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第7回

幸せの国殺人事件

「こないだの奴ら、もうハピネスランド作んの諦めたのかな。ここ来る途中に覗いてきたけど、あれから全然進んでねえし」

 盗賊はそうぼやくと、洞窟の天井から垂れ下がる鍾乳石に鞭を打ちつけた。鍾乳石を鞭で壊すことはできないし、そこに鞭を巻きつけてぶら下がることもできない。つまり盗賊がしているのは、特に意味のない手持ち無沙汰のアクションだった。

「さあね。ていうか放っとけば? 私たちに関係ないし」

 竜騎士は面倒そうな声で言うと、増え過ぎた道具袋のアイテムの整理を続ける。それを横目に隠者は、魔法攻撃の威力が最も高くなるようにステータスを確認しながら、武器やアクセサリーの装備を入れ替えていた。

 かつて火竜の住処だったこの洞窟には、現在では滅多に他のプレイヤーが訪れることはない。アイテムは取り尽くされ、洞窟の主であった炎竜王と数十体にもおよぶ火竜の群れを彼らがすべて倒してしまったため、モンスターが出現しないからだ。

「ま、別にいいんだけどさあ。ところで――」

 盗賊は鞭を振るのを止めずに尋ねる。

「お前ら二人、最近同じ時間にログインしてくるよな。もしかして付き合ってんの?」

 一瞬の沈黙のあと、竜騎士が「そんなわけないじゃん」と否定する。

「それより、私たちの過去のことを調べてる奴がいるって話、本当なの?」

 話を変えようとするように、竜騎士は少し早口になる。

「ああ。まだ俺たちがやったことに辿り着いてはいないと思うけど、周りの人間に色々聞いたり、嗅ぎ回ってるみたいだな」

「それ、なんとかやめさせられないかな。守秘義務があるからまだ詳しいことは言えないんだけど、私、ある映像企画に関して原作のオファーをもらってて、このチャンスは逃したくないの」

「学生のうちからそんな話が来るのかよ。さすがだな」

 感心したように盗賊が返したところで、それまで一言も発することのなかった隠者が「ちょっと動いてみる」と告げて立ち上がった。

「そいつらの素性は分かってる?」

「ああ、まあな。今からメッセージで送るわ」

 盗賊が隠者の問いかけに答える。二人はしばし動きを止めた。メッセージのやり取りをしているようだ。

 内容を確認したらしい隠者は、竜騎士に向かって大丈夫だというふうにうなずいた。

「じゃあ、結果はまた報告する。明日は一コマ目から講義があるから、これでログアウトするよ」

 隠者は二人にそう言い残し、洞窟の出口に向かって横穴の奥へと歩いていった。

 冬美真崇の部屋で見つけた『幸せの国殺人事件』のソフトには、バグがあるようだ。

 未夢からそのLINEメッセージをもらった翌日の午後、僕は再び未夢の家を訪ねていた。ゲーム画面を見ながらでないと説明しづらいとのことで、家に来てほしいと頼まれたのだ。未夢の母親は僕と入れ違いでパートに出ていくところで、玄関先で緊張しながら挨拶をした。「お構いもできなくてごめんね」と謝られたが、台所には未夢の母親が働いているパン屋のリオーネのパウンドケーキが用意されていた。

 正直、一昨日の太市との電話のやり取りがあってから、僕は『幸せの国殺人事件』のゲームのことも、ハピネスランドで見つかった身元不明の女性の遺体のことも、どうでもよくなっていた。

「中途半端」「嘘つき」「ハピネスランドは、絶対に完成しない」――太市が突き刺した言葉は、その刃に毒が塗られていたみたいに、僕を動けなくした。体に力が入らなくて、何かを考えることもできなくて、今日は部活がないのをいいことに昼まで寝ていたのに、まだ眠いくらいだった。

