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さまざまな発見と迷いと思索の日々の末に【書評:北上次郎】

 物語の真ん中あたりに、刀鍛冶の剱田つるぎだかがりが三人の客と対峙する場面がある。客はどんな用事で来たんだろうと自室の襖を少しだけ開けて、コテツが盗み聞きするシーンだ。客は夫婦とその娘で、娘さんが近々結婚するようで、その嫁入り道具の一つとして短刀を注文したらしい。そういえば少し前にかがりさんが言っていたなあとコテツは思い出す。

「和装の小物ん一つに懐刀ふところがたないうもんがあってね。本来は先祖伝来の刀とか、しゃんしゃんしつらえたもんを差すんが習わしだいど、最近は式場で全部レンタルできてしまうだけん、わざわざ自前の短刀を贈ろういう親も珍しいわね」

 懐刀というが、実際には専用の袋に入れられて紐で結ばれた状態で帯に差す。結婚式場のレンタルは、本物の刀なんて入っていない。つまり見てくれだけを考えるなら、最初から刀なんて必要ないのだ。そう思いながらコテツが聞いていると、案の定、娘さんが「要らないわよそんなもの。式場で用意してくれるんだから」と言う。「だけどほら、お守りだから。一生ものだし」と言う親に、「本物なんて余計危ないじゃない。だいたいどこに置いておくのよ。将来子供がうっかり触りでもしたら」と言い返して、刀を受け取ろうとしない。どうやら娘さんには言わずに短刀を注文したようだ。

 そこに剱田かがりが「ちょっといいかいね、花嫁さん」と割って入る。かがりはこう言うのだ。

「武家の娘が嫁ぐときに、懐刀を持っていく。それはいざというとき自分の身を守るためであり、あるいは自決のためであったかもしれん。その手段を隠し持っとるいうことが、自分を強く保つための支えでもあったわけだわ。今の世もそうだが、かつての女性たちも強くあらないけんかったはず。そのためには背骨がもう一つ必要だったんだねぇかいね」

 もう少し、かがりさんの言葉に耳を傾けよう。

「その短刀が手入れ以外で鞘から抜かれるのは、おまえさんの身に何かあったときだら。そげな日はこん方がいいし、あたしもそう願っとる。ほっだいどもしそげな日が本当にきたときに、きちんと頼れる刃でなければ意味がないだわ。それが親御さんの願いでもあるけんね」

「そんな、戦国時代じゃないんですから……」

「時代は関係ないわよ。仮に世界からいくさがなくなったって、あんたの人生から戦いがなくなるわけだないだけん」

 結局花嫁さんは短刀を鞘から抜いて「綺麗」と言ったあと、「いただいていきます」と受け取っていく。とても印象深いシーンで、読み終えても残り続ける。懐刀は持つ人の覚悟と、もう一つの背骨であるという真実が、ここから立ち上がってくる。

 火事で火傷を負った高校二年生のコテツが、島根の端のほうに住む剱田かがりという老女の家に厄介になることになり、東京からやってくる。本書はそこから始まる物語だが、問題はこの剱田かがりが刀鍛冶であることで、学校に行かないなら手伝えと言われ、弟子入りするつもりなど1ミリもないのに、まず炭切りから始めることになることだ。

 これが難しい。何度やっても長さが不揃いで、カンナさんから睨まれる。コウさんはいやあいつだって最初はひどかったと慰めてくれるが、カンナさんはいつも不機嫌で怖い。刀鍛冶の世界には、炭切り三年、向こう鎚五年、沸かし一生、という言葉があるようで、一人前の職人になるのは並大抵のことではない。しかし、コテツは剱田かがりが身元引受人になってくれたので島根に来ただけで、刀鍛冶を志したわけではないのだ。それなのに毎日怒られ、睨まれるのは納得できない。

 というわけで、コテツの思わぬ修行の日々が始まっていく。当然そこでは、先に紹介した印象深い場面を始め、さまざまな発見と迷いと思索の日々が語られることになる。コテツに事情があるように、コウさんとカンナさんにも彼らのドラマがあること。刀を作る過程のさまざまなディテールが克明に描かれること。そういったことは本書で確認されたい。修行の日々を過ごすことでコテツが何を学んでいくかも、ここでは全部省略する。ここに書くことが出来るのは、ラスト近くで熱いものがこみ上げてくる、ということだけだ。

 考えるまでもなくコテツはまだ高校二年生なのである。学校に行くとみんなが火傷のあとを見ているようで落ちつかず、そのためにまだ学校には行けないが、しかしいつまでもこのままでいいわけがない。そんな歳で人生を諦めることはできない。さあ、どうするコテツ。

プロフィール
北上次郎(きたがみ・じろう)
1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠らと「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人をつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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