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彼方此方の空に粗茶一服

 水月あめにぬれるまつづえの段

 雨が降っている。
 にもかかわらず、三十畳ある大広間の襖も縁側の硝子ガラスも開け放たれ、子どもたちが湿った匂いの中でごろごろしている。畳の上でごろごろさせるためだけに開放しているので、何をしろともするなとも言わない。週に一度、葬儀や法事が重ならないかぎりは、木曜日は〈たたみの日〉となり、フリースクールの子どもたちが寺にやってくる。ある子は親に連れられて、ある子はひとりでふらっと。十年ほど前に和尚が始めたもので、子どもたちの顔ぶれは変わりながら、それでも常時十人くらいはいる。今日は雨のせいか少なめで五人ばかり。小学生が三人、中学生が二人、持ち込んだゲーム機で遊んだり、本を読んだり、すやすや寝入っている子もいる。彼らは個人主義なのかあまり干渉しあわず、広間はいたって静かだ。サーサーと水が大気を切る音がよく聞こえる。草木や土の匂いが湿気と共に漂ってくる。
 降り込んでくるようなら硝子戸を閉めねばならないので、あすは縁側の柱にもたれて座り、軒から垂れてくる水滴をぼーっと眺めている。三十過ぎのおとなだが、その脱力具合は寝そべっている子どもたちと大差ない。
「先生……?」
 小学二、三年生の女の子が、もじもじしながら小声で話しかける。
「うん?」
「あのね、わたしね、今日は早く帰らなくちゃいけないから、お茶のお稽古に出られないけど、お菓子だけもらっていったらダメ?」
 そう言いながら、視線は投げ出された遊馬の足を見ている。せっこうのように固められた太い足だ。朝方、一応説明はした。
「ああ、いいよ、もう届いてるんじゃないかな」
 少し前にのほうで、菓子屋の「毎度」という声がしていた。
 女の子がほっとしたように笑う。きっともらえるかどうか朝からずっと心配していたのだろう。安心してゆとりができたのか、痛いの? と聞く。
「痛くないけど、かゆい」
 えー、と戸惑ったあと、ギプスの上をカリカリと指で引っ搔いてくれるが、当然皮膚までは届かないし、むしろムズムズと痒みが増すような気がする。それでも、ありがとうと遊馬は言った。
 しばらくして母親が迎えに来ると、女の子は庫裡で菓子をもらって帰った。帰ったと思ったら一度戻ってきて、すっごく綺麗なお菓子だと耳元でささやいていった。いたって普通の、可愛らしい子なのだが、学校に行こうとするとお腹が痛くなるという病らしい。
 菓子は十数個が黒塗りの木箱に収められており、蓋には銘を記したしおりが貼られている。今日は「七変化」と書かれている。
 夕方になると、隣の友衛家から庭を廻っておりがやってきた。
「あーあ、ここ、どぼ濡れやんかー。師匠、おだいこくさんに叱られんでー」
 お大黒さんというのは和尚の奥さんのことだ。僧侶に妻帯が許されなかった頃のごりで、今どきそう呼ぶひとは珍しいが、伊織は気に入っている。
 雑巾を持って来て縁側を拭き、硝子戸を閉め、役に立たんのぉ、とぶつくさ言いながら、伊織は稽古の支度をする。てきぱきと湯を沸かし、炭をおこし、子どもたちを使って道具を並べる。
「ごろごろタイムは終わりや、終わりや」
 伊織が友衛家の内弟子となってかれこれ十年になる。茶道も一通り修練を済ませ、何かと頼れる存在になった。子どもたちと年齢の近かった頃はけっこうもめ事もあったが、この頃ではすっかり兄貴分として君臨している。
 ここでは教育はしなくてよい、見守りだけ頼むと寺からもフリースクールからも言われていて、難しい子もいるので厳しいことは言わないよう遊馬は気をつけているのだが、空気を読まない伊織にとっては、道場の稽古も〈たたみの日〉の稽古も一緒だ。ごろごろしている子も起こして正座させるのはもちろん、茶を飲むにも菓子を食べるにもあれこれうるさく言う。入門したての頃の伊織を思えば、おまえが言うかと呆れるような小言や説教も憶せずするところは、だいぶ神経が厚かましくできている。この頃では遊馬の代わりに伊織がほぼ毎回指導しているので、馴染めず稽古に参加しない子も少なからずいる。逆に、茶の湯に興味を持って正式に入門し道場に通い始めた子も過去には何人かいる。
「ここで問題です」
 伊織が菓子の箱を膝前に置き、蓋を押さえている。
「今日のお菓子は何でしょう。ヒントはこれや」
〈七変化〉と書かれた栞を摘まんでみせる。
「なぞなぞかよー」
 小学生の男の子が身をよじらせる。
