プロローグ
ようこそ、天空遊園地まほろばへ。
こんな真夜中にお越しいただき、誠にありがとうございます。
わたくし当園の案内人、シチカと申します。
ここは死者に会える遊園地──。
もう二度と会えない、あなたの大切な方と再会できる場所です。
本当に会えるのかですって? ええ、もちろんお会いになれます。遊園地の中で、お客様をお待ちになっていらっしゃいます。
はい。たしかにずいぶんと昔に、当遊園地は閉園しております。昼間にお越しになっても、今はただの広場です。
ですが真夜中には死者に会える遊園地として営業しております。特別なお客様のみがご来園いただけるのです。
入園される際に、一つご注意を。
当園では泣くことが禁止されております。
もし泣くと、あなたの大切なものが失われます。
くれぐれもお気をつけください……。
絆のサイクルモノレール
久保田杏奈はリビングのソファーに身体を沈め、スマホを触っていた。
ただその目線は、キッチンの方を窺っている。
キッチンでは、母親の沙織が料理をしていた。スマホをスピーカー通話にしている。
「そう、四川産のものは品質が安定してるから。新メニューのデザートの試食は今日するからお願いね」
朝から忙しく、スタッフに指示をしている。
沙織が経営する薬膳カフェは、名古屋市内に五店舗を展開する人気店だ。
身体を温めるショウガ入りのスープ、消化を助けるナツメの入ったお粥、自律神経を整える小松菜とゆり根の蒸し煮。季節や体調に合わせたメニューが大人気だ。健康志向の高い女性を中心に、絶大な支持を集めている。
「杏奈、早く制服に着替えて」
通話を終え、バタバタと忙しそうに、沙織がエプロンを脱いだ。
自室に戻って出てきたと思ったら、もう着替えとメイクをすませている。なんて早技だ。
ジャケットにシルクのブラウスにスラックス。いかにも仕事ができますという感じで、杏奈は好きではない。
我慢できずに、杏奈は口を開いた。
「ねえ、ママ、今日……」
「何、今忙しいから帰ってからでもいい? それかマリアにいっておいてちょうだい」
「……」
それ以上、何もいう気になれなかった。
カツカツというパンプスを履く音が玄関から聞こえ、沙織はあわただしく出て行った。
テーブルの上では、ホットサンドが湯気を立てていた。忙しい時はたいてい野菜を忘れている。
お客さんの健康は気にするけど、私の健康はどうでもいいんだ……。
イライラを逃がすために、杏奈は大きく一つ息を吐いた。ぼんやりと目の前の景色を見つめる。
白を基調とした壁と天井、グレーの高級ソファーに大きな観葉植物。フローリングには埃はもちろん髪の毛一本落ちていない。ガラスのローテーブルにも指紋一つない。見てないけど観葉植物の葉の裏にも、水滴一つないと思う。
完璧な掃除。モデルルームより綺麗だ、と友達の真美菜が絶賛していた。もちろん沙織も杏奈も掃除なんてしない。ぜんぶ家政婦のマリア・デラクルスがやってくれている。沙織の店の常連客の紹介で、この家で働いている。
マリアはフィリピン人だ。現地の労働者支援団体を通じて、日本に働きに来たそうだ。掃除、洗濯、料理、すべてが完璧で、文句のつけようがない。日本語もうまくて、意思疎通に一切困らない。まだ二十代半ばの若さだけど、すでにベテラン感すらある。でもその完璧さ、隙のなさが、杏奈の胸をしめつける。
部屋をグチャグチャにしてやりたい衝動に駆られるが、そんなことをしても無意味だ。マリアが何もいわずに片づけるだけだろう。
ホットサンドを食べる。時計を見ると、もう出かける時間だ。
「めんどくさ……」
どうして学校なんてあるんだろう? 行きたくないが、身体はパジャマを脱いで、勝手に制服に着替えている。習慣とは恐ろしい。
鏡の前で、前髪をヘアアイロンで整えて流れを作る。おしゃれにさほど興味はないけど、前髪だけは別。前髪をおろそかにする者、女子高生にあらず。そんな格言が、まことしやかにクラス内にあるほどだ。
玄関へ向かい、白の厚底スニーカーを履く。
いってきます──。
そういいかけて口を閉ざす。二年前にやめた習慣だ。
いってらっしゃい……。
ハッとしたが、そんな声は聞こえるはずがない。杏奈は目ににじんできた涙をぐいっと拭うと、学校へ向かった。
