ポプラ社がお届けするストーリー&エッセイマガジン
メニュー
facebooktwitter
  1. トップ
  2. 小説連載一覧
  3. あんずと一緒に、読者も成長していく一冊

あんずと一緒に、読者も成長していく一冊

 2023年にポプラ社小説新人賞奨励賞を受賞した坂城良樹の『あんずとぞんび』は、“ゾンビ”が存在する社会が舞台である。しかしホラー作品ではない。

 主人公は小学三年生の少女、あんずだ。川の向こうにタワーマンションが立ち並ぶ町で、彼女は母親と四階建てのアパートに暮らしている。以前二人は、父親と一緒にタワーマンションに暮らしていたが、両親の離婚が決まり、母娘は川の反対側に引っ越したのだ。現在は母親が昼夜で仕事を掛け持ちし、あんずも洗濯や料理を担っている。

 あんずは授業でゾンビのことを習う。世界中に未知のウィルスが蔓延し、感染者は肌がうすむらさきになって動きが遅くなり、言葉が通じなくなり、ひどく暴力的になったため、施設に隔離されていた。まるでフィクションのゾンビのようであるため、人々はウィルスを「ゾンビ・ウィルス」と呼んで怖れていたが、ある時から、感染前と同じ意識を保てる患者が出てくるようになり、彼らは英語で「意識的な」という意味の単語から「コンシャス」と名付けられ、二年前から施設から出て社会生活を送ることができるようになった。授業では、あんずはコンシャスの人々を差別しないように、と教えられる。

 人々はコンシャスの患者を「あぶなくない方」と呼んでいる。「あぶない方」は現在一人も残っていないとされているが、SNSには目撃しただの襲われただのといった噂があふれている。そのため「あぶなくない方」も、世の中では差別的な扱いを受けており、労働環境も芳しくはない様子だ。

 アパートにも「あぶなくない方」のおじさんが一人住んでいて、あんずは彼のことが怖くてしかたない。しかし、ある日突然仲良しだった同級生から冷たくされ、放課後彼女のいたずらによりドラッグストアで万引きを疑われて捕まった時、助けてくれたのはそのおじさんだった。

 翌日、教室の黒板には「早坂あんずは万引き女」とあり、同級生からのいやがらせが始まる。突き飛ばされて怪我をして帰宅したあんずに声をかけてきたのが、またもや例のおじさんだ。彼の部屋で手当てを受けたあんずは、おじさんがこっそり猫を飼っていること、部屋の本棚にびっしりと本が並べられていることを知る。以来、あんずは時々おじさんの部屋を訪ねては、猫と遊び、本を読んで過ごすようになる。あんずのいる間、おじさんは必ず外に出てタバコをふかしており、読者には幼い女の子と室内で二人きりにならないようにという、彼の気遣いが分かる。また、おじさんがアパートの他の住人に拒絶されたり、古い知人に冷たい言葉を投げかけられる様子を目の当たりにするうち、あんずは彼の深い孤独を知っていく。

 そんななか、町で悲惨な事件が発生し、アパートの周囲ではゾンビ排斥運動が高まっていく――。

 少女と被差別者のおじさんという、孤独な二人の交流がメインテーマではない。むしろ、あんずの世界は少しずつ広がっていく。おじさんの本棚にあるたくさんの物語との出会いがあり、転校生の浅川さんとは親しくなる。さらには、あんずの母親が意外な働きを見せて、アパートの他の住人とも交流が深まっていくのだ。差別者と被差別者に線引きしてステレオタイプな描き方をしていないのも本書の魅力で、たとえば、一度はおじさんを拒絶したおばあさんも、じつは事情があることが明かされ、そして彼女が変わっていく様子も描かれる。また、ある時あんずは自分が突然無視されるようになった理由を知り、〈差別は、私の中にも、あった――〉と自覚する。善良であろうと正義感が強かろうと無自覚な差別はあるし、どんな事情があろうと差別は差別であり、誰もがどちら側にもなりうるのだ。そのことから目を逸らさないあんずが立派。だが、そんな彼女を悠長に頼もしく感じている場合ではない、とも思わされる。なぜなら、自分は無自覚で無神経な言動など一切していない、などとは誰も言えないのだから。

 物語序盤、ゾンビについての授業で教師が「差別のない平和な世界。それを作っていくのは、ほかでもない、若い君たちなんだ」と言う。そこで〈どうして先生たちを飛びこして私たちが作らなければならないんだろう、とあんずは少し不思議に思った〉とある。その違和感がずっと彼女の中にあったのだろう。物語の終盤、彼女が怒りを爆発させて発する、「ちゃんと、子供がこんなこと言わなくていい世界にしてよ!」という言葉は、読者にも突き刺さるのではないか。本書の主人公が小学生と聞いて児童向けの作品と思われるかもしれないが、あんずの切実な叫びには、大人こそが耳を傾けるべきだろう。「いい話だった」で終わらせてはいけない、現代社会で考えなければならない要素が、この作品には詰まっている。あんずと一緒に、読者も成長していく一冊だ。

■ 評者プロフィール
瀧井朝世(たきい・あさよ)
1970年生まれ。WEB本の雑誌「作家の読書道」、『別冊文藝春秋』『WEBきらら』『週刊新潮』『anan』『クロワッサン』『小説幻冬』『紙魚の手帖』などで作家インタビュー、書評を担当。TBS系「王様のブランチ」ブックコーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』、『あの人とあの本の話』、『ほんのよもやま話 作家対談集』、「恋の絵本」シリーズ(監修)。

このページをシェアするfacebooktwitter

関連書籍

themeテーマから探す