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  4. #4 実録! 万筆舎活動【後編】
第4回

#4 実録! 万筆舎活動【後編】

「われわれのブースの場所がここやん。横に少しスペースがあるから、そこに常に10人くらいの待ち列ができるくらいかなあ?」
 万筆舎にとってのデビュー戦になる文学フリマ大阪の前日、妹と作戦会議していた際のわが呑気発言である。
 刷り上がった1000冊のうち500冊を大阪の実家に送付した。文学フリマ会場に直接送付するという超便利なやり方を知らなかったため、イベント当日は妹の車に500冊とブース設営に必要な備品、さらには妹の発案で急遽作製した万筆舎オリジナルTシャツを詰めこみ、会場であるOMMビルに向かった。
「えらい並んどるなー」
 まだ開場1時間前だというのに、ずいぶんな入場待機列が発生していた。出店者の列も相当な長さで、ぐるぐると廊下を回り、会場入りできたのは、開場45分前。それから慣れないブース設営をこなしていたら、
「待機列が長くなったので、予定より10分繰り上げてのアーリースタートとします」
 というアナウンスが流れた。
 それはえらいこっちゃ、とあたふたしながら実質30分で準備を整え、妹とともに万筆舎オリジナルTシャツを着て、スタート時間を迎えた。
 文学フリマ大阪に対する私の皮算用はこうだった。
 まず来場者の試算。
 これまでの統計から、文学フリマ大阪の来場者は文学フリマ東京の約3分の1と見てよい。文学フリマ東京の来場者推移を分析するに、コロナ明けからグッと増加し、おそらく再来月開催の文学フリマ東京での来場者は1万2000人超だと推測できた。ということは、今回の文学フリマ大阪の来場者は約4000人だろう。
 初刷の冊数は1000。
 大阪と東京の来場者は1:3。ならば、大阪で250冊、東京で750冊が売れたら、見事完売でめでたしめでたし――、という計算だ。しかし、来場者4000人で250冊は強気だ。16人にひとりが買わないと達成できない。まず無理であろう。
 とは思いつつ、会場には500冊を持参した。おそらく、こんな数を持ちこんでいる出店者は他にいなかったはず。文学フリマは1日だけのイベントで、開催時間は大阪の場合6時間と短い。なのに500冊。欲が深いにもほどがある。布で覆ったパイプ机の下や壁際には、20冊ごとにパッキングされた包みが山と積まれている。
「それでは入場を開始します」
 午前10時50分、予告どおり前倒しスタートのアナウンスが会場に響いた。
 わが万筆舎のブースは壁際の角の位置。いわゆる「壁サークル」というやつだ。
 アナウンスと同時に、会場入口から続々と入ってくる。どういうわけか、ほとんどの人がこちらに身体を向けている。さらには、走りはしないが、競歩のような奇妙な腰回りのくねくね具合とともに、一直線にこのブースに進んでくるように見える。
「あれ? みんな、ここを目指している?」
 その事実に気がついた10秒後には、早くも注文待機列ができていた。
 それからは戦争だった。
 Tシャツセットやサイン本セットは、ものの数分で売り切れた。その後も、知人友人に頼まれるケースもあろうと考え、「ひとり3冊まで購入可」としたルールに沿って、3冊注文が怒涛の勢いで舞いこむ。
 いつの間にか、横手の会場外とつながるドアが開放され、待機列は廊下へと流されていた。今ごろになって、あの開場前の待機列は万筆舎目当てだったのかもしれない、と気がついた。
 一気に育った待機列を誘導してくれたのは、文学フリマのボランティアスタッフのみなさんである。ルールブックには、待機列の誘導は自ブースの責任において行うとあったが、万筆舎チームの構成は私、妹、ヘルプで参じてくれたわが大学時代の友人のたった3人。目の前の注文をさばくことに忙殺され、列のことまでは到底、気が回らない。何せ、こちらは冒頭の「10人くらいの待ち列ができるくらいかなあ?」という甘いにもほどがある認識だった。すぐさま、待機列整理のためにスタッフを配置してくれた運営の判断には、感謝してもしきれない。
 とにかく、熱気がすごかった。はっきり言って怖いくらいだった。待機列でトラブルがあったようで、じいさんが怒りに任せて喚き散らし(遠くから声が聞こえてくる)、殺伐とした雰囲気すら漂うほどだった。
「あとどれくらいストックありますか?」
 深刻な顔で何度もスタッフの方が確認にきた。
「まだ、結構な数あります」
「正確なところ、教えてほしいです」
 何でも待機列が育ちすぎて、会場外の廊下で収めきれず建物の外にまで伸びているのだという。ほんまかいな、である。
「えっと……、まだ300冊くらいあるはず」
「今、ひとり3冊まで、ですよね」
「はい」
「まだ250人近く、待っています」
「250人?」
「ひとり3冊だと、全員に行き届かないです」
 それはマズい。
 スタッフの方の冷静な指摘に、慌ててひとり1冊にルールを変更した。
 すると、勘定も定価1500円オンリーと単純化され、一気に列の進みも速くなった。
 入場スタートからおよそ100分後、ついに列が終了し、人の訪れが途切れた。
 それからは列ができたり、できなかったりで、残り80冊が40分で売り切れた。
 列がなければ、ただのおっさんが立っているだけのブースである。ふらりとブースの前にやってきて、表紙をのぞきこみ、誰が書いたという情報もいっさい把握しないまま、中身をぱらぱらとのぞいて、「買います」と即決してくれた人も結構いた。表紙のデザインの重要性をまざまざと感じた一瞬だった。
 13時10分。
 開始から2時間20分にて、持参した『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』500冊は完売した。