杏奈の高校は、共学の私立校だ。偏差値は中の上で、進学校というほどではない。乗り換えの駅で降りると、同じ制服を着た生徒達がいる。
「おはよう、杏奈」
渡部真美菜が声をかけてきた。杏奈は、真美菜の顔をのぞきこむ。
「カラコン大丈夫? 目おっきすぎない?」
真美菜が、自分の目を指さした。
「自然な色だから大丈夫。それに先生にバレそうになったら、カラコン外して即食べして、証拠隠滅するから」
「何それ」
思わずふきだした。真美菜とは小学校からの友達だ。
「ねえ、真美菜。今日の放課後って時間ないかな?」
「今日は部活がないから空いてるよ」
真美菜はダンス部に所属している。SNSでもダンス動画をよく上げていて人気がある。
「杏奈のママのお店行く? あそこの杏仁豆腐絶品だもん」
「絶対行かない!」
はねつけると、真美菜が首をすくめた。
「おやおやこの子は、まだ反抗期ですかな」
「ママなんて、仕事以外興味ない、冷血人間だもん」
「私は杏奈のママくらい放任主義の方がいいけど。うちのママみたいにスマホをずっと見るなとか、変な人とSNSでつながってないでしょうねとか、ガス代もったいないから早くお風呂に入りなさいとか、いちいちうるさいのも嫌だよ」
「それは全部、真美菜が悪いでしょ」
「この裏切り者!」
真美菜とそんな感じで話していると、少し気分が晴れてきた。真美菜の明るい性格にはいつも救われる。
教室に行き、小テストのためにノートを広げて勉強する。
あんな家、もううんざりだ。
高校を卒業したら早く家を出て、一人暮らしをする。そのためには東京の大学に行くのが一番だ。将来的には薬剤師を目指したい。高収入を得られて、体力的にもさほどきつくない、と塾講師をやっているユーチューバーがいっていた。
昼休みのチャイムが鳴ると同時に、廊下がざわつき始める。杏奈は学食に向かった。途中で隣のクラスの真美菜とも合流する。
この学校は学食のメニューが充実している。一番人気はからあげ丼。男子達がよだれをたらしそうな顔で列を作っている。杏奈はカニクリームコロッケカレーで、真美菜は日替わり定食を選んだ。
「杏奈、カレーちょっとちょうだい」
これが子供の時からの真美菜の口癖だ。何かと一口もらいたがる。
「いいよ」
「コロッケの方は?」
スッと杏奈はトレイを遠ざけた。
「コロッケはダメ。これはメインでしょ」
「では我が国の本日の目玉である、チキンガーリックステーキ一切れと交換でいかがかな」
「一切れ? 冗談でしょ。三切れはいるから」
ほほうと、真美菜が架空のヒゲを触る仕草をする。仙人みたいに。
「そなた、中々の商売人だのお。世が世ならば、国をも買える大商人になれるぞ。よしっ、三切れで!」
こんな感じで毎回交換するので、おかずは充実している。
真美菜がチキンを食べながらいった。
「ねえねえ、最近ちょっと不気味なことがあったんだけど」
「何? 怖い話はやめてね」
「あのね、この前なんか久しぶりにガッツリ系の豚骨ラーメン食べたくなったの。それでスマホを触ったら、豚骨ラーメンの動画が流れてきた。心を読まれてるのかと思って、めちゃくちゃびびった」
杏奈は思わず声を上げた。
「それ私もある!」
「杏奈も?」
「……ほんとに心が読めるのかなあ」
不安になっていうと、真美菜が不敵に笑った。
「杏奈の心なんて私でも読めるって」
「噓ばっかり」
「噓じゃないって」
「じゃあ私が今日行きたいところわかるの?」
冗談っぽくいったが、本気であてて欲しい気持ちもある。
「もちろん、もちろん。杏奈は親友だからね。杏奈が何を考えてるかなんて、まるっとお見通し」
真美菜が指で輪っかを作ってのぞきこみ、占い師のようにいった。
「おぬし、日本の少子化問題について憂えておるな。このままでは社会保障制度が破綻する。次の世代に負担を押しつけないためにどうすればいいか、それを考えておるな」
「ぜんぜん違う」
「ならば環境問題か。地球温暖化をどうすればいいか。それについて悩んでおるな」
「私、大臣じゃないよ」
真美菜が指の輪っかを解いた。
「まあそれはそれとして、杏奈が今日どこに行きたいかなんて、丸わかりだって」
「じゃあ、真美菜が案内してくれる?」
「もちろん、もちろん。吾輩に任せときたまえ」
真美菜がにかっと笑って、カニクリームコロッケを頰張った。
放課後になった。
