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京都上賀茂、神隠しの許嫁 猫耳の願いと運命の契り

 かみ神社の東側、しゃ町のどこかにひっそりと佇むその店に、客が訪れることは久しくなかった。
 店にあるのは古道具ばかり。長く大切に使われてきたものから、壊れて捨てられていたのを修理したものまで。和洋問わず、日用品がずらりと並べられている。
 忘れられたのか、必要とされなくなったのか──やがて店は仕舞屋しもたやとなり、色を失っていった。
 そこへ人がやってきたのは昨夏のこと。
 彼女の名はべに。古い道具の声が聞こえる不思議な能力で店へと辿り着く。
 そして店にいたのは、人を拒み続けていた白椿のもののけ、しろ
 二人の再会は、新たに店に光を灯し、色を咲かせてゆくことになる。

 その店の名は『古どうぐや ゆらら』。
 数多の古道具とつくも神が暮らし、もののけと人間が店に立つ。
 訪れた人がどこかに仕舞ってしまった思い出に、再び出逢えるように。


 ぽぴんを吹きながら

 その柔らかな横顔を見て気がついた。
 私はこの人が、好きなのだと。
 大学に通いつつゆららで働き始めて半年。大掃除を無事に終えて新年を迎えた。長い間客が来ることがなかった古道具屋は、相変わらずかんどりが鳴きまくる日々だ。
 だけどたくさんの古道具たちを始め、つくも神のみんなと賑やかで穏やかな時間を過ごせている。裁縫箱のすけと手芸をし、植木鋏のぎんの庭仕事を手伝い、持つと雨が降る洋傘のしょうようと共に出かけ、絵皿だったたんとくだらない話で盛り上がる。ゆららの経営者で古鏡のとうせいもさすがに年末年始ぐらいはと放浪の旅から帰ってきていて、また新たな古道具を店先に並べていた。
 そしてふる山茶つばきのもののけである眞白とも、相変わらずだ。
 大晦日と元日は家で祖母と過ごし、二日の今日は上賀茂神社に来ている。
 眞白と、初詣の約束をしていたのだ。
「……周りの視線が痛いんだけど」
 が、一の鳥居をくぐる前に、すでにそれを後悔していた。
「振袖は華やかでおめでたい空気が増しますからね。よく似合ってますから殊更に」
 眞白はそう言ってにっこり微笑む。
 そうじゃないだろ、というため息をぐっと堪えた。どこに私を見ている人がいるというのだ。
 眞白は目立つ。髪も肌も白く、その容姿が恐ろしいほどに美しい。着物を着て歩く姿も様になっていて、異彩なオーラを放っている。
 このうえ、神格を得てさらに眩しくなったらどうなるのだろう。
 横目で、人混みにもめげず涼やかな顔で歩く御仁を見る。
 神格──二百五十年も生きた眞白に、上賀茂神社のたまよりひめ様はそれを与えたがっていた。詳しくは知らないけれど、要は神の資格を与えて管理職に就かせるということらしい。眞白は近隣の山々のエリアマネージャー的な役割をするのを嫌がって断ってはいるものの、そろそろ玉依姫が押し勝つんじゃないかとなんとなく思っている。
 そして神格を得ると眩しくなるという。イメージはつく。灯青がそうだからだ。あの人の、背中に星でも舞ってるんじゃないかという目映さが頭に浮かんで、今度こそ長大息をついてしまった。
 初詣の話題が出たときに、それなら着物の人もいるだろうし、人も多いし、眞白もそんなに目立たないかもしれないと思った自分が憎い。
 現実は逆だ。人が多いからこそ、皆が遠慮なくこちらを見る。いや、見ているぐらいなら全然構わない。スマホを向けられたり、あろうことか勝手に触れようとする人まで出てくる始末。
 ゆっくりとした人の流れに乗って二の鳥居に着くまでにへとへとになってしまった。
 玉依姫様に頼んで、姿を消すまじないとかかけてもらえないだろうかと心底願ってしまう。私と眞白を物理的に離れられなくしたあの人ならそれぐらいできそうだ。
 ……いや、そんなことを頼んだら見返りになにを言われることやら。言われるだけならまだしも、また変な事態になったらめんどくさいことこのうえない。
