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しっぽ食堂の土鍋ごはん 明日の歌とふるさとポタージュ

 第一話 ふるさとポタージュ

 49回。

 ゆうつむぎが、一週間前──二十二歳の誕生日に投稿したYouTube動画の再生回数である。
 一人暮らしのアパートでスマホをチェックすると、まったくと言っていいほど伸びていなかった。他の動画も似たようなものだった。ほとんどの動画の再生回数は50回以下だ。
「うら若き乙女が歌ってるのに」
 独り言を呟いてはみたものの、二十二歳は売りになるほど若くはない。それくらいはわかっている。小学生や中学生のYouTuberがいるのだから。
 まあ個人の趣味なら、再生回数はこんなものなのかもしれない。再生回数一桁の動画だって世間には、いくらでも存在している。
 でも趣味でやっているわけではなかった。紬はいわゆる芸能人だ。かっこよく言えば、シンガーソングライター──歌を作詞・作曲し、自分で歌う職業をやっている。
 昔ながらの言い方で自己紹介するなら、売れない歌手である。自慢じゃないけど、かなり売れていない。49回という再生回数が如実に物語っているだろう。
「どうして、こうなったんだろう……」
 ふたたび呟いてみたが、この台詞は見栄を張っている。最初からこんなものだ。売れた経験なんてなかった。二十歳のころにデビューしてから、ずっと低空飛行が続いている。そもそも離陸したことがあるのか疑わしいレベルだった。
 一歩間違えると「自称芸能人」だが、吹けば飛ぶような弱小芸能事務所に所属している。けんきみいとがわ沿いにあって、築四十年の木造建築の民家に小さなプレートが貼られているだけの事務所だ。
 ときどき近所の野良猫が、事務所の庭に昼寝にやって来る。とにかく静かで、もっと言えば寂れていた。
 紬自身は千葉県さらと君津市の境目あたりに住んでいて、地方局のカラオケ番組の準レギュラーを一本だけやらせてもらっている。他人様のヒット曲や話題の曲を歌うのが仕事だ。その番組で自分の歌を歌ったことはない。それ以前の問題として、アーティストのはずなのに、番組では「歌うま芸人」と紹介されている。
 いつから芸人になったのか、自分でもわからない。すべては所属している事務所の方針である。社長がそう決めて、カラオケ番組に紬を売り込んだのだった。
 不本意だが、仕方のない面もあった。紬には、歌手としての実績がなかった。CDを出したことがなく、キー局のテレビ番組に呼ばれたこともない。地方局だってこのカラオケ番組をのぞけば、ほとんど出たことがなかった。
「もうCDとかテレビの時代じゃないけどね」
 明らかな負け惜しみである。紬自身、CDを買ったことがないのに、自分の歌がCDにならないことを気にしていた。キー局のテレビ番組に呼ばれたくて仕方ない。テレビで自分の歌を歌いたかった。
 言っておくと、YouTubeなどに動画を投稿するのは嫌いではない。しかし誤解されるのは嫌いだ。
「でも、YouTubeって儲かるんでしょ」
 何度か言われたことがある。歌うま芸人として出ている番組でも言われた。実際、YouTubeをはじめとするSNS系のコンテンツが伸びて、旧来のメディア──テレビやラジオに出なくても有名になれる時代だ。
 SNSに歌をアップして大金を稼いでいる者もいる。ジャスティン・ビーバーは、YouTubeに投稿した動画がきっかけで世界的な大スターになった。
 だが誰も彼もが成功するわけではない。成功者の陰には、たくさんの──とんでもなくたくさんの失敗者がいる。紬も、その失敗者の一人なのかもしれない。現時点では、間違いなく失敗している側だ。
 デビュー以来、YouTubeをやっているが、フォロワー数が少なく、100人といなかった。
 最近では、その100人も実在するのか疑わしく思えていた。何しろ再生回数が伸びなすぎる。一人一回も再生していない計算になる。投稿した動画すべてが、二桁の再生回数だった。
 そう思うと、一週間前に投稿した動画は成功の部類である。まじまじと再生回数を見つめ、また呟く。
「49回か……。人の噂もそれくらいだったっけ」
 いや、人の噂は七十五日である。四十九日は、故人の命日から数えて四十九日目に行う法要のことだ。
「まずは、人の噂を目指すか」
 再生回数75回。
「クリアできない数字じゃないよね」
 自分の言葉に情けなくなって、ため息が出た。もう考えるのはやめよう。気が滅入る。暗い気持ちになってくる。
 それなのに、過疎化が進んだ限界集落みたいになっている自分のYouTubeを見るのを止められない。もう何度も読んでいる動画についたコメントを、ふたたび読み返す。