「よしっ、杏奈。付いてきて」
教室まで迎えにきた真美菜が、自信満々で先導してくれる。学校から三つ目の駅で降りる。住宅街を抜けると、古い石垣が続く小道に入った。
もう十分だ……。
そこで杏奈は礼をいった。
「真美菜、覚えてくれてたんだね」
真美菜が寂しそうに笑った。
「当たり前。私も杏奈のパパにはよく遊んでもらったから」
「ありがとう」
杏奈は真美菜に抱きついた。
今日は杏奈の父親、久保田隆史の三回忌だった。
隆史と杏奈は仲が良かった。というのも隆史は、杏奈が生まれた時からずっと家にいてくれたからだ。杏奈の家では沙織が外で働き、隆史が主夫として家事や子育てを担当してくれた。一応ライターとしての仕事もしていたが、杏奈の世話を最優先してくれていた。だから杏奈と隆史の絆は、他の父親と娘よりも強かったと思う。
食事もすべて、隆史が担当だった。料理が上手で、毎回工夫をこらしてくれた。杏奈は野菜全般が苦手だったが、隆史はうまく工夫して食べやすく調理してくれたから、いつの間にか克服してしまった。いつも杏奈の健康に気を遣ってくれた。特に隆史のグラタンは、杏奈の好物だった。
隆史はおだやかな性格で、怒ったりしたこともほぼなかった。いつもにこにこと、杏奈の話を聞いてくれていた。習いごとの送り迎えもすべてやってくれた。ピアノ教室の帰りに二人で食べて帰るソフトクリームが、杏奈は大好きだった。
その日常がすべて壊れたのが、二年前……。
日本史の授業だった。江戸時代の恋愛事情について先生が話していた。なぜかそのことは、記憶に鮮やかだ。ガラッと教室の扉が開き、担任の先生が立っていた。その顔色がまっ青だった。クラスの男子が喧嘩をしてガラスを割り、腕を深く切った時よりも。
「久保田、職員室に来なさい」
先生がそういい、嫌な予感がした。廊下に出ると、杏奈は訊いた。
「先生、なんですか」
「落ちついて聞きなさい」
先生の方が落ちついたら……そう思うほど、その声は震えていた。
「お父さんが、事故に遭われた。すぐに病院に行きなさい」
その瞬間、視界がぼやけて、先生の顔がぐにゃりとゆがんだ。
タクシーに乗ったが、先生が付き添ってくれたかどうかは覚えていない。ただ車内で、隆史の無事を祈り続けた。
病室に入ると、空のベッドのかたわらに立っていた母親の沙織が、こちらをふり返った。それから抑揚のない声でいった。
「杏奈……パパ、亡くなったわ……」
その一言、その一言だけは鮮烈に覚えている……。
信号無視をした車に隆史は轢かれた。体が宙を舞うほどの衝撃だったそうだ。救急車の搬送時にはすでに心拍も呼吸も停止していた。
つれていかれた霊安室で、隆史がベッドの上で寝ていた。その奥にある棚に花が置かれていた。なぜか花の方に目が行き、とても綺麗だと思った。
看護師が、隆史の顔にかけられた布をとった。その顔が噓のようにおだやかで、今にもむくりと起きそうだった。
杏奈は感情が止まったように、何も反応ができなかった。目の前の光景が現実のものとは到底思えなかった。
固まった心が動いたきっかけは線香だった。線香の匂いが鼻をかすめた瞬間、杏奈の心はすとんと理解した。
パパは、あの世に行っちゃったんだ……。
杏奈は、隆史の遺体にすがりついて号泣した。そこからもうずっと泣いていた。泣きすぎて呼吸困難になり、病院で治療を受けたほどだ。葬式では泣き疲れて、もう涙は出なかった。ただ泣き腫らした目で、参列する人たちを眺めていた。
学校に通えるようになっても、みんな腫れ物に触るように、杏奈と接した。唯一普段と変わりなかったのが、真美菜だった。いつものように話してくれて、少しずつ心が回復していった。
やがて悲しみと入れ替わるように入りこんできたのが、沙織への怒りだった。
隆史が死んでも沙織は泣くことすらなかった。葬式が済むとすぐに仕事に復帰した。店舗も増やして、前以上に仕事を充実させた。
杏奈の目から見れば、冷酷そのものだった。まるで隆史がいてもいなくてもどっちでもいい。そんな態度に見てとれた。
そして何よりも杏奈を激怒させたのが、マリアの件だった。
マリアが家政婦として来ると聞いて、杏奈は大反対した。まるで隆史とマリアを入れ替えてしまえば、何も支障はないといわんばかりだ。
パパがいなくなってすぐに他人を家に入れるの!
