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宮廷のまじない師 白妃、後宮の闇夜に舞う

 序 其れは、図られし縁
 
 大陸に、最大の面積を占める大国、りょう

 この地ではかつて、無数の悪鬼が跋扈ばっこし、人々はことごとく疫病や災いに苦しめられていた。草木は生えず、水は涸れ果て、空にはいつも暗雲が垂れ込めていたという。
 そんな不毛の地をしずめるため、勇気ある一人の小国の皇子が立ち上がる。彼は仲間たちとともに数多あまたの悪鬼を退け、病を祓い、民を安寧へ導いた。
 その末裔まつえいが、繁栄を極めた今日の陵国を治める、りゅう一族である。

 しかしながら、現在。
 至高にして唯一絶対の玉座に君臨する若き皇帝──劉白焰はくえんは、深刻な悩みを抱えていた。
「それで、なんだ。重要な献上品というのは」
 皇帝の住まいである金慶宮きんけいきゅう、その執務室にて。
 ため息交じりに白焰が問うと、側そつ近きんたるそう墨徳ぼくとくが苦笑しつつ答える。その掌上には、小さな木箱が載っていた。
「これがその献上品。なんでも、どんな病や呪いもたちまち浄化する伝説の指環ゆびわだそうだよ。ぜひ、悩める皇帝陛下にお試しいただきたいと」
「まるでインチキ商人の言い草だな。眉唾にしか聞こえんのだが」
「まあまあ」
 そう言わずに、と墨徳は手の中の箱を白焰の眼前、木簡やら紙やらの積まれた机上に置き、ふたをとる。
 最高級の紫の絹に包まれるように中に鎮座していたのは、無色透明の指環だった。
「これは、水晶?」
 白焰は素手で無造作に指環を摘まみ上げ、まじまじと観察する。
「そうらしい。……これを献上してきた貴族の言によれば」
「よれば?」
いにしえに悪鬼蔓延はびこるこの地を平定した皇子と巫女、彼らに仕えた、かの有名な七人の武将──七宝将しちほうしょうがそれぞれ持っていた七つの指環のうちの一つ、だって」
 らしくもなく、芝居がかった口調でおどけて言う墨徳。
「ほう。まあ、高価そうではあるな。どこの露店で買ってきたものだ?」
「いや、わざわざ発掘してきたようだよ。どこかの墓所から」
 なるほど、と適当に相槌を打って、白焰は指環を箱に戻す。
 ふざけなければ、やってられない。最も信頼をおく側近の心情を正しく察し、冗談に付き合ってみたものの。確かに、そのくらい荒唐無稽な馬鹿らしい話だ、これは。
 あまりにもくだらなくて、乾いた笑いしか出てこない。
「ははは。本物ならば歴史的大発見だぞ。なにせ、千年も昔の代物だからな。丁重に記録をつけ、保管し、国中に布令ふれを出してもいい。……本物ならな。もし、万が一、本物ならだ」
 ──本物なら。
 半ばあざけりを込めて口にしながら、片腹痛いと笑いながら、それでも少しだけがっかりしている自分が情けない。
 白焰は椅子から立ち上がり、窓から青々とした空を仰いだ。
(この呪いが解けるものなら……本物だの偽物だの、些末事さまつごとにすぎぬ)
 けれどきっと、今回も空振りに終わることだろう。そうなれば、いよいよ潮時かもしれない。

