死にたがりの君に贈る物語

死にたがりの君に贈る物語

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第二話 友達なんかじゃない(1)

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 共同生活が始まったその日も、翌日も、一日中、汗水垂らして働くことになった。
主な仕事は、皆で集まる機会の多い職員室と調理室の掃除、それに裏手の小川までの動線確保である。
生活の基盤が整えば、念願のスローライフスタートだ。インターネットもテレビもない毎日に、時間を持て余すようになるかもしれない。暇の潰し方にこそ悩むようになるかもしれない。企画に参加する前は、そんなことも考えていたのだけれど、すぐにそれが浅薄な想像であったと気付かされた。
 どうやら生きるというのは、働くということだったらしい。
 ここでは何もしなければ、味気ない食べ物しか口に出来ない。
 飲み水に困ることはないし、大量に食料が持ち込まれているから、当座、飢えることもない。しかし、飽食の現代社会に生まれ、自覚なく肥えた舌を有してしまった俺たちは、炊いただけの米や茹でただけのパスタでは、満ち足りることが出来なかった。
 自分のことをグルメだと感じたことなど一度もない。しかし、飢えを凌ぐだけの食生活ではストレスが溜まる。栄養が偏らないようにとか、そういった理性的な話以前の問題で、せめて一食くらいは美味い物を食べたいと願ってしまう。生活拠点の構築が終わると、関心は自然と食材の確保へと向くようになった。
 主催者の塚田圭志さんは、先日までサラリーマンだった男性である。二十三歳の佐藤友子はどうやらフリーターであり、大学院生の稲垣琢磨さんは、学費と生活費を自分で稼いでいるらしい。俺、広瀬優也はアルバイトもしていない引きこもりの大学生だけれど、仕送りで毎月入ってくるお金がある。そう、近所に店はなくとも資金ならばあるのだ。どうしても必要な物は町まで買いに行けば良い。
 ただ、携帯電話が通じる場所に出るだけでも、ここから一時間かかる上、町までの移動には、タクシーが必須となる。買い出しは一日がかりの重労働だ。しかも、人力で荷物を運ばなければならないため、買い溜め出来る量にも限界がある。
『Swallowtail Waltz』に登場するキャラクターは、大半が公判中に逃亡したり指名手配されている人間である。【ネズミ】の逮捕以降、彼らは外界に対して最大級の警戒心を働かせるようになり、買い出しの頻度を減らしていた。
 作品を模倣するためには、当然、似たようなライフスタイルを確立する必要がある。
 自宅で家庭菜園をしていたという山際恵美さんは、様々な野菜の種を持ち込んでおり、中里純恋に手伝わせながら、中庭の花壇跡を利用して栽培を始めていた。
 山菜を収穫して回った際、稲垣さんは猪の足跡を確認している。畑が完成し、種を植え終わると、塚田さんが机を使って柵を作っていた。
 畑での栽培に成功すれば、安定した食料を得られるようになる。とはいえ、野菜も花も一朝一夕では育たない。当座は山中で収穫した山菜や野草に頼ることになる。
食料の現地調達は、稲垣さんを中心とした男子チームの仕事だ。
 肉でも魚でも良い。調味料はあるのだから、素材さえ手に入れば、食料事情は格段に向上するだろう。

