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石狩七穂のつくりおき 家事は猫の手も借りたい? 

 プロローグ

 唐突だがいしかりななは床下が嫌いだ。
 まず暗い。そして狭い。何かこもっていて変な臭いがする。うっかりすると、築八十年以上の家を支える柱や束に頭をぶつけそうになるので、土がき出しの地面をうように移動する必要がある。
 まああえて床下を愛好する人がいないとは言わないが、その人は特殊なこうか才能の持ち主に違いない。
 しかしこうして寝ていた部屋の畳をがし、床板まで外して床下に侵入したのだ。今さら後には引けなかった。
(どーこーだー、猫ちゃんよー)
 七穂は懐中電灯であたりを照らしつつ、たれてくるの巣らしきものをかきわけ、床下を這い進む。どうかネズミの死骸とか、大量のゴ○ブリとか、そういうのに会いませんようにと心から願う。
 確かにこの下から聞こえたのだが──。
 心当たりの方向をライトで照らすと、一瞬だけしっらしいものと、キラリと光るけものの目が見えた。
 存在に気づいたのは向こうも一緒だったらしく、素早く逃げ出した。
(よし、動いた!)
 ここ数日、床下にとどまってまるで移動する気配がなく、や病気の可能性もしていただけに、逃げる元気があったのは何よりであった。
 この狭い空間は、七穂が降りてきたルート以外は、外へ逃げる道がほぼふさがれているのは確認済みだ。唯一の例外は、格子が一本だけ腐って折れている、特定の通風口のみである。自然とそちらへ誘導されるはず。
 七穂の懐中電灯に追われるように、床下の猫が、その通風口へと走っていく。
 光差し込む出口の先には、別の人間が待機しているはずだ。
たか君!」
「──大丈夫、確保!」
 遠く聞こえた声に、七穂は心底ほっとした。
 でかした隆司よ。心の中で拍手しながら、暗くほこりっぽい空間を出て、元いたらくていの室内へと這い上がる。
 しばらくすると、庭に面した縁側の下から、青年がのそりと立ち上がるのが見えた。
 彼はゆるい灰色のスウェット姿で、その手には洗濯ネットに包まれた猫が抱かれている。
 暴れる猫をおとなしくする方法として、洗濯ネットをかぶせるのは比較的よく知られたやり方だろう。しかし──。
「ほっぺ! 血が出ちゃってるよ」
「ネットの口閉める時に、ちょっと引っかかれたんだ。ここだけだよ」
「なんてこった。せっかくのご面相が」
 結羽木隆司はここ我楽亭を相続した人間であり、七穂にとっては母方のいとこだ。しかし、地黒で濃いめの顔をした自分とはまるで似ていない、色白で繊細な容貌の持ち主である。たぶん他のどの親戚とも違うだろう。アラサーとなった今でも、王子と呼んで差し支えない雰囲気がある。
 それはすなわち彼が養子縁組で結羽木家にやってきたことのしょうでもあるのだが、今は横に置いておこう。とにかくそのお顔に、一本線の傷がついた事実が軽くショックだったのだ。
「私が捕獲役やればよかったかな」
「七穂ちゃん。どうして君なら怪我していいって思うのさ」
「う、ごめん。でも隆司君よりはさー……」
「俺の前で、自分なんかって言い方されると悲しいよ。七穂ちゃん綺麗なのに」
 こういうことを、隆司はわりとな調子でぶっ込んでくる。本気というか、冗談ではないらしい。その事実に、七穂はいまだ慣れていない。
 へどもどする気持ちを隠し、家の中から、隆司を呼んだ。
「消毒するから。こっち来て」
 ずっとずっと世話をしてきた人に大事にされるのはこそばゆいし、恐れ多い気さえするのだ。
 ──むかしむかし、小さな頃から優秀だった『たかしくん』は、ある時大きくつまずいて、会社をお休みすることになった。その時『ななほちゃん』は求職中の暇人だったので、休職する彼の面倒を見る『休職当番』になった。
『たかしくん』は預かりものの盆栽を抱え、ただただ死んだように生きていたので、そんな彼のご飯作りや掃除のため、毎週実家から車を飛ばして、昔遊んだ我楽亭を訪問した。
 長いお休みをここで過ごし、ちょっと地球を半周する冒険も経て、結羽木隆司はまた働きはじめた。
 七穂も家事代行という、自分の好きな仕事を見つけて活動中だ。
 だからまあ、今はとりあえず一緒にいよう。我楽亭で暮らそう。
 そんなゆるい感じの約束をしたのは、ホタル舞う七月のこと。季節は夏を経て、実りと落葉の秋になろうとしていた。

