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生まれてきてごめんなさい定食

 生まれてきてごめんなさい定食

 ふらっと立ち寄った定食屋に、『生まれてきてごめんなさい定食』というメニューが載っていた。
 これってどんな定食なんですかって店員さんに聞いたら、言葉通り生まれてきたことを申し訳なく思ってる定食なんですと教えてくれた。
 そんな定食注文する人いるんですかと私がさらに尋ねると、今ではうちの看板メニューですよと店員さんが笑って答える。
「みんな心のどこかでは生まれてきて申し訳ないって思いながら生きていますからね。きっと共感する部分が多いんだと思います」
 なるほどと私は笑って、その定食を注文する。
 しばらくして運ばれてきたその定食は、生まれてきたことにもっと自信を持っていいのに、って思うくらいには美味しい定食だった。
 生まれてきてごめんなさい。
 そんな言葉を私は口にしたことはないけれど、そんな言葉を口にしちゃう気持ちはちょっとだけわかる。
 生まれてきたことを心から喜べるほど何かを成し遂げたわけでもないし、生きているだけで嫌なことはひっきりなしにやってくるってことを私は身をもって体験しているから。
 私は今までたくさん恥をかいて、辛いことも経験してきたけど、それはこれからの人生でもきっと変わらない。
 人生で死ぬほど恥ずかしかったことランキングは毎年のように更新されていくし、たまに訪れるささやかな楽しみ程度でチャラになるほど簡単なものではない。
 それでも私は臆病で卑怯者だから、今日も生きるためにご飯を食べるし、健康に気を遣ってエスカレーターではなく階段を上る。
 長生きしたいわけでもないのに、変なの。
 自分で自分にツッコミを入れながら、私は今日も恥をかく。

 神様は一体どんな気持ちで私たち人間を作ったんだろう。百歩譲って世界全体のことを考えてはいるのかもしれないけど、少なくとも私の個人的な気持ちなんてものは考えてもいないんだと思う。
 そんなもやもやした気持ちを抱えていた時、いつもハガキを出しているラジオ番組にお悩み相談という形で電話出演することになった。ちょっとだけ舞い上がってしまった私は、その時の気持ちを公共の電波に垂れ流してしまう。


  *

続きは発売中の『生まれてきてごめんなさい定食』で、ぜひお楽しみください。


 五反田の魔女

 科学技術が発展した現代においてもなお、幼子を腕に抱く母親を震え上がらせる恐ろしい魔女は存在する。そして、その内の一人は、東京都品川区五反田の場末でうらぶれたスナックを経営していた。
 彼女は腰にまで届く、縮れた赤褐色の長髪を有し、いつも仮面のように厚い化粧で、逆らい難き老いによる皺しわを巧みに覆っていた。何百年という残酷な時間の流れで、その体力と容姿はめっきり衰え、椅子から立ち上がるたびに、膝が断末魔のような悲鳴をあげた。彼女は空気の代わりに煙草を吸い、飲み水としてお酒を飲む。唯一の楽しみは客の出入りが少ない平日の夜に、定年間際の常連客と下卑た話題で盛り上がることだけだった。
 それでも、彼女の魔力と残酷な性格は何世紀を経たとしても変わることはなかった。
 そして、その魔女の鋭く尖った毒牙に食いつかれた、憐れむべき姉弟がいた。成人する前に両親を亡くした彼らは、ふとしたきっかけでこの魔女と出会い、その立場の弱さにつけこまれた。魔女は姉にとって大事な弟に恐ろしい魔法をかけ、彼を小石ほどのシジミへと変えてしまった。
 たった一人の肉親を失い、少女は悲しみで泣き崩れた。魔女は少女に対し、自分の言うことを聞けば、この弟をもとの姿に戻してやるし、そうでなければみそ汁の具材として食べてやると脅迫した。弟を自分の半身よりも愛していた少女に選択権はなかった。
 それ以降、弟を人質に取られた少女は、魔女が経営する小さなスナックで、ただ働き同然で働くようになった。
 少女は弟を助けるため、休むことなく必死に働いた。魔女や酔客からの嫌がらせにも耐え、文句も言わずに働き続けた。どうしても泣きたい夜は、二階の小さな物置部屋に引きこもり、シジミとなった弟を入れた水槽を抱きしめ、声を押し殺して泣くのだった。
 彼女は若く、純真だった。だからこそ、彼女は言いつけを守っていればきっと、魔女が自分とシジミになった弟を解放してくれると信じていた。
 しかし、魔女は残酷だった。そして、それは魔女が魔女たるゆえんでもあった。
 魔女は少女との約束などさらさら守るつもりもなかったし、なぜこの幸薄い少女がこの場末のスナックで働いているのかさえ時々忘れてしまうほどだった。魔女は毎日打楽器のように響く笑い声をあげ、管楽器のような甲高い声で少女を怒鳴り散らす。少女はその屈辱にも耐え、歯向かうことすらしない。その態度がますます魔女の加虐癖をくすぐり、魔女はより一層激しい罵倒を少女に浴びせるのだった。