 後継者を作れない君主など、意味はないのだから。


 一 まじない師は、城下にいる

 陵国の都、武陽ぶようは大陸一の大国の都に相応ふさわしい、華やかな城市としである。
 東の大海に南の大河、西へと続く陵国の巨大交易路は天下のあらゆる場所に通じ、運ばれた荷は国の中心であるこの地に集う。そして、あらゆる人や物が際限なく交わり、富を生む。
 とはいえ、大陸有数の煌びやかに栄えた大通りから一歩、路地へ踏み込めば、そこに広がっているのはごく一般的な町人の暮らしである。
珠華しゅか 、こっちを手伝っとくれ」
「はーい」
 武陽の下町にある、一軒の小さな店。
 そこで見習いとして働く珠華は、名を呼ばれて、店の奥へ顔を出した。
老師せんせい、お呼びですか」
 店の奥は、作業場だ。広い机と数脚の椅子、そしてたくさんの書物や木簡が雑多に並べられている。掃除はしているけれどやや埃っぽく、香と薬草、墨の匂いが染みついた部屋。ここで、店の商品が作られている。
 珠華を呼んだ、彼女の師匠である燕雲えんうんは、机から顔を上げた。
「珠華、これを表に持っていっとくれ」
 老いた小柄な身体からだでは椅子から下りるのも億劫らしく、燕雲は机の上に束ねて置かれた札を指し示す。
 一見、模様のようにも思える、独特な文字が大きく墨で書かれた黄色い紙束は、れっきとしたこの店の売り物である。
 ──健康祈願、家内安全、商売繁盛、恋愛成就。
 この黄色い紙の札は、一枚一枚が〝まじない〟を込めた護符なのだ。
「……まったく、机仕事は腰にきてかなわんねえ。そろそろお役御免かね」
「老師、引退はまだ早いですよ。街のまじない師、といえば老師なんですから」
 珠華はぼやく燕雲に、護符を数えながら答える。
 しかし、何を言っても聞きやしない老いた師は、ぶつぶつと不平を鳴らした。
「あたしゃ、もう十分働いたよ。あんたみたいな優秀な後継者がいるから、安心して隠居できるってもんさ。早くこの婆に楽させとくれ」
「そりゃあ、捨て子の私を育ててくれて、まじないの技まで仕込んでくださった老師には感謝していますけど。私じゃまだまだ、力不足ですし」
「嫌だね、この子は。技術も才能も申し分ないってのに、いつまでも後ろ向きで。困ったもんだ。……とっとと、そいつを置いてきな。そうしたら休憩しよう」
「……はーい」
 うなぎの寝床のようなこの細長い古い建物の店舗部分は、あまり広くはない。出入り口から数えて縦が約六歩分、横が約五歩分しか幅がない。
 珠華は預かった護符を種類ごとに分けて整理し、取り出しやすいように勘定台の内側の棚に並べて置いておく。
(さて、休憩ね)
 護符をしまい終え、燕雲のために健康にいい薬草茶を淹れなければ、と珠華は立ち上がる。そのとき、ちょうど店の引き戸が開いた。
「いらっしゃいませー」
「珠華ちゃん、来たわよ~」
 ひょっこりと覗いてきたのは、近所の商店の女将おかみだった。彼女はこの店の常連で、燕雲と珠華をとても頼りにしてくれている、お得意様である。
「あ、女将さん。いらっしゃいませ。……と、子軌しき
 いったんはにこやかに会釈した珠華だが、女将の後ろをへらへらと笑いながらついてきた若い男の姿が目に入った途端、眉をひそめる。
「ひどいっ! 幼馴染に冷たいじゃないか」
 大袈裟に嘆いてみせるこの男は、珠華の幼馴染のちょう子軌。珠華よりひとつ年上の十七歳で、この店の又隣にある乾物屋かんぶつやの放蕩息子だ。
「何よ、どうせまた店の手伝いをすっぽかしてきたんでしょう?」
 珠華が目を三角にして言うと、子軌は悪びれもせず呑気に笑っている。
(呆れて物も言えないとは、このことよ)
 子軌はやや目尻が垂れ気味の、女受けする甘ったるい整った顔立ちをしている。しかも滅多に怒らない穏やかな気性の持ち主ゆえ、ちやほやされるのはわかるのだが。
 いかんせん、怠け癖がひどい。将来は店を継ぐはずの長男なのに、まったく店を手伝わず、昼間からちゃらちゃら、ぶらぶらと街を冷やかし歩いているだけの、駄目男だ。
「私、おばさんから言われているのよ。『うちの馬鹿息子がそっちにいったら、容赦なく追い出してちょうだい』って」
「あちゃー」
「あちゃー、じゃないわ。まったくもう。……それで、女将さん。今日はどうしたんですか?」