 けれど、すべてのルートをクリアしてゲームの謎を解くために頑張ってくれた未夢を放っておくこともできなくて、ここまでやってきたのだった。

「それで、バグがあったって、どういうこと?」

 未夢がパウンドケーキの皿と麦茶のグラスを自室のローテーブルに置いたところで、あくびを噛み殺して尋ねる。さっそく一口目を頬張った未夢は、飲み込んでから切り出した。

「『幸せの国殺人事件』は、クリアしたルートによって、エンディングのアニメーションに登場するアトラクションが変わってるって言ったよね。覚えてる?」

 前回、ゲームのサポート役として手伝いに来た時に未夢が説明してくれた。最初にクリアした時のエンディングではラストで観覧車がアップになって終わったが、二回目に別のルートでクリアした時には、それがメリーゴーランドになっていたという。

「だから全部のルートをクリアして、アトラクションの全種類が分かれば、それが隠しシナリオをプレイするパスワードの鍵になると思ってたの」

 未夢はテーブルの上のノートパソコンを僕の方へ向けた。そこには『幸せの国殺人事件』のスタート画面が表示されている。黒一色の背景に、《はじめから》《つづきから》《オプション設定》といった項目の遊園地のチケットを模したアイコンが並んでいた。

 未夢がそれらの一番下にある《シナリオ選択》をクリックすると、《第一章》から《最終章》までの五つのシナリオを選択するページに切り替わる。「これ見て」と言いながら未夢は、タッチパッドの上で指を滑らせ、黒い画面をスクロールさせた。すると《最終章》から少し離れた下の方に、《おまけ》と書かれたアイコンが現れた。

「これ、二つ目のルートをクリアした時に気づいたの。わざわざスクロールしないと見えないところに隠してあったんだけど、最初はこんなのなかったから、多分一つでもルートをクリアするのがシナリオ出現の条件になってるんだと思う。で、これをプレイするにはもう一つハードルがあって――」

 そう言って未夢は《おまけ》のシナリオを選択した。ぽん、と軽やかな音とともに《パスワード入力》と書かれたウインドウが開いた。「※残り5つのひらがなを全角で入力」というメッセージの下に、白い横長のボックスがある。そこには「か」と一文字だけが、あらかじめ入力されている

 未夢は「か」の文字の隣にカーソルを置くと、何度も打ち込んでいるのか、何も見ずに素早くキーボードを叩いた。「かめぜすこわ」という意味不明の文字が並ぶ。

「パスワードはこれで間違いないはずなのに、入力しても何も起きなかったんだ」

 落胆した顔でエンターキーを押す。確かに、しばらく待っても画面に変化は無かった。

「今のパスワードは、どうやって分かったの?」

 エンターキーを押すと同時に「か」以外の文字が消えてしまった白いボックスを指して僕は尋ねた。

「さっき言った、エンディングに出てくるアトラクションの名前の最初の文字を並べただけ。クリアした時に、『ルート1をクリアしました』ってメッセージが出るのね。ルート1で出てきたアトラクションは観覧車で『か』だったから、ルート2からルート6を順番に並べたのが『めぜすこわ』ってわけ」

 未夢の説明を聞いて、パスワード入力画面に最初から「か」と表示されていたことについて、ずいぶん親切なヒントを出すものだと思った。けれどよく考えたら、すべてのルートをクリアすること自体、かなりの知力と根気が要ることで、なおかつ《おまけ》のシナリオは、画面をスクロールさせないと見えない領域に隠されていた。ここまでが充分困難な道のりなのだから、これでバランスが取れているのかもしれない。

 だが、このパスワードが違っているのだとしたら、何が原因なのか。別の可能性があるのか。未夢がゲームをプレイしていた時に舞台の遊園地に出てきたアトラクションを思い浮かべながら、回らない頭で一生懸命考える。

「――もしかして、アトラクションの名前が間違ってるんじゃないの? 遊園地によって、別の呼び名が付いてたりすることあるじゃん」

 僕の指摘に、未夢は食べかけのパウンドケーキの皿を端に寄せると、一枚のルーズリーフを示した。そこには「1・観覧車」「2・メリーゴーランド」「3・絶叫の館」「4・スカイサイクル」「5・コーヒーカップ」……というふうに、遊園地のアトラクションの名前が順番に六つ並んでいた。それらの一番下の「6・わくわく探検ボート」が、二重丸で囲んである。

「ゲームの中に、遊園地のマップなんかも出てくるから、正式な名前はこれで間違いないよ。最後にクリアしたルート6が、この『わくわく探検ボート』――被害者を一人も死なせずにクリアしたから、一番難易度が高いルートだと思う」