 無駄に前向きな歌ばかり。
 中学生が好きそうな歌ですね。
 同じような歌ばかりで飽きました。
 つまんね。

 散々な言われようだった。こんな否定的なコメントが並んでいると知っていて読み返すのだから、自傷行為だ。
 悪口を書かれようと、再生回数が伸びれば我慢できる。でも伸びない。自分の他にYouTubeを再生している人間がいるのかも疑わしいほどだ。
 故郷であるさいたまけんちちのことや、お母さんが作ったふかねぎのポタージュが大好きだということまでYouTubeで話してみたが、手応えはゼロだった。プライベートを切り売りしても無駄だった。たいした個人情報じゃなかったこともあって、再生回数も一日二回か三回しか伸びなかった。
 さすがの紬も、毎日は自分の動画を再生していないので、二人か三人は見てくれている人がいるのかもしれない。
「二人いるなら上出来だよねっ!」
 空元気を出して──ただし近所迷惑にならないように気をつけながら、小声で叫んだ。一人でも自分の歌を聴いてくれる人がいるかぎり、がんばって歌い続けようと改めて思った。綺麗事だと思うし、かなり強がりも入っていたけど、本心でもあった。
 YouTubeのコメントにあったように、紬は『無駄に前向き』だった。前向きじゃなければ、売れない芸能人なんてやっていられない。落ち込んでも、すぐに立ち直る強さを持っていた。
 けれど、それにも限界があった。紬の心を折るような事件が起こった。もらい事故とも言うべき事件だった。

 十二月のある朝、突然、唯一の仕事を──収入源を失った。準レギュラーを務めていたカラオケ番組が打ち切られたのだった。番組の改編時期でもないのに終わってしまった。
 司会を務めていたお笑い芸人が、あろうことか刑事事件を起こして逮捕された。ニュース速報が流れるほどの大騒ぎになり、当然のごとく番組に出演できなくなり、過去の映像も使えなくなった。
 全国放送であれば他のレギュラーが司会をやったり、代役を立てたりするところだが、そうはならなかった。番組のスポンサーの意向で、番組はあっさり打ち切りになった。
 逮捕されたお笑い芸人以外に、知名度のあるタレントが出演していなかったという事情もあるが、そもそも、売れっ子だったお笑い芸人のために用意された番組だったのだ。
 カラオケ番組が打ち切りになったあと、その枠で食べ歩き系の旅番組が始まることになったが、紬は呼ばれなかった。事件に懲りたスポンサーが、お笑い芸人を使うことを嫌がったのだ。
「だから、わたしは芸人じゃないんだけど」
 そう言いたかったけれど、歌うま芸人として番組に出ていた以上、その理屈は通じない。
 こうして紬もテレビ画面から消えることになった。

 そんな大切な知らせをLINEで受け取った。届いたのは、なんと収録当日の早朝であった。
 番組が打ち切られる旨の説明が簡単に書かれたあとに、お気楽なメッセージが付け加えられていた。