 まともに子軌の相手などしてはきりがないので、珠華は女将のほうに向き直った。
 あなたたちは相変わらず仲良しね、と生ぬるい目をしながら、女将は答える。
「ええ、今度ちょっとね、嫁いだ娘のところに行こうと思うのよ。だから旅の御守りがほしいの」
「娘さん、遠くに嫁いだんですよね?」
「そうなのよ。だから念のためね」
「わかりました」
 珠華はうなずき、御守りを取り出した。
 旅の御守りは、困難を乗り越える力を与えてくれる、緑松石を使ったものだ。
 値段を抑えるために粒は小さいが、ちゃんと本物を用いている。赤い房飾りのついた根付になっていて、装飾品としても悪くない。
「あら、綺麗ね」
「ありがとうございます」
 褒められて、素直に笑みがこぼれる。
 ちなみに、この御守りは燕雲ではなく、珠華の作だ。もちろん効果も燕雲のお墨つきである。
「これで道中も安心だわ。ありがとうね、珠華ちゃん」
「いえいえ。お役に立てればなによりです」
 まじない師とはその名の通り、霊力と、霊力を自在に操る技──まじないを扱い、呪術や怪異の知識に長けている者を指す。
 ゆえに街のまじない師の仕事は、多岐にわたる。こうして御守りや護符を作り、客の要望に合わせて売るのはその一つで、他にも幽鬼の類を祓ったり、加持祈禱なども行う。
 珠華は見習いだが、師が老齢のため、すでにいくつか仕事を請け負っていた。
「でも、くれぐれも気をつけてくださいね。まじないは、あくまでまじないですから」
 物理的な効果があるわけではない。ようは、気の問題だ。
 とはいえ、常連である女将にはわかりきったことで、承知の上だ、と大きくうなずいた。
「じゃあ、また来るわね。珠華ちゃん」
「はい。ありがとうございました!」
 女将が帰っていくと、珠華は当然のように居座っている子軌に半眼になる。
「あんた、いつまでいる気よ?」
「うーん。だってここ、あんまり客もこないし、なんか落ち着くんだよね」
「人の店を休憩所にしないでほしいわ」
 この男はいつもそうだ。実家の乾物屋はさっぱり手伝わず、ひどいときは半日もここに居座ってただ喋ったり、趣味の占いで営業妨害したり。
 そうは言っても、心の底から拒絶できないのは、彼が数少ない珠華の理解者だからだろうか。認めたくは、ないけれど。
 子軌は不満そうに唇を尖らせたかと思うと、急にぱっと表情を明るくした。
「珠華、占ってあげよう」
「結構よ」
「いいからいいから」
 ひらひら手を振り、珠華の言葉をまるっきり無視して子軌は占いを始める。
(子軌のインチキ占いじゃあね)
 珠華は台の上で頰杖をついた。
 彼の占いは完全に趣味で、道楽だ。いつ頃からだったろう、唐突に占いにはまりだし、顔を合わせれば頼んでもいないのに勝手に占うようになった。
 おまけに占いができると女子受けがいいなどと常々豪語しているので、動機はかなり不純である。
「ふっふっふ。今日の珠華の運勢は──」
 いつものように、子軌は二十二枚の薄く削った木札を伏せて並べていく。
 札に描かれた絵柄に意味があり、それを読み取る西の国の占いらしいが、その理屈は未だによくわからない。
 子軌は並べた札を次々と表に返し、ふむ、とうなずいてから少しだけ首を傾げ、神妙に口を開いた。
「うーん。珠華、今日の君は北の方角に注意、かも。転機と変化、あと災難。それらは北からやってくる」
「なによ、それ。曖昧ね」
 店の棚を整理しながら、適当に相槌を打つ。
 ひどく漠然とした占いのくせに、災難がやってくるだなんてぞっとしない話をされて、いい迷惑だ。
(だいたい、インチキでしょう)
 ちまたでいう、予言なんてものもそう。当てずっぽうというか、ほぼ外れない仕掛けがある。
 たとえば、もし今日珠華が北のほうから道を転がってきた小石につまずいても、『北』からきた『災難』と言えてしまう。
 そんなふうに範囲が大きい、抽象的な単語を並べておけば確実に当たるし、信じやすい人間はそれでころっと騙される。おもに、詐欺師が使う手口だ。
 まじない師も占いをすることがあるけれど、ちゃんと〝気〟の流れを読む占いなので、一緒にされたくない。
 しかし珠華の訝しげな視線を受けながら、子軌はなぜか得意そうな顔になる。