 未夢は少し誇らしげな表情で、ルーズリーフを僕の方へ滑らせる。

「これって、ハピネスランドの《探検わくわく島》がモデルなのかな」

 そういえば、未夢が『幸せの国殺人事件』をプレイするのを見ていた時に、遊園地の中に大きな池があった。

「うん、多分そうじゃないかな。池に浮かぶ島をボートで回るっていうのも同じだし。《絶叫の館》のモデルは《恐怖の館》だね。外観もかなり似てたよ」

 やはり最初に未夢が話していたとおり、『幸せの国殺人事件』の舞台である遊園地は、ハピネスランドをモデルにしているのだ。

「ルート1は観覧車の一文字目の『か』として、ルート2ではメリーゴーランドの二文字目の『り』って感じで『かりきさかん』も試してみたけど、そっちも駄目だった」

 報告しながら、やけ食いのような勢いで未夢は厚く切ったパウンドケーキを口に運ぶ。そんな変則的なパターンまで試しても駄目だったのだとすると、いよいよ打つ手はなさそうだ。

「元々、ほとんど流通してないゲームだから攻略サイトなんかもないし、ゲームの裏情報を集めてる掲示板とかも覗いてみたけど、『幸せの国殺人事件』に関係ありそうな書き込みは一件だけだった」

 どんな書き込みだったのかと尋ねると、未夢は「匿名の掲示板だから、ガセかもしれないけど」と前置きをして、その内容を明かした。

「『幸せの国殺人事件』が、海外で売られてるんだって。そっちはダウンロード版で、タイトルとパッケージが変わってるから分かりにくいけど、中身は日本で出ているのと同じらしいの。もしかしたらソフトを手に入れた誰かが、コピー商品を作って売ってるのかもって書いてた」

 もしも『幸せの国殺人事件』の製作者であるAA本人――おそらくは安堂篤子が、自分で海外でダウンロード版を売り出したのなら、タイトルはまだしもパッケージを変えたりはしないのではないか。だとすると、コピー商品だという推測は当たっているかもしれない。

 けれどその情報は、パスワードの謎を解く助けにはならなかった。もしかしたら海外で攻略サイトが作られているかもしれないが、そのタイトルすら分からない今の僕らには探しようがない。

 そしてこのソフトが体験版であることを考えると、未夢の言うとおり、バグが残っていた可能性は高い。冬美真崇は金に困っていると安堂篤子が言っていた。ソフトが不良品であることを隠して売りに出して、少しでも足しにしようとしたのではないだろうか。

「頑張ったんだけど――ここまでなのかな」

 未夢は空になった皿にフォークを置いてうつむくと、力のない声でつぶやいた。

 真崇の部屋でソフトを手に入れてから、未夢はきっと食事と睡眠以外の時間のほとんどを注ぎ込んで、こんなに早くすべてのルートをクリアしてくれたのだ。それが無駄な努力だったなんて、耐えがたい無念さだろう。

 未夢の気持ちを想像して、胸が苦しくなった。助けられるものなら助けたかった。でも今の僕は、何も考えられないし、良いアイデアなんて出せそうにない。

「――ずっと頑張ってくれてありがとう、未夢」

 絞り出すように言う。未夢が顔を上げた。悔しさをにじませた表情で、唇を噛むとこくりとうなずく。

 せめて、今の僕にできる精一杯のことをやろうと決める。僕は未夢の方へ右手を差し出した。

「そのソフト、真崇さんの部屋に返してくるよ。今度は僕が一人で行く」

 はっとした表情のあと、未夢は諦め切れないというように、しばらくパソコン画面を見つめていた。ややあって、小さく息を吐くとタッチパッドに指を乗せる。

 画面の上の小さな矢印が、ゲーム終了のアイコンに移動した。スタート画面に戻ったところで、未夢はゲームを終了させた。

 預かった『幸せの国殺人事件』のソフトを壊さないように荷物の間に挟んでリュックに詰め、午後三時頃に未夢の家を出た。そしてそのまま自転車で冬美真崇の団地へと向かった。相変わらず体が重くて、坂道を登るのがきつかったけど、やるべきことがあると思うと、ペダルを踏む足に力が入った。