 というわけで、今日から休みになります。
 この機会にのんびりしてね。

 ブサイクな猫が昼寝しているイラストのスタンプまで付いていた。自作のスタンプである。
 お笑い芸人が逮捕されたニュースは知っていたが、すぐ打ち切りになるとは思っていなかった。スタジオでVTRを見ながら話す感じで、何度かは続けるのだろうと決めつけていた。だからショックが大きかった。
「何がのんびりよ。十分、のんびりしているから」
 ブサイクな猫を睨みつけながら、お気楽すぎるLINEに文句を言った。カラオケ番組は二週間分を撮りだめる形式だったから、二週間に一度しか仕事がない状態であった。
 ちなみにメッセージを送ってきたのは、紬の所属している事務所の社長でありタレントであり、経理担当、事務担当、営業担当、ついでに電話番も担当しているいとくるりさんである。
 ──小糸くるり。
 芸名のような名前だが、果たして芸名だった。本名は知らない。調べればわかるだろうが、その気はなかった。
 彼女は、もともとはモデルだが、レコードまで出していた。紬の生まれる前の話なので、CDではなくレコードだ。
 かなりヒットして、全国ネットのテレビ局で何度も歌ったらしい。年末の某歌合戦にこそ呼ばれなかったけれど、他の歌番組は総ナメしている。ランキング形式でヒット曲を紹介する歌番組で、三位を取ったこともあったという。
 いまだにカラオケで歌われているらしく、印税が入ってくる。くるりさん自身で作詞しているから、バカにできない金額である。
 つまり、この芸能事務所──『くるりプロダクション』の稼ぎ頭でもあった。どの方面から見ても、紬ごときが勝てる相手ではなかった。
 そんな『くるりプロダクション』の事務所には、くるりさんの巨大なポスターが貼ってある。
 三十歳ころの写真だろうか。化粧が濃すぎてよくわからない。とにかくド派手な衣装を着たマリリン・モンローの日本版みたいな女性が、潤んだ目でマイクを持っている。
 そして、そのポスターには、突っ込みどころの多いキャッチコピーが書いてあった。