そう激怒したが、沙織は一切聞き入れなかった。現実問題、沙織は仕事で忙しくて家事をする暇がないし、杏奈も細かいことは苦手だ。隆史がいなくなったのなら、誰か代わりの人にやってもらう以外に方法がない。理屈はわかっていても、心が受け入れてくれなかった。
マリアの完璧な仕事ぶりも杏奈をいらだたせた。やがて決定的にマリアを嫌いになった事件が起きた。
ある日、杏奈が自分の部屋に入ると、机の上の書き置きがなくなっていた。
それは、隆史が書いたものだった。隆史は家を空ける時、いつもメモを残してくれていた。『冷蔵庫にエクレアがあるから食べて』とか『宿題やってからユーチューブを見なさい』とか。
普段は読んだら捨てていたのだが、その書き置きだけは残していた。というのも、隆史が亡くなる前に残した最後の書き置きだからだ。
あわてて部屋を出て、リビングにいたマリアに訊いた。
「マリア、机の上に置いていた紙知らない?」
マリアが少し考えこんだ。
「あっ、床に落ちてたあの折り目のついた紙のことですか?」
「そう、たぶんそれ!」
「古かったのでゴミかと思って捨ててしまいました」
「何やってるの! それ、パパのやつだよ!」
杏奈は怒鳴り声を上げ、号泣した。マリアは必死に謝った。
ちょうど帰ってきた沙織が、マリアを責め立てる杏奈を叱った。
「書き置きはいつも捨ててたでしょ。マリアを許してあげなさい」
杏奈は深く傷ついた。
あの書き置きはもう二度と手に入らない、パパとの大切な思い出なのに……。
ママもマリアも大嫌いだ──。
あの事件以来、二人との間には決定的な溝が生まれた。
二年が経った今では、沙織は隆史の命日すら忘れている。今朝沙織が何かいわないかと杏奈が待っていたのは、このことだった。
真美菜ですら覚えていたのに、ママは忘れている……。
それが杏奈には許せなかった。
真美菜と連れだって、花屋に行って仏花を買う。山門をくぐり、石畳を歩く。バケツを借りて水を入れる。ここに布巾もあることは、何度も来ているから知っている。
久保田家之墓、と刻まれた墓石の前にたどりついた。杏奈と真美菜の二人で、墓石を布巾で拭いていく。すぐに布巾が土色になった。杏奈は、かばんから歯ブラシをとりだした。
「おー、秘密道具っぽい」
真美菜がいい、杏奈は刻まれた文字の隙間の汚れを落としていく。丁寧に心をこめて。真美菜も手を動かしながらいう。
「杏奈のパパのあれ、すっごいおいしかったね。ステーキソースのピラフ」
「ああ、あれ、ほんとおいしかったもんね」
隆史が昔バイトをしていたステーキハウスで習ったという特製ピラフのことだ。土曜日の昼に真美菜が遊びに来ると、隆史はその特製ピラフをふるまった。懐かしい、宝物のような思い出──。
二人で隆史との思い出を話しながら磨いていると、墓石は新品のようにピカピカになった。花を供えて、線香に火をつける。煙がゆらゆらと立ち上り、風に乗ってどこかに消えていく。
「パパ、ただいま」
手を合わせてつぶやく。杏奈が学校から帰ると、いつも隆史がいた。そして優しくこう返してくれた。
おかえり──。
今はその言葉がない……当時は当たり前だと思っていた。でもそれを失った今となっては、かけがえのないものだったとわかる。瞳から、涙がポロポロとこぼれ落ちた。
時間が悲しさを消してくれるなんて絶対に噓だ。涙はとめどなくあふれ、嗚咽で息がつまりそうになる。真美菜は黙って隣にいてくれた。
墓参りを終えると、真美菜とお寺の近くのカフェに立ち寄った。
店内は木の温かみが感じられる、素敵な内装だった。
「こういう時はココアだって、ココア」
真美菜がココアを二つ注文し、「私がおごっちゃる」と杏奈の分も払ってくれた。
窓際の席に座る。泣いて涙が乾いたのか、肌がパリパリしている。鼻の頭もかゆい。ホットココアを店員が持ってきてくれた。大きめのカップになみなみと注がれている。湯気とともに、チョコレートの甘い匂いが漂った。