「ちっちっち。馬鹿にしないでほしいね。これでも、女の子には好評なんだよ。それなりに当たるって」
「それなり」
「いつかは百発百中になりたい」
 色恋のこととなると、途端に前向きである。
 本人は楽しそうで結構なことだが、それに巻き込まれて割を食う周囲はたまったものではない。
 珠華はもう何度目かもわからない、大きなため息を吐いた。
「インチキ占いをしている暇があったら、家の手伝いでもしたらどうなの?」
「やなこった。それに珠華。この占いの結果は、由々しき事態だよ。きっとこれをきっかけに、珠華の大いなる運命が──」
 子軌の壮大な妄想のその先は、店の戸を引く音に搔き消された。
「いらっしゃいま、せ……?」
 珠華は反射的に顔を上げ姿勢を正したものの、戸惑いを隠せない。
 今度の客は、頭から重そうな布を深く被っていて顔が見えなかった。
 それどころか、裾の長い外套がいとうまとっているせいで、全身が隠れてしまっている。かろうじて、背の高さと肩幅から男性と判別できるくらいだ。
 まじない師の店には、さまざまな事情の客がくる。けれど、今回はその中でもかなり異様だった。無言で戸口に立ち尽くす姿は不審で少し怖い。
「……ここは、まじない師燕雲の店、で間違いないだろうか」
 言葉は躊躇ためらいがちだが、はっきりと確信を持った低い声。
 害意は感じられない。単なる確認のようだ、と珠華は思った。
「はい。ここはまじない師、燕雲のまじない屋です」
「燕雲は、武陽で一番のまじない師と聞いた。……君が燕雲か?」
 戸を閉めながら外套の男が訊ねてきたので、首を横に振る。
「いえ、燕雲は私の師匠です。奥にいるので、今呼びますね」
「ああ、頼む」
 返事は素っ気なく、しかも偉そうだ。
 珠華は変な客が来てしまった、と密かに息を吐く。一方、子軌は興味津々、といった様子で、店の隅で黙って傍観に徹している。
「老師、お客さんですよ」
「はいよ」
 子軌に付き合って休憩をふいにした珠華と違い、燕雲はしっかりと一息入れていたらしい。すぐに応答があり、店の奥から姿を現した。
 大人が四人ともなると、店の中は窮屈だ。
 燕雲は外套の男を見とめ、片眉を上げる。
「いらっしゃい。あたしが燕雲だよ。用件を言いな」
「ああ。依頼したいことは、三つ」
 すらりとした白く長い指を三本立てて言い、「一つは」と男が続けた。
「鑑定を頼みたいのだ」
「あいにく、うちは質屋じゃないんだ。鑑定なんてやってないよ」
 まじない師とわかっていながら、鑑定の依頼なんて。
 しっしと手を振る燕雲の後ろで、珠華は首を捻った。
「……いや、これをより正しく鑑定できるのは、そなたしかいない」
 横柄な口調で言った男は懐を探り、何かを取り出した。そのとき、ちらりと見えた外套の下は、簡素だが高級そうな服だった。
 男は、台の上に取り出したものを置く。
「指環だね」
 それは、水晶の塊をくり抜いて作られた指環だった。表面が滑らかに磨き抜かれている。高い技術でもって作られていると、素人目にもわかる代物だ。
 燕雲は指環を一瞥いちべつし、摘まみ上げるとなぜか珠華を振り返った。
「珠華」
「? なんですか、老師」
「手を出しな」
 差し出した手の上に、あまりにも無造作に指環が載せられる。
「そいつは、あんたが見な」
「えっ」
 珠華はぎょっと目を見開いた。
 自分のまじないの腕は、まだ師に到底敵わない。客が燕雲しか鑑定できないとわざわざ指名してきたものを、珠華に見極められるか。
(いいえ、やってみなければ。私には、これしかない)
 自分が唯一、好きで、得意と言えるもの。武陽一、いや陵国一のまじない師である燕雲直々に仕込まれたまじないの技術。
 珠華は燕雲にうなずいてから、男に視線を向ける。さすがに客の許可なく鑑定を引き受けるべきではない。
 自分でいいか、と訊ねるために口を開いた。
「あの」
「……そなたは、鬼眼か」
 男の言葉に、はっとする。慌てて目を伏せ、今度は視界に入ってきた自分の交じり気のない白髪に、手をやった。
 珠華は、まだ十六の少女でありながら雪のごとき見事な白髪に、鬼眼──真紅の瞳という、端から見れば不気味で奇妙でしかない容姿をしている。
