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ヒカリノオト

 心が小さな部屋だとするなら、僕の部屋にはいつも音楽が流れている。心地いいピアノの音だ。
 僕は楽器の演奏はできないし、歌だって歌えない。音楽の知識なんてこれっぽっちもない。
 でも、あの頃に聴いた音楽が今も心に流れている。
 きっと誰にだって、学生の頃に聴いていた音楽が一つくらいあると思う。ロックでもポップでも、ジャズでもクラシックでも、ジャンルは何でもいい。
 青春の頃に何度も聴いたあのメロディ、あの歌詞、あのサウンド。
 その音楽は、たとえ本人が気づいていなくとも、その人の人生に大きな影響を与えているのだろう。

  1

 都内のスタジオで、そめたにさんは最後のシングル曲のレコーディングを行っていた。
 染谷さんとエンジニアの二人がミキサールームの中央に座り、僕は扉の横の椅子に座って、その作業をずっと眺めていた。
 大きなスピーカーから流れる、染谷さんが弾いたピアノの音と、歌声。
「この部分だけ、もう一テイクやらせてくれ」
 染谷さんはさっきった自分の歌に満足しなかったようで、立ち上がってブースへと向かう。
 彼は自分の音楽に、誰の意見も挟ませない。近くにいるマネージャーの僕に意見を求めることも、ない。僕の方もそれでよかった。ただ彼が納得できる音楽を作ってほしいと思う。特に今回は、彼の最後の曲となるのだから。
 どんな曲に仕上がるか、心から楽しみだった。その一方で、この曲を聴いてしまえば、もうそれ以降彼の新しい曲を聴くことはできないのだと思うと、僕は平常心ではいられない。シンガーソングライター染谷たつがデビューして十年が経った。だけど、十一年は迎えられない。その事実を思う度に、僕の心はむりやり乾燥機にかけられたシャツのように、縮んでクシャクシャになる。
 染谷さんはブースから戻ってきて、また真剣な顔で自分の歌を聴く。つぶらな目を開き、丸い顔の輪郭を指でなぞってから、エンジニアと何かを話す。染谷さんの横顔は、やっぱりカバみたいだなと僕は思う。
 三十五歳。アーティストは大抵の人が年齢より若く見えるものだが、彼の場合は年相応というか、どちらかと言えば少しおじさんに見える。今日もTシャツにチノパンというラフな格好が、おじさん感に拍車をかけている。こけしのような体形には、アーティストらしいオーラはまったくない。
 ただ、僕はそんな彼の作る音楽に、何度も人生を助けられてきた。
「テラ。おーい」
 染谷さんが急にこちらを見て言ったので、僕はどきりとして立ち上がった。
「はい、どうしましたか」
「すまん、水買ってきてくれないか?」
 染谷さんは空のペットボトルを見せながら言った。
 わかりました、と僕は言ってから、すぐ外に出たところにあるコンビニへ向かう。外は十二月の冷たい風が吹いていた。寒さに身を固くしながら、僕はあと何度、彼の役に立つことができるのだろうかと思った。こんなことしかできない自分の無力さに腹が立ってくる。
 まだ何も、あの頃の恩返しができていないというのに。

