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いつもそこにあるのに、気づいていなかったもの。【書評:瀧井朝世】


 見えないけれども、ちゃんとそこにあるもの。それに気づかせてくれるのが、青山美智子の新作『月の立つ林で』だ。

 全五章、それぞれの主人公は異なっている。

 第一章の主人公は四十代の朔ヶ崎怜花。長年看護師を務めてきたが疲弊の末に辞めたところで、今は求職中だ。実家に住む彼女が、隣人から数日間猫を預かることとなる。

 第二章の主人公は三十代の宅配の配達ドライバー、本田重太郎。お笑い芸人を目指して青森から上京、相方が別の道を選んだため、今は事務所に所属しないピン芸人でもあるが、仕事はほとんどない。

 第三章の主人公は、二輪車の整備工場を営む五十代の高羽。まだ二十四歳の娘が突然、妊娠して結婚すると言い出したうえ、その相手がおとなしい男であることが気にくわずにいる。

 第四章の主人公は高校生の逢坂那智。母親と二人暮らしの彼女は将来の目標もなく、ベスパで飲食店の配達サービスのアルバイトをしている。そんな折、同級生男子が、父親が主宰する劇団のチラシを送る封筒の宛名書きの手伝いを探していると知り、自分から志願する。

 第五章の主人公はハンドメイドのアクセサリーをネット販売している北島睦子。夫や近所に住む義母が自分の仕事に無理解であると不服に思っているのだが……。

 なにかしら、うまくいかない思いを抱えている人々が登場する連作短編の形式だ。デビュー作の『木曜日にはココアを』や本屋大賞2位となった前作『赤と青とエスキース』などと同じく、各章の登場人物は緩やかに繫がっており、この形式は著者の得意とするところといえる。

 年齢も住んでいる環境も異なる主人公たちだが、共通点はふたつある。ひとつ目は、みな、あるキーパーソンとなんらかの形で繫がりがあるところ。二章まで読めばすぐに誰のことだか分かるだろうが、読書の愉しみのためにここでは深く説明しない。もうひとつの共通点は、みな、なんらかのきっかけで、タケトリ・オキナなる人物のポッドキャスト『ツキない話』を聴いていること。それは毎朝配信されている音声のみの番組で、毎回十分ほど月に関する豆知識や思いが語られている。このポッドキャストで新月について語られた日が出てくるのも各章の共通点だ。月齢0の新月は、タケトリ・オキナによると「新しい時間のスタートのタイミング」だという。主人公たちは、そんな彼の言葉に導かれてか、新しいものの見方、考え方を獲得していく。

 月が太陽と地球の間に位置する新月は、光を反射しないため、地球からは見えない。でも月は、ちゃんとそこにある。主人公たちは、新月同様、見えないけれどちゃんとそこにあったものに気づく。たとえば第三章の高羽は、突然大雨となった日に宅配ボックスから荷物を取り出したところ、宅配便のひとつは箱がぐっしょりと濡れており、もうひとつ、いつもと同じ配達員が届けた箱はまったく濡れていないことに息をのむ。そこで彼は、なじみの配達員の心遣いに、はじめて思い至るのだ。

 いつもそこにあるのに、気づいていなかったもの。主人公たちにとってのそれは、誰かの優しさだったり、当たり前すぎて見過ごしていたものだったり、自分の心の底にある思いだったり。自身の思い込みや、高羽の例のように当たり前すぎて見過ごしていることは案外多いのかもしれない。主人公たちのように、鬱屈を抱えている状況にいる時に物事をフラットに見つめるのは難しいだろうが、そんな彼らが素直に曇りのない眼を持てる瞬間に至るまでが、巧みなストーリーテリングによって語られている。そして本作の美点は、「あなたはちゃんとそこにいるよ」という思いも伝わってくるところだ。新月のように、存在を見過ごされているように感じることがあったとしても、あなたはちゃんとそこにいる。あなたの悩みも寂しさも、ちゃんとそこに存在している。そして、あなたは気づいていないかもしれないけれど、誰かがちゃんと、そのことを分かっているのだと、伝わってくるのだ。

 印象的な言葉がある。第四章の主人公、那智が、たまたま竹を伐採をしていたおじさんと言葉を交わすなかで、こんなことを言われるのだ。

「竹は地中で繋がっていて、竹林が一本の樹みたいなものなんです」

 きっと読者はこの場面で、本書で描かれる登場人物たちの緩やかな繋がりを連想するはずだ。人と人も、きっと、見えないところで繋がっている。そして、気づかないうちに、思わぬところで助けてもらったり、影響を与え合ったりしているのだ、と。

 私たちは一人一人みんな、ちゃんと存在しているし、見えないところで繋がっている。そう肯定してくれる温かさ、心強さが胸に沁みる一作だ。

 
瀧井朝世(たきい・あさよ)
1970年生まれ。WEB本の雑誌「作家の読書道」、『別冊文藝春秋』『WEBきらら』『週刊新潮』『anan』『クロワッサン』『小説宝石』『小説幻冬』『紙魚の手帖』などで作家インタビュー、書評を担当。TBS系「王様のブランチ」ブックコーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』、『あの人とあの本の話』、「恋の絵本」シリーズ(監修)、『ほんのよもやま話 作家対談集』。

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