ポプラ社がお届けするストーリー&エッセイマガジン
メニュー
facebooktwitter
  1. トップ
  2. その他一覧
  3. 『夏休みの空欄探し』特別SS【前編】

『夏休みの空欄探し』特別SS【前編】

 

 


 今更の話ではあるが、雨音あまねさんは姉馬鹿なところがあるというか、本人がいないところで妹の自慢をよくする。いわく「七輝ななきは記憶力がカバ並み(←ゾウの間違い?)だから」「七輝は虹色の脳細胞持ってるから(←灰色の間違い?)」「ド美声だから(←戦艦ドレッドノート級の美声ということ?)」うんぬん。言いたがっていることには同意するが毎回間違っている。この人はマークシートなのに0点を取る方向ですごい人*1なのかもしれないと思うがそれはさておき、自分の妹をこうまで自慢できる人はなかなかいないのではないだろうか。この姉妹特有の事情も関与しているのだろうが、雨音さんの場合、もしそれがなかったとしても大して変わらなかったのではないかと思う。  
 だがさすがに「七輝は超能力あるから」と言われた時は、隣の清春きよはるともども、ぽかんとなった。
「確かにそれっぽいとこ、ありますけど」勘は鋭い。耳もいい。だが。「超能力」
「うん。あれよ。ASP」
「そりゃまあ動物ですからそうですけど*2……」
「ん? ALT?」
「それは英語の先生です。ESP(・・・)(かと」
 隣の清春が口を押さえて「ていうか実は一文字も合ってないの笑える」と肩を震わせている。そういえば近いようでいてぎりぎりのところで一文字も合っていない。何かすごい。
「そうESP。この間気付いたんだけどね」雨音さんはトマト汁をほとばしらせながらモスバーガーを頬張りつつ言う。「ほほひははふひへーいいへうお」
「いや食べてからで」なぜ喋っている途中で頬張った。
「ん」雨音さんはまた頬張った。「あのね朝とか、ごはんで呼びに来たときとか、私が寝たふりしてると絶対『寝てていいからね』って言ってくるの」
「はあ」
 さっきより頬張っているのになんで今度はちゃんと喋れるのかよく分からないが、それを見て「やっべ。かわいい」と顔を覆っている清春も最近ちょっと分からなくなってきた。
「ふほふはい?」
「はい?」
「だって本当に100%なんだよ。私がたぬき寝入りしてるの100%当ててくるの。どうなってんの? って思う。ちょっと顔、のぞくだけでだよ?」
「……そんな普段から狸寝入りしてるんですか?」それより食べ方が変わらないのに喋れたり喋れなかったりするのは何故だろう。
「いや、そんなにじゃないけど。『時々』と『たまに』の中間ぐらいだけどね」
 わかりにくい。「でも、その中では100%だ、と」
「うん。だって昔からずっとだよ」雨音さんはハンバーガーを口に押し込んだ。下側のパンだけが残った。「すごくない? なんで分かるの?」
 雨音さんはもごもごと食べつつ椅子に座り直し、眼鏡を直す。なるほど当人からすればそう感じるのかもしれないな、と思ったが、隣の清春も腕組みをして「すごいっすね。分かります。七輝ちゃんそういうとこある」と頷いている。
 どうしようか迷った。僕から見れば、すごいも何も「なぜ100%当てられるのか」の答えは一つしかない。だがそれをこの場ですぐに言ってもいいものなのかどうかは、少し悩んだ。世の中には謎を提示しておきながら、ただ単に「すごい」「不思議」と盛り上がるだけが目的の会話というものがあるのだ。そこに解答を提示してしまうと「ふーん……」と盛り下がることがあるため、分かっても言わない方がいい時もある……というか、日常会話においてはそれが普通なのだった。人は全ての問いに解答を求めてはおらず、単に「共感」が欲しいだけの時も多い。それに解答を出したとして、出した当人は気持ちがいいし「解けた人」になれるが、その場のそれ以外の人間は「解けなかった人」の立場にされるわけだ。面白くない、と感じる人もいるだろう。
