死にたがりの君に贈る物語

死にたがりの君に贈る物語

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第一話 あなたが死んでしまったその後で(1)

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 思春期を迎えた頃から、いつも何かに苛立っていたような気がする。
 赦せない対象が、自分自身なのか、どうにもならない世界なのか、答えは判然としなかったけれど、未消化の怒りが、いつだって胸の中心で燃えていた。
 俺、広(ひろ)瀬(せ)優(ゆう)也(や)は、大学生になると同時に、一人暮らしを始めている。
 想像を遥かに超える自由を得て、当初は何だって出来るような気がしていたのに、それは浅薄な勘違いだった。
 大学には高校時代までのようなクラスがない。講義の座席も決められていない。脈絡もなく他人に話しかけられるような社交性は持ち合わせていないし、逆もまたしかりだった。誰とも喋らないのだから、当然、友達なんて出来るはずもない。
 二ヵ月もしない内に講義に通わなくなり、自宅に引きこもるようになった。
 外出するのは冷蔵庫の中身が空になった時だけ。それ以外の時間は、ずっと、本を読んでいるか、ゲームをしているかのどちらかだった。
試験すら受けていないのだから、単位が得られるはずもない。それでも、規定により二年生には自動的に進級出来た。しかし、このままいけば来春、確実に留年となる。そうなれば大学に通っていなかったことが親にもバレる。二年間の学生生活で一桁の単位しか取っていないと知ったら、両親はどんな反応を見せるだろうか。
親の顔なんて想像したくもないが、訪れる未来は断言出来る。
強制的に退学させられ、後ろ盾もないまま社会に放逐されるに違いない。
 怠惰で空しい空疎な生活は、二年生になっても変わらなかった。
 このまま俺という人間は、何処までも堕ちていくのだろう。そんなことを思いながら過ごしていた五月の中旬、クローズドコミュニティである『緑ヵ淵中学校』経由で、一通のメッセージが届いた。
緑ヵ淵中学校とは、先日の急逝で伝説となった小説家、ミマサカリオリの会員制ファンサイトである。俺は設立当初から参加している古参メンバーの一人だった。
 若い読者を中心に爆発的な人気を誇っているという評判に違わず、俺もミマサカリオリの作品『Swallowtail Waltz』を、熱心に読み込んでいた。
 メールの送信者は、塚(つか)田(だ)圭(けい)志(し)という二十六歳の男だった。彼の『マッキー』というハンドルネームは、サイト内の掲示板やチャットで、何度か見かけたことがある。しばしば発生する考察合戦にこそ距離を取っているものの、あのコミュニティの中では中心的な人間の一人だ。
 俺は生来、他人に深い関心を抱けない性質だが、今回に限っては事情が違った。塚田さんがファンにとって衝撃的な事実を明かしてきたからである。
何と彼のいとこは、あの大樹社に勤める編集者で、ミマサカリオリの担当編集者でもあるらしい。友人の友人同様、冷静に考えてみれば彼と先生は赤の他人に過ぎないわけだが、メッセージを斜め読みすることは出来なかった。そして、
『緑ヵ淵中学校の参加者で集まって生活し、あの世界を再現したいと考えています。俺たちファンの手で物語の結末を探ってみませんか?』
 塚田さんからのメッセージには、信じられないような提案が綴られていた。


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 ミマサカリオリが令和を代表する作家であるという見解に、異論のある者はいないだろう。デビュー作にして代表作である『Swallowtail Waltz』が発売され、ミマサカリオリはすぐに人気小説家の仲間入りを果たした。
 展開の速さと、若者に強く支持されているというデータを論拠に、「深みがない」とか「文学ではない」といった批判を受けることもあるが、新時代の物語を受け入れられないのは、いつだって潮流から外れてしまった旧世代の人間だ。
 ミマサカリオリは売り上げという意味でも、評価という意味でも、確固たる地位を築いている。漫画でもアニメでも映画でもゲームでもなく、小説の力で、文字だけの力で、若者たちを夢中にしたのだ。
『Swallowtail Waltz』の舞台は、ダムを建設するために廃村となった集落である。
 自治体の不祥事により、計画が頓挫した後も住民たちが戻ることはなく、その村は静かに、穏やかに、世界から忘れられていった。それから十年という歳月が流れ、集落の中心にあった廃校、緑ヵ淵中学校に、若者たちが集まり始める。
 一様に人生に絶望していた十三人の若者たちは、世俗からの別離を望み、廃校で自給自足の生活を送っていく。登場人物たちは漏れなく凄絶な過去を背負っていたものの、厳しくも穏やかな共同生活を送る中で、少しずつ打ち解け、心を解(ほど)いていった。
しかし、安息と平穏は続かない。
裏切り者である【ユダ】の存在が明らかになり、疑心暗鬼に陥ったコミュニティは、崩壊の波に呑み込まれていく。
巻を追うごとに一人また一人と、仲間たちが去って行き、最新刊である五巻のラストシーンで、最大の人気を誇っていたヒロインの【ジナ】が、余りにも残酷な形で死亡した。彼女の未来には、何の救いもない、ただ無残なだけの死が待っていたのだ。
【ジナ】の死亡により、残り七人となった彼らに、ミマサカリオリはどんな結末を用意するのか。少女を見殺しにした裏切り者の【ユダ】とは誰だったのか。
ファンは最終巻を心待ちにしていたが、完結は永遠に望めなくなってしまった。