「やっぱりあの子、飼い猫じゃないよね。見たところ首輪してないし」
 床下から救出した猫は、長い放浪のせいか方々薄汚れていた。いっそ保護のために包んだ洗濯ネットごと、どぼんと洗濯機に入れてしまいたい衝動にかられたが、ひとまず段ボール箱に移し、縁側の隅に置いて落ち着くのを待つことにした。
 七穂は救急箱を持ってきて、隆司の傷を手当する。
「何ヶ月ぐらいの猫なんだろうね」
「そうだね……あのひょろひょろの感じじゃ、生後半年ぐらいじゃない? お母さん猫から独立したばっかりの、はぐれチビ猫って感じかも」
「たわしと同じケースか……」
 ため息をつく隆司が思い浮かべているのは、かつてこの屋敷の壁を破壊して救出した子猫のことだろう。彼は『たわし』と名付けて世話をし、たわしは今、ひろという少年の家で元気に暮らしている。
 あの時バールで壊した砂壁は、一年以上放置された末、七穂の抗議でようやく穴が完全に塞がれたところだ。壁が直れば次は床とはせわしない。
「もう我楽亭じゃなくて、破壊亭に改名するってのはどう?」
「死んだじいさんに怒られるよ」
「だめか」
 ユーキ電器の元会長、結羽木しげるは隠居目的にここを購入したという。
「今回は、畳と床板をちょっと外すだけですんだじゃないか」
「でも下の通風口は、誰か新しく入り込む前に直した方がよさそう……あー、ギザさん! 先輩も! だめ、そこの猫は構わない! 放っといて!」
 縁側に置いた段ボール箱の周りに、ここ我楽亭の庭を縄張りにする猫たちが集まっていた。
 七穂が実際に立ち上がって解散をうながすと、ちょっかいをかけていた猫たちは、面倒くさそうに庭へ降りていった。
かんろくありすぎなんだよ、キミたち)
 片耳に地域猫のしるしの切れ込みがある『ギザさん』に、三毛のデブ猫『先輩』。
 港の数だけ女がいる男ではないが、近隣に複数のえさを持つとうわさのギザさんや、首輪つきでもしょっちゅう生家を抜け出す先輩は、厳密にはここの飼い猫ではない。しかし、昭和初期に建てられたという母屋や離れの洋館、池つきの庭がある我楽亭は居心地がいいようで、勝手に猫が集まってきてしまうのである。
 屋敷の周りを背の高い垣根が囲う中、この時季は庭木のイチジクが夏果に続いて秋果を実らせ、風向きによっては縁側にいても独特の熟う れた甘い匂いがただよってくる。
 ここだけ時間の流れが違っていそうな光景が、七穂はわりと好きだ。
「なーお」
「はいはい怖かったね。もう大丈夫だから」
 子猫氏、捕まった瞬間からうるさいぐらいにミャーミャー鳴いていたが、直近のは『出せ』ではなく、『どうかお助けを』だったのかもしれない。少しだけ子猫に同情した。
 一時的に開け放っていた縁側のガラス戸を、あらためて閉める。
「──とりあえず隆司君、うちらも朝ご飯にしようか」
「了解。やっとだね」
 そう。この件を片付けないことには、おちおち寝てもいられないと思っての電撃保護作戦だったのだ。
 隆司が寝室の畳を元の位置に戻している間に、七穂は台所へ行く。
 環境が食を作るのか知らないが、朝ご飯は和食を作ることが多くなった。
 グリルで鰺あじの干物を焼き、汁物は赤だしでなめこと三つ葉。タイマーで炊いたご飯もちゃわんに盛る。
 小鉢のひじき煮や、余り野菜の浅漬けなどの常備菜も含めて、ここまで用意したのは七穂だが、この手の作業は苦でもないので『休職当番』の頃から自分が担当していた。
(あ、よかった。ひじき煮が復活したわ)
 実際に茶の間のちゃぶ台で食べてみて、七穂は一人うなずいた。
 鰺の焼き加減はもちろん、どうにもぼんやりした味だったので、思いつきでカリカリ梅を足したひじきの煮物が、案外いい仕事をしている。味に酸味とパンチが出た。
 浅漬けもこれぐらい薄味なら、サラダ代わりにできそうだ。
 かぶと人参、キャベツなどの半端野菜に、昆布茶とごま油を入れて和えただけ。献立が洋食なら、ごま油のかわりにオリーブオイルでもいいだろう。塩昆布よりも素材の色がよく出るので、彩りを考えればお客様用の常備菜レシピに加えるのもありかもしれない。
 おでんの余りで作ったなめこの味噌汁も、つるつるした食感に赤だしと三つ葉の薬味がきいていて、何より空きっ腹に温かい汁が染み渡るようだった。
「隆司君、今日の予定は?」
「普通に仕事かな」
「祝日なのに?」
「イギリスに、日本のカレンダーは適用されないし」
 なるほど。それもそうか。
 隆司は勤めていた大手コンピューターメーカー『アウルテック』を辞めた後、放浪先の英国でベンチャー企業の社長さんに拾われ、今はリモートでIT関係の仕事をしている。
 母屋につながる洋館の書斎を改造し、パソコン部屋にしているが、どういうサイクルで仕事を回しているのかまでは不明だった。
「時差がある国と仕事するって、大変じゃないの?」
「俺はね、妖精なんだよ七穂ちゃん」
「ほ、ほほう……妖精サン……」
 真顔で言う台詞せりふかよと思うが、まつ長めの王子様顔とイギリスという土地柄があると、妙に説得力があって困る。たとえその箸はしでつまんでいるのが、鰺の干物であってもだ。
「朝起きる、色々相談事がチャットで持ち込まれてる、それを俺が片付けてから寝る。向こうも朝起きれば綺麗に片付いたタスクに会える。向こうが寝てる間に色々片付けるから、便利で喜ばれる」
「ウィ、ウィンウィンって言っていいのかな……?」
「七穂ちゃんも似たようなものだよね。家事妖精のブラウニー」
「お菓子みたいな可愛かわいい名前ね」
「知らない?」
 隆司が食事中ながら立ち上がり、隣の和室に行ってカードの束を取ってきた。
 彼が幼少期に集めていたトレーディングカード、UMAユーマバトルカードだ。今も翔斗が遊びに来た時は、ちょくちょくデッキを組んだりしているらしい。
 その中で七穂に見せてくれたのが、未確認生物UMA同士のバトルを助ける怪奇カードの一枚だ。『家事妖精ブラウニー』なる、ちっちゃいしわくちゃのおっさんが、ほうきで石造りの台所を掃いてニヤニヤしていた。
 ……このおっさんが、私とな?
「一枚持ってると便利なんだよね。報酬と引き換えに、任意の数字をいじれるから」
ぁ!」
「いてっ」
 思わずうんちくを語る男の脳天に、チョップをくらわせてしまった。
「だれがちっちゃいおっさんだ」
「でも働き者だよ」
 昔からこうなのだ。真面目なのだが情緒が微妙にずれている。
 こんなんだから、隆司が言う『綺麗』発言も、いまいち信用できないのである。
「……わかった。褒めてはくれてるのね」
「七穂ちゃんも、今日は仕事?」
「ええその通り」
 七穂の仕事も、土日祝日対応可にしてしまっている上、隆司のようなリモートワークは存在しない。実際に各家庭に伺って、料理や掃除などの家事の代行をするのがなりわいなのだ。今日もこの後、予約がいくつか入っていた。
 茶の間の柱時計も鳴り、あまりのんびりもしていられなくなった。
「それじゃあ隆司君。この後のことなんだけど……」
「子猫は俺が、獣医さんのところに連れていけばいいんだよね」
「そう。それと」
「皿を洗う。名前を考える」
「完璧」
 積極的に手を出すと決めた時点で、チビ猫を家の猫にするのは決定事項だった。きっと『たわし』なみのハイセンスな名を考えてくれるだろう。
 朝ご飯の続きを食べる隆司が、わかっているとばかりにうなずいた。
「今日の出張先は?」
「最初はつの様かなあ。県庁近くの駅近マンション住まいでさ、共働きのパワーカップルって感じ」