 今度はため息を我慢する。こんな日に、そう何度も肩を落としたくない。
「大丈夫ですか、足が痛いとか鼻緒がきついとかありませんか」
 そう言って眞白が私を覗き込む。白く綺麗な髪がさらりと肩を滑っていた。わかっている。その整った顔立ちと、所作の良さに罪はない。
「大丈夫。ちょっと人が多くて疲れただけ」
 そう答える私に眞白が頷いた。
「確かにすごい人ですね。私も初詣は久しぶりなので失念しておりました。あまり長居はせずに、ゆららに戻りましょう」
 私もそれがいいと同意して、そのまま人の波に乗って楼門をくぐり本殿へと詣ることにした。
「よく似合っておりますよ」
 中門をくぐろうと階段を上っているとき、眞白が唐突にそんなことを言った。
「……すでに十回ぐらいは褒めていただきまして」
「ええ、何度でもお伝えしたいぐらいにお似合いです」
 しれっとそんなことを言い出すから困る。
 眞白は噓が壊滅的に下手だった。それが灯青にペナルティとして噓がつけなくなるようにされてから、噓をつくことがなくなった。が、それとは関係なしにどうしてかやたらとナチュラルに褒め言葉を言いだすようにもなった。個人的には、なんだか軟派な感じがして微妙だけれど、灯青のように誰にでも言うわけじゃないからまだマシかなと思うようにしている。
 本殿に詣ると、艶やかな振袖姿の女性たちの姿が目に入った。赤に白にピンクにと鮮やかな色合いで、髪形にも化粧にも気合いが入っていてかわいらしい。
 それに比べると、私はだいぶ地味だ。
 いや、振袖に罪はない。それどころか祖父が祖母の着物から私にと仕立て直してくれた大切なものだ。鶯色の地に大振りの紅白の梅。よく似合うと祖父も祖母も褒めてくれた。全面に柄が入っていないすっきりとしたデザインで、派手すぎず私も気に入っている。帯も半衿も重ね衿も帯締めもセンスのいい祖母がコーディネートしてくれた。
 だけどちょっとだけ思う。眞白の横に立つには、かなり物足りないのではないかな、と。
 もちろんそれは、今日に限ったことではない。眞白はどこに行ったって目立つ。べつに着るものや身につけるものにこだわりがあるわけでもなく、灯青と違って派手好きでもない。それでもはっと人目を引くものがあるのだ。
 それはやはり、眞白が白椿のもののけだからなのかもしれない。私はその姿を夢でしか知らないけれど、枝振りも咲かせる花も、それは凜とした月気のように美しかった。
 そんな人の横を歩く。ごく平凡な、ただの人間の私が。
「どうかしましたか?」
 本殿を過ぎ、おみくじを買う人たちから少し離れた場所で、そう言って眞白が立ち止まった。
「え……あ、いや、普段ここって入れないのにすごいなって」
「ああ、確かに本殿は普段入れませんからね。お正月の間は特別です。そして同じく通常は曜日限定で開門されておりますこちらのしんぐう神社」
 そう言って眞白は右手をすっと上げ、後ろに立つ建物を紹介し始めた。
「こちらは水の守護神である龍神、たかおかみのかみが御祭神でして、辰年には非常に多くの方が参拝にいらっしゃるそうです」
 至極まじめに、きりっと教えてくれる。その姿に思わず笑ってしまう。
 眞白はこういうことに詳しい。どうしてかと聞いても「それなりに生きてきているので」としか言ってくれないけれど、古いものが苦手で寺社仏閣に全く明るくない私にはありがたい。
 それにこういう話をし出すときは、空気を和らげようとしてくれるときだということもこの半年で学んだ。
 そう、もう半年経つ。眞白と再会してから。あれから共にゆららに立ち、あちこちに出かけ、それなりに一緒の時間を過ごしてきた。
 ざんの送り火の日にはきたやま通りから街道を歩き、とうふく寺に紅葉狩りに行き。見たい展覧会があるからとおかざきの京都市京セラ美術館にも行ったし、十二月には京都駅で大きなクリスマスツリーも見た。
 思い起こせばどこに行ったって眞白は目立っていた。そして当の本人はそれを全く気にしていなかった。いつだってため息をついていたのは私の方。