 団地の建物の前にある自転車置き場に自転車を停めると、二つ隣の棟の太市と顔を合わせないように急いでポストに貼りつけてある鍵を取り、階段を駆け上がった。

 息を弾ませながら、四〇一号室に滑り込む。少し考えて、ドアの鍵は掛けずにスニーカーを脱ぐと、靴箱の下の隙間に見えないように押し込んだ。そしてリュックのポケットからスマホを出して時間を確認する。まだ三時半にもなっていない。メールのチェックをしてから元どおりスマホを仕舞い、すぐ左手の洋室――冬美真璃の部屋のドアを開けた。

 前回、未夢と二人で侵入した時は、真璃の部屋は女の人の部屋だからと未夢が調べたので、僕はドアの外から見ただけで、立ち入ってはいなかった。

 冬美真璃の部屋はこの間と同じく、カーテンが閉じられていた。それでも窓が南側に面しているせいか、かなり蒸し暑い。向かって右側にベッドと作りつけのクローゼットがある。クローゼットの脇のフックにかけられたセーラー服は冬服だった。左側には学習机と、教科書や雑誌らしきものが並んだカラーボックスが置かれていた。

 僕の姉の茜の部屋は、壁にポスターや友達と撮ったチェキなんかが貼られていてごちゃごちゃした感じだが、真璃の部屋は殺風景なほどに片づいていた。僕はまず、学習机の横のカラーボックスの前にかがみ込んだ。上の段に教科書やノート、中段に文庫本の小説と、漫画が少し置かれていた。そして下段には、大きめのサイズの資料集やファッション雑誌が混在している。

 あるとしたらこの下段だろうと当たりをつけて、端から順番に確認する。世界史の資料集、地図帳、美術の教科書、女子高生向けのファッション雑誌が数冊、その隣に家庭科の食品成分表――。一冊一冊調べたが、僕が探していたものはなかった。

 クローゼットには、洋服が少ししか残っていなかったと未夢は言っていた。冬美真璃が自分の意志で家出をしたとして、あんな重くてかさばるものをわざわざ持っていったとは思えない。だとしたら他に考えられる場所は……と首を回す。そしてすぐ隣の学習机の引き出しに目が留まった。下段の大きな引き出しを開ける。手前側にはリコーダーや裁縫セット、彫刻刀などの雑多なものが詰め込まれていたが、奥に何か冊子のようなものが見える。手を伸ばして引っ張り出すと、それは卒業文集だった。期待しながらめくったが、そこにも求めるものはなかった。

 焦りを覚えながら中段の引き出しを開ける。化粧品らしい、小さな瓶やクリームのチューブのようなものがいくつか残っているだけで、ここの中身は持っていったようだ。祈るような思いで上段の引き出しを開けた時――カシャンとドアレバーの下がる音が響いた。

 息を呑んで振り返る。こんなに早く来るとは思わず鍵を開けておいたのだけど、やっぱり掛けておくべきだった。

 後悔しても遅い。引き出しに目を戻す。浅い仕切りの中に、何枚か四角いシールが入っている。気持ちがはやるのを抑えながら検め、その中の一枚を抜き取ると、音を立てないようにそっと閉めて耳をそばだてた。足音が廊下を横切り、リビングの方へと進んでいく。今だ、とドアを開け、廊下に出る。そして僕は玄関の方へは行かずに、ドアが開いたままのリビングに足を向けた。

「うっわ、ビビった。お前、いつからいた?」

 気配を感じたのか、リビングの左手の窓際に立っていた冬美真崇が振り返る。一瞬浮かんだ驚きの表情はすぐに消え、鋭い三白眼が僕を射抜いた。

「今来たところです。鍵が開いてたので」

「だからって勝手に入ってくんじゃねえよ。つーか四時って約束だろ」

 僕の嘘に気づく様子もなく、真崇は不機嫌そうに腕を組んだ。長袖のTシャツの袖口から、細かい文字のような図柄のタトゥーが覗いている。

 確かに僕が待ち合わせに指定した時間は四時だった。だから先に着いて調べものをしようとしたのだが、真崇まで早く来るとは誤算だった。

「一応聞くけど、あのメールはお前が送ったんだよな」

 問いかけられ、うなずきを返す。昨日、僕は冬美真崇が働くライブ配信事務所《ドリームライブカンパニー》の公式サイトのメールフォームから、フリーメールのアドレスで真崇だけに分かるようなメッセージを送った。

