序 死神姫の白い結婚
はらはらと、桃色の花弁が地面に散り落ちていく。
神社の参道を花嫁行列がゆっくりと進んでいた。
よく手入れされた参道沿いの庭は、春を言祝ぐ鳥たちで賑やかだ。
辺りに満ちた花の香りは甘く、麗うららかな気候に浮かれた小鳥が楽しげな歌を披露し、桜は春風に自身の花びらを遊ばせている。柔らかな陽差しは若葉を優しく照らし、石の水鉢に浮かんだ花筏をきらきら輝かせていた。水面に映り込んだ空は花曇りで、まさに慶事にふさわしい天気のように思える。
なのに、参列者たちの表情は晴れない。
誰もが不機嫌さを隠そうともせずにギスギスした雰囲気をまとっていた。衣装も異様だ。喪服を着用している。黒々とした人の群れは、晴れやかな日にふさわしくない不吉さだった。これみよがしに数珠を手にしている者までいる。
「おい、見ろよアレ……」
「うわ。すっごい。なにごと?」
そんな花嫁行列は当然のごとく注目を浴びていた。数え切れないほどのスマートフォンが向けられ、誰もがカメラ越しに厭らしい視線を注いでいる。この結婚は世間的にも注目を集めていたから、報道陣までいた。「現場は異様な雰囲気です!」レポーターの声は、真剣さを装いながらも、どこか楽しげな響きを持っている。面白がっているのだ。野次馬とたいして変わらない。
──誰も望まない婚姻とはいえ、この扱いは……。
花嫁らしくしずしず歩きながら、私──神崎雛乃は、そっと息をもらした。
私の生家である神崎家と、婚姻相手である龍ヶ峯家は、長年対立してきた敵同士だ。
異形を狩ることを生業にした〝祓い屋〟の名家で、トップの座を争う仲である。過去には抗争に発展したこともあり、多くの屍が積み重なった先にいまがある。互いに好感情を持ち合わせているはずがない。
なのに──私は、龍ヶ峯の家に嫁ぐことになってしまった。
はるか昔に交わされた盟約のせいだ。
〝龍ヶ峯の代替わりの際に、引退した当主に神崎家の直系を娶らせる〟。
対立が続く両家の緩衝材になるのを狙ったものらしい。とはいえ、長い歴史の中でほとんど実現することはなかった。そんな約束が、なんの因果か私の代で結実してしまったのだ。その事実に両家の人間は納得しておらず、歓迎もしていない。
それは、場に満ちる空気がありありと証明していた。
──敵方の家に嫁ぐなんて。ちっとも笑えない。
政略とは違うものの、情を伴わない結婚に幸福はあるのだろうか。
嫁いだ家で〝普通〟の幸福を享受したい。夫に愛されたい。心穏やかに過ごしたい。
花嫁ならば誰もが抱く夢だ。
だけど、私にはとうてい望めそうにない。
私自身も、婚姻にはまるでふさわしくない花嫁衣装を〝着せられていた〟からだ。
黒い色打ち掛けは、髑髏の上に蝶が舞うというなんとも禍々しい柄だった。帯には飾りひとつなく、頭からはすっぽりと黒いレースのヴェールを被っている。
〝あなた以外の色には染まらない〟と、黒い花嫁衣装を着る者もいるそうだが──
この衣装には悪意しか詰まっていなかった。愛されたい花嫁の装いではない。
用意したのは、異母妹だ。
「お姉様、とっても素敵よ? こんな不吉な花嫁、他にいないわ」
介添人を買って出た異母妹の凜々花が、衣装を直す振りをして嫌みを囁いた。
「……ッ!」
ヴェールの下で唇を嚙みしめる。悪意が胸に突き刺さって眩暈がした。鼻の奥がツンと痛んで、逃げ出したくて仕方がない。だけど──どこにも逃げ場はなかった。
私を受け入れてくれるような場所は、すべて奪われ尽くしてしまったからだ。
今回の婚姻は、体のいい追放だった。仕組んだのは、家の中に入り込んできた異分子たち。入り婿の父と愛人、ふたりの間にできた娘の凜々花。彼らは神崎家次期当主である私を追い出して、家を乗っ取ろうとしていた。
神崎家は女系一族だ。前当主であった実母は、十年以上前に亡くなっている。普通なら、娘である私が家督を引き継ぐべきであったのだが、幼すぎたのもあって、これまで父が当主代行として家を仕切っていた。父は虎視眈々と、正統な跡継ぎである私を追い出す機会を狙っていたらしい。そして、家を完全に乗っ取る最後の仕上げが、この嫁入りだった。次の当主は異母妹だ。いまや神崎家は完璧に父に乗っ取られている。当主代行の決断に、否やを言える者はいなかった。