 今だってそうだ、新宮神社の前で観光案内よろしく立っている眞白をたくさんの人が見ている。
 それでも、眞白が見ているのは私だ。
 ふっ、と肩の力が抜けた。
 新宮神社に二人並んで柏手を打つ。それからおみくじを引くことにして列に並んだ。行列の先に並ぶおみくじは多種多様で、振って出てきた番号を告げるものから人形を選ぶものまである。がらすなす、干支、神馬は人形の中におみくじが入っていて、木彫りの馬は口におみくじをくわえていた。
 私はせっかくなので干支を、眞白は神馬を。すべすべとした手触りで丸っこい人形はかわいらしかった。同時に開いたところ、眞白も私も大吉、しかも番号まで一緒だった。まさかの結果に顔を見合わせて笑う。
「運勢が一緒かー」
「おや、不服ですか」
「いいえ、大吉なので良しとします」
 だいたいここで自分は願い事が叶うらしい、自分は旅行が良くないと盛り上がるものだろう。なのに書いてあることまで一緒とは。
「お互い、なにがあっても共に乗り越えられるということでしょう」
 そう言いながら、丁寧に眞白がおみくじをたたんだ。細くなったそれを近くにあった専用の結び所にくくりつける。吐く息は白く、細いその指先はほんのり赤くなっていた。
 その柔らかな横顔に、私ははたと気づく。
 ゆっくりと吐き出した息は、眞白と同じように白く、でもきっと湿度が高く。
 胸のなかに温かいものが広がってゆく。それはじわりじわりと私を侵食し、溢れ出てしまいそうになる。
「紅緒も結びますか?」
 そう言われて、私もたたんでいたおみくじを結びつけた。眞白の隣を選んだら、私の結び目の不格好さが目立って、わずかに後悔する。
 それでも。
 それでも、私は眞白の隣にいたい。
「今年も良いことがありそうです」
 微笑む眞白の姿に、私も頷いた。
 今年も良いことがありますように。そしてそれが、ずっと続きますように。
 特別な日々じゃなくていい。今日みたいな日が、隣で眞白が笑っている日が、これからもずっと。
 それなのに冷たい風が頰を叩くと同時に、頭の片隅に小さな影が忍び寄った。
 私は、その顔をずっと知っている。先のことはわからずとも、今はとにかく一緒にいたいと願った去年の夏よりずっと前から。
 神隠しに遭った四歳の私を救ってくれたのも、今の眞白だ。所作も笑顔も、髪の長さすらもなにも違わない。
 だって眞白はもののけだから。彼はすでに二百五十年ほど生きている。私はあれから十五年、あたりまえだけど背も伸び顔つきも変わり、子どもから大人へと成長している。でも眞白は違う。
 ずっと、眞白だ。
 すっ、と冷たい風が頰を撫でた。吐く息が白い。指先がかじかんでいる。
 私は人間だ。人とは違う、古道具の声が聞こえる能力を持っていたって、人間には違いない。
 だけど眞白はもののけだ。そんなことはわかっているし、承知の上で一緒にいたいと願って今もここにいる。忘れるという選択肢は選ばなかった。もののけの眞白と、つくも神がいるゆららを私は選んだ。彼らともっと一緒に過ごしてみたいと、違う存在だとわかっていたうえで選択したのだ。
 なにを今さら、だろう。
「紅緒?」
 眞白が首を傾げて私を見た。どうかしましたかと。その表情も、いつも同じだ。
 柔らかくて、美しくて、優しい。
 きっとこの先も、ずっと同じなのだ。
 圧倒的に生きる時間が違う。
 そんなこと知っていたくせに、どうして今急に、不安になるのだろう。
「あ、ごめん。ちょっと考えごとしてた」
 自分でもびっくりするぐらいに、軽くて噓くさい声が出た。
 でも眞白は疑わない。追及しない。子どもっぽいところもあるし、人と関わるのはずっと避けてきたとはいえ、気遣いはやはり長けている。今もそうだ。私を見てそうですか、と頷きながら「ではそろそろ帰りましょうか……いえ、かたやま神社がまだでしたね」といつものように話を続けてくれる。
 どうしたって私が先に死ぬ。それはわかりきっている。眞白を置いていくことになる。そう、眞白はまた置いていかれる。
 それは眞白もわかっているはずだ。