杏奈はカップを包みこむように持ち、一口すすった。甘くて優しい味だ。身体と心の芯が温まってくる。
「おいしい」
真美菜が訊いてくる。
「ちょっとは落ちついた?」
「ごめん……」
「謝らなくてもいいよ。私もおじさんのこと思い出したもん……」
真美菜の目が潤んでいた。その表情を見てまた泣きそうになる。杏奈はあわててココアを飲んだ。
「それにしてもママはひどい……」
悲しみをごまかすように、いらだちを吐露する。
「今日がパパの命日なのに、覚えてないんだよ」
「杏奈のママ、忙しいから……」
杏奈が首をふる。
「どれだけ忙しくても、パパを大切に想っていたら、絶対覚えてる」
「……」
思い詰めた様子の杏奈に、真美菜は湿った息を一つ吐くと、
「ココア冷めちゃうよ。飲んじゃお」
そう微笑んだ。
帰宅するとリビングには沙織が、キッチンにはマリアがいた。
マリアは夕食の準備をしている。エプロンをつけ、手際よく包丁を使っていた。沙織はメガネをかけて、テーブルでキーボードを打っていた。
「おかえり」
沙織が、ノートパソコンの画面から目を離さずにいう。声に感情は薄く、手元の仕事に集中している。
パパはそういう時は、必ずパソコンを一回閉じておかえりといってくれた……。
ざらりとした悲しみと怒りが、胸の中をかき乱した。
「お嬢さん、おかえりなさい」
マリアが優しく声をかけてきたが、杏奈は無視して自分の部屋に入ろうとした。
「杏奈、待ちなさい」
沙織がキーボードの手を止めた。眉間にシワが寄っている。
「どうしてマリアに返事しないの」
「……」
口をぎゅっとつぐんだ。沙織がいらだったようにいう。
「マリアにいつも掃除や料理をしてもらってるのに、挨拶もなければありがとうの一言もいわないって、一体どうなってるの」
だんだんと声が尖っていく。異変を察したのか、マリアがキッチンから出てきた。
「沙織さん、大丈夫です。私、気にしてませんから」
マリアの制止にかまわず、沙織が続けた。
「無視する気?」
杏奈はぼそりという。
「……それがあの人の仕事でしょ」
「仕事って……」
沙織が絶句した。
「杏奈、いい加減にしなさい。あなたには心がないの」
「心がないのはママでしょ!」
その一言で、怒りに拍車がかかった。
「今日が一体なんの日かわかってるの!?」
沙織が淡々と返した。
「パパの命日でしょ」
えっ……。
「覚えてたの?」
「覚えてるに決まってるでしょ」
「じゃあどうしてお墓参りに行かないの。仏壇にお線香も上げないの」
「……」
ちょうどその時、沙織のスマホが鳴った。
「……その話はあとでしましょう」
沙織が電話に出るのを見て、杏奈は唇を震わせて叫んだ。
「もういい!」
そのまま部屋に駆けこみ、バタンと扉を閉めた。ベッドに飛びこんで、布団に顔をうずめて号泣する。
「どうして、どうして……」
嗚咽混じりの声と涙を、布団が吸いとろうとする。でもそれが間に合わないほど、悲しみがあふれ出てくる。
どうしてママは平気なの……。
考えれば考えるほど涙が止まらない。コンコンとノックの音がして、「お嬢さん、大丈夫ですか」とマリアが心配そうに訊いてくる。
「ほっといて!」
そう叫ぶと、しんと静まり返った。沙織の声は一切聞こえない。
会いたい。パパに会いたい……。
杏奈は、ひたすら泣き続けた。
それから何時間が経っただろう……いつの間にか泣き疲れて寝てしまっていた。電気もつけなかったので、部屋が暗い。窓を開けていたので、カーテンが夜風にゆれていた。目が腫れて視界がぼやけているのか、何か幻想的な光景に見えた。
その時だった。
「ここは死者に会える遊園地」
スマホから声がして、杏奈はぎょっとした。
死者に会える遊園地!?
