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天空遊園地まほろば

 プロローグ

 ようこそ、天空遊園地まほろばへ。
 こんな真夜中にお越しいただき、誠にありがとうございます。
 わたくし当園の案内人、シチカと申します。
 ここは死者に会える遊園地──。
 もう二度と会えない、あなたの大切な方と再会できる場所です。
 本当に会えるのかですって? ええ、もちろんお会いになれます。遊園地の中で、お客様をお待ちになっていらっしゃいます。
 はい。たしかにずいぶんと昔に、当遊園地は閉園しております。昼間にお越しになっても、今はただの広場です。
 ですが真夜中には死者に会える遊園地として営業しております。特別なお客様のみがご来園いただけるのです。
 入園される際に、一つご注意を。
 当園では泣くことが禁止されております。
 もし泣くと、あなたの大切なものが失われます。
 くれぐれもお気をつけください……。


 絆のサイクルモノレール

 あんはリビングのソファーに身体からだを沈め、スマホを触っていた。
 ただその目線は、キッチンの方をうかがっている。
 キッチンでは、母親のおりが料理をしていた。スマホをスピーカー通話にしている。
「そう、せん産のものは品質が安定してるから。新メニューのデザートの試食は今日するからお願いね」
 朝から忙しく、スタッフに指示をしている。
 沙織が経営する薬膳カフェは、市内に五店舗を展開する人気店だ。
 身体を温めるショウガ入りのスープ、消化を助けるナツメの入ったお粥、自律神経を整える小松菜とゆり根の蒸し煮。季節や体調に合わせたメニューが大人気だ。健康志向の高い女性を中心に、絶大な支持を集めている。
「杏奈、早く制服に着替えて」
 通話を終え、バタバタと忙しそうに、沙織がエプロンを脱いだ。
 自室に戻って出てきたと思ったら、もう着替えとメイクをすませている。なんて早技だ。
 ジャケットにシルクのブラウスにスラックス。いかにも仕事ができますという感じで、杏奈は好きではない。
 我慢できずに、杏奈は口を開いた。
「ねえ、ママ、今日……」
「何、今忙しいから帰ってからでもいい? それかマリアにいっておいてちょうだい」
「……」
 それ以上、何もいう気になれなかった。
 カツカツというパンプスを履く音が玄関から聞こえ、沙織はあわただしく出て行った。
 テーブルの上では、ホットサンドが湯気を立てていた。忙しい時はたいてい野菜を忘れている。
 お客さんの健康は気にするけど、私の健康はどうでもいいんだ……。
 イライラを逃がすために、杏奈は大きく一つ息を吐いた。ぼんやりと目の前の景色を見つめる。
 白を基調とした壁と天井、グレーの高級ソファーに大きな観葉植物。フローリングにはほこりはもちろん髪の毛一本落ちていない。ガラスのローテーブルにも指紋一つない。見てないけど観葉植物の葉の裏にも、水滴一つないと思う。
 完璧な掃除。モデルルームよりれいだ、と友達のが絶賛していた。もちろん沙織も杏奈も掃除なんてしない。ぜんぶ家政婦のマリア・デラクルスがやってくれている。沙織の店の常連客の紹介で、この家で働いている。
 マリアはフィリピン人だ。現地の労働者支援団体を通じて、日本に働きに来たそうだ。掃除、洗濯、料理、すべてが完璧で、文句のつけようがない。日本語もうまくて、意思疎通に一切困らない。まだ二十代半ばの若さだけど、すでにベテラン感すらある。でもその完璧さ、すきのなさが、杏奈の胸をしめつける。
 部屋をグチャグチャにしてやりたい衝動に駆られるが、そんなことをしても無意味だ。マリアが何もいわずに片づけるだけだろう。
 ホットサンドを食べる。時計を見ると、もう出かける時間だ。
「めんどくさ……」
 どうして学校なんてあるんだろう? 行きたくないが、身体はパジャマを脱いで、勝手に制服に着替えている。習慣とは恐ろしい。
 鏡の前で、前髪をヘアアイロンで整えて流れを作る。おしゃれにさほど興味はないけど、前髪だけは別。前髪をおろそかにする者、女子高生にあらず。そんな格言が、まことしやかにクラス内にあるほどだ。
 玄関へ向かい、白の厚底スニーカーを履く。
 いってきます──。
 そういいかけて口を閉ざす。二年前にやめた習慣だ。
 いってらっしゃい……。
 ハッとしたが、そんな声は聞こえるはずがない。杏奈は目ににじんできた涙をぐいっとぬぐうと、学校へ向かった。