 
 まさしく望外の結果であり、うれしさMAXなのであるが、困ったことも発生した。
 そう、これから迎える文学フリマ東京の来場者は大阪の3倍を誇る。それにどう対応すべきか。
 文学フリマ大阪の来場者は、ほぼ予想どおりの約4300人だった。ならば、東京の来場者はやはり1万2000人を超えるだろう。
 大阪の会場では、売り切れてから来場し、残念がっている人はほぼいなかったので、500冊というのはぴったりな数字だったと考えられる。人数比の売り上げになるとするならば、東京では1500冊売れてしまうことになる。
 わが手元には、残り500冊。
 ここにきて、まさかの「増刷すべきか否か問題」が発生した。
 印刷会社に問い合わせてみた。
 以前から、印刷という仕組みは刷れば刷るほど単価が安くなる。小ロットだと逆に割高になると聞いていた。
 そこで500部と1000部で注文した場合、どのくらいの料金差になるのか訊ねてみた。
 正確な数字は伏せるが、簡単に表現するなら「10万円」と「12万円」くらいの差だった(実際はもっと高い)。つまり、1000部を一括注文すると「12万円」で済むが、500部を2回に分けて注文すると「20万円」になってしまうという仕組みだ。
 文学フリマ東京で1500冊売れるかもという見通しは、あまりに捕らぬ狸の皮算用に思えた。500部注文して1000冊のストックで挑むのが、もっとも適当な対応だろう。一方でこれだけ印刷費に差がないのなら、1000部注文してもよいのでは、という強欲な心の声もむくむくと大きくなってくる。
 結局、第2刷として1000部を注文した。
 それを印刷会社から直接文学フリマ東京の会場へと送付。仕事場で待機していた500冊と合流し、1500冊という大所帯でもって2023年11月11日の文学フリマ東京に挑んだ。
 結果はまったく予想外のものだった。
 販売数は492冊。
 来場者は約1万3000人だった。こちらは予想どおり文学フリマ大阪の約3倍の人出だったが、売り上げは大阪をわずかに下回った。
 思わぬ数字を残し、わが万筆舎の文学フリマへの挑戦は幕を閉じたのである。
 