 スパンコールの雨が降る。
 千葉県君津市が生んだ歌の女王。


 くるりさん自身の考えたフレーズである。スパンコールというのは、光を受けてキラキラと輝く金属やプラスチックの小片のことで、舞台衣装に縫い付けてあったりする。装飾に使われるものだ。
 くるりさんは君津市どころか千葉県出身でさえない。しかも本業はモデルだったはずである。キャッチコピーに真実はなかった。
 ちなみに紬は、くるりさんの正確な年齢も知らない。もう六十歳をすぎているはずだけれど、いろいろな意味で若い。身長は紬と同じ百五十センチくらいだが、体重は紬の二倍はあるだろうか。
 キャッチコピーからもわかるように、くるりさんはスパンコールがちりばめられたデザインを愛していて、演歌歌手の舞台衣装かと思うレベルの派手な服装をしている。
 普段着でもそうだ。事務所にいるときは言うまでもなく、ふっのイオンでたまたま会ったときもキラキラと輝いていた。
 紬が目を丸くすると、「芸能人にプライベートはないのよ」と、わかったようなことを真顔で言っていた。
 それはともかく、『くるりプロダクション』で働いている正社員はくるりさん一人で、所属タレントは小糸くるりと悠木紬の二人しかいない。
 忙しい時期になると、ときどきアルバイトを雇っているようだが、紬は会ったことがなかった。くるりさんは結構な頻度で噓をつくので、アルバイトが存在していなくても驚かない。
 そんなくるりさんからLINEをもらったのは、朝六時のことだ。テレビ収録というと夜遅いイメージがあるが、紬の出演していたカラオケ番組は朝の収録が多かった。言うまでもなく売れっ子お笑い芸人のスケジュールの都合だ。
 もう三十分もしたら家を出るつもりでいた。収録開始の一時間前には、スタジオ入りしておきたい。
 実のところ、ここ最近、紬は張り切っていた。意に反してキャラ付けされた「歌うま芸人」が、はまり始めていたのだ。笑いを取れるようになりつつあった。
 いや笑いはともかく、番組中に、点数が表示されるタイプのカラオケで100点を連発したのだった。スタッフのあいだから、どよめきが起こった。
 この調子でいけば、他局から出演依頼の声がかかるかもしれない。シンガーソングライターとして認められたわけではないのは残念だが、背に腹は代えられない。
 歌うま芸人としてでもいいから、テレビの仕事がほしかった。全国ネットの番組に出たい。テレビを見ているみんなの前で歌いたかった。
 そう思っていた矢先に番組の打ち切りである。くるりさんのせいではないことはわかっていたけれど、LINEの連絡だけで納得できるはずもなく、紬は事務所に電話をかけた。すると、ワンコールもしないうちに、くるりさんが電話に出た。
「おはようございます。あなたの『くるりプロダクション』でございます。あなたの小糸くるりがご用件をお伺いいたします」
 いつ電話をかけても、くるりさんは業界人らしく「おはようございます」と言う。そして、いつ電話をかけても、だいたい彼女は事務所にいる。くるりさんの自宅を事務所にしているのだ。
「ゆ……悠木です。ええと、LINE、見ました」
 言葉に詰まりながら単刀直入に言った。仕事がなくなった動揺を隠すことができず、声が震えている。
 一方、くるりさんは余裕いっぱいで、紬からの電話に驚いた様子もなく、日常会話みたいに──お天気の話でもするみたいに言葉を返してきた。
「そうなのよ。番組がなくなっちゃったのよ」
 こちらも単刀直入だった。まるで慌てていない。のんびりしすぎとも言える態度である。事務所の収入が減ったというのに、平然としている。紬に同情している雰囲気もなかった。
 解せなかったが、やがて思い当たった。先月、紬はラジオドラマのオーディションを受けた。主人公の親友という大きな役柄だ。
 忘れたふりをして触れないようにしていたが、全力でおぼえている。そろそろ合否の連絡が事務所に届いているころだ。
 カラオケ番組がなくなったのは残念だが、ラジオドラマの仕事が決まったのなら慌てる必要はあるまい。ギャラは悪くなかったし、テレビではないけれど全国で放送される番組だった。
 人生は、悪いことばかりじゃない。いいことだって、きっと起こる。たぶん起こる。『ふくあざなえる縄の如し』ということわざがあるくらいなのだから。
 オーディションに受かったのかもしれない。前のめりの姿勢になって、くるりさんに聞いてみる。
「先月受けたオーディションの結果は来ましたか?」
「ラジオドラマのやつね。うん。来てた。落ちてた」
 くるりさんの返事は早かった。あっけらかんとした口調で凶事を伝えたのであった。
「お……落ちてた?」
 愕然とした声で聞き返すと、さすがにまずいと思ったのか、くるりさんがフォローを始める。
「しょうがないわよ。だって紬ちゃんは演技する人じゃないもんね。シンガーソングライター、正統派の歌手だもん。ラジオドラマなんて、むしろ出ちゃダメよね。こっちからお断りだわ」
 シンガーソングライター。正統派の歌手。こっちからお断り。
 今となっては、どの言葉にも違和感しかなかった。悠木紬は、歌うま芸人だったはずだし、ラジオドラマのオーディションを受けると決めたとき、「演技派女優として大河ドラマか朝ドラを目指すのよ! 人は、誰もが役者なのよ! 人生という舞台に立っているんだから!」とよくわからないことを言われた記憶がある。もちろん、くるりさんの言葉である。
 何をどう言っていいのかわからず黙っていると、くるりさんが自信たっぷりに続けた。
「バカ芸人が逮捕されたせいで、仕事はなくなっちゃったけど大丈夫よ。紬ちゃんには歌があるから」
 そう言うが、再生回数49回の歌である。大丈夫だとは思えなかった。崖っぷちから落ちかけている。すでに落下したと言っても過言ではない状態だ。
 だが、くるりさんはどこまでも能天気──いや前向きだった。慈愛に満ちた声で、紬を励ましてくれる。
「次の仕事なんて、すぐ決まるわよ。それまで休むといいわ。そうだ、温泉でも行って来たら?」
 そんな言葉で通話は終わり、紬は仕事と収入を失った。わかっていたことだが、事務所は当てにならない。