 杏奈の高校は、共学の私立校だ。偏差値は中の上で、進学校というほどではない。乗り換えの駅で降りると、同じ制服を着た生徒達がいる。
「おはよう、杏奈」
 わた真美菜が声をかけてきた。杏奈は、真美菜の顔をのぞきこむ。
「カラコン大丈夫? 目おっきすぎない?」
 真美菜が、自分の目を指さした。
「自然な色だから大丈夫。それに先生にバレそうになったら、カラコン外して即食べして、証拠隠滅するから」
「何それ」
 思わずふきだした。真美菜とは小学校からの友達だ。
「ねえ、真美菜。今日の放課後って時間ないかな?」
「今日は部活がないから空いてるよ」
 真美菜はダンス部に所属している。SNSでもダンス動画をよく上げていて人気がある。
「杏奈のママのお店行く? あそこのあんにん豆腐絶品だもん」
「絶対行かない!」
 はねつけると、真美菜が首をすくめた。
「おやおやこの子は、まだ反抗期ですかな」
「ママなんて、仕事以外興味ない、冷血人間だもん」
「私は杏奈のママくらい放任主義の方がいいけど。うちのママみたいにスマホをずっと見るなとか、変な人とSNSでつながってないでしょうねとか、ガス代もったいないから早くお風呂に入りなさいとか、いちいちうるさいのも嫌だよ」
「それは全部、真美菜が悪いでしょ」
「この裏切り者!」
 真美菜とそんな感じで話していると、少し気分が晴れてきた。真美菜の明るい性格にはいつも救われる。
 教室に行き、小テストのためにノートを広げて勉強する。
 あんな家、もううんざりだ。
 高校を卒業したら早く家を出て、一人暮らしをする。そのためには東京の大学に行くのが一番だ。将来的には薬剤師を目指したい。高収入を得られて、体力的にもさほどきつくない、と塾講師をやっているユーチューバーがいっていた。
 昼休みのチャイムが鳴ると同時に、廊下がざわつき始める。杏奈は学食に向かった。途中で隣のクラスの真美菜とも合流する。
 この学校は学食のメニューが充実している。一番人気はからあげ丼。男子達がよだれをたらしそうな顔で列を作っている。杏奈はカニクリームコロッケカレーで、真美菜は日替わり定食を選んだ。
「杏奈、カレーちょっとちょうだい」
 これが子供の時からの真美菜のくちぐせだ。何かと一口もらいたがる。
「いいよ」
「コロッケの方は?」
 スッと杏奈はトレイを遠ざけた。
「コロッケはダメ。これはメインでしょ」
「では我が国の本日の目玉である、チキンガーリックステーキ一切れと交換でいかがかな」
「一切れ? 冗談でしょ。三切れはいるから」
 ほほうと、真美菜が架空のヒゲを触る仕草をする。仙人みたいに。
「そなた、中々の商売人だのお。世が世ならば、国をも買える大商人になれるぞ。よしっ、三切れで!」
 こんな感じで毎回交換するので、おかずは充実している。
 真美菜がチキンを食べながらいった。
「ねえねえ、最近ちょっと不気味なことがあったんだけど」
「何? 怖い話はやめてね」
「あのね、この前なんか久しぶりにガッツリ系の豚骨ラーメン食べたくなったの。それでスマホを触ったら、豚骨ラーメンの動画が流れてきた。心を読まれてるのかと思って、めちゃくちゃびびった」
 杏奈は思わず声を上げた。
「それ私もある!」
「杏奈も?」
「……ほんとに心が読めるのかなあ」
 不安になっていうと、真美菜が不敵に笑った。
「杏奈の心なんて私でも読めるって」
「噓ばっかり」
「噓じゃないって」
「じゃあ私が今日行きたいところわかるの?」
 冗談っぽくいったが、本気であてて欲しい気持ちもある。
「もちろん、もちろん。杏奈は親友だからね。杏奈が何を考えてるかなんて、まるっとお見通し」
 真美菜が指で輪っかを作ってのぞきこみ、占い師のようにいった。
「おぬし、日本の少子化問題についてうれえておるな。このままでは社会保障制度がたんする。次の世代に負担を押しつけないためにどうすればいいか、それを考えておるな」
「ぜんぜん違う」
「ならば環境問題か。地球温暖化をどうすればいいか。それについて悩んでおるな」
「私、大臣じゃないよ」
 真美菜が指の輪っかを解いた。
「まあそれはそれとして、杏奈が今日どこに行きたいかなんて、丸わかりだって」
「じゃあ、真美菜が案内してくれる?」
「もちろん、もちろん。吾輩に任せときたまえ」
 真美菜がにかっと笑って、カニクリームコロッケをほおった。