『紅緒が言うように、どのような者にも隔てなく別れはいずれ来るのでしょう。きっと、私はまた送る側になるやもしれません』
 去年の夏、それでも眞白に会いたいと走った私に彼はそう言った。そしていずれ来るその日のための思い出が全然足りないのだと教えてくれた。だから一緒にその時間を作ろうと、ふたりで誓いあったのだ。この上賀茂神社にあるむつみの木の前で。
 あのときの表情、私を抱きしめてくれたときの体温、「帰りましょうか」と差し出された手。全てをまざまざと思い出せる。
 でも、そのときの眞白の想いがどういった感情なのかは、実は未だにわからない。嫌われてはいない、と思う。灯青に「デートはどうだった?」と聞かれても「私の所用につきあってもらっただけです」とあしらうし、「今日の紅緒ちゃんかわいいじゃーん。良かったねえ、ましろん」とにやつかれても「紅緒はいつもかわいらしいですよ」とさらりと答えてしまうだけだし。その口からはっきり聞いたことがない。
 私もかつて眞白が咲いていた屋敷に住んでいた少女のように、眞白からは家族のように思われているだけかもしれない。
 ゆっくりと歩き出した眞白の横に並ぶ。
「足下に気をつけてくださいね」
 と眞白が私に手を差し出してくれる。
 ここは緩い坂に幅の広い階段だ。慣れない草履とはいえ、そこまでの危険はない。
 それでも彼は手を差し伸べてくれる。
 いつもと同じように。きっと、これからも同じように。
 私はこのざわめくものが伝わらないようにと願いながら、自分の右手をそっと重ねた。

 ゆららに戻ると前庭で盆栽の世話をしている銀次の背中が見えた。
「ただいま」
「お嬢さん、眞白様、お帰りなさい」
 声をかけると振り返って笑顔を見せてくれる。
 去年の秋頃から、銀次は盆栽に精を出し始めた。植木鋏のつくも神だからか、元々庭木の手入れは得意らしい。眞白も椿らしく木々に詳しいけれど、銀次の場合は植栽や管理に長けていた。盆栽の良し悪しは私には難しい。でもゆららに並んでいた鉢に小さな松や紅葉を植え、丁寧に扱う銀次を眺めるのは好きだった。
 私が初めてここに来たときは、とても寂れた印象だった。掃除がされていないわけではないものの、店へと続く飛び石周りはがらんとしていて薄暗くて、夏なのに生気が感じられなかった。
 それが今では、銀次と眞白のおかげで手入れの行き届いた木々や季節の花が咲く明るい場所となっている。今はざんが赤い花を散らし、庭を彩っていた。
「あっしもすぐに行きやす」という銀次に待ってるねと返事をし、ゆららの玄関から中に入る。
 この半年、整理整頓と掃除に励んだおかげで、ゆららの店内は随分と明るく小綺麗になったと思う。古道具が減ったわけではない。むしろ増えている。それらが所狭しと並ぶ姿はまだまだ雑然としているけれど、もう以前のような暗い陰はなかった。
「おかえりなさいませ」
 そこから奥の住居部に入ろうとしたところで、お盆を持った商羊と目が合った。深々とお辞儀をする彼は今日はエプロンをつけていて、オールバックに髭という紳士っぽさとのギャップがかわいらしい。
「あっ、眞白様、紅緒さん、おかえりなさい」
 その後ろから同じく小さなエプロンをつけた亥之助がひょこっと顔を出した。お正月だからだろうか、えん色の蝶ネクタイがよく似合っている。
 二人でお昼ご飯の準備をしてくれていたらしい。
「ただいま。手伝おうか」
 そう声をかけると、二人は揃って勢いよく首を横に振った。
「大丈夫です、今日は商羊さんがいるので!」
「ええ、私めにお任せください」
 確かに、自ら『この屋敷の執事』と称する商羊に任せておけば不安はない。実際、彼の手際はとても良くスマートだ。普段はひゃっこうの日にしか人化できないけれど、今日は灯青によって人の姿にしてもらっていた。「こんな日こそ私の出番です」と自ら灯青に交渉したらしい。
 普段の洋傘の姿でも私は彼に触れてよく話をしていた。その物腰の柔らかさのせいか、商羊と話すととても落ち着くのだ。
 それに、彼は私をここへと導いてくれたつくも神でもある。