  *

続きは発売中の『生まれてきてごめんなさい定食』で、ぜひお楽しみください。


 キャベツの芯

 同棲生活を解消してから、心に穴が空きっぱなし。
 無理をして借りた2DKの部屋は、休みの日を一人ぼっちで過ごすにはあまりに広くて、気が付けば部屋の隅っこで何をするでもなくぼーっと外の風景を眺めるだけ。窓の外を横切る人の半数以上は一人のはずなのに、なぜか仲良さそうに歩くカップルだけが妙に目に付いて、やっぱり私だけがこの世界だけで一人ぼっちなんだなと、自分で自分を惨めにしては、自分のもものあたりを指でつねって、そこから感じる痛みにどこか自分を見出したりして。
 たーくんとの関係はずっと前から破綻してた。だから、最後の方はたーくんの些細な言動にイライラしっぱなしだったし、どうせすぐに終わっちゃうんだろうなと頭の片隅で思いながら同棲生活を過ごしていたわけだし、いくら今が一人ぼっちで寂しいからって、あのまま別れずにいたらそれはそれでストレスマッハな環境で身体もお肌もボロボロになってただろうってことは何となくだけど自覚している。安月給の私から金を取れるだけとって、家事も掃除も行政手続きもすべて私に押し付けて、自分は何をしているかというと働きもせずにただ家でゲームをしてるだけ。
 で、ただ何もしないならまだしも、掃除の邪魔にもなってたし、風呂だって二日に一回しか入らないから、抱き合う時なんてたまに排水口の底のようなにおいがしたし、私が癇癪を起こして、わけもわからず喚き散らしている時も、絶対にぶつかってこずに、どうせ時が経てば終わるだろうという魂胆丸見えの態度でやり過ごそうと、平謝りを繰り返すだけの超絶怒濤の卑怯な性格だったし、ああもう悪口を言い出したら止まらないからこの辺でお終しまい!
 とにかく元カレは最低最悪のヒモ男だったわけで、いいところなんて全くなかった。臨終前に私の人生を振り返る時も、この交際期間だけは多分ぶっちぎりの黒歴史として、病院のベッドの上で恥ずかしさと悔しさで身悶えするんだろうなと今からでも断定できるくらい。友達だって、あんな男やめとけって口を酸っぱくして言ってたし、正月に帰省した時に一緒に恋バナに花を咲かせた従妹も、私だったら絶対に別れるし、そもそもそんな地雷男と付き合ったりしないって、道路にまき散らされたハトの糞を見るような目つきで、心底哀れそうに私に告げてきた。そういった優しい人たちの助言をもっと素直に受け止めていれば、もっとずっと早く別れることができて、精神的にも金銭的にも失うものがもっともっと少なかっただろうなってわかってはいるんだからね!


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続きは発売中の『生まれてきてごめんなさい定食』で、ぜひお楽しみください。


 家電菜園

 九州のおばあちゃんの家は周りが広い畑で囲まれていて、そこでおばあちゃんは家電を栽培している。
 いわゆる家電菜園というやつだけど、元々農家だったということもあってかなり本格的で、電子レンジや、炊飯器など、いろんな種類の家電を育てている。
 夏休みには毎年おばあちゃんの家に帰省して、一週間ほど自然に囲まれた家でゆっくりと過ごす。
 私は弟と近くの川でザリガニを釣って遊んだり、おばあちゃんの家の畑で、たわわに実った家電を収穫するお手伝いをしたりした。
「よう見とき、由香里ゆかりちゃん。炊飯器は、こうやってコンセントの差し込みプラグば手で持って、捻るようにちぎっとたい。そしたら、ほれ、こげん綺麗に収穫できる。やってみぃ」
 草いきれに蒸れた畑に腰をおろし、私はおばあちゃんから家電の収穫の手ほどきを受ける。
 それからおばあちゃんに教えてもらった通りに、炊飯器のコンセントの差し込みプラグを手でつかんで、えいやっと手でひねる。
 プチッと軽快な音がして、コンセントがヘタから綺麗に切り離される。
 へこみがあって、色もくすんでいて、家電量販店で売っているような立派なものでは決してない。
 それでも、自分の手で炊飯器を収穫できたことが嬉しくて、私は思わずはしゃぎ声をあげてしまう。
「おかーさーん。見て! 炊飯器が採れた!」
 収穫したばかりの炊飯器を両腕で抱えて、縁側でうちわで胸元を扇ぎながらくつろいでいたお母さんのもとに駆け寄る。
 林の匂いを含んだ風が吹いて、風鈴が軽やかな音色を立てる。胸元をはだけさせたお母さんは私の腕に抱えられた炊飯器を見て、あら、立派な炊飯器と笑いながら褒めてくれる。
「ねぇ。今日のご飯は、由香里が採った炊飯器で炊いてくれる?」
「うーん、そうねぇ。由香里が採った炊飯器はちょっと小さすぎるから、一合しか炊けなそう。明日、昼食におにぎりを握ってあげるから、その時に使おっか」
「うん!」
 私は畑の土がついたままの炊飯器を縁側に置いて、おばあちゃんのもとへと駆け戻る。


