
ちいさい頃の私は、なぜか「気絶」に憧れていた。物心ついたときから、スーパー戦隊や仮面ライダーに夢中で、お菓子かなにかに付いている忍風戦隊ハリケンジャーのおまけシールを家のあちこちに貼って怒られたり、週末は従兄弟と一緒にヒーローショーに行って仮面ライダー龍騎に握手してもらったりしていた。
当時女児のほとんどが見ていたおジャ魔女やプリキュアなどのアニメと違い、ピチピチのスーツを着た生身の人間と、製作費を惜しまないド派手な大爆発で作られたこのスーパーヒーロータイムでは、とにかくよく人が倒れる。爆発して倒れる。パンチされて吹っ飛んで、キックされて壁にめり込み、そして気絶する。ヒーローに限らず、当時のドラマではやたら人が気絶していたような気がする。倒れた人は「おいっ……! しっかりしろ!」などと言われながら揺さぶられ、介抱され、やがて「んっ……」といううめき声とともに目を覚ます、ぼやけた視界には、心配そうにのぞき込む恋人、おでこには濡れたタオル。それから決まって「ここは……?」とすっとぼけたように言い、周りの人々は「はぁよかった……もう起きないかと思った」と安堵の表情を見せる。
現実ではめったに起きないこのシチュエーション。かくいう私も、今に至るまでいちども気絶したことはない。しかし、いつのまにか幼少期の私の中には、どうしようもなく「気絶」への憧れが募り始めていた。本当に気絶したことのある人からすれば、当時の私の憧れは愚かで不謹慎としか言いようがないものだと思う。しかし幼い私の価値観では美男美女は気絶するものであり、気絶はかっこよさの象徴なのだと勘違いしてしまっていたのだと思う。私もあの主人公のように気絶してみんなにチヤホヤされたい。私もアホみたいな顔をしてキョロキョロしながら「ここは……?」って言って、好きな人に泣きながら抱き着かれてみたい!
それから私は「気絶」を披露するタイミングを今か今かと待ち続けた。気絶するには、やはり気絶するほどのショックが必要だ。周りにも「これなら気絶するだろう」と納得してもらえるようなシチュエーションがなければ、私の気絶ショーは成功しない。公園で木の根っこにつまずいて転んだときや、ドッジボールの柔らかいボールが頭に当たったとき、私はしばしば気絶を試みた。「うっ!」と小さく声を上げ、胸をおさえながらそのまま地面に突っ伏し、そのまま動かずに救助を待ってみる。しかし結果は思うようにいかず、大抵はそのまま放置されたり「なにやってんの?」と冷たくあしらわれたりした。思うようにいかなかった私は気まずい表情でゆっくりと起き上がって、全身に着いた土を静かに払う。やっぱりこの程度じゃ気絶したと思ってもらえないんだ。この程度じゃ心配してもらえない。もっとなにか、よい方法はないだろうか。
そんなあるとき、近所の友達2人に誘われて、みんなで公園に遊びに行った。公園といってもたくさんの遊具が置いてあるような公園ではなく、敷地を持て余して、近所のおじさんのジョギングや犬の散歩に適切な自然公園と呼ばれるような場所だった。私たちはその公園の入り口にある小さな原っぱで鬼ごっこをして遊んだ。真ん中には斜面に垂直に斜めに生えた一本の桜の木。鬼ごっこに飽きた私たちは、ちょうど満開の花を咲かせていたその桜の木に、誰がいちばん高くまで登れるか競うことにした。 それほど屈強でもなく、大人が登ればたちまち折れてしまいそうなその木に順番に登っては飛び降りる。何回目かの順番が来て木の中腹まで登ったとき、私はふと思い立った。ここから落ちれば気絶できるかもしれない。私は握っていた木の枝から手を離し、不慮の事故を装って地面に落ちた。豊かに茂っていた春の草花のおかげで地面の堅さはほとんど感じられず、またしても到底気絶するほどの衝撃は得られない。
心配そうに声をかけてくる友達の声と、暖かい春の日差し。とても気持ちが良くて、私はしばらく目を瞑ったままでいた。どうして私はあんなことをしたのだろう。今思えば、私はみんなに心配してほしかったのだと思う。家ではときどき声が出なくなったふりをしてメモ帳で会話をしようとしたり、わざと食欲のないふりをしたりしたこともあった。そのたび母は「ちゃんとして」とひややかに言うだけだった。私はできれば抱きしめられ、撫でられ、眠るまで腕に触れてほしかったのだと思う。そのために手軽で格好のつく、ドラマチックな美しい気絶を選んだのかもしれない。
目を瞑ったまま動かない私を、友達はしばらくのぞき込んだり揺すったりしていたが、しばらくすればそれにも飽きたようで、またそれぞれ別の遊びを始めた。動かないでいるうちに本当に眠ってしまった私は、少し夢を見て穏やかに目を覚ました。ゆっくりと起き上がって「気絶しちゃった」と笑って言って、体に着いたたくさんの桜の花びらを、なんでもないようにゆっくりと払った。