  *

続きは5月8日ごろ発売の『石狩七穂のつくりおき 家事は猫の手も借りたい?』で、ぜひお楽しみください!

■著者プロフィール
竹岡葉月(たけおか・はづき)
1999年度ノベル大賞佳作受賞を経てコバルト文庫よりデビュー。以降、少女小説、ライトノベル、漫画原作など多方面で活躍する。著書に、「おいしいベランダ。」「谷中びんづめカフェ竹善」「犬飼いちゃんと猫飼い先生」「石狩七穂のつくりおき」などの各シリーズ、『恋するアクアリウム。』『つばめ館ポットラック〜謎か料理をご持参ください〜』『音無橋、たもと屋の純情 旅立つ人への天津飯』など多数。

 

楽天レシピとのコラボ企画開始! 
「石狩七穂のつくりおき」公式ファンページも登場

シリーズ第2弾の刊行に際し、「楽天レシピ」とのコラボ企画が実現!
作品に登場するお料理シーンとともに、作品内で作られるレシピを公開。シリーズ第1弾の冒頭に描かれ読者から「レシピが知りたい!」との声も多かった肉じゃがのレシピや、「楽天レシピ」でしか読めない書き下ろしショートストーリーと、ここだけの完全オリジナルレシピ等が特集記事として公開されます。
特集記事は「楽天レシピ」が提供する食に関するマガジン「デイリシャス」ページ、作品内で作られるレシピは「楽天レシピ」サイト内の「石狩七穂のつくりおき」公式ファンページにて公開します。

「デイリシャス」ページ:https://recipe.rakuten.co.jp/news/
第1回:https://recipe.rakuten.co.jp/news/article/2682/
第2回:https://recipe.rakuten.co.jp/news/article/2689/
第3回:5月8日(水)公開

「石狩七穂のつくりおき」公式ファンページ:https://recipe.rakuten.co.jp/official/ishikarinanaho/

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