「お姉様」
凜々花が、美しい顔を歪めて意地の悪い声で囁く。
「せいぜい、いびり殺されないようにがんばって」
うふ、うふふと凜々花が嗤う。
「可哀想なお姉様。本当に不憫な人」
──……ああ。
視界がぐらぐら揺れていた。死刑執行を待つ囚人の気分だ。
──私は〝普通の幸福〟がほしいだけなのに。
そんな当たり前のことさえ望めないのかと、絶望的な気分になる。
「〝死神姫〟にふさわしい末路ね」
凜々花の言葉に、ピクリと身を竦ませた。
(そうだ。私は〝死神姫〟。高望みしちゃ駄目)
死神という呼び名は、比喩でもなんでもない。私は特別な能力を持っていた。
私という存在自体が、誰かの命を奪いかねない危険をはらんでいる──
だから、自由になれない。家を出て思うままに行動する訳にはいかない。おかげで、令和になったというのに前時代的な婚姻に縛られている。
その発端は、過去に私が引き起こしてしまった事件にあった。
だから、不幸な婚姻だって甘んじて受け入れなくてはならない。
〝普通の幸福〟だなんて高望みしてはならないのだ。
──もう、嫌だ……。
心はすでにボロボロだった。一歩踏み出すたびに、涙がこぼれ落ちそうになる。きっと、情けない顔をしているはずだ。この時ばかりはヴェールの存在に感謝した。
──花婿は、この婚姻をどう思っているのかな。
ちらりと、隣を歩いていた男の様子を覗き見る。
龍ヶ峯雪嗣。それが夫になるべき男の名前だ。見かけは二十代半ば。銀雪を思わせる白い髪に紺碧の瞳が印象的だった。黒髪と紅い瞳を持つ私とは正反対の色味を持っている。
どこか怜悧な印象を与える美形で、紋付き羽織袴がとても似合っていた。若く見えるが、すでに当主の座を引退し後継に任せている。祓い屋界隈では〝死にたがり〟という異名を持つ男だ。怪異に対して残酷で容赦がない。自身の安全を顧みず、血まみれになって戦う姿は修羅のよう。周囲の人間に対しても淡泊で、誰にも心を開かない冷血漢。だからか、見惚れるほどの美形なのに、いままで女性との間に浮いた話もなく……。
私のものならなんでもほしがる凜々花が、すんなり婚姻を認めたのもそのせいだった。
──なんの役にも立たない女を押しつけられて、嫌だろうな。
父からは〝子は必要ない〟と、何度も言い含められていた。
それぞれの家にとって、火種にしかならないからだ。これは、古い盟約を果たすためだけの婚姻。床を共にする必要はない。こういう関係を〝白い結婚〟と呼ぶそうだ。
──この結婚になんの意味があるの。
お互いに不幸になるだけだ。きっと、彼も自分を恨んでいるに違いない。
そう思っていると、ふいに彼と視線が交わった。
とっさに身構える。すると、ふわりと柔らかい笑みを向けられた。
「え……」
予想外の反応に、たまらず小さく声をもらす。訳がわからなかった。前評判とは、まるで違う印象。しかし、すぐに彼の視線は逸れてしまった。花嫁行列は粛々と参道を進んでいる。どういう意味なのかと、声をかけて確認する訳にもいかなかった。
──なんだったの……。
きっと見間違えたのだ。彼が自分に笑みを向ける理由がない。
私は、ヴェールの下でそっと瞼を伏せた。
婚儀が終われば、自分は神崎家の人間ではなくなる。なくなってしまう。
龍ヶ峯に嫁げば、また地獄のような日々が待っているはずだ──
──でも。地獄じゃない時間なんて、いままでもそんなに多くなかったな。
私はまだ十八だ。それほど長い時間を生きてきた訳ではないけれど。
それでも、これまでの人生が幸福だったとは思えない。結婚したって、結局は代わりばえのしない日常が延々とやってくるだけかもなんて、ヴェールの下で唇を嚙みしめた。
*
続きは6月5日ごろ発売の『死神姫の白い結婚 解けない運命の赤い糸』で、ぜひお楽しみください!
■著者プロフィール
忍丸(しのぶまる)
『異世界おもてなしご飯』(カドカワBOOKS)でデビュー。著作に「わが家は幽世の貸本屋さん」シリーズ(ことのは文庫)、『アラベスク後宮の和国姫』『花咲くキッチン―再会は薬膳スープと桜を添えて―』(ともに富士見L文庫)、『幽世のおくりごと 百鬼夜行の世話人と化け仕舞い』(ポプラ文庫ピュアフル)など多数。