 初めて染谷さんの曲を聴いたのは、今から十年前、僕が十五歳の高校生の頃だった。
 あの頃のことを思い出すと、僕の頭には実在しない薄暗い小さな部屋が思い浮かぶ。誰にも見えない、心の壁で囲んだ場所。そこは窓も扉もない、どこへも行くことのできない狭い部屋だ。僕がそこに閉じこもるようになったのは、ほんのさいなきっかけからだった。
「お前の声って聞き取りにくいんだよな」
 教室で同じクラスの男が馬鹿にしたように言って、周りにいたみんなが笑った。かすれた声だという自覚があったから、心臓がビクッとした。とっさに「ごめん」と謝った僕のリアクションが面白かったのか、それから僕が何かを話すと、ふざけて聞き返すことがクラスで流行はやるようになった。
 大きな声を出そうとすると余計に声はかすれてしまう。思春期の僕は、嫌いだった自分の声がさらに嫌いになり、人と話すことに強い苦手意識が生まれた。
 学校という空間は、話さなくなるとすぐに集団から孤立する。僕は集団から孤立しても強くいられるタイプじゃなかった。一人でいると、一つの悩みは転がる雪玉みたいに、別の悩みを巻き込んで大きくなる。
 ──なんで、生きてるんだろう。
 大人になった今なら、何をおおなと笑い飛ばせるかもしれない。でも思春期のあの頃、一人になった僕は、そもそもどうして自分は生きているのだろうと深く思い悩むようになった。学校にいても、家にいても、何をしても自分がそこにいる意味がない気がする。心の中の薄暗い部屋に閉じこもって、僕は身動きが取れなくなっていた。
 そんな頃に、ラジオから聴こえてきた染谷達也の音楽が、部屋の壁をノックした。ピアノの音と、歌声。何も感じなくなっていた心に、振動が伝わった。これが好きだ、と初めて思った。直感的に、信じられる、とも。
 僕は次の日にCDショップへ行き、染谷さんの音楽を手に入れた。CDジャケットには、ピアノの前でスーツを着て座っている彼の写真が使われていた。まだ若いはずなのに、熟練したジャズピアニストのような風格を漂わせていた。目は離れ気味で、鼻が少し上を向いている。ちょっとカバみたいだなと思った。
 それから来る日も来る日も、僕は彼の曲ばかりをヘッドホンで聴き込んだ。まず声がいい。甘さと渋さの両方をね備えている。サウンドが少しジャズなのがいい。心地いい音の流れを知ると、みんなが聴いている流行りの音楽が、途端に薄っぺらく聴こえた。そしてピアノの音がいい。雑誌のインタビューに書いてあったが、染谷さんはベーゼンドルファー(彼はベーゼンと呼んでいた)というオーストリアのピアノを使っているそうだ。彼のけんばんを弾くタッチと相性が良く、まるですぐ耳元で弾いているような立体的な音が鳴る。
 彼の音楽は、すぐに僕の居場所になった。音楽が居場所になるなんて変な表現だけど、彼の音楽を聴いている間、閉じこもった部屋には小さな窓ができて、そこから光が差し込んでいるみたいだった。どこかに出かける時も、僕は必ず彼の音楽を聴いていた。彼の書いた歌詞は、詩的でありながら心に寄り添うような言葉で、自分は一人じゃないのだと思わせてくれる力がある。それはまるでお守りのようなもので、なぜか自分が少しだけ強くなったような気持ちにしてくれるのだった。
 僕はこの素晴らしい音楽について、無性に誰かに感想を話したい欲が芽生えていた。だけど学校では、彼の音楽を話題にしている人は誰もいなかった。そもそもそんな話ができるような友達もいなかったから、実際のところはわからないのだけど。
 だから僕は、自然とその当時流行っていた、ネット上の掲示板に辿たどり着くことになった。そこではたくさんの人が染谷さんの音楽について、トピックを立てて感想を書き込んでいた。それを見て、自分と同じように彼の音楽を好きな人がこんなにもいることに、僕は驚いていた。まるで人類がいなくなったはずの地球で、地下に隠れて暮らしていた人々を見つけたような気分だった。
 僕は毎日、そこで交わされている会話を眺めていた。そうしているうちに、自分でも一度そこに感想を書き込んでみたくなった。ネット上に自分の意見を投稿するのは、それが初めてのことだった。
[僕は染谷達也の音楽が好きな男子高校生です。彼のメロディやピアノの音は、他の人とは違う美しさがあると思います]
 僕はわざわざ身だしなみを整えてからメッセージを送信した。誰にも見えていないのに。
[高校生で彼の音楽の良さがわかるなんて、センスがいいね。どの曲が好き?]
[最近若い世代にも届いてるみたいで嬉しいな。ここ、意外と年齢層上だから]
 そのトピックに参加していた人たちが、そんな返事をくれた。それから僕は、顔も知らない人たちと染谷達也の音楽を語り合った。新曲が出た時は、それについての感想を伝え合った。誰かと思いを共有するだけで、どうしてかわからないけれど、明るい気持ちになれている自分がいた。
 心の部屋の、光が差し込む窓は少しずつ大きくなり、やがて出入りできる扉も生まれた。僕は彼の音楽に導かれるように、外の世界を歩けるようになった。自分でも不思議な感覚だったけれど、気がつけば、僕は人と話すのがそれほど怖くなくなっていたのだ。僕にはあの音楽がついている。そう思うだけで、不思議と勇気が湧いてくる。好きだと思えるものがあるというのは、それほど大きなことだった。
