーム、出品してたのは、真崇さんだったんだ」

続く

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