 だが、悩んだのは少しだけだった。僕は夏休み、ここにいる雨音さんや清春と、さんざん「謎解き」をしてきたのだから。
 そして今も、雨音さんが何やら期待する目でこちらを見ていて、それに気付いた清春もニヤニヤしながらこちらを見て、何やら待っているのだから。
「……うん。はい。ええと」僕はジンジャーエールをちょっとすする。「……『生存者バイアス』ってのがありますよね」
「ほほう?」清春がこちらに体を向ける。そんな些細ささいなことが少し嬉しい。
「あ、聞いたことある」雨音さんは人差し指を立てた。「何だっけ」
「つまり『失敗した事例を考慮に入れないために結果の解釈を間違う』ということが起こりがち、っていう話です」
「ほほう?」
「具体例カモン」
「この場合で言うなら、狸寝入りかどうか見抜くのに失敗したケース――つまり雨音さんが本当に寝ているのに声をかけたケースは、雨音さんの記憶に残りませんよね。だってその時は本当に眠っているんですから」
 清春が「あっそうか」と言い、たっぷり三秒の後、雨音さんも「あっそうか」と続いた。「そっか。じゃ七輝は別に私が寝てるか見抜いてるわけじゃなくて、単に毎回全部声をかけてただけなんだね」
 急に理解が早くなるのが不思議だ。「そうです。だから生存者バイアス」
 この単語を繰り返してよいのか少し迷ったのだが、雨音さんは「確かに私、いつも死ぬ感じで寝てるわ」と頷いている。
「言われてみりゃ当たり前だよな。でも言われるまで分かんなかったわ」
 清春が素直に感心してくれる。僕はついでに「必勝法詐欺さぎ」の話をした。たとえば「競馬の必勝法を教えます。本物である証拠に次の〇〇レースでは〇番を買ってください。当たりますから」というメールが届く。それが当たる。メールを送られた人はつい「当たった!」と驚き、「もっと詳しく知りたい方はこちらのURLを」と指定されたところをタップしてしまい、個人情報を抜かれたり高額の「授業料」を払わされたりする、という詐欺である。これも生存者バイアスを利用している。つまり詐欺師は、同じ内容で予想内容だけ変えたメールを全パターン作り、何万通もバラまいているのである。100000通バラまけば、そのうちの95%、つまり95000通が予想を外していても、5000通が当たる。当たりを送られた人のうちもっとも迂闊うかつな1%は、本気で信じて高額の支払いをしてしまうだろう。つまり50人から金を騙し取れる。1人から20万円引っぱれれば、ただメールを送るだけで1000万円手に入る、という寸法である。
 二人ともその話を感心しながら聞いてくれ、そこから自分がいそうになった詐欺の話題になった。その空間にいる僕はしみじみ幸福を実感していた。僕の知識。「難しい話」など他人にとっては何の価値もないものだと思っていたし、話しても面白がられることなどない、といじけていた。今年の夏休みが始まるまでは。
 ただその一方で、僕は自分の話に首をかしげていた。雨音さんの狸寝入りを100%見抜くという七輝。確かに一見、生存者バイアスで説明はつく。
 だがよく考えると、これはおかしくないだろうか?

*1 たとえば五択で二十問だとして、すべて外す確率は0.15%程度。
*2 アスパラギン酸(正しくは「Asp」と小文字表記)。アミノ酸の一種。


※後編は6月5日発売の文庫『夏休みの空欄探し』の帯袖のQRコードからご覧になれます。
 楽しみにお待ちください!

似鳥鶏(にたどり・けい)
一九八一年千葉県生まれ。二〇〇六年、「理由あって冬に出る』で第十六回鮎川哲也賞に佳作入選し、デビュー。同作品を含む<市立高校>シリーズ、<楓ヶ丘動物園>シリーズ、<戦力外捜査官>シリーズ、<育休刑事>シリーズがいずれもロングセラーに。その他『名探偵誕生』『彼女の色に届くまで』『叙述トリック短編集』『刑事王子』『唐木田探偵社の物理的対応』など多数。

このページをシェアするfacebooktwitter

関連書籍

themeテーマから探す