 髪も瞳も、どちらも生まれつきのものだ。おそらく、赤子の頃に親に捨てられたのもこの異様な色彩のせい。
 近所の常連客たちはすっかり慣れていて、今さらあからさまに気味悪がったりしない。けれど、この鬼を呼ぶといわれる目と不吉な色である白の髪は目立つ。燕雲の評判を聞きつけてやってくる一見いちげんの客などを不快にさせることが多かった。
「……こんな薄気味悪い女に、大事な依頼は任せられないわよね」
「いや?」
 表情はわからない。しかし、男はどうやら気にしたふうでもない。おまけに、
「ただ、初めて見たからつい口に出ただけだ。興味深い」
 などとのたまった。
 思わず、珠華はがっくりと脱力する。男の声音にはまるで悪意や嫌悪を感じない。信じがたいが、本心からの発言だったとしたら、よほどの変人か世間知らずか。
 今まで、鬼眼を見た反応は皆同じだった。化け物の目だ、呪いの瞳だと。間違っても、興味深いなんて言って、まじまじ観察するようなものではない。
「では、私が見てもいいですか」
「構わない。ぜひ、意見を聞かせてほしい」
 男が鷹揚にうなずくので、珠華は安堵してあらためて指環を観察し始めた。
 彼の説明によれば、どうやら知りたいのはこの指環自体の価値ではなく、指環が持つという、不思議な力の真偽らしかった。
「どういう力ですか?」
「どんな病や呪いでも、たちまち浄化する力だと聞いた」
 なんだ、その胡散うさんくさい触れ込みは。この偉そうな男、まさかおかしな商人かなにかにつかまされたのではあるまいな。
 もうそれだけで不審極まりないのに、さらに男は盛大な爆弾を投下した。
「実はその指環、なんと、伝説の七宝将の持ち物らしい」
 それを聞いた瞬間、男の顔面に指環を投げつけなかった自分を、誰か褒めてほしい。
 七宝将といえば、大昔、この陵国を建国した伝説の皇子に付き従っていた七人の武人のことである。
 皇子と巫女、そして七人の武人が悪鬼を退け、この地を平定する英雄譚は陵国の民ならば誰でも、言葉を覚えたての幼子でも知っている有名な物語だ。
 ただ、その七宝将が持っていたという、それぞれの武人を象徴する宝石をあしらった指環は、今に至るまで本物が見つかっていない。
(だから、指環を持っていたという逸話自体が作り話だっていうのが、今の定説なのよね)
 七宝将の指環、と呼ばれる指環は、武陽中に多く流通している。
 しかし、そのどれもが文献などの記述に沿った模造品にすぎない。安価なものは武陽土産みやげとして定番だし、この指環のように高価なものは、金持ちが装飾品や鑑賞物として道楽で作らせ、収集する。
 珠華は美しい指環を前に、ため息を吐いた。
「……確かに、七宝将の伝説に水晶の指環を持った武人の話はあります。でも、この指環に特別な力があるとは思えない。そこまでの〝気〟を感じないわ」
「〝気〟か。……燕雲、そなたの意見も同じか?」
 男が燕雲に訊ねる。これに、師もはっきりとうなずいた。
「同じだね。その指環に浄化の力、なんてたいそうなもんはないよ」
 珠華はほっと胸をなでおろす。
 間違っていたらどうしようかと緊張したけれど、合っていてよかった。
 反対に、男は見るからにがっくりと肩を落とし、落胆を隠せない様子だ。
「やはりな。予想通りだが、力がないなら、どれだけ立派な逸品も無用の長物でしかない」
「これだけ大きな水晶を、これだけ滑らかに研磨してある指環だもの。模造品にしても、かなり高価で手が込んでいると思うわ。そんなふうに言うものじゃないわよ」
「いや、もうこれは無意味だ」
 珠華が差し出した指環をいったん受け取ったものの、男はそのまま無造作に台の上に投げ出した。
 それに食いついたのは、今まで完全に傍観に徹していた子軌だった。
「じゃ、それ、俺がもらってもいいか?」
「は!? 何言ってるのよ、あんた」
 あまりにふざけた物言いに、ぎょっと目を剝く。
 いくら持ち主である男がいらないと言ったとて、これほどまでの逸品を軽々しくただでもらおうなどと、いくらなんでも非常識極まりない。
 だいたい、一般庶民がそんな高価なものをどうしようというのか。
「なんか格好いいから欲しいな~って。本人がいらないって言ってるし別にいいじゃん」