「『妹の居場所を知っている、、、、、、、、、、、』――あんなメール会社に送ってきやがって、どういうつもりだよ」

 その一言だけで、反応があると信じていた。真崇以外には、単なるいたずらか何かだと思われただろう。

「この間、海で会った時に、僕に聞きましたよね。『真璃がどこにいるか知らないか』って。あの時は知らなかったんですが、そのあと真璃さんと顔を合わせることがあって居場所が分かったので、真崇さんに知らせようと思って」

「やっぱり、太市がしゃべったのか」

 忌々しそうに真崇が舌打ちをしたので、僕は慌てて否定した。

「太市は関係ないです。僕が真璃さんと会ったのは、本当に偶然でした」

 この件に太市を巻き込むわけにはいかない。疑うような視線を向ける真崇の顔を、正面から見返す。僕の言葉を信じたかどうかは分からなかったが、「ま、いいや」と彼は面倒そうに息を吐いた。

「お前は真璃を、どこで見たんだよ。ちゃんと顔を確認したんだろうな」

 続けざまに問われて、言葉に詰まる。ここは正直に話すしかないだろう。

「顔を確認できたとは言えないです。そもそも、僕は真璃さんの顔を知らなかったので」

「じゃあ、なんで真璃の居場所を知ってるなんて言えるんだよ」

 苛立った表情で、真崇が声のトーンを落とした。体が硬直し、胃が持ち上がるような感覚がしてくる。逃げ出したいほど怖かったが、引き下がるわけにはいかない。僕はリュックの紐を肩から外して前に抱くと、覚悟を決めて告げた。

「もしかしたらそこにいるのかもしれないって気づいて、調べたんです。ちゃんと証拠もあります」

「は? うぜえ。探偵ごっこかよ」

 真崇は馬鹿にしたように薄笑いを浮かべた。そして組んでいた腕をほどくと、ずかずかと僕の方へ近づいた。

「言ってみろ。真璃はどこにいる」

 ほんの数十センチしか離れていない距離で僕を見下ろす真崇が、低い声で質す。もう笑ってはいない。真顔だった。

 僕は大きく息を吸うと、リュックを抱いたお腹に力を入れた。真崇を見上げ、はっきりと告げる。

「真璃さんがいるのは、三年前から行方不明になっている國友咲良の家です、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 僕を見据える三白眼が、暗い光を帯びたように思えた。だが表情は動かず、わずかに眉根を寄せただけだった。

「――誰だよ、その國友咲良っていうのは」

 少しの沈黙のあと、真崇は静かに尋ねた。太市や梶謙弥に比べればだいぶ嘘が上手いようだが、不自然なほど平坦な口調で、感情を抑えているのが伝わってくる。僕は前に抱いたリュックのファスナーの留め具に手をやり、そこにぶら下がる金属の板をつまんだ。

「これ、《World of Nightmare》――WoNって呼ばれているゲームのノベルティタグです。この間、國友咲良の家に入っていった、國友咲良だという女の人が、家の鍵にこのタグをつけていました。最近WoNを始めたんだって」

「だからなんだって言うんだよ。ならそいつが國友咲良なんだろう。家の鍵を持ってて、本人だって名乗ってるんだからよ」

「でも僕、その人が嘘をついてるって分かりました」

 真崇は目を細めると、さらに一歩、僕の方へと踏み出した。体温が感じられるほど間近に真崇の胸板が迫り、顔が強張りそうになる。

「『嘘をついてるって分かりました』――か。なんでそんなこと断言できる? 特殊能力でもあんのかよ」

 また馬鹿にしたような口調。これはきっと、真崇が余裕を失いかけている時の癖だ。僕は挑発を無視し、平静な顔で説明を加えた。

「その人が最近WoNを始めたのなら、このタグを持ってるはずはないんです。これは初回購入限定のノベルティで、、、、、、、、、、、、、

 真崇の目が、何かを思い出そうとするように一瞬だけ泳いだ。

「――じゃあ、誰かからもらったんだろ」

 そんなことはどうでも良いというように、投げやりに返す。だが彼女がこのタグを持っていたからこそ、僕はこの真相に気づいたのだ。「そのとおりだと思います」と肯定し、追及を続ける。

