「好きな食べ物」がみつからない。
いや、好きな食べ物はいくらでもあるんだ。
なんだかいきなり情緒不安定なことを言ってしまった。私がみつからないという「好きな食べ物」とは、
「あなたの好きな食べ物はなんですか?」
と、誰かに聞かれたときのアンサーだ。
好きな食べ物はたくさんある、でも、聞かれて答えるベストな「好きな食べ物」がみつからないまま、私の人生の河は長らく流れてきた。
「あなたの好きな食べ物はなんですか?」
この質問には、どう答えるかにほんのちょっとした大喜利、またはセルフプロデュース的な側面をつい感じ取ってしまう。
大喜利だとすると答えるのに悩んではいけない。熟考よりも求められるのは即答だ。そのうえで、セルフプロデュース、自分がどう見られたいかの計算が求められる。
もちろん、実際にちゃんと好きな食べ物を答えなければ質問者との信頼関係にかかわる。
とてもむずかしい。
私は「好きな食べ物」を45歳という引き返せないレベルの大人になった今も規定できないままでいる。中学生の娘と高校生の息子と3人で暮らしているのだけど、彼らはよどみなく堂々と答えるのだから(後述するが、娘の好物はタコライスで、息子の好物は杏仁豆腐だ)、親として超えられた、うれしくも置いていかれてしまった気持ちだ。
ことを難解にしているのが「食べ物」とは何かという根源的な問いだろう。
担任の先生に遠足のおやつは300円までと言われたとき「おやつにバナナは入りますか」と聞く小学生が令和の世に現存するかは不明だが、聞いたかつての子どもたちに敬意を表して私は今「好きな食べ物にバナナは入りますか?」と聞きたい。
「好きな食べ物」として、バナナのような果物かつ軽食を取り入れてもいいものか。トマトやブロッコリー、こんにゃくに豆腐など、素材で答えて回答としての芯を食えるか。デザートでも大丈夫か。本来的には食事のメニューに限定して答えるべきではないか。
そうして私が苦慮してもんどりを打つ横で、ある友人は誰に聞かれても好きな食べ物を「すっぱいもの」と答える。
そんなのありか!?
それ、味じゃん!
またある友人はいつでも元気に「おにぎりです!」と食い気味に即答する。
なんの具の!?
彼らには逡巡がない。すっぱいものが好き、おにぎりが好き、そう答えることにもう決めて、うしろを振り返ることなく颯爽として生きている。
かつて私は好きな食べ物を「干しあんず」と答えていた。母方の祖母がよく実家に送る荷物に入れてくれて大好きだった。けれど、祖母が亡くなって届かなくなったら自分で求めることもなくほとんど食べなくなった。それでは好きな食べ物とは言えないだろう。
食パンが好きで、朝ぼんやりしているうちに1斤まるごと食べてしまったことがあった。これだ! とひらめき、しばらく食パンを好きな食べ物として掲げたが、「じゃあ〇〇町の▲▲の食パン、食べたことある? あれおいしいよね」とほがらかに聞かれて固まった。私が食べているのはスーパーで売られる袋に入った食パンであり、銘柄にもまったくこだわりがない。とうてい食パン好きは名乗れない。
一時期、圧力鍋であんこを炊くのに凝ったことがある。甘さが調整できるのがいい。いよいよこれだろうと、あんこです、自分で作ったあんここそ好物ですとふれ回った。が、自分のなかでのブームが去るのは早く、そのうえ圧力鍋も壊れて一切作らなくなってしまった。あんこもだめだ。
「あなたの好きな食べ物はなんですか?」
結局ふりだしに戻って、惑う。
おいしい食べ物が世に多すぎる。無限にある。スーパーに行くと、いつも新鮮に食の豊かさに感動する。まずなんといっても野菜が輝いている。果物もぴっかぴかだ。お肉やお魚には頼もしさすら感じる。乳製品やお菓子は人においしいと言われるために生まれてきたような存在だ。パンもお米も言わずもがな。さらに総菜コーナーに行けば買って温めればすぐ食べられる料理がたくさん並んで見ているだけで胃がゆれる。
いつか近所のスーパーがリニューアルオープンしたときは、新しくつるつるした店内が蛍光灯で真っ白に照らされたうえ陽気な音楽がかかって、そこに潤沢に食べ物が並ぶんだから私はすっかり感動し、じんわり涙したほどだ。
まずスーパーがそんなようすだし、街を歩けば小さな商店がそれぞれ独自の味わいを売らんと頑張っている。コンビニは真夜中も開けて温かいものから冷たいものまで売ってくれる。そのうえ、各種レストランだってある。個人のお店もチェーン店もしのぎをけずって気の利いた料理を値段に応じた素材と手間で上手に出してくれる。
今日び、おいしくないものを探す方が大変で、たまに「これはまずい!」というものに出会ったらむしろ希少さに珍重の思いが湧いてありがたがるくらいだ。どこへ行ってもおいしい食べ物に囲まれ、手に余って半目で見ないと魅力にあてられてスーパーでもデパートでも気が滅入りそうにすらなる。なんて贅沢なことだろう。
私はなんだってたいていは好きなんだ。
アイドルファンの世界には、ひとりと決めずたくさんのアイドルを好きでいる「DD(誰でも大好き)」だとか、グループのメンバー全員を尊ぶ「箱推し」という言葉があると聞いた。いっそ、食べ物全体を愛していくのはどうだろう。「好きな食べ物は、食べ物です」。据わった目でそう公言して生きて行く……。
と、昨今は開いていない悟りを開いたつもりになってこの問題にあえて向き合わず放り出していた。ほとんど拗ねたと言ってもいい。
ところで私はもずく酢がやや苦手で、食べようと思えば食べられるし食べればおいしいとも感じるのだけど、あえて買ったり注文して食べることはない。
先日入った居酒屋が、料理はおまかせで出してもらえるお店だった。
「苦手なものはありますか」
と聞かれ「もずく酢があまり……」と答えた。なんと偶然、突き出しにもずく酢を出そうとしていたという。インド料理の、きゅうりをヨーグルトで和えたライタに代えてくれた。
このライタがとってもおいしかった。インド料理を食べるタイミングではなく、居酒屋でビールのおつまみとして味わうのが思いのほかちょうどよく、もずく酢が苦手だとちゃんと言えてよかったなあとしみじみと実感した。
はっとした。もずくが苦手だとしっかり認識し決定していたことにより、たった今、私は実利を得た。
例のすっぱいものが好きな友人のもとにはすっぱい食べ物情報がつねづね周囲から集まるという。おにぎり好きの友人は差し入れによく名店のおにぎりを受け取っている。
彼らは「あなたの好きな食べ物はなんですか?」に生き生きとしてきっぱり答えることによって、豊かな時間をすごしている。
やっぱりみつけたい。
私の「好きな食べ物」は、どこかにきっと、あるはずなのだ。
*
続きは12月4日ごろ発売の『好きな食べ物がみつからない』で、ぜひお楽しみください!
■ 著者プロフィール
古賀及子(こが・ちかこ)
エッセイスト。著書に日記エッセイ『おくれ毛で風を切れ』、『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』(ともに素粒社)、エッセイ集『気づいたこと、気づかないままのこと』(シカク出版)がある。好きな食べ物が本書執筆を通じやっと決まった。