『五年振りとなる満場一致の大賞受賞作!』
 帯の煽り文に興味を惹かれ、俺は発売日当日に書店で第一巻を手に取っている。
 読み始めて五分で魅了されたし、承認制のファンサイトを発見した際も、即座に入会を申し込んでいた。一巻を読んだ後、俺は感想や考察を綴ったブログを読みあさっている。ただ、ファンサイトに入会して以降は、そこが安住の場所となった。
緑ヵ淵中学校を発見するまで、俺の周りには小説への情熱を理解してくれる人間がいなかった。兄弟にも、高校の同級生にも薦めてみたけれど、同意を得られるどころか、その熱量に引かれてしまった。しかし、ファンサイトなら話は変わってくる。誰もが熱に浮かされたように、ミマサカリオリが綴る物語に夢中になっていた。
集っているのは会ったこともない人間たちだ。本名も年齢もお互いに知らない。それでも、皆が皆、同じ物語に心酔していた。
 ミマサカリオリは紛れもない天才だが、あれだけ複雑な物語である。全員が納得する結末を用意するのは不可能だろう。誰が【ユダ】であっても、どんな動機が明かされても、【ジナ】があんな死に方をした以上、批判の言葉は避けられない。
 物語に心酔している俺ですら、最終巻の結末には落胆させられるかもしれない。半年後と予告されていた発売日が無期限の延期となり、そんな不安も覚えるようになっていたけれど、すべてを受け止めようと考えていた。ミマサカリオリが用意した答えなら、どんな結末でも甘受するつもりだった。それなのに、作家が死に、物語は未完のままエンドマークをつけられてしまった。
 だから、俺は一も二もなく、塚田さんの提案に乗ることにした。
 五巻終了時まで廃校に残っていた人数と同じ七人で、あの物語をなぞる。同じ環境を用意して物語を模倣し、結末を探る。冷静に考えなくても、塚田さんの提案は突飛なものだ。大人たちからすれば、鼻で笑ってしまうような馬鹿げた行為だろう。
 だけど、やれることがあるなら、やってみたかった。
 辿り着いた世界の先に、何が待ち受けているとしても。
 俺はただひたすらに、痛いほどに、あの物語の結末を欲していた。


             3

 企画の舞台として選定された廃校は、山形県の聞いたこともない村落にあった。
昭和後期に風水害で壊滅的な被害を受け、全村を遊水池化するために強制廃村とした地であるらしい。そんな地に今も校舎が残っているのは、住民の離村移住が完了した後、行政的な問題で計画自体が頓挫したからだという。
計画がご破算になった際、故郷に戻った村民もいたようだが、その後、発生した群発地震による地滑りが決定打となり、全村民が完全移住を決意するに至ったのだ。
 まさに小説をなぞるようなその目的地の集落は、奥深い山中にある。
 午後二時。
最寄りと呼ぶには遠過ぎる無人駅で降り、予約していたタクシーに乗り込んだ。
まばらにしか民家が存在しない農道を走ること四十分。
なだらかな勾配が続く山中に入り、道路を除けば、人工の建築物が街灯すら見当たらない場所で、タクシーが停車した。
窓の外に目をやると、鬱蒼と茂る木々の間に、薄暗い砂利道が延びていた。
「悪いね。お兄さんの前に送ったお客さんにも、ここで降りてもらったんだ」
 壮年の運転手が、心苦しそうな顔で振り返った。
「集落まで車で行けないこともないんだけどね。ここから先は落石が多くて、掃除する人もいないから、前に同僚がタイヤをパンクさせちまっているんだよ」
「集落まではどのくらいかかりますか?」
「お兄さんは随分と荷物も多いしなぁ。まあ、ゆっくり歩いても、一時間もあれば着くはずさ。迷うような道でもないし、登山というよりはトレッキングだな」
 今日から六月である。日照時間の長い時期だし、日が暮れる前に辿り着けるだろうけれど、山道では何が起きても不思議ではない。余裕を持って出発した方が良いだろう。
「この辺りは携帯会社の電波が届かないんですね」
「途中で川を渡っただろ? あの辺りまで戻れば、電波が入るよ。何かあったら電話してくれ。長距離を乗ってくれる上客だしね。喜んで迎えに来る」
「ありがとうございます。知り合いが先に来ているので大丈夫だと思うんですけど、万が一、何かあったら電話させてもらいますね」
「ああ。日付が変わる頃までは、営業所に誰かいるはずだ。十分に気を付けてな。ここいらで熊が出たなんて話は聞かないが、場合によっちゃ、猪でも大怪我になるから」
「野生の猪がいるんですか?」
「そりゃ、いるよ。わんさかだ」
「捕ったら食べられますかね」
 思ったことを素直に口にしただけなのに、苦笑されてしまった。
「お兄さん、捕るための手段はあるのかい?」
「いえ、何も用意していないです。そもそも猪ってどうやって捕るんですか?」
「害獣駆除が目的なら、普通は猟銃か罠を使うね。罠の方が捕獲は簡単だけど、いずれにしても狩猟免許が必要だよ」
「罠を張るのに免許が必要なんですか? じゃあ、捕獲は現実的じゃないのかもしれませんね。良いタンパク源だと思ったんだけどな」
作中にも猪を捕獲するシーンがあったが、あれは実際には法律違反だったのかもしれない。社会からドロップアウトしている登場人物たちにとっては、法律なんてあってないようなものだけれど。
「ちなみに猪の味ってどんな感じですか? 食べたこと、ありますか?」
「鹿と並んで最近はジビエとしても有名になっているよね。でも、そんなに美味いもんでもないかなぁ。一口に猪と言っても三種類あるのさ。狩猟時期に仕留められたもの、害獣として駆除されたもの、食用として育てられたもの。美味いのは当然、最後のタイプだけど、硬くて噛み切れないとか獣臭いなんて言う人も多いかな。『有害はまずい』なんて言葉もあるんだ。駆除される猪は、個体を選別して撃たれているわけでもないし、まあ、食えたもんではないかもしれないね」
 拠点となる廃校からは距離があるものの、廃村の最奥部には、日本三大急流の一つでもある一級河川、最上川の支川が流れている。地図では確認出来なかったが、そこに下流で繋がる小川が校舎の裏手に流れており、水の確保は容易らしい。
二本の川が近くにあることを考えるなら、タンパク源として期待出来るのは、やはり魚になるのかもしれなかった。