 大袈裟ではなく、染谷さんの奏でた音楽は僕の人生を変えてくれた。どんなことをする時も、その音が優しく背中を押してくれた。
 初めて彼のライブに行ったのは、大学生になってからだ。ツアーとして、染谷さんは僕の住んでいた地方のライブハウスまで来てくれた。緊張しながら訪れた地下にあるライブハウスは、たくさんのファンで満員になっていた。僕はその景色を前にして、ここにいる人はみんな染谷さんの音楽が好きなのだという事実に高揚していた。もしかしたら、あのトピックで話していた人たちだっているのかもしれない。
 しばらくすると、照明が暗くなって大きな音楽が流れる。ジャケットをってステージに姿を現した染谷さんを見て、ああ、本当に存在するんだと僕はかんきわまった。演奏が始まると、すぐに生の歌声に撃ち抜かれた。何度も鳥肌が立ち、ライブの時間はまるで夢を見ていたように一瞬で過ぎていく。曲の合間のMCでは彼の飾らない人柄が見えて、音楽とのギャップがまた彼を魅力的に見せた。
 そして僕は決心した。大学を卒業したら、東京に行って音楽業界で働こう。染谷さんみたいな人を支える仕事をするんだ。
 ──なんで、生きてるんだろう。
 思春期に抱いていた悩みは完全に氷解していた。僕の生きる意味はこれだ。僕は、僕を助けてくれた音楽にむくいなければならない。
 生きる意味を見出した僕の心は、まきべられたように燃え上がり、熱を持っていた。
 音楽事務所の就職試験を手当たり次第受けていくことに決めた。その中でも、染谷さんの所属する大手芸能事務所「オーガーランド」が僕の第一志望だった。
「御社のアーティストの作る音楽に、これまでずっと助けられてきました。特に、学生の頃から染谷達也さんのファンで、ライブにも行っていました」
 面接でそう言った、僕の熱意をみ取ってもらえたのだと思う。幸運にも「オーガーランド」から採用の連絡をもらうことができた。
 入社してからどのアーティストの担当になるかは、会社の意向次第だ。希望は伝えていたが、結果的に別の、ブルーサウンズという若い新人バンドの担当に配属されることになった。残念だ、という気持ちはあったが、どこにいても自分のやることは変わらない。大切な音楽が作られる現場をサポートするのだ。
 それから三年、そのチームでアシスタントマネージャーとして経験を積んだ。きらびやかな世界だと思って飛び込み、その仕事の地味さと不自由さにへきえきして去っていく者も多い職種だが、僕の場合は性に合っていた。機材のうんぱんや衣装の準備、スタッフ同士のメールのやりとりといった細かい仕事にも負担を感じなかった。その延長線上にある「音楽を届ける」という意義を思うと、十分なやりがいを感じられたからだ。
 仕事の連絡が夜に来ることも苦じゃなく、返事が早いことも評判が良かった。結果的に会社の評価は良好で、先輩には仕事の手際がいいとめられるようになった。
 社会人四年目を迎える頃だった。社内全体での大きな異動があり、僕も別のチームに配属されることになった。そしてそれが、奇跡的に染谷さんの現場マネージャーだったのだ。
 僕はなんて恵まれているのだろうと、無意識に手を合わせて感謝をした。自分の人生を救ってくれた人を、今度は支える仕事に就ける。運命なんてものが存在するなら、これがきっとそうなのだろう。僕はこれから何年も、彼の音楽の一番近くで仕事ができるんだ。
 ……だけど、現実はそんなにうまくいかない。染谷さんのマネージャーになってから、まだ一年も経っていない今。彼は目の前で、活動を終わらせるための作業をしている。
「すまんな」
 僕が買ってきた水を渡すと、染谷さんはこちらを見ずにそう言った。ちゃんとお礼を言わないのはいつものことだ。僕は邪魔にならないように、すぐに元の椅子に戻る。
「うん、いいテイクだな。これをさっきのテイクと繫いでくれ」
 染谷さんはエンジニアにそう言って、新しい水を飲みながら椅子に体を預ける。
 間もなく、彼の最後の曲が完成する。
 この終わらせ方は、本当に彼の望んだ形だったのだろうか?
 考えても、その疑問の答えは出てこない。
 彼の音楽人生は幸せだったのか? 僕は彼のために何ができたのか?
 答えは出なくとも、考え出すと止まらない。
 僕は目を閉じ、彼のマネージャーとして過ごした大切な時間の、一瞬一瞬をつぶさに思い出していく。思えば、初めて染谷さんの担当になったあの日も、僕は彼に頼まれて水を買いにいったのだ。


  *

続きは、発売中の『ヒカリノオト』で、ぜひお楽しみください!

■著者プロフィール
河邉徹(かわべ・とおる)
1988年兵庫県生まれ。関西学院大学文学部卒。バンドWEAVERのドラマーとして2009年にメジャーデビュー。バンドでは作詞を担当。2018年5月に『夢工場ラムレス』で小説家としてデビュー。2作目の『流星コーリング』が、第10回広島本大賞(小説部門)を受賞

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