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続きは発売中の『生まれてきてごめんなさい定食』で、ぜひお楽しみください。


 空の底で祈る

 死期が近付いた風はほんのりと春の匂いがする。
 幼い頃に祖母から聞いたこの言葉が、『風の看取り人』として働く日々の中でふと頭をよぎることがある。
 祖母は春の匂いと言っていたけれど、風たちの匂いはそんな単純なものじゃない。
 ずっと海を旅していた風は磯の匂いがするし、住宅街の隙間を吹き抜けるのが好きだった風は、雨に濡れた夏のコンクリートの匂いがする。
 中華街をうろうろしている食いしん坊の風は美味しそうな匂いを染み付かせていて、山頂で長い時間を過ごしていた風は鼻を突き抜けるような乾いた匂いがする。
 考えれば当たり前なんだけど、人間と一緒で一つ一つの風に個性があって、みんな違った毎日を送っている。
 それでも、風たちは自分の死期が近付くと、私たちがいるこの谷底へと何かに導かれるようにやってくる。
 そして、長い長い一生からしたらほんの一瞬である最期の時間をこの場所で過ごし、それから空へと還っていく。
 地上で産まれた私たちが土へ還っていくのと同じように。
「きっとユーナさんはこの仕事が向いていると思うわ。言葉で説明するのは難しいんだけど……ずっとここで働いてきた私の直感がそう言ってるの」
 人間関係を理由に会社を退職した私が、住み込みで働けて、なおかつ学歴経歴不問という理由で受けた『風の看取り人』の面接。その面接の中で、当時ここの施設長だったマドカさんが私にかけてくれた言葉。
 志望動機を聞かれてしどろもどろな受け答えしかできなかった私への慰めかなって思ったけど、後々人事の人に話を聞くと、採用の決め手になったのはマドカさんの強い推薦だったらしい。
 私たちが風の看取り人として働く施設は、周りを高い山で囲まれた谷底にある。
 日中であっても、太陽の光が周囲の山に遮られ、日向よりも日陰が多い。
 私が施設を初めて訪れた時も、よく晴れた日の午後二時だったにもかかわらず、谷底はうっすらと暗く、ひんやりとした空気が周囲を包み込んでいた。昼間なのに暗くて不思議な感じでしょう? キョロキョロと周囲を見渡していた私に、面接会場まで私を案内してくれた人事のイワモトさんが話を振ってくれた。
 そうですね。私は相槌を打ち、施設の窓へと視線を向ける。
 窓から見える中庭では季節の草花が生い茂り、少し離れた場所に日向と日陰との境界線ができていた。
 都会から離れ、人の話し声も聞こえてこないこの場所では、耳を澄ませば風たちが樹の葉を揺らす音が絶えず聞こえてくる。
「でも、嫌な暗さじゃないです。心が不思議と落ち着いて、居心地がよくて。何ていうか……木漏れ日の下にいるような、そんな感じがします」
 ぽつりと呟いたその言葉に私を案内してくれていたイワモトさんが不思議そうにこちらを振り返る。
 その瞬間、私は自分の口から溢れた言葉をハッと自覚し、恥ずかしさのあまり顔全体が火照っていくのを感じた。
「き……聞かなかったことにしてください……」
 うつむきながらそう言った私に、イワモトさんが顔を綻ばせて笑う。
 ずっと前にここに入った人も、あなたと同じようなことを言っていたんですよ。イワモトさんは懐かしそうな表情を浮かべながら教えてくれる。
 就職が決まり、その後改めてお話を伺った時、私と同じようなことを言った人というのは、マドカさんだということを知った。
 面接の時に私にこの仕事が向いていると言ってくれたのも、ひょっとしたら自分と同じような匂いを感じたからなのかもしれない。
 だけど、マドカさんが言う通り、私がこの仕事に向いているのかは全くわからない。
 風の看取り人ではあるけれど、その他にも事務的なお仕事だったり、研究活動のお手伝いだったり、いろんなことをやらなくちゃいけなくて、決して要領がいいとはいえない私は周りの人たちに助けられながら毎日を過ごしている。
 細かい気配りができるわけでもないし、一緒に働いている研究員さんたちみたいに頭がキレるわけでもない。
 一緒に働く人たちはいい人ばかりだし、みんなから可愛がってもらっているけれど、この仕事に向いているって一体どういうことだろうっていつも考え込んでしまう。
「ユーナがこの仕事に向いているところ? うーん……ごめん、ちょっとだけ考えさせて」
 一年先輩で、私と同じく住み込みで働いているミスミちゃんが、タバコを吹かしながら考えてくれる。
 施設の外に置かれた二人がけのベンチで、私は谷底に広がる景色を眺めながらミスミちゃんの言葉を待つ。


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続きは発売中の『生まれてきてごめんなさい定食』で、ぜひお楽しみください。

著者プロフィール
村崎羯諦(むらさき・ぎゃてい)
著書に「余命3000文字」「△が降る街」「あなたの死体を買い取らせてください」(全て小学館)などがある。1994年、熊本県生まれ。小説投稿サイト「小説家になろう」にて短編小説の投稿を中心に活動を行う。

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