「真崇さんも見当がついているんじゃないですか。彼女――真璃さんにWoNのソフトをあげたのは、太市です。太市は僕と同じ、このノベルティタグを持っていました」

 國友咲良の家を訪ね、國友咲良だと名乗るマスクとサングラスをした女性と顔を合わせたあの時、彼女はキーホルダー代わりに家の鍵につけたこのタグが、初回購入限定で手に入るものとは知らないようだった。ゲームを始めたのが最近だということは、三年前のWoNの発売時にソフトを買った人物から譲り受けたのだろう。そこで僕と同じく発売当初からこのゲームをプレイしていて、つい最近になってアカウントを削除した太市のことを思い出した。

 WoNをやめると決めた太市がソフトやノベルティタグを譲るとしたら、その相手はかなり親しい人物のはずだ。太市の身近にいた年上の女性でそれに該当するのは、僕が知る限り、冬美真璃だけだった。そして太市は、冬美真璃の居場所は知らないと嘘をついた。

 僕の推測を黙って聞いていた真崇は、苦々しい表情で口を開いた。

「そんなもん、証拠になるかよ。お前がそう思ったってだけだろ。同じ物を持ってるやつなんていくらでもいるはずだ」

 ここまで言っても認めようとしないなら、切り札を出すしかない。もしかしたら僕も窮地に陥ることになるかもしれないけれど、持っていたリュックを床に降ろし、ジーンズのポケットに手を入れる。そして、さっき真璃の机の引き出しから拝借したプリクラのシールをつまみ出した。

「これ真璃さんですよね。マスクとサングラスで顔を隠していたけど、眉毛の形で分かりました。それにこのバンドTシャツ、彼女が着ていたのと同じやつです」

 サングラスで目元は隠れていたけれど、形の良いくっきりした眉が印象に残っていた。卒業アルバムなどを見れば確認できるだろうと約束の時間より早く来て探したものの、そちらは見つからなかった。でも代わりに手に入れたこのシールで、やはり僕が会った《國友咲良》は冬美真璃だったのだと確信できた。

 鋭い目で小さなシールを見つめていた真崇は、やがて諦めたように息をついた。シールの入手経路を問われたらどう答えようかと心配していたが、真崇はそれには触れずに、僕の顔に視線を移した。そして静かな低い声で尋ねる。

「お前はそれを俺に知らせて、どうしようって言うんだ。何が目的だよ」

 僕の目的は、一つだけだ。

「太市をこの件に関わらせるのをやめてください。他人の家に、その人になりすまして住むなんて犯罪です」

 ハピネスランドへの不法侵入や、この真崇の部屋への不法侵入、さらには『幸せの国殺人事件』のゲームソフトを持ち出すなど、自分でも散々法に触れることをしておいてそんな要求をするのは気が引けたが、僕はきっぱりと言った。

 真崇や真璃が、なんのためにそんなことをしているのかは掴めていない。太市がどこまで彼らに協力しているのかも分からないが、一刻も早く手を引かせなければと、その一心で僕は真崇に会って話し合うことにしたのだ。

 真崇はすぐには答えなかった。ややあって、分かった、とつぶやくと彼は突然、僕の左肩に手を置いた。次の瞬間、その真崇の右手が僕のシャツの襟を掴んでぐっと持ち上げる。真崇の拳が顎に触れ、思わず頭を反らした。目の前に三白眼を吊り上げた真崇の顔が迫る。