 少し前に、ずっと気になっていたことを聞いてみたことがある。「どうして私が神隠しのときの子だと気づいたのか」と。
 だって眞白だって四歳の私と今の私が結びついていなかった。そんな彼に私があの少女だと伝えたのは商羊だ。神隠しの間のことはずっと忘れていたとはいえ、私は商羊とは初対面のはずだった。
 洋傘の柄に手を乗せて聞く私に、商羊は穏やかに微笑むような気配をくれた。
『実はあの日、私もあの場にいたのです』
「神隠しの、あのときですか」
『ええ。あの日、薬箱のつくも神を呼びに行ったのが私でして。大丈夫ですよとあなたの隣に膝を折ったとき、あなたは私の手をそっと握ったのです』
「えっと……ごめんなさい、あんまり覚えてないかも」
『ええ、ええ、それはいいのですよ。きっとあの場の空気を感じ取って心細かったのでしょう。それで私は覚えていましたし、すぐにわかったのです』
「ん? いや、よく話がわからないのですが」
『これでも私、特技がございまして。私を握った手がどなたの手か、判別がつきますし忘れないのです』
「……え? ええ? いや、四歳の私ですよ? まさか指紋とか?」
『いえいえ、さすがにそこまではわかりません。ですがその手から感じる雰囲気、力の入れ方、質感はそう変わるものではありません』
 その堂々とした自信に私は左様ですかと納得するしかなかった。
 だから、しゃくいんで私に触れたときには気づいていたのですよ、と商羊は懐かしむように語ってくれた。祖父の墓参りに行ったあの日のことだ。去年の六月、突然の雨をしのごうとしたとき、古いけれどとても大切にされているであろう洋傘を私は見つけた。
 そして、それがきっかけで眞白と再会することになる。
「覚えていてくださって、ありがとうございます」
 私の言葉に商羊は微笑んでくれた気がした。ちょっとだけ後悔した。その話は、百鬼夜行のとき、商羊が人の姿のときに聞いた方が良かったなと。
「それではお言葉に甘えさせていただきます」
 私の言葉に二人が「もちろんです」と笑顔で頷いてくれた。
「眞白様もなにも手伝わなくていいので、先にお座りになっててくださいね!」
 家事類がいっさいできない以上に、なにをやってもトラブルしか巻き起こさない眞白は、亥之助にしっかりと釘を刺されていて笑ってしまった。
「紅緒ちゃーん、おかえりー。どうだった? 楽しかった?」
 床の間のある客間の襖を開けると、そこにはすでに灯青が座っていた。今日はまたいちだんと眩しい。正月だからだろうか。しかし明るく飄々とした声の割には気だるげな雰囲気で、どうやらすでにお酒を飲んでいたようだ。
「いやーてかほんと振袖かわいいね。似合ってる似合ってる。ましろんも良かったねー」
「灯青、正月早々うるさいです」
「やだ、ましろんたら照れちゃって。ていうか正月早々もなにも俺はいっつも俺だし」
 すでに酔っぱらってるのだろうか、とテーブルの上にある瓶を見る。お酒に詳しくないけれど、それがシャンパンだということだけはわかった。
 みんなでお節を食べよう。そう言ったのは灯青だった。十一月の頭ぐらいには言い出して、北山の老舗洋食店にさっと注文まで済ませていた。我が家も本格的なお節を作らなくなって久しいけれど、買うんだと驚いていたら「うちじゃ誰も作らないし、まさか紅緒ちゃんに作らせるわけにもいかないでしょ。それにあの店のお節、和洋折衷でおいしいんだから」と灯青に言い切られてしまった。じゃあお雑煮ぐらい作りましょうかと言ってみたものの、お雑煮は知り合いのつくも神が毎年作ったものをわけてくれるらしい。餅もまた別のつくも神たちがたくさんついてくれるらしく、あんこはまた別のつくも神が……と、ほとんど正月の準備はしなくていいのだと言っていた。
「これでも俺、神様だし偉いし」
 そうつくも神のエリアマネージャーである灯青は胸を張っていた。そしてそれはどうやら本当らしい。