「アルバイトしないと……」
 電話を切ってから、紬は呟いた。もともと芸能の仕事だけでは生活できていなかったのだが、いっそう収入が必要になった。少なくとも、生活できる程度の収入が必要だ。
 売れない芸能人がアルバイトをするのは、決して珍しい話ではない。紬も、先月までファミレスでアルバイトをしていた。
 長く勤めていたこともあって、バイトリーダーにまでなったのだが、外食産業も競争が厳しく、そのファミレスが閉店した。いい店だったのに潰れてしまった。
 歌手になるために故郷から出てきて以来、ずっと続けてきたアルバイトだっただけに凹んだ。YouTubeで泣き言をこぼしたくらいである。そんな需要はないとわかっていたけれど、話さずにはいられなかった。
 そのYouTubeは収益化できておらず、アルバイトをさがさなければ無収入であった。
 東京に比べれば家賃の安い土地柄らしいが、それでも週五日は働かないと生活できない。安アパートの家賃さえ払えなくなってしまう。そうでなくても物価高で、生活が苦しかった。
「……田舎に帰ろうかな」
 思わず弱音を吐いた。紬の実家は、埼玉県秩父市にある。田舎と言うほどへんではないが、生まれ故郷という意味である。
 子どものころから歌が大好きで、高校生のときに小さなオーディションに出た。ローカル番組主催の名前もないようなオーディションだった。
 ギターを弾きながら、お母さんが大好きな中島みゆきの『ファイト!』を歌った。我ながら渋い選曲だ。
 優勝はできなかったが、『くるり賞』なるものをもらった。説明するまでもなく、小糸くるりの賞である。千葉県君津市在住のくるりさんが、なぜか埼玉県のローカル番組の審査員をやっていたのだ。
「温泉に入りに来ました」
 番組の冒頭で、くるりさんは言った。秩父市は温泉の町であり、高校生だった紬も含めた全員が冗談だと思って笑ったが、今になって思うと本気の発言だったのかもしれない。
 全力で『ファイト!』を歌うと、なぜか、くるりさんは泣いた。紬の歌に感動してくれたのか、花粉症だったのかは不明だ。そして番組が終わったあとに、スカウトされた。
「あなたなら、第二の小糸くるりになれるわ」
 この殺し文句に殺された当時の自分は謎である。とにかく、二十歳になるのを待ってうちぼうの町に出てきた。
 歌手になれるんだと、わくわくした気持ちをおぼえている。同時に、寂しい気持ちになったことも忘れていない。
 紬の父親はすでに他界していて、紬が実家から出ると、お母さんは独りぼっちになってしまう。進学や就職ならともかく、歌手になろうとしているのだ。反対されても不思議のないところだが、お母さんは紬の夢を応援してくれた。

 紬の歌を聴いてると元気になるの。
 がんばって生きていこうと思えるの。

 こんなふうに言ってくれた。だから帰れない。故郷には帰れない。歌手であることを諦められない。
 それから、天国のお父さんだって、紬を見守ってくれているはずだ。
 最初に歌手になりたいと思ったのは、幼稚園のときだった。そのころから歌が好きだった。お父さんのおかげで好きになった。
 お父さんは身体が弱かった。会社を休んで寝込んでばかりいた。お母さんも働いているから、紬とお父さんの二人でいる時間が長かった。縁側に並んで座って、よく自宅の庭を眺めていた。
 のんびりした時間だったが、幼稚園児の紬はすぐに退屈して、歌い出した。幼稚園で習った歌もあれば、お母さんが聴いている中島みゆきを歌うこともあった。
 うるさかっただろうに、お父さんは紬を邪魔にせず、微笑みながら「上手だな」と褒めてくれた。調子に乗って、自分で適当に作った歌を披露した記憶がある。だが、そんな優しい日々は永遠には続かなかった。
 やがて紬が中学生になると、大きな病院に入院してしまった。毎日のようにお父さんのお見舞いに行った。元気になって、家に帰ってくるものだと思っていた。
 でも違った。元気になるどころか、お父さんは日に日に痩せていった。何度も何度も手術を受けた。
 そんなある日、お父さんがベッドに横たわったまま、紬をそばに呼び、聞こえるか聞こえないかくらいの声で言った。

 お父さんは紬の歌が好きだ。
 聴いているだけで、いろいろなことが怖くなくなる。
 生まれてきてよかったって思うことができる。
 お母さんや紬と暮らせて幸せだったよ。
 生まれてきてくれて、本当にありがとう。
 お父さんの子どもになってくれて、本当にありがとう。