「当てたら食えるでぇ」
「ナナヘンカって何だよー」
「ばか、シチヘンゲだろ」
「シチヘンゲって何だよー」
「早替わりだろ。服をパパパッて替えるやつ。変装するやつ。わかった。忍者のお菓子?」
「どんなんや、それ」
 小学生ふたりが言い合っている横で、中学生の女の子は立ち上がり、かばんから辞書を取ってくる。
「あった。アジサイ。アジサイのお菓子」
 蓋を開けると、紫色の綺麗な菓子が並んでいる。赤や青のあられ切りした寒天で餡玉をくるみ、紫陽花の花に見立ててある。寒天は透き通り、きらきらと光って紫のグラデーションに見えるのだ。葉型の小さなうんぺいがちょんと載っている。
「きれいー」
 子どもたちは目を輝かせる。遊馬が外を見ているのに気づき、庭に咲くひとむらの紫陽花を皆が見やった。
 咲き始めてから枯れるまで、あるいは土の性質によって、さまざまに色が変化するのでこの異名がある。雨脚が弱まり、雲間からわずかばかり夕日の射す庭で、紫陽花はピンクがかって見えた。
 伊織はそれからさらに、〈はっせん〉〈ひら〉〈まりばな〉〈おたくさ〉……と紫陽花の異名を偉そうに挙げていく。十年前には、朝顔は〈朝顔〉、紫陽花は〈紫陽花〉でええやろーと毒づいていたのが噓のようだ。
「八仙花っちゅうのはな、中国の呼び方や。七変化と同じような意味らしいわ。四葩ゆうんは、ほら、小さい花の花びらが四枚ずつやろ。あ、ほんまはあれ花とちゃうんやけどな、がくなんや」 
 知った風な解説を聞きながら、以前にも似たようなことがあったと遊馬は思う。茶室で紫陽花について講釈を聞いたことが。
「手毬花は、見てそのまんまや、丸っこくてまりみたいやしや。おたくさは……あれ、何やったかな、師匠」
 伊織が遊馬に助けを求める。遊馬も一瞬、何だったかなと思う。が、思い出した。シーボルトだ。シーボルトが日本に残した妻おたきを思って名づけた。
「せや、〈おたきさん〉やから〈おたくさ〉や。シーボルトぉゆうおっちゃんがつけたんや。シーボルトはん、知ってはるか? まあ、わしも実はよう知らんねんけどな」
 ハハハと笑う。
 ドイツ人のシーボルトと日本人のお瀧。それで思い出した。あれはたまだった。
 稽古のとき、はないれあまちゃを挿しておいたら、今の伊織同様とくとくと語り始めた。紫陽花の花に見える部分は花ではない、そんなことも知らないのかと。華道の家元の娘だった。稽古の初日から遊馬を振り廻し、常に稽古場のリーダーシップを取り、茶事まで催して、高校を出たと思ったらイギリスに留学してしまった。向こうで大学を出て、そのまま就職したという。の地では、勤め仕事のかたわら家業の〈華道みながわりゅう〉を教えているが、茶道についても希望されたときには〈坂東巴流〉で対応するらしい。なのでたまに帰国すると道場にやってきて、かなり真剣に稽古していく。この間は碧い目の恋人を連れてきていた。表情の読めない、クセのあるイギリス人だった。彼だったら、珠樹を〈おたまさん〉と呼ぶのだろうか。そんなことを想像してひとりにやついていたら、伊織に叱られた。
「何、わろてんですか。ちゃんと見たってくださいよ。わしにばかりさせんと」
 伊織は昔に比べればだいぶおとなの振る舞いも身についてきたが、遊馬の入院中あれやこれやと世話をしたこともあって、いささか態度が大きくなっている。佐保がいればそこまで世話にならずとも済んだのだが、あいにく京都護衛署への応援で長期出張中だ。自ら志願した仕事だったので、夫が怪我をしたからと途中で投げ出すわけにもいかなかった。
「いや、任せるよ」
 遊馬は小学生のてた茶を一服だけもらうと、雨の止んだ隙に自宅へ戻ろうと硝子戸を開ける。
「お茶、美味かったぞ」
 まえの小学生が照れて笑った。

  *

続きは発売中の『彼方此方の空に粗茶一服』で、ぜひお楽しみください!

■ 著者プロフィール
松村栄子(まつむら・えいこ)

1961年静岡県生まれ、福島県育ち。筑波大学第二学群比較文化学類卒業。90年『僕はかぐや姫』で海燕新人文学賞を、92年『至高聖所(アバトーン)』で芥川賞を受賞。著書に、「粗茶一服」シリーズ、『僕はかぐや姫/至高聖所(アバトーン)』、エッセイに『ひよっこ茶人、茶会へまいる。』『京都で読む徒然草』『能楽ことはじめ』、詩集に『存在確率──わたしの体積と質量、そして輪郭』などがある。京都市在住。

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