   *
 
 文学フリマ東京でも、大阪と同じく大勢の方が『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』を買い求めにブースを訪れてくれた。行列もできた。されど、熱気という面では、怖さすら感じさせた大阪のほうに軍配が上がる。
 実際に、大阪は2時間強で500冊完売だったが、東京はクロージングまで居座っての492冊だった。
 それでも、「川上から川下まで体験したい」という当初の目的はじゅうぶんに達成できた。すばらしい1冊を完成させ、手売りして、よろこんでくれる読者のみなさんの顔や声を直接見聞きすることができた。この上ない成功と言えるだろう。新たに用意した2刷分1000冊が、まるっと在庫になってしまったことを除いては――。
 仕事場の隅にどかりと居座る1000冊分の包みを前に、「これを注文しなければ、沖縄家族旅行達成だったよなあ……」と渋い顔で腕組みして考えた。
 いかにして、この在庫をさばくべきか。
 文学フリマは2度の出店で、もうおしまいである。待機列への特別な対応など、スタッフの厚意をあてにして、プロが何度もお邪魔してよい場ではないからだ。ならば通販か。今はAmazonの注文のように、自費出版物を倉庫に預けておけば、あとはクリックひとつで発送してくれる便利なサイトもある(サイトには都度、手数料を払う)。
 ここで私が再注目したのは『城崎裁判』だった。
 2014年に刊行した地域限定発売の自著である。タイトルのとおり、城崎温泉を舞台にした作品で、城崎に行かないと買えない。それ以外の地域には流通させないという売り方を採用したことが功を奏し、販売開始10年で2万部以上を売り上げ、現在もコンスタントに版を重ねている、という隠れた大ヒット作品だ。
『城崎裁判』はそもそもが地域おこしのためのプロジェクトだった。今や地域振興について扱った書籍に、成功例として頻繁に取り上げられているこのやり方を、大阪にあてはめるのはどうだろうか?
 何と言っても、『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』の舞台は大阪だ。やはり、ご当地の強みがあったからこそ、東京の3分の1の来場者であっても、東京を凌ぐ売り上げを叩き出したわけである。大阪の書店でのみ扱うことで、苦しい商売が続いている書店の振興に、少しでも役に立つことはできないか?
 そんな折、既刊のサイン本を作る用事で、大阪にある紀伊國屋書店梅田本店を訪れる機会があった。
 梅田本店には書店員小泉真規子氏がいる。
 実は小泉氏、2006年にデビュー作『鴨川ホルモー』が世に出た1カ月後、実家に帰ったついでにひとりで書店訪問した際、まだ世間にいっさい認知されていない、海のものとも山のものともつかぬ著者に対し、サイン本を作ることを許してくれた恩人でもある。そこで「いける!」と勘違いして、そのまま京都の書店に向かい、けんもほろろ、見るも無惨な門前払いを経験したのも、今となってはよい思い出。もちろん、このときの小泉氏の神対応記憶は依然、私のなかで宝石級の輝きを保ち続けている。
 そんな小泉氏はサイン本を作る際、毎度、常軌を逸した冊数を会議室の机の上に置き、著者の到着を待ち構えている。ゆえにサイン本を作りながら、たっぷり話す時間がある。今回もその時間を利用し、大阪限定で『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』を売りたいというコンセプトを説明し、まずは試験的に紀伊國屋書店で扱ってもらえないだろうか、とストレートに打診した。
「やりましょう」
 打てば響くが如く、返事がきた。
 問題は、ただの自費出版物ゆえにISBNコード――書籍の裏表紙に印刷されている、数字を伴うバーコード記載がないことである。つまり、書店レジでバーコードをピッと読みこみ、それでもって売り上げや在庫を管理できるシステムには組みこめないということだ。
 されど、小泉氏は社内の在庫管理用バーコードをプリントしたシールを作成し、1冊ごとに貼ることでレジシステムに対応できる、と頼もしすぎる対応策をすぐさま提案してくれた。
「そんなめんどうなこと、やってくれるんですか」
「やりますよ。おもしろそうやし」
 その後、話が進むスピードは猛烈に速かった。小泉氏が社内で声をかけてくれ、大阪府内で『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』を置いてもいいという6店舗を選定。年明けから、いっせいに販売を開始する運びとなった。
 2024年1月4日。
 紀伊國屋書店梅田本店、グランフロント大阪店、本町店、京橋店、天王寺ミオ店、堺北花田店にて販売がスタート。
 在庫はたっぷり1000冊あることだし、半年から1年くらいかけて消化できたらよい、という目算だった。
 しかし、ご存じのとおり、万筆舎立ち上げから、常に経営的数字の見積もりを間違い続けてきた私である。ここでも、間違いは繰り返された。
 販売開始からわずか3日目にして、6店舗からのオーダーが700冊を超えてしまったのである。
 残りは300冊。
 緊急重版が決定した。
 印刷会社に連絡し、今度は1000部と2000部で見積もりを出してもらった。前述と同じく、正確な値段よりだいぶ低く表記するが、1000部を「12万円」とすると、2000部で「15万円」ぐらいだった。
 第3刷として2000部を注文した。
 これにて累計4000部。
 大阪での販売プランはこうだ――。最初の2カ月は紀伊國屋書店6店舗に限定して展開する。そこで、どのくらいの事務作業量が発生するかチェックする。なぜなら注文を受け、書類を用意し、段ボールに荷造りして、発送する――、これらの作業はすべて私ひとりが行うからだ。年明けに直木賞を受賞し、忙しくなったが、そんなこと言ってられない。注文メールが舞いこむと、受賞の言葉を書く手を止め、段ボールに本を詰めこみ、大阪へと送り出した。おそらくAmazonよりも、注文から届くまでの時間は短かったはずである。
 2月に入っても依然、紀伊國屋書店群からの注文の勢いは衰えず、発送した数はあっという間に計1300冊に到達した。
 3月からの新展開に向け、私はふたたび動き始める。すなわち、新規の書店開拓をすべく営業活動に取りかかった。
 SNSなどを使い、効率的に取り扱ってくれる書店を募集するのもひとつの手だろう。しかし、私は1店舗ずつ訪れ、万筆舎のコンセプトを説明し、
「実店舗を訪れ、他の本も手にとってもらいたいから通販では取り扱わない」
「買い切りである」
「その代わり、卸値を下げ、店の取り分を多くする」
 等の条件をすべて伝えてから、商いを始めることにこだわりたいと考えた。なお、買い切りを求めるのは、売掛金の管理など、長期にわたるやり取りをこなす余裕がないためだ。
 2024年2月、紀伊國屋書店梅田本店で行う直木賞受賞記念のサイン会の前日、早めに大阪入りして営業活動をスタートさせた。
 まず京阪樟葉駅にある水嶋書房にうかがい、さっそく『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』の注文をいただくと、興味を持っている別の書店を紹介してもらえることになった。その足で電車を乗り継ぎ、それまでまったく名前を存じ上げなかった、南森町の西日本書店に向かう。まさに営業マンによる飛びこみ営業である。そこで、はじめてお会いした書店の方から注文を即決で承ることができた。うれしさでじわりと全身から汗が出る。さらに同じく水嶋書房で紹介してもらった、正和堂書店への行き方を教えてもらい、直行。泊まりの荷物を背負ったままの移動だが、店を出ると荷物の重みも気にならず、足が軽い軽い。
 その日、一気に3店舗の営業を終え、本物の営業マンになったような気分のまま、翌日もサイン会開始の14時までにtoi booksに飛びこみ営業を敢行し、さらなる販売店舗の開拓に励んだ。
 結果、3月1日から新たに6店舗の書店で『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』の販売が開始されることが決まった。
 