「お前は、俺らがやばいことをしてるって知った上で、俺をここに呼び出したわけだ。それで言いたいことだけ言って、帰れると思ってんのか」

 もう感情をコントロールする気はないようだった。威圧するように言うと、真崇はさらに前へと足を踏み込む。押された僕はテーブルにぶつかりそうになって慌てて体の向きを変えた。バランスを崩しかけた僕を無理矢理立たせるように、真崇が乱暴に襟を引っ張る。首筋にシャツが擦れ、皮膚に熱と痛みが走った。やめてください、と情けない声で叫んだ。真崇が大きな手で僕の口を塞ぐ。息が詰まり、どくどくとこめかみが脈打つ。

「騒ぐなよ。ここの団地、壁薄いんだから――」

 言いかけた真崇が、何かに気づいたようにドアの方へ首を回した。そして驚いた顔で目を見開く。僕が真崇の視線を追って振り返ろうとした時、こちらに突進してきた黒い影が視界に入った。真崇がうっと呻いて後ろによろける。真崇が急に手を離したので、僕はその場に尻餅をついた。見上げると、真崇の腰の辺りに小さな人物が組みついている。

「海斗には言ってねえって! こいつは何も知らないんだ!」

 太市だった。ここまで階段を駆け上がってきたのか、黒いTシャツが汗で背中に貼りついている。細い腕で真崇の胴を抱え込むようにしながら、今度は僕に向かって怒鳴る。

「海斗、逃げろ! 真崇には俺が話すから」

「おい、離せよ。なんでお前がここにいんだよ」

 真崇は苛立ちを隠さず太市の肩を掴み、強引に引き剥がそうとしている。僕は立ち上がると、何も考えずに床に置いていたリュックを掴んだ。肩紐を両手で握り、野球のバットを振る時のような動きで真崇の二の腕に打ちつける。

「痛ってえ! ふざけんなよ!」

 怒りに燃えた目で真崇は、もう一度リュックを構えようとした僕の手首を掴んだ。

「馬鹿、海斗、逃げろっつってんだろ!」

 太市の言うことを聞く気はなかった。僕は真崇を睨みつけて質す。

「真崇さんがやったことは、他人の家を乗っ取ったってだけじゃない。國友咲良が、もう帰ってこないって分かってたから、真璃さんをあそこに住まわせたんだ」

「ああ、そうだよ。だったらどうした」

 僕の手首を捻り上げながら、低い声で真崇は答えた。痛みに声が漏れそうになるのをこらえ、僕は真崇の目を見据える。

「國友咲良に、何をしたんですか」

 僕の問いかけに、真崇はきょとんとした顔になった。とぼけるつもりなのだろうか。そんなことはさせまいと、僕はさらに畳み掛ける。

「安堂篤子さんから聞きました。真崇さんはお金に困ってるって。安堂さんか梶さんに頼まれて、あなたはお金のために、安堂さんのストーカーの國友咲良を排除したんじゃないですか」

「――なんだ、それ」

 呆気に取られた表情で口を開けた真崇が、そうつぶやいた。僕の手首から手を離し、気が抜けたように長い息を吐く。そして腰に組みついている太市の肩を軽く叩くと、「太市、もういい。なんもしねえから」となだめるように言った。

 太市は警戒しながらというふうに、真崇から視線を外さないままゆっくりと腕をほどく。太市の体が離れたところで、真崇は僕の方へ向き直った。

「俺は國友咲良に会ったこともねえし、ストーカーだとかいう話も知らねえよ。ただ、金に困ってるっていうのはまあ、そのとおりだ」

 真崇は少し疲れたような声で言うと、首の後ろをかりかりと掻いた。太市は真崇がそんな話を始めたことに驚いている様子で、彼の顔を見上げている。

「何年か前に、親がややこしいところから金借りたまま、逃げちまったんだ。子供が返す義務はねえらしいけど、そいつら、理屈が通じなくてよ」

「じゃあ真璃さんは、そういう人から逃げるために、この家を出たんですか」

 聞いていいものか迷いつつも、つい尋ねていた。真崇はうなずくと、その時のことを思い出したようにつらそうな顔になった。

「真璃のバイト先のコンビニにまでそいつらが押し掛けてきたんで、とにかく真璃だけでも逃がそうとしたんだ。最初は友達の家とかに泊まらせてもらってたんだけどよ、何か月もってわけにいかねえだろ。他にアパート借りるような金もねえし、困ってたら謙弥の先輩が、家主がしばらく留守にしてる家があるから、隠れるのにどうかって」