 物語と同じ形で生活をスタートさせたい。
そんな提案に従い、廃校へは個々人で集合することになっている。
塚田さんは責任者として前日のうちに到着しておくとメールに綴っていたが、辿り着くだけでも大変な拠点である。途中で後悔し、引き返す参加者もいるかもしれない。最悪の場合、彼と二人きりなんてことも有り得るだろう。そんな事態になったとしたら、それはもう共同生活とは言い難い。幾つかの嫌な可能性が脳裏をよぎったものの、ここまで来たのだから、今更不安になっても仕方がない。なるようになれだ。
運賃を払い、森の中に足を踏み入れると、湿った木々の匂いが鼻をついた。
 林道を十分ほど進むと、土砂崩れらしき跡があった。ただ、土砂は既に誰かの手で除けられているようにも見える。
廃村とはいっても、行政に完全に見捨てられた地ではないということだろうか。それとも、先に通った参加者が、後続のために整備してくれたんだろうか。
 道を覆い隠すように伸びる鬱蒼とした木々を避けながら、四十分ほど歩くと、砂利道の両脇に石垣が現れた。そこからさらに進み、民家らしき建物を視認する。
 四十年前、行政による強制廃村が決まるまで、この地には約五十世帯、三百人を超える人間が暮らしていたと聞く。しかし、今では見る影もない。
 最初に現れた家屋はほとんど倒壊しており、現存しているのは白い壁だけだった。屋根瓦は大きく曲がり、苔が茂っている。その奥に建つ家屋も似たようなもので、天井のベニヤ板がことごとく剥がれ、カーテンのようになっていた。
 好奇心に駆られ、廃屋に足を踏み入れてみると、二匹の蝙蝠が飛んで行った。
どうやらここは人間以外の生物の住処になっているらしい。
 台所のような空間に、テーブルと火鉢が置かれており、床には錆びた炊飯器と空になった焼酎のボトルが散乱していた。
ブラウン管テレビがあるということは、かつてはこの村までテレビの電波が届いていたということである。もしかしたらと思い、携帯電話を確認してみたが、期待に反して電波は届いていなかった。
 破損したガラス扉の向こうを覗くと、床が割れ、畳も陥没しているのが分かった。
 こんなところで怪我をするわけにはいかない。これ以上、中に入るのは、やめた方が良さそうだ。事前にもらった地図によれば、集合場所である学校は、廃屋が建ち並んでいるこの地区を越えた先にある。
 待ち受ける未来への不安と期待で、心臓が一つ、リズムを変えて脈打った気がした。

Profile

綾崎隼

1981年新潟県生まれ。2009年、第16回電撃小説大賞<選考委員奨励賞>を受賞し、『蒼空時雨』(メディアワークス文庫)でデビュー。
受賞作を含む「花鳥風月」シリーズ、「君と時計」シリーズ(講談社)、『盤上に君はもういない』(KADOKAWA)など著作多数。本作は著者にとって40冊目の刊行となる。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ
ポプラ社一般書通信 note

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