 放課後になった。
「よしっ、杏奈。付いてきて」
 教室まで迎えにきた真美菜が、自信満々で先導してくれる。学校から三つ目の駅で降りる。住宅街を抜けると、古い石垣が続く小道に入った。
 もう十分だ……。
 そこで杏奈は礼をいった。
「真美菜、覚えてくれてたんだね」
 真美菜が寂しそうに笑った。
「当たり前。私も杏奈のパパにはよく遊んでもらったから」
「ありがとう」
 杏奈は真美菜に抱きついた。
 今日は杏奈の父親、久保田たかさんかいだった。
 隆史と杏奈は仲が良かった。というのも隆史は、杏奈が生まれた時からずっと家にいてくれたからだ。杏奈の家では沙織が外で働き、隆史が主夫として家事や子育てを担当してくれた。一応ライターとしての仕事もしていたが、杏奈の世話を最優先してくれていた。だから杏奈と隆史のきずなは、他の父親と娘よりも強かったと思う。
 食事もすべて、隆史が担当だった。料理が上手で、毎回工夫をこらしてくれた。杏奈は野菜全般が苦手だったが、隆史はうまく工夫して食べやすく調理してくれたから、いつの間にか克服してしまった。いつも杏奈の健康に気を遣ってくれた。特に隆史のグラタンは、杏奈の好物だった。
 隆史はおだやかな性格で、怒ったりしたこともほぼなかった。いつもにこにこと、杏奈の話を聞いてくれていた。習いごとの送り迎えもすべてやってくれた。ピアノ教室の帰りに二人で食べて帰るソフトクリームが、杏奈は大好きだった。
 その日常がすべて壊れたのが、二年前……。
 日本史の授業だった。江戸時代の恋愛事情について先生が話していた。なぜかそのことは、記憶に鮮やかだ。ガラッと教室の扉が開き、担任の先生が立っていた。その顔色がまっ青だった。クラスの男子がけんをしてガラスを割り、腕を深く切った時よりも。
「久保田、職員室に来なさい」
 先生がそういい、嫌な予感がした。廊下に出ると、杏奈はいた。
「先生、なんですか」
「落ちついて聞きなさい」
 先生の方が落ちついたら……そう思うほど、その声は震えていた。
「お父さんが、事故に遭われた。すぐに病院に行きなさい」
 その瞬間、視界がぼやけて、先生の顔がぐにゃりとゆがんだ。
 タクシーに乗ったが、先生が付き添ってくれたかどうかは覚えていない。ただ車内で、隆史の無事を祈り続けた。
 病室に入ると、空のベッドのかたわらに立っていた母親の沙織が、こちらをふり返った。それからよくようのない声でいった。
「杏奈……パパ、亡くなったわ……」
 その一言、その一言だけは鮮烈に覚えている……。
 信号無視をした車に隆史はかれた。体が宙を舞うほどの衝撃だったそうだ。救急車の搬送時にはすでに心拍も呼吸も停止していた。
 つれていかれた霊安室で、隆史がベッドの上で寝ていた。その奥にある棚に花が置かれていた。なぜか花の方に目が行き、とても綺麗だと思った。
 看護師が、隆史の顔にかけられた布をとった。その顔が噓のようにおだやかで、今にもむくりと起きそうだった。
 杏奈は感情が止まったように、何も反応ができなかった。目の前の光景が現実のものとは到底思えなかった。
 固まった心が動いたきっかけは線香だった。線香の匂いが鼻をかすめた瞬間、杏奈の心はすとんと理解した。
 パパは、あの世に行っちゃったんだ……。
 杏奈は、隆史の遺体にすがりついて号泣した。そこからもうずっと泣いていた。泣きすぎて呼吸困難になり、病院で治療を受けたほどだ。葬式では泣き疲れて、もう涙は出なかった。ただ泣きらした目で、参列する人たちを眺めていた。
 学校に通えるようになっても、みんな腫れ物に触るように、杏奈と接した。唯一普段と変わりなかったのが、真美菜だった。いつものように話してくれて、少しずつ心が回復していった。
 やがて悲しみと入れ替わるように入りこんできたのが、沙織への怒りだった。
 隆史が死んでも沙織は泣くことすらなかった。葬式が済むとすぐに仕事に復帰した。店舗も増やして、前以上に仕事を充実させた。
 杏奈の目から見れば、冷酷そのものだった。まるで隆史がいてもいなくてもどっちでもいい。そんな態度に見てとれた。
 そして何よりも杏奈を激怒させたのが、マリアの件だった。
 マリアが家政婦として来ると聞いて、杏奈は大反対した。まるで隆史とマリアを入れ替えてしまえば、何も支障はないといわんばかりだ。
 パパがいなくなってすぐに他人を家に入れるの!
 そう激怒したが、沙織は一切聞き入れなかった。現実問題、沙織は仕事で忙しくて家事をする暇がないし、杏奈も細かいことは苦手だ。隆史がいなくなったのなら、誰か代わりの人にやってもらう以外に方法がない。理屈はわかっていても、心が受け入れてくれなかった。
 マリアの完璧な仕事ぶりも杏奈をいらだたせた。やがて決定的にマリアを嫌いになった事件が起きた。
 ある日、杏奈が自分の部屋に入ると、机の上の書き置きがなくなっていた。
 それは、隆史が書いたものだった。隆史は家を空ける時、いつもメモを残してくれていた。『冷蔵庫にエクレアがあるから食べて』とか『宿題やってからユーチューブを見なさい』とか。
 普段は読んだら捨てていたのだが、その書き置きだけは残していた。というのも、隆史が亡くなる前に残した最後の書き置きだからだ。
 あわてて部屋を出て、リビングにいたマリアに訊いた。
「マリア、机の上に置いていた紙知らない?」
 マリアが少し考えこんだ。
「あっ、床に落ちてたあの折り目のついた紙のことですか?」
「そう、たぶんそれ!」
「古かったのでゴミかと思って捨ててしまいました」
「何やってるの! それ、パパのやつだよ!」
 杏奈は怒鳴り声を上げ、号泣した。マリアは必死に謝った。
 ちょうど帰ってきた沙織が、マリアを責め立てる杏奈をしかった。
「書き置きはいつも捨ててたでしょ。マリアを許してあげなさい」
 杏奈は深く傷ついた。
 あの書き置きはもう二度と手に入らない、パパとの大切な思い出なのに……。
 ママもマリアも大嫌いだ──。
 あの事件以来、二人との間には決定的な溝が生まれた。
 二年が経った今では、沙織は隆史の命日すら忘れている。今朝けさ沙織が何かいわないかと杏奈が待っていたのは、このことだった。
 真美菜ですら覚えていたのに、ママは忘れている……。
 それが杏奈には許せなかった。