 共同生活が始まって四日目。
 稲垣さんに誘われ、俺と同様、釣りの経験がないという高校生、清野恭平と三人で、川釣りに挑戦することになった。
「普通は釣具店で餌を買うんですよね?」
「一般的にはそうだね。でも、コンビニでも買えるよ」
「そうなんですか? コンビニに餌が置かれているなんて知りませんでした」
「言い方が悪かったね。そういう意味じゃなくて、代替物があるってこと。代表的なのは魚肉ソーセージかな。海釣りなら、おつまみ類も使えるけど、川釣りならコストパフォーマンスを考えても練り物がベストだから」
「練り物で魚が釣れるんですか?」
素人丸出しの俺たちの質問に、稲垣さんは何でも丁寧に答えてくれた。
「オイカワ、ハヤ、ウグイあたりは余裕で釣れるし、練り物は川の流れが激しくても針から外れにくいから、初心者でも使い易いんだよ」
 知識は武器なのだということを、ここで暮らし始めてから、毎日のように実感している。謙遜ではなく、今日まで俺は肉体労働以外で役に立てていない。率先して働いているつもりだけれど、俺でなければ出来なかったことなど一つもない。
塚田さんが本日の川釣りに参加していないのは、買い出しに出掛けているからだ。
町までの道のりは長い。買い出しなんて単純労働の雑務である。塚田さんの貴重な時間を使うくらいなら、俺が代わりに行けば良かったのかもしれない。
「コンビニで餌を調達出来ることは分かりました。でも、ここにはコンビニも練り物もありません。どうするんですか?」
「現地で別のものを調達するよ。カゲロウ、カワゲラ、トビロウ、水生昆虫の幼虫が浅瀬で採れるから、そいつを使う。この季節なら、ドバミミズも見つかるだろうけど、君ら、ミミズは触れる?」
 清野と同時に首を横に振っていた。
「だよねぇ。ま、今日は川虫でやってみようか」
 俺、虫にも触れないんです。言わなきゃ言わなきゃと思いながら現地に到着し、川の前で観念して告げると、癖っ毛を掻きながら稲垣さんに笑われてしまった。
「広瀬は現代っ子だな。川虫はそんなに気持ちの悪いものでもないけど、難しい?」
「動物や魚なら触れると思います。でも、足が沢山ある生き物に抵抗があって」
「ははは。まあ、しょうがないさ。清野はどう?」
「俺は虫なら大丈夫です」
「じゃあ、釣りは清野にやってもらうか。とりあえず広瀬はそこで休んでいて。清野がコツを覚えたら、俺と別のことをやってみよう」
 木陰に腰を下ろし、滴る汗を拭いながら、釣り竿を振る二人を遠目に眺めていた。
 まるで絵に描いた夏休みのようだ。少年時代の記憶に、こんな風景は存在しないのに、感傷的なことを思ってしまうのは何故だろう。
屋外で父親に遊んでもらった記憶も、友達と川や山に出掛けた記憶もない。それなのに、懐かしさにも似た郷愁ばかりが込み上げてくる。
この企画を始めるにあたり、主催者である塚田さんから、特定のキャラクターを演じて欲しいなどという依頼は受けていない。しかし、集められた七人の性別と年齢を見れば、五巻終了時にコミュニティに残っていたキャラクターをモチーフに、選定がおこなわれたことは想像がつく。
 ボーイスカウトの経験があるという稲垣さんのロールモデルは、ブッシュクラフターでもあった【カブト】と考えて間違いないはずだ。
『Swallowtail Waltz』には、不当な理由、少なくともキャラクター個人の感覚では納得出来ない理由で、逮捕された経験のある者が何人かいる。彼もまたそんなキャラクターの一人だった。
【カブト】はオンラインゲームで知り合った少女、当時は中学生だった【ルナ】に、半年以上、家庭の問題について相談されていた。彼女は長きにわたり実母と養父に虐待されていたのである。暴力はエスカレートし、ある日、身の危険を感じた少女は、一人暮らしをしていた【カブト】の家に転がり込む。
【カブト】は請われて少女を助けただけだった。しかし、やがて「未成年者略取罪」の被疑事実で逮捕される。被略取者である【ルナ】の意思とは関係なく、保護者が監護権行使の自由が侵害されていると訴えた時点で、罪状が成立するからだった。
【ルナ】にとって【カブト】は救世主である。自身を脅かす存在とは、実母であり養父のことだった。それでも、逮捕されたのは、罪に問われたのは、少女を救おうとした青年の方だった。
 この社会は欺瞞に満ちた法律で支配されている。
この世界に自分たちの居場所なんてない。
釈放された【カブト】の前に現れた【ルナ】は、自分と一緒に逃げて欲しいと懇願する。そして、二人は【カラス】が作ったコミュニティに逃げ込むことになるのだ。その先に待ち受ける絶望的な結末など、予感すら出来ないままに......。

最初の一匹を釣るまでに、二十分はかかっただろうか。
根気よくチャレンジを続けた清野は、ついに十センチほどの魚を釣り上げる。
「やったぁ! 稲垣さん! これ、何て魚ですか?」
「ウグイだね。成魚ならもう少し大きな個体も期待出来るけど、ここは上流だから、まずまずかな。よし、清野はこのまま釣りを続けて。七匹捕まえないと、全員に渡らないからな。さっきヤマメも見えたんだ。昆虫を好んで捕食するから、そっちも釣れるかもしれない。俺と広瀬はもう少し下流に下りて、別の方法で狙ってみるよ」
 稲垣さんは持参していたもう一つのバケツを手に取ると、ついて来いと目で合図を送ってきた。
釣り竿も網もない状態で、どうやって魚を捕るつもりなんだろう。
 十五分ほど川沿いを下り、支流と合流した辺りで、稲垣さんはバケツを下ろした。
「岩も多いし、この辺にしようか。なかなか良さそうなスポットだ」
「あのー。まさかとは思いますけど、手掴みで狙うんですか?」
「よく分かったね」
「本気ですか?」
「ほかに方法はないだろ。まあ、見てなって」
 自信ありげな顔で稲垣さんは靴を脱いだ。底までよく見える浅瀬とはいえ、泳いでいる魚を素手で捕まえられるんだろうか。
 腕まくりをした稲垣さんの右肘に、十センチほどの目立つ手術痕が見えた。
「広瀬。軍手を持って来たよな?」
「はい。出掛けに言われていたので」
「じゃあ、それをつけて。川魚は想像以上に滑るから」
 釣り竿は一つしかなかったし、彼はもともと掴み取りをするつもりだったらしい。
「ここは水深が浅い上に、岩が点在している。絶好のポイントだよ。パッと見た感じ、小振りな魚ばかりだけど、上流なら仕方ない。簡単にコツを説明するぞ」
 稲垣さんに促され、恐る恐る冷たい川の中に足を踏み入れる。
 俺の動きを確認してから、稲垣さんは腰をかがめて川に手を入れた。
「人間が動けば動くほど、魚は逃げる。先に捕獲する場所を決めて、じっくりと待ちながら狙いを定めるんだ」
「先に水に手を入れておいて、魚が通った時に捕まえるってことですか?」
「いや、これは単に手の温度を下げているんだ。手を川の温度に近付けることで、触った時に魚が驚いて逃げるのを防げる」
「魚って温度が分かるんですか?」
「魚の動きが鈍い冬なら、手を冷やすだけで、結構、簡単に捕まえられるよ。まあ、冬の川に長時間、手を突っ込んでおくのは、別の意味できついけど」
「ですよね」
「待ち構えて捕っても良いし、下流側から適当な岩に当たりをつけて、そっと手を入れて、魚に触れたら、そのまま両手を差し込んで捕まえるって方法もある」
作中でも登場人物たちが頻繁に川魚を捕っていたが、手段は釣り竿と網、仕掛け罠だった。手掴みに挑戦したキャラクターなんていない。
 パソコンの前で小説を書いているだけでは分からないこともある。世の中には、そういう知識が沢山あるのだろう。