 そして眠ってしまった。それが、最期の言葉になった。お父さんは、そのまま目覚めなかった。紬とお母さんを置いて、どこか遠くへ逝ってしまった。
「ありがとうは、わたしの台詞だよ」
 思い出すたびにそっと呟く。お父さんとお母さんの子どもでよかった。何度でもそう思う。幸せだったし、今も幸せだ。優しい記憶をたくさんもらった。
 だから故郷に帰るわけにはいかない。お父さんとお母さんが応援してくれた夢を諦めたくない。
「もう少し、がんばってみるから」
 一人暮らしのアパートで呟く。崖っぷちの苦しい暮らしの中で笑ってみる。病気のお父さんは、もっと苦しかっただろうに笑っていた。
 お母さんだって寂しいだろうに──泣きたいことだってあるだろうに、いつも笑っている。
 そんな両親の娘が、こんなことで挫けるわけにはいかない。負けるわけにはいかない。
 天国のお父さんや故郷のお母さんに届くように歌い続けたかった。明日のために、大好きな歌を歌いたい。
 時計を見ると、まだ午前七時にもなっていなかった。何をするにも早すぎる時間だ。だからと言って二度寝する気にはなれず、このまま家にいても落ち込んでしまいそうだ。
「散歩でも行くか」
 考えるまでもなく決めた。歩くのは身体にいいし、お金もかからない。気晴らしにもなる。
 秩父市の山間の町で生まれ育ったこともあって、一時間くらいなら平気で歩けた。今でも歌うことの次くらいに散歩が好きだ。
「天気は大丈夫かなあ」
 立ち上がって窓の外を見た。雲一つない青空が広がっている。大丈夫そうだ。もちろん寒いだろうが、歩いているうちに暖かくなるはずだ。
 それでも薄着はできない。風邪を引きたくなかった。喉を痛めたら歌えなくなってしまう。
うれいあれば備えなし。──いや、反対か」
 それを言うなら、『備えあれば憂いなし』である。
「意味は一緒」
 適当なことを言いながら、お気に入りの白いダウンジャケットを着て外に出た。故郷にいたころからずっと着ているアウターだ。
 玄関を出て階段を降りて、アパートの外に出た。時間が早いせいか、閑散としている。駅へ向かう道から少し外れているせいもあって、普段から人通りの少ない場所だった。
「そんなに寒くない」
 吐く息は白かったけれど、故郷の秩父に比べれば暖かい気がする。このあたりでは、雪は滅多に降らない。たまに降っても、ほとんど積もらなかった。
「今日は木更津のほうに行ってみるかな」
 あまり考えずに決めた。さしたる理由もなく、事務所のある君津市の反対方向に行こうと思ったのだ。
 歩いたことのない道を行ってみたかったのかもしれない。知っている人のいないところを歩きたかったのかもしれない。そういう気分だったのだろう。
「迷子上等で歩くから」
 誰も聞いていないのに宣言するように言って、紬は歩き始めた。スマホも持たずに、ひたすら歩いた。頭の中を真っ白にして、景色も見ないで足を進めた。もともと考えるより、身体を動かすほうが得意だ。
 知らない道を選んで進んでいたつもりだったが、道はつながっていたようだ。ふと気づくと、苦手な場所の近くにいた。大きな病院が目の前にあった。関東を代表するような大きな総合病院である。
 この病院自体に含むところはないし、お腹が痛くなって診てもらったこともあるけれど、お父さんが入院した日のことや手術を受けた日のこと、それから、死んでしまった日のことを思い出してしまうのだ。
 そろそろ十年の歳月が流れようとしているのに、今でも胸の痛みを感じる。人は、悲しみを忘れることができない。心の痛みは消えない。
 記憶とは不思議で、何年も思い出したことのなかった過去の出来事が──もう忘れてしまったと思っていた昔の出来事が、昨日のことのように脳裏に浮かぶ瞬間があった。断片的で不確かな記憶が、走馬灯のように駆け巡るときがある。
 例えば、こんな記憶。
 紬が幼稚園に通っていたころ、お父さんと不思議な会話を交わした。どうしてなのかはおぼえていないけれど、お母さんはその場にいなかった。