   *
 
 今後の万筆舎の方針として、いわゆる街の本屋と呼ばれる、独立系の個人経営の書店を中心に販売場所を増やしていきたいと考えている。
 ここで前編の冒頭に戻るが、徐々に営業のかたちも定まってきたように感じる。
 まず、店に入る。ぐるりと店内を回ったのち、1冊の本を買う。1冊だけと決めているので、これぞという一期一会を成し遂げたい。集中して棚をチェックするので、そこから置かれている本の傾向も見えてくる。個人系書店の場合、棚の性格はすなわち店主の内なる声である。なるほど、こういう声を伝えたいのだなあ、という見えない受け答えを書架と交わしたのち、1冊を決めてレジに向かう。
 勘定を済ませ、「ありがとうございます」と店主が本を渡してくれるタイミングで、はじめて名乗る。相手が心の敷居をもっとも下げた隙に、身構える時間を与えず、企画書を渡し、自己紹介とともに商談を持ちかける。
「万城目さん? え、ホンマですか? ちょっと待ってくださいよ」
 少なからず「時の人」ブーストがあるので、相手の反応のよさが面映ゆくもあり、うれしくもある。
 みなさん、真剣にこちらの話を聞いてくれる。
 もちろん、そこでは返事を留保され、サンプルだけを置いて立ち去るときもある。買い切りを求めるやり方が店のシステムに合わないので無理です、と断られるときもある。店での対応の様子では難しそうだなあ、と思っていたのに、1週間が経ったころに「サンプルを読んでおもしろかったので10冊お願いします」と急に連絡がきたときは、本当にうれしかった。
 つい先ほど、この原稿を書いている最中にも、20冊の注文が舞いこんだ。注文の文面を読むと、急に光がハッと差しこんだような、鮮やかなよろこびで脳が一気に覚醒する。この原稿は完全にうっちゃって、すぐさま荷造りに入り、段ボール箱を抱え、近所の宅急便の営業所に走る。
 2024年6月1日現在、『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』は3刷。計4000部刷ったうち、ちょうど3000部が売れた。
 販売店舗は15。今年中に20店舗まで増やしたいと思っている。
 万筆舎2冊目の制作にも取りかかる。内容、売り方ともども、1冊目とは大きくやり方を変えようと計画中である。年内の刊行を目指し、そろそろ動き始めなければならない。
 はじめは軽い気持ちで、「取りあえず1冊作ってみて、その儲けで旅行に」なんてうそぶいていたのに、今や儲けのすべてを2冊目の仕込みに投入して、新たなおもしろい本を作ろう、と意気ごんでいる。ずいぶんと初期の目論見とは異なったところにきてしまった気もするが、正しい経験をしているという実感もある。
 万筆舎の活動は始まったばかりだ。

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