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なんどでも生まれる

  1

 きょうはあかるい。
 草のにおいがする。草のにおいがするつるつるの地面を、ゆっくりあるく。
 風がふくとしろいものがひろがって、地面にあおむらさきいろの影がおちて、そのたびにこちらはこわい。影がゆれるとなんだかこわい。こわくて、からだがやぶけそうになる。
 あちらにおおきなものがいる。
 おおきなものはアウアアンとなく。アウアアン、アウアアン。おおきなものはおいしいものをこちらによこす。いいにおいがするちいさなつぶや、みているとからだがむずむずする、ほそながくてよくうごくもの。
 おおきなものはときどき、からだのながいぶぶんでこちらをつつむ。つつまれるのは、いい。おおきなもののちかくにいたい。ちかくにいないととてもこわい。すぐにこわくなる。いきていると、いつもこわい。
 アウアアン、とおおきなものがなく。
 しろいものがひろがって、しぼむ。しぼむと、そのおくがあかるい。くらいこともある。水がおちてくることもある。きょうはあかるい。
 あかるいところを、まぶしくひかる線がよこぎった。
 すこしおくれて、どうん、とおおきな音がなる。風に水のにおいがまざる。嵐がくる。くる、くる。
 あんなふうにひかる線がはしるのを、まえにもみたことがある。からだのまわりがぼろぼろとこわれ、ひかる線のむこうから音と風がおしよせてきた。
「アウアアン」
 おおきなものがそばにいる。こちらにさわる。嵐がくるのにきもちがよくて、めをとじたくなる。こわさがすこし、うすくなる。
「アウアアン」
 アウアアンは、こちらなのかもしれない。
 ひかる線がはしるみたいに、わかった。
 こちらは、アウアアンなのかもしれない。おおきなものは、だからアウアアンとなくのかもしれない。
 また、ひかる線がはしった。あかるかったのにくらくなる。風がつよくなる。水がおちてきてすこしはなれた地面をぬらす。
「アウアアン」
 おおきなものがよぶ。よばれている。あしがむずむずする。からだがふうっとふくらむ。
 アウアアンいるよ! こちらもないて、おおきなもののからだをのぼった。

  *

さくらさん、桜さん」
 ああ、しげるさんの声だ。
 優しく体を揺らされて、自然と目が開いていきます。明るい。ここも明るい。尾羽を立たせ、横倒しになっていた体を起こします。ベランダのそばのひだまりで、いつのまにか眠っていたようです。六月に入ってだいぶ日射しが強くなり、体がとろけるようにぽかぽかしています。
「桜さん、寝てると玄米で作ったおもちみたいだね。ひなたぼっこ気持ちよかった?」
 すぐそばに部屋着姿の茂さんがしゃがんでいます。てのひらで背中をでられて、クウとのどから声が出ました。
「そろそろ友達が来る時間だよ。お散歩行ってきたら」
 あれ、そうですか。じゃあ行ってきますかね。茂さんの指をちょっとつついて立ち上がります。アタシが動き出すと茂さんも腰を浮かせ、敷きっぱなしのおとんに戻っていきました。また痛みが生じているのか、茂さんは辛そうに首を押さえています。
 ──茂さん、待っててね。
 ココ、と一鳴きして、アタシはほこりっぽい木の階段を一段ずつ、慎重に下りていきました。