「ねえ、お父さん。海ってどれくらい広いの?」
「想像もつかないくらい広いよ。すごく、すごく広いんだ」
「へえ。それじゃあ、海の向こう側には何があるの?」
「さあ。お父さんも知らないなあ。何があるんだろうなあ」

 海のない埼玉県で生まれた紬は、ずっと本物の海を見たことがなかった。もちろん、テレビやネットなどでは見たことはあったけど、小学生になって遠足に行くまで県外に出た記憶さえなかった。埼玉県の外に出るような家族旅行をしたことがなかったのだ。
 紬が海の向こう側に思いを馳せていると、お父さんがとても穏やかな声でこう続けた。

 海の向こう側に何があるのかわかったら、お父さんに教えてほしい。紬が大きくなったら、きっとわかるだろうから。

 あれから長い歳月が流れた。二十二歳になった紬は、海の町で暮らしている。東京湾を毎日のように見ている。そして、たぶん、もう大人だ。
 けれど、いまだに海の向こう側に何があるのかはわからない。その一方で、死んでしまったお父さんが暮らしているような気がするときがある。
 死んでしまった人たちの暮らす国が、海の向こう側にあるという話を聞いたことがあった。話してくれたのは、くるりさんだ。
 いつだったか二人で海岸を散歩したとき、内房の海を見ながら独り言を呟くように言っていた。

 人が死ぬと海の彼方にある楽園に行って、そこで永遠に幸せに暮らすのよ。

 特別な考え方ではないらしい。くるりさんは、『海上他界観』という言葉を教えてくれた。
 海上他界観は、古代日本から伝わる死生観あるいは民間信仰であり、特に九州やおきなわなどの海に囲まれた地域で広く信じられている。
 その起源は古く、縄文時代の遺跡から、海に面した場所に墓が作られていることから推測できる。当時の人々が死者を海に葬ったのではないかという説があるらしい。苦しみも悲しみもない楽園で幸せに暮らしてほしい、と願いを込めて──。
 あの世のことも、海の向こう側のことも考え始めるとキリがない。生きている人間にはわからないことだろう。

 病院を見たくなかったから、病院から逃げるように細い道に入った。すると見知らぬ場所に出た。大通りのそばにあるのに静かで、木々が生い茂っている。
「散歩にいいわ」
 気持ちを切り替えようと呟き、さらに歩いていくと、こぢんまりとした鳥居が見えた。こんなところに神社があるようだ。
 木更津市には吾妻神社やつるぎ八幡神社のような観光名所もあるが、人々に忘れ去られたような小さな神社も点在している。その多くは無人の神社で、神職も常駐していない。

 紬が見つけたのは、そんな神社の一つだ。歩み寄ってけいだいをのぞいた。閑散としていて、どことなく管理している人間がいない雰囲気があった。
 その割には、境内は綺麗に掃除されていたので、地元民が気を配っているのかもしれない。近所の人たちがボランティアで掃除している神社はある。
「お参りしていこうかな」
 なぜ、そう思ったのかわからない。見えない力に導かれるように神社の境内に入り、小さな拝殿まで行った。予想通り、誰もいない。紬は手を合わせて、声に出して願いごとを言った。
「仕事が見つかりますように」
 生きていく上で必要なことだ。お金がないのだから、仕事が見つからなければ生きていけない。
 ただ紬の望みは、他にもあった。大きな、とてもとても大きな願いがあった。ずっと願っていることだ。
 今度は、声に出さずに願掛けする。

 わたしの歌が、みんなに届きますように。
 誰かの勇気になりますように。

 自分の歌を聴いて、笑顔になってほしかった。喜んでほしかった。落ち込んでいる人を元気づけたかった。
 つたない歌かもしれないけれど、生意気な願いかもしれないけれど、みんなが幸せになってほしかった。
 だから、これからも前向きな歌を歌い続ける。中学生が好きそうな歌を歌う。絶対に諦めない。歌うことをやめない。夢を諦めない。倒れても、がんばって立ち上がる。何度でも立ち上がる。
 名前も知らない神社の神さまに誓った。それは、死んでしまったお父さんに向けた言葉でもあった。