 この駄目人間! と珠華は頭を抱えた。
 しかもどうやら、この目の前の正体不明の男もまた、幼馴染に負けず劣らず変人だったらしく、信じられない発言が飛び出す。
「ああ、持っていっても構わん。必要ない」
「はあ!? ちょ、そんな簡単に──」
「わーい。ありがたくいただくよ、お兄さん」
 子軌は子どものように両手を挙げて喜びながら、台の上の指環をさっと取った。
「あとで返せっていっても、返さないからね」
「ああ。自分で使うなり売り払うなり、好きにしてくれ」
 あまりの出来事に、珠華は啞然としてしまう。
 この幼馴染とはもう十年以上の付き合いだけれども、ここまで非常識な人間だとは思わなかった。
「老師からもなんとか言ってください!」
 珠華は隣の燕雲に助けを求めるも、薄情な師は首を横に振る。
「この小僧が、あたしの言うことなんか聞くわけないさ」
「そんな」
 ここに、常識人は自分しかいないのか。
 呆然とするしかない珠華は、指環を手に、機嫌よく店を出ていく子軌の後ろ姿が戸の向こうに消えた瞬間、はっと我に返る。
 こうしてはいられない。大事になる前に、止めなければ。
「待ちなさい、子軌──!」
 慌てて飛び出そうとした珠華だったが、気がはやり過ぎた。
 狭い店の中で、うっかり勘定台の角に足の爪先をひっかけてしまった。
「ひゃ……っ」
 ひどく慌てていたせいで、踏みとどまれもせず、珠華は倒れることを覚悟する。
(あっ……──)
 けれど、予想していた衝撃はこなかった。
 どうやら、さりげなく差し出された腕に抱えられ、棚に激突し商品をばらまきながら床に転がるという、最悪の事態は避けられたらしい。
 珠華は、ほっと安堵の息を吐く。
「助かりました。ありがとうござ──」
「あああぁぁぁぁ~……」
 高い位置にある男の顔を見上げ、お礼を言おうとした珠華は、頭上から聞こえてきた情けない声に目が点になった。
「ええ?」
 なんだ、今の声は。
 驚いて勢いよく顔を上げると、珠華を支えようとした拍子に外れてしまったのか、布で隠れていた素顔を露わにし、なぜか天を仰ぐ青年の姿があった。
(な、何事!?)
 青年は、とても美しかった。年の頃は、二十前後か。
 背中の半ばまである長い黒髪は、手入れが行き届いているのだろう、絹糸のように滑らかで艶やかだ。きりりと整った眉に切れ長の目元、鼻梁は高くすっと通っていて、まるで研ぎ澄まされた刀身のような白皙はくせきの美貌を、さらに鮮烈な翠の瞳が華やかに彩る。
 どこかで見覚えのある顔だ。はて、どこでだったか。
 ともあれ、文句のつけようがない完璧な美青年である。……のは、確かだが。
「ふ、不覚……!」
 この世の終わりかのごとき絶望を顔ににじませ、青年はうなれる。
「はあ?」
「これでもう、今日明日の仕事は手につかない。またじんましん地獄だ……!」
 思わず首を傾げる。
 じんましん地獄とは。そんな愉快な名前の地獄は、民間伝承に精通しているまじない屋の珠華でも聞いたことがない。
 超のつく美青年が頭を抱え、おかしな声を出し、絶望に打ちひしがれる姿は珍妙としか言いようがなかった。
 呆気にとられ、ぽかんと眺めているしかない珠華と燕雲の二人は、今度は急に「あれ?」と動きを止めた青年に、つい後ずさりする。
「じんましんが、出ない……」
 なぜ、どうしてと唱えながら、今度はしきりに高価そうな服の袖を捲り、襟を開はだけさせ、自分の皮膚の状態を確認する青年。
 奇行を繰り返す姿を見ているうちに、ふと脳裏に閃くものがあった。
(ああ、思い出した。この人──いえ、この方)
 いや、おかしい。珠華が知っている姿から受ける印象とかけ離れている。
 それでも、と思い、おそるおそる訊ねてみる。
「……じんましん、って、何のことですか。皇帝陛下」
 は、と青年の顔がこちらを向いた。
「ばれたか」

  *

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あぎとあくみ

長野県在住。『わたしの幸せな結婚』(KADOKAWA)でデビュー。

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