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令和の今こそ読みたい、最高の恋愛小説【評者:吉田大助】

 恋愛小説が冬の時代だ。さまざまな人間関係やそれらに紐づく感情の中で、恋愛の地位が低下しているという現実がフィクションに反映されているのだろう。世知辛い世の中をサバイブするには、恋愛はひどくコスパが悪いのだ。また、令和の世に恋愛小説を書くならば、恋愛の持つ加害性を大なり小なり意識せざるを得ない。告ハラ(告白ハラスメント)という言葉が今や一定の市民権を得ているが、相手との関係性の中に恋愛感情を持ち込むこと、ましてや地固めもせず脈もないのに告白することは、加害の一種であると認定される向きがある。理解できるし、当然だとも思う。けれども、誰かが誰かに恋をしてのたうち回り、やがて腹をくくって思いのたけを告げる。そんな古式ゆかしき、いささか乱暴で無邪気な、純粋な、それゆえ今どき新鮮な恋愛小説をもっと読みたいなとも思うのだ。新版が刊行された『恋文の技術』を再読して、静かに叫んでしまった。ここにあるじゃないか。
 本作は、「赤い糸」の物語(時おり「黒い糸」)の名手・森見登美彦もりみとみひこが二〇〇九年に発表した長編小説だ。雑誌連載は二〇〇六年から始まっているので、『太陽の塔』でデビューして四年目。初期の傑作かつ怪作として、長らく読み継がれてきた。怪作たるゆえんは、選び取られた形式にある。書簡体小説──手紙だけで構成された小説なのだ。
 全一二話は、一話ごとに手紙の送り先が変わる。健筆を振るう主人公は、京都の大学の大学院修士課程一年目の守田一郎もりたいちろう。彼は指導教授の命により、四月から能登のとの実験所でクラゲ研究に従事させられることとなった。話し相手は実験所のヌシで危ないオーラを放つ谷口たにぐちさんのみで、痩せ我慢はしているものの、一人暮らしは寂しさの極み。そこで、京都にいる面々に直筆の手紙をしたためることを決意した。修士一年の同級生にして親友・小松崎友也こまつざきともやへ宛てた手紙からなる「第一話 外堀を埋める友へ」では、一通目で力強い論理的飛躍が登場する。〈せっかくの機会だから、俺はこれから文通の腕を磨こうと思う。魂のこもった温かい手紙で文通相手に幸福をもたらす、希代の文通上手として勇名を馳せるつもりだ。そしてゆくゆくは、いかなる女性も手紙一本で籠絡ろうらくできる技術を身につけ、世界を征服する〉。
 ところがお相手は、上述の意思表明ではなく〈何か悩み事があれば相談したまえ〉という末尾の一文に激しく反応し、研究室の一個下の女性に片思いをしている、と恋愛相談をふっかけてきたからさあ大変。研究室の先輩・大塚緋沙子おおつかひさこさんへの手紙で構成された「第二話 私史上最高厄介なお姉様へ」で暴かれるのは、第一話で開陳されたアドバイスはどの口が言う状態で書かれたものであったことと、守田自身がある女性に熱烈な片思いをしている事実だ。第三話では京都時代に家庭教師をしていた小学四年生の少年・まみやくん、第四話では大学のクラブ時代の先輩で「偏屈作家」の森見登美彦……。視点人物がパリで遭遇した何気ない出来事を九九通りの文体で描いた、レーモン・クノーの伝説的名著『文体練習』を思い出した。起きている出来事自体はほぼ同じだし、能登の景色はほぼ毎日変わらないにもかかわらず、ここまでバリエーション豊かに一話一話を書き分けることができるとは!
 書簡体小説は、現代では往復書簡形式のものを目にすることが多いが、本作では主人公の往信のみが記録されていく。相手からの返信が読めないからこそ、読者は主人公の手紙の中から欠けた情報を想像しながら読み進めていくこととなる。しかも、文通相手は複数人存在し、手紙は同時期に執筆されている。事実関係を脳内で照らし合わせ、「そういうことか!」と膝を打つ瞬間が何度も訪れるのだ。伏線とその回収という意味で、もしかしたら森見文学史上最もミステリー度合いが高い一作と言えるかもしれない。実は小説全体の構造にもそれが言えるのだが……これ以上はネタバレにすぎる。ただ、ひとつだけ言わせていただきたい。本作は、現実世界でもフィクションにおいても滅りつつある、「告白」をど真ん中のテーマに据えている。真の「告白」とは、他の人を前にした時とは違う、素の自分を相手にさらけ出す行為である。素の自分──最もつまらない自分を受け入れてもらえるからこそ、恋愛には恋愛にしかない価値がある。そう信じられるようになる力が、この作品には宿っている。
 文庫化にあたって書き下ろされた「あとがき 読者の皆様」は、本編にマジックをかける名文だったが、新版に寄せられた「新版あとがき 読者の皆様」には心が震えた。初版限定封入の小冊子には、番外編「我が文通修行時代の思い出~『ビッグな男になる方法』出版十五周年記念パーティ コヒブミー教授(アイダホ州立大学)のスピーチ」を特別収録。エセジャパンな「恋文道」など全編ばっかばかしいのに、おそろしいほど感動できる掌編だ。新版刊行を機に、この作品と初めて出会う人が大勢出現することだろう。と同時に、新版は、既に読んでいるという人がもう一度出会うきっかけにもなるはずだ。
 令和の世の今こそ読まれてほしい。恋する意義を教えてくれる、これは最高の恋愛小説だ。

■ プロフィール
吉田大助(よしだ・だいすけ)
1977年生まれ。埼玉県出身。「ダ・ヴィンチ」「STORY BOX」「小説新潮」「小説現代」「週刊文春WOMAN」などで書評や作家インタビューを行う。X(@readabookreview)で書評情報を自他問わず発信中。

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