 お参りを終えても、まだ帰る気になれなかった。帰ったところで、やることは何もない。逮捕されたお笑い芸人の話題をSNSで追いかけて、一日が終わる予感があった。
「もう少し歩くか」
 散歩を続けたほうが、絶対にましだ。スマホを持ってこなかったので、自動的にSNS断ちできる。
 紬は、神社の裏手に向かって歩いた。何分もいかないうちに、その建物が目に飛び込んできた。
「なんか、可愛いのがある」
 古民家風の建物だが、小さな突き出し看板が壁にくっついていたおかげで、食堂だとわかった。その看板には、丸っこい可愛らしい書体で店の名前らしき言葉が書いてあった。

 しっぽ食堂

 陶器で作ったような猫形の看板だった。三十センチ四方程度の小さなもので、看板としては目立たない。遠くから見ても、看板だとわからないだろう。
 そして設置されていたのは、猫形の看板だけではなかった。そのすぐ下に土鍋の形をした、やっぱり陶器で作った感じのプレートが貼ってあって、こんな文字が書いてある。

 土鍋料理と定食、猫の店
(しっぽの長い猫がいます)


「へえ」
 紬は声を上げた。病院の近くに、こんな店があるなんて知らなかった。興味を惹かれた。
「看板猫がいる店かあ……」
 店の名前や看板からして猫がいそうな雰囲気ではあるが、明記して、猫嫌いの人間やアレルギーを持つ客に注意を促しているのだろう。
「絶対、いい店だ」
 早くも太鼓判を押した。紬の直感がそう言っている。店名と言い、猫形の看板と言い、柔らかで可愛らしい雰囲気があふれている。土鍋料理というのも温かみがあっていい。
 すでに開店しているらしく、「営業中」の札とれんがかかっていた。
「こんなに朝早くからやってるんだ」
 昼間に会社勤めなど他の仕事をして、土日や朝早くだけ開ける類の店なのかもしれない。つまり趣味でやっている系の食堂だ。
 その手の店は儲け度外視で営業していることも多く、美味しい料理を安く食べることができる傾向にあった。
「ごはん、食べていこうかなあ……」
 独り言が止まらない。起きてから何も口にしていなかった。食べることは好きだが、自分で料理するのは面倒くさくて自炊していない。
 今日にしても、収録に向かう途中で何か適当に食べるつもりでいた。コンビニでパンを買って済ませることも多かった。
「外食くらいしてもいいよね? これも何かの縁だよ」
 言い訳するように呟いたのは、外食なんて贅沢だと思ったからだ。コンビニのパンだって今どき安くはないけれども、店で食べるより高くはない。お金のかかり方が、十倍くらいは違うだろうか。
 しっぽ食堂にさらに近づき、店内の様子をうかがった。入り口は細かい縦格子戸になっていて、よく見えなかった。ただ、誰かがいる気配はある。
 着物姿の落ち着いた女性の姿が思い浮かんだ。そのイメージは、自分の母親と被るものだった。きっと優しそうな人がやっているに違いない。あんなに可愛い看板を出しているのだから。
「今の時間だと、朝定食かなあ」
 外にメニューがないのでわからないが、朝から土鍋料理は出さないだろう。紬は、朝定食を思い浮かべた。店の雰囲気からして、きっと和食だ。
 炊きたてのごはんと漬けもの、焼き鮭、納豆、卵焼き、湯気の立つ汁……。
見てもいないのに、お腹が鳴りそうだった。もちろん、しっぽの長い猫にも会ってみたい。
「これは食べていくしかないな」
 決断したあとは迷わない。
「おはようございます」
 紬は声をかけながら、しっぽ食堂の引き戸を開けた。

  *

続きは10月2日発売の『しっぽ食堂の土鍋ごはん 明日の歌とふるさとポタージュ』で、ぜひお楽しみください!

■ 著者プロフィール
高橋由太(たかはし・ゆた)
千葉県生まれ。2010年、「このミステリーがすごい!」大賞隠し玉として『もののけ本所深川事件帖 オサキ江戸へ』でデビュー。著書に『もののけ、ぞろり』シリーズ他『黒猫王子の喫茶店』『作ってあげたい小江戸ごはん』『ちびねこ亭の思い出ごはん』シリーズなどがある。

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