今さっき、パパに会いたいと考えていたところだ。昼間に真美菜と、最近のスマホは心を読めるんじゃないかと話していたけど、本当に私の心を読んだの?
杏奈は急いでスマホを手にとった。勝手に何かの動画が流れている。霧の中に浮かぶアーチ状のゲートが映った。『ようこそ 天空遊園地まほろばへ』と書かれていた。
画面が切り替わる。青空に白い雲が浮かんでいる。その雲が風で流れた切れ間から、飛行機形のゴンドラが映る。回転式の遊具みたいだ。静かに、優雅に回っている。ゲームコーナーには、綿菓子やポップコーンが作れる機械があった。子供たちが満面の笑みで、綿菓子を頰張っている。
ナレーターの男性の声は落ちついていて深みがあり、懐かしさを覚えた。
その声の主が説明した。
死者に会える遊園地とは、天駒山にある、『天空遊園地まほろば』だそうだ。
最寄り駅の天駒駅から深夜〇時に一便だけ、特別なケーブルカーが出発する。それに乗れば、まほろばに到着する。
「遊園地で過ごす時間は、誰にとってもかけがえのない思い出です。
もう一度、あなたの大切な人に会いたくはありませんか」
その言葉を最後に、動画が消えた。
しばらくぼうっとしていたが、杏奈はかぶりをふった。
死者と会えるなんてありえない。都市伝説系の動画でも流れたんだろう。
でもあの優しい声には、心に訴えかける何かがあった。
ありえないとは思う。でももし、本当にパパに会えるのならば……会ってみたい。
そこで気づいた。画面に何かのリンクがある。タップすると、まほろばのサイトが表示
された。いくつかの注意事項が書かれている。
1 当園は一生で一度しかご利用になれません。
2 再会できる死者は一名のみです。
3 当園のご利用時間は一時間のみです。
4 当園の遊具のご利用は一台のみです。
5 当園では泣くことが禁止されています。泣くと、お客様の大切なものが失われます。
ずいぶんと制約が多い遊園地だ。1から4はなんとか理解できるが、5の泣くことは禁止とはどういうことだろう? 大切なものって一体何が失われるんだろう?
『ご利用前の注意事項を必ずご確認の上、予約サイトへお進みください』
そう書かれていたので、杏奈は次のページに進んだ。
『再会を希望する方のお名前を入力してください』
一度唾を飲みこんでから、『久保田隆史』と記入してみた。タップする……。
『再会を希望する時期を選択してください。以下より、ご希望の日程をお選びいただけます』
その日程表を見て、「噓っ」と杏奈は声を漏らした。
隆史が亡くなった日以降の日程がない……つまりこのサイトは、隆史が亡くなった日を把握している。迷った末、隆史が亡くなった日の一週間前の五月八日を選択した。
『再会を希望する日程を選択してください。空き状況を確認の上、ご予約を確定してください』
見てみると他にも利用者がいるのか、ところどころふさがっている。でも、ちょうど明日の分が空いていた。
『ご予約を承りました。天空遊園地まほろばへのご来園を心よりお待ちしております』
スマホを置くと、杏奈は深く息を吐いた。
カーテンがゆれていない。いつの間にか、風は止んでいた。
*
続きは好評発売中の『天空遊園地まほろば』で、ぜひお楽しみください!

■ 著者プロフィール
浜口倫太郎(はまぐち・りんたろう)
1979年、奈良県生まれ・在住。漫才作家、放送作家を経て、2010年『アゲイン』(のち、『もういっぺん。』に改題して文庫化)で、第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、翌年小説家デビュー。他の著作に、ベストセラーとなった『22年目の告白-私が殺人犯です-』のほか、『宇宙(そら)にいちばん近い人』『シンマイ!』『廃校先生』『お父さんはユーチューバー』『ワラグル』『サンナムジャ 〜ヤンキー男子がK−POPに出会って人生が変わった件〜』など多数。漫画原作者としても活躍の幅を広げている。