 テーブルには三段のお節に白味噌のお雑煮、鯛のお頭焼き、伊勢えびにお煮染めに紅白饅頭に、とどんどん並ぶ。私もせっかくだしと毎年我が家でお正月用に作る豚の角煮をたくさん作って持ってきたけれど、必要なかったというかむしろハレの日の料理というより、家庭料理という感じでちょっと恥ずかしい気持ちさえ生まれてしまう。特にお節に入っているローストビーフと並ぶとなんとも……いや、豚の角煮に罪はない。おいしいし。
 正月飾りを設えた床の間を背に灯青が座り、私と眞白、亥之助と銀次という順番で座った。商羊は「私は執事ですから」と控える様子を見せたものの、今日ぐらいはと共に座らせた。
 それでは、と乾杯をし、そこからはまあ、あっという間だったと思う。
 つくも神というのは大食漢しかいないのか、というぐらいみんなよく食べる。それは普段の様子から知っていたものの、ちょっと甘く見ていた。テーブルからはみ出さんばかりの大皿料理の数々が、どんどんと消えてゆく。亥之助なんて小学生といった見た目なのに、その小さな身体のどこに入るのかという勢いで食べる。
 つくも神ではない眞白も、まあよく食べる。元々甘いもの好きだからか、栗きんとんに紅白饅頭にあんこ餅にと幸せそうに食べている。
 さいわいにも、豚の角煮もみんな喜んで食べてくれた。
「で、初詣デートはどうだった?」
 一人でシャンパンを一瓶空け、今度はウィスキーを飲み始めた灯青がまたそんなことを言い出した。持ち上げたグラスの氷がカランと音を立てるその様は、まるで広告のようだ。
「酔っぱらいました?」
「まっさかー。御神体で神様な俺がお酒に弱いとでも?」
 違うのか、とその顔をまじまじと見る……も、たしかにさっきまでとなにも違わない。とはいえ、顔に出ない人もいるだろう。私たちが帰ってきたときには既に出来上がっていた可能性もある。話半分に聞いておいた方が良さそうだ。
 眞白をちらりと横目で見ると、聞いていないようだった。というかどこから出てきたのかお重にお節のように詰められた和菓子を見て嬉々としている。それはとても華やかでかわいらしく、私も食べてみたいなと気になってしまう。
「そうですね……眞白が目立つので大変でした」
「あはは。真っ白だもんね、眞白だけに」
 やはり酔っているに違いない。と思ったら、お雑煮の餅を食べていた亥之助が噴き出した。これでか、これでいいのか、と思わず彼を見る。幸い、餅を詰まらせてはいないようだ。
「まあもう慣れたというか、諦めたというか」
 とりあえず私はスルーしておこうと会話を続ける。
「諦めたの?」
「だって、本人が気にしてないですから」
 私の言葉に、今度は灯青が噴き出した。まあ確かにね、と片肘をついて眞白を眺めている。私も和菓子を頰張る横顔を見つめる。
「それぐらい気楽にいくのがいいよ」
 そこでようやく眞白は灯青と私の視線に気づいたらしい。きょとんとした顔で「なにか」と私たちを交互に見る。
 眞白は、それこそ私と再会するまで人間と関わることを避けていたという。といっても、ゆららに籠もっていたわけではない。趣味の読書の本や大好きな甘いものを買いに行ったり、季節を彩る植物を見に散策に出かけたりはしていたそうだ。
 でも、それだけ。必要以上に他者と関わらず、ゆららを中心に長い時を過ごしていた。
 玉依姫と違い、灯青はそれを責めはしなかったそうだ。眞白の好きなようにさせていた。それは灯青のスタンスなのだと思う。私にだって灯青はああしろこうしろだなんて言わない。こんなに緩くてテキトーで、ゆららのオーナーなのにしょっちゅう出かけて帰ってこなくて。それでも憎めないのは他人を尊重してくれるからだろう。
 気楽にいくといい。それは灯青そのもの。彼を表す言葉。
 とはいえ、それと私の気持ちは別だ。
 気楽にか、とお煮染めを食べる。お出汁の味がしっかり染みた人参がおいしい。作ったのはどこのつくも神なのだろう。レシピが知りたい。
「で、二人はいつ結婚するの?」
 しみじみとかみしめていたところで予想外の言葉が灯青からやってきた。
「はい!?」と結構なボリュームの声が出てしまい、一同の視線を集めてしまう。