 一階の店舗には客の姿がありました。
 海老えびのように曲がった腰、生まれてこのかた一度も笑ったことがなさそうな深い眉間のしわ、そして全身から漂う香ばしい穀物の匂い。愛想のかけらもないしかめっ面をこちらに向けるその年寄りは、近所の米屋の主です。たしか名前はうめといって、周りからは梅ちゃん、本人がいない場所では梅干ババアと呼ばれています。
 なんだ、客じゃなかった。梅干ババアはこの店の主であるかわひらこうろう、つまり茂さんのジイチャンの茶飲み友達です。ババアは階段を下りてきたアタシに向けて、わざとらしいため息をつきました。
「ニワトリなんざ、昔は縁の下で残飯ついばんでるのが当たり前だったのにねえ……堂々と人間様の家の中をうろついてマア。お前、自分を人間だと思ってないだろうね? ええ?」
 シッシッ、と手を揺らして追い払われ、いやあな気分でレジの方向へ退散します。人間たちがよく言う「ニワトリ」って、あの小学校の飼育小屋で毎朝野太い声で鳴いている白色レグホンのことですよね? あんなデカくてふてぶてしい鳥と一緒にしないでください。アタシはあいつらよりずっと小さくてラブリーなチャボです! この桜いし模様が目に入らぬか。
 レジ前のまるでは、ジイチャンが新聞を読んでいました。助けてジイチャン、ババアがいじめる! コッコッと鳴いて、ジイチャンの膝とその上に広げられた新聞の間のスペースにもぐり込みます。ジイチャンの頭のてっぺんの薄い毛は、他の人間とは違って薄茶と白が入り交じった明るい色をしています。アタシの体の色とよく似ているので、そばにいるとなんとなく安心します。同じ理由で、黄色っぽいアルミの鍋の中に隠れているのも好きです。
「それで、しげ坊は今日も出てこないのかい」
 薄い紙越しに、ババアのげんな声が届きます。オレンジ色の花柄のシャツを着たジイチャンは、突き出たお腹をさすりながら困った様子で口を開きました。
「いやまあ、ほら、難しい話だから」
「難しいもんか。大して珍しい話でもあるまいに、幸太郎さんがれ物に触るようにするからややこしくなるんだ」
「そんなこと言ったってなあ、梅ちゃん」
「どこか具合が悪いならさっさと病院に行かせたらどうだい」
「本人が行きたがらねえんだもん。そんなに大ごとじゃねえ、休んでれば治るからってそればっかりだ」
「まだるっこしいねえ……よし、あたしが引っ張り出してやるよ」
「待った待ったそんな、散歩いやがる犬っころを小屋から引っ張り出すのとはわけが違うんだから」
 年寄り同士がめています。二人の声が毛羽立っているのがいやで、アタシはジイチャンの膝から飛び降りました。
 ババアが帰るまでどこかに隠れていようかな? ジイチャンの店には大鍋だのとうかごだのプラスチックケースだの、中に隠れられそうな商品がたくさんあります。
 キッチン雑貨がずらりと並んだ狭い通路を歩いていると、店先に子供がやってきました。椿つばきの花びらみたいな色のランドセルを背負った小学二年生のいろはちゃんです。ただいまあ、と元気よく言って店に入ってきます。アタシを見つけると、わざわざしゃがんで手を伸ばしてきます。
「ふふふー、桜さんだっ。元気?」
 元気ですよう。おかえりなさい。歓迎の気持ちを込めていろはちゃんの足元に近づきます。アタシの体を撫でるいろはちゃんの手は、土とかんをこね合わせたような匂いがします。ちょっと鉄の臭いも交ざっているので、鉄棒で遊んできたのかもしれません。
「いっちゃんおかえり。アイスココア飲むかい」
「飲むっ!」
「昼の売れ残りだけど、バターじょうのもろこしおにぎり食べるか? 子供はこういうの好きだろ?」
「食べるうっ!」
 お腹を空かせた小学生がバンザイのポーズで喜びを表現すると、揉めていた年寄りたちはさっとおとなしくなってそれぞれに動き始めました。ジイチャンはココアを作りに奥の休憩スペースへ向かい、ババアは手にぶら下げていたビニール袋からラップにくるんだおにぎりを取り出します。いろはちゃんは店の奥からもう一つ丸椅子を持ってきて、もらったおにぎりにかぶりつきました。おにぎりはみるみる小さくなっていきます。
「今日は宿題あるのかい?」
 氷がたくさん入ったアイスココアのグラスを差し出し、ジイチャンが聞きます。
「ある! 音読! 国語の教科書五回読むから、おじいちゃんあとで音読カードにサインしてね」
「あいよ」
「でも先に桜さんとお散歩行きたい」
「おう、さっきから桜もそわそわしてるし行っといで。車が危ないから大通りには出るなよ。あと桜が猫にさらわれたり、人や自転車にぶつかったりしないよう気をつけてな」
「はーい」
 おやつを食べ終えると、いろはちゃんはアタシの方にやってきました。大きなランドセルを下ろしたせいか、ずいぶん身が軽くなったように見えます。
「じゃあ行こっ、桜さん」
 はい、そうしましょう。週に二日、いろはちゃんが店にやってくる日は、アタシにとって貴重な長いお散歩のチャンスです。なんとしてもこの少ないチャンスを生かして、探しものを見つけなければ。
 尾羽をしっかり立て、警戒しながら店の周囲をよく確認します。犬なし猫なし小学生なし、散歩中のジジババ及び乳幼児を連れたパパママ多数。天敵のいない絶好の散歩日和びよりです。──さあ、今日も冒険の始まりだ。
 ふん、と鼻から息を吐き、アタシはかんさんとした午後の商店街へ堂々たる一歩を踏み出しました。


  *

続きは5月22日ごろ発売の『なんどでも生まれる』で、ぜひお楽しみください!

■著者プロフィール
彩瀬まる(あやせ・まる)
1986年、千葉県生まれ。上智大学文学部卒業後、会社勤務を経て、2010年「花に眩む」で第9回女による女のためのR-18文学賞読者賞を受賞し、デビュー。2012年に刊行した東日本大震災の被災記『暗い夜、星を数えて』で注目を集める。著書に、映画化された『やがて海へと届く』(第38回野間文芸新人賞候補)のほか、『くちなし』(第158回直木賞候補、第5回高校生直木賞受賞)、『森があふれる』(第36回織田作之助賞候補)、『新しい星』(第166回直木賞候補)、『あのひとは蜘蛛を潰せない』『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』『かんむり』『花に埋もれる』など多数。

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