 一時間近く粘ったのに、結局、俺は一匹も捕まえることが出来なかった。
一方、稲垣さんは一人で五匹も捕まえている。不甲斐ない話だが、清野の釣果次第では、久しぶりにまともなタンパク源を取れるかもしれない。
「広瀬もこれ、食べてみるか?」
 濡れた足を乾かしていたら、ミツバのような草を稲垣さんが差し出してきた。
「アオミズって言うんだけど、水が綺麗な場所に生える野草で、そのまま食べられるんだ。味がほとんどしないから、味噌汁に入れたり醤油か何かをつけたいところだけど、まあ、それは帰ってからだな」
 校舎を出て以来、沸かした川の水しか口にしていない。腹に溜まりそうにない野草だとしても、口に出来るのはありがたかった。
「広瀬って大学二年生だったよね。誕生日っていつ? お酒はもう飲めるの?」
「十一月生まれです。ただ、お酒を飲めるか飲めないかで言ったら、飲めます」
「文明から離れたとはいえ、さすがに未成年には飲ませられないよ」
「いえ、俺、二十一歳なんです。二浪しているので」
 自己紹介で嘘をついたつもりはないが、すべてを正確に話したわけでもなかった。大学二年生としか話していないのだから、皆が歳を勘違いしていても不思議ではない。
「そうだったんだ。二十歳にしては落ち着いていると思ったよ。お酒は好き?」
「舌が子どもなので甘いお酒の味しか分かりません。でも、好きな方だとは思います」
「生活が落ち着いたら改めて親睦会をしようって、塚田さんと話していたんだ。清野と純恋ちゃんには悪いけど、お酒はガソリンみたいなものじゃない」
「ガソリンですか」
「何を意固地になっているのか知らないけど、佐藤さんは三日間、ずっと感じが悪いでしょ。そういうのも一回、お酒を飲んで打ち解けたら、変わるんじゃないかなって思ってさ。塚田さんに余裕があったら、買って来てくれって頼んでおいた」
 それぞれの判断で必要な物を持ち込んでいるが、実際に生活が始まってみなければ分からないこともある。町まで下りる機会があれば、俺は持ち切れないほど追加の買い物をするはずだ。
「釣り竿と網も頼んでいましたよね。凄い荷物になりそうです」
「初日は食料を最優先に持ち込んだからね。正直、こんなに川魚がいるとは思わなかったんだ。釣り竿が複数あれば、より釣果を期待出来るようになる。餌をつけるのが無理でも、網ならいけるだろ。魚も命がけで逃げるだろうけど、手掴みよりはいけるさ」
「はい。挑戦してみたいです」
 手取り足取り教えてもらったのに、俺は釣果を得ることが出来なかった。仲間の不甲斐ない成果に苛立っても不思議ではないのに、稲垣さんは最後まで優しかった。
「以前、清野が面白いことを言っていたんです。『皆、多かれ少なかれ嘘をついていますよね』って。思い当たる節はあるんです。実際、俺は年齢を誤認させる自己紹介をしましたから。稲垣さんはどうですか? 何か嘘をついていることはありますか?」
 少なくとも気分の良い質問ではなかったはずだが、彼の顔に浮かぶ爽やかな笑みは変わらなかった。
「そうだね。それを嘘と呼ぶのかは分からないけど、本当のことをすべて話していないって意味なら、俺にも思い当たる節はあるよ」

Profile

綾崎隼

1981年新潟県生まれ。2009年、第16回電撃小説大賞<選考委員奨励賞>を受賞し、『蒼空時雨』(メディアワークス文庫)でデビュー。
受賞作を含む「花鳥風月」シリーズ、「君と時計」シリーズ(講談社)、『盤上に君はもういない』(KADOKAWA)など著作多数。本作は著者にとって40冊目の刊行となる。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ
ポプラ社一般書通信 note

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