 前言撤回。他人を尊重するスタンスはここになかった。
「めずらしい。紅緒ちゃんが焦ってる」
「いやいや、そんなこと突然言われたら驚きますって」
 なんとか動じていないふりをして言ってみるものの、灯青はすっかり楽しそうな顔でによによと私と眞白を見てくる。
「灯青、からかうのはよしてください」
 眞白も呆れたようにそう言うものの、効果はない。
「だって、婚約解消してないでしょ? だから気になって」
 そう言われて、私も眞白もぐっと黙ってしまった。
 確かに、私が神隠しに遭ったときに結んだ婚約はそのままになっている。解消しますと言い張っていた眞白も、私が思い出してここに戻ってきてからは、言わなくなっていた。
 だけどそれは、べつに結婚を決めたからというわけじゃない。むしろそのことはまだまだ考えられないと思っているし、解消するにも何事もなく──指切りの通りにならずに済むにはどうしたらいいのかわかっていないから、保留にしているだけだ。
 ……と思っている。
 結婚。
 その言葉がずしりとのし掛かってきた。
 婚約のことを忘れていたわけじゃない。ただ考えていなかった。一緒にいたいだけ、そう思って過ごしてきた。
 だけど今は。
 もし、この想いが届いたなら。
 結婚、という選択もあるのだろうか。
 思わず眞白を見る。彼も私を見た。目が合う。
 もし眞白と結婚するとしたら。灯青が言っていた、できないことはないと。その場合、人間のまま添い遂げるか、もののけへと変化して共に生きるか、選択できると。
 人間のままかもののけになるか。
 その選択を、しなければならないのか。
「灯青様、そういったことは外野がとやかく言うことではありません」
 黙ってしまった私たちを気遣うように、商羊がそう苦言を呈してくれた。亥之助や銀次もうんうんとそれに同意するかのように頷いている。
 そういえば、誰もそのことには触れてこなかったなと今さらながらに気づく。私がここにいるのを当たり前のように受け入れてくれて、人間だからと遠慮することもなく、新しい友人として接してくれていた。少なくとも私はそう思っている。それをありがたく享受して、ここにある古道具たちの新たな出会いと、人間の悩みや迷いを手助けしたいという彼らの想いをサポートできたら、と通っていた。
 そんな私が、もののけになると言ったら、みんなは、どう思うのだろう。
 眞白は、どうするのだろう。
「まあたしかにね。俺は反対しないし、むしろ応援してるし」
 そう明るい調子で灯青が言って、にっこり笑った。
 あ、そうか、とそこで気づく。
 もしかして反対する人がいるかもしれないのか、と。
 いや考えてみればすぐにわかりそうなことだ。それにたとえば結婚するとして、私だって祖母にどう伝えたらいいのかわからない。よしんば素直に伝えて理解してもらえたところで「やめておきなさい」と言われることは可能性として十分あるのだ。
 いやいや待て待て。まだ時期尚早というやつだ。そもそも未来のことなんてわからないと私は思っていたはずだ。それなのに色々飛び越えて結婚のことを考えるなんて、飛躍しすぎだろう。その前に考えることはたくさんある。
 たとえば……眞白は、私のことをどう思っているのか。
 そう考えていたら眞白とまた目が合った。
「紅緒、酔っぱらいの言うことは聞かなくて良いですよ」
 真剣な眼差しでそう言われ、なぜかふっと気持ちが軽くなった。
 というかその顔に笑ってしまう。いや、人の顔を見て笑ってはいけないけれど、真面目に説くその姿が、そう、なんだかとても愛おしくて。
 ああ、だめだな、と思う。
 私は結構、眞白が好きだ。

  *

続きは2月5日発売の『京都上賀茂、神隠しの許嫁 猫耳の願いと運命の契り』で、ぜひお楽しみください!

■ 著者プロフィール
八谷紬(はちや・つむぎ)
2016年2月、絆と再生を描いた小説『15歳、終わらない3分間』で作家デビュー。京都在住。

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