「國友咲良の家に住むように勧めたのは、安堂篤子さんなんですか?」

 驚いている僕を不思議そうに見返して、ああ、と真崇は認めた。

「謙弥の先輩の安堂さんの、親戚の家だって言ってたよ。両親は亡くなってて、本人も海外留学中だから、住んでて大丈夫だって。安堂さんが、留守中の管理を頼まれてるとか言ってたな」

 ごく自然な調子で説明する。嘘をついているようには感じられなかった。真崇はすぐ隣でうつむいている太市を気づかうように声をかける。

「太市がこいつに話したんじゃないってのは分かったよ。つーかお前には、真璃が住んでる家の場所までは教えてなかったしな」

 続いて、今度は僕に、ほんの少し唇の端を上げて笑ってみせる。

「万が一、お前が例のややこしい奴らと繋がってたら――ってのだけが心配だったんだ。けど、全然そんなふうには見えねえし、怖がらせて悪かったな」

 僕の方こそ、勝手に家に入り込んだ上にリュックで殴りつけてしまったのだが、それを謝る前に、真崇がポケットからスマホを取り出した。そして凍りついた顔になる。

「やべえ、社長から鬼電入ってた。俺の担当のライバーが撮影中にトラブルだってよ。すぐ横浜に戻んねえと」

 ここまでの僕たちとのごたごたで、着信に気づかなかったらしい。真崇は太市に「出る時、鍵掛けといてくれ」と言い置くと、慌てて部屋を出ていった。

 そうして僕と太市は二人きりで取り残された。太市は僕の方を見ようとせず、その場に立ち尽くしている。南側のベランダに向いた窓から西陽が射して、逆光に沈む太市の表情は読み取れない。どう声をかけていいか分からなかったけれど、最初に伝えなければいけないことは決まっていた。

「ありがとう、太市。助けにきてくれて」

 太市はこちらを見ないまま、うん、と言った。そして独りごとのように続ける。

「コンビニから帰ってきた時、自転車置き場に海斗の自転車があるのを見たんだ。でもうちには来てないし、何してんのかと思ってなんとなく窓の外を気にしてたら、ずっとこっちに戻ってなかった真崇が、この部屋に向かっていくのが見えて」

 それで様子を見にきたところであの騒ぎを聞きつけて、飛び込んできてくれたのだ。

「太市は、真崇さんから怖い人たちが真璃さんを狙ってるって話を聞いたから、僕や未夢を関わらせないように、もう調べなくていいって言ったの?」

 太市はすぐには答えず、首を傾げるような仕草をした。そして慎重な口調で告げる。

「それもある。でも――ただ、嫌だったんだ。誰かが死んだ理由を知るのが」

 そう言うと、太市はまた黙ってしまった。

 僕は太市の方へ一歩近づいた。太市は顔を伏せたまま、緊張したように肩をぴくりと動かした。「太市、こっちを見て」と僕は言う。太市は無言で首を横に振った。構わず、僕は尋ねた。

「誰かが死んだ理由を知るのが、どうして嫌なの」

 太市が拳を握り込む。何も答えたくないというふうに、唇をぎゅっと結んでいる。でも僕は待った。長い沈黙のあと、耐え切れなくなったように太市が口を開いた。

「――本当の理由なんて、分かんねえじゃん。きっと一つじゃない。色んな理由が、人を死なせる」

「僕と未夢がそれを調べて、太市が止めても知ろうとしたから、僕らのことも嫌になってWoNをやめたの?」

 太市の顔がゆっくりとこちらを向いた。黒々とした瞳が僕を捉える。感情の読み取れない、凪いだ水面みたいなその表情は、僕よりずっと大人のようにも、あるいは幼い子供のようにも見えた。

「俺の父親、事故で死んだじゃん。でもどんな事故だったか、話してなかったよな」

 唐突に太市が言った。

 考えてみればそうだった。僕は事故と聞いて、交通事故だと思っていたけれど、わざわざ確かめる気にはなれず、詳しいことは尋ねなかった。

 僕がうなずくと、太市は静かな表情のまま言った。

溺れたんだ、、、、、。海で

【続く】

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