 真美菜と連れだって、花屋に行って仏花を買う。山門をくぐり、石畳を歩く。バケツを借りて水を入れる。ここにきんもあることは、何度も来ているから知っている。
 久保田家之墓、と刻まれた墓石の前にたどりついた。杏奈と真美菜の二人で、墓石を布巾でいていく。すぐに布巾が土色になった。杏奈は、かばんから歯ブラシをとりだした。
「おー、秘密道具っぽい」
 真美菜がいい、杏奈は刻まれた文字の隙間の汚れを落としていく。丁寧に心をこめて。真美菜も手を動かしながらいう。
「杏奈のパパのあれ、すっごいおいしかったね。ステーキソースのピラフ」
「ああ、あれ、ほんとおいしかったもんね」
 隆史が昔バイトをしていたステーキハウスで習ったという特製ピラフのことだ。土曜日の昼に真美菜が遊びに来ると、隆史はその特製ピラフをふるまった。懐かしい、宝物のような思い出──。
 二人で隆史との思い出を話しながら磨いていると、墓石は新品のようにピカピカになった。花を供えて、線香に火をつける。けむりがゆらゆらと立ち上り、風に乗ってどこかに消えていく。
「パパ、ただいま」
 手を合わせてつぶやく。杏奈が学校から帰ると、いつも隆史がいた。そして優しくこう返してくれた。
 おかえり──。
 今はその言葉がない……当時は当たり前だと思っていた。でもそれを失った今となっては、かけがえのないものだったとわかる。瞳から、涙がポロポロとこぼれ落ちた。
 時間が悲しさを消してくれるなんて絶対に噓だ。涙はとめどなくあふれ、嗚咽で息がつまりそうになる。真美菜は黙って隣にいてくれた。

 墓参りを終えると、真美菜とお寺の近くのカフェに立ち寄った。
 店内は木の温かみが感じられる、素敵な内装だった。
「こういう時はココアだって、ココア」
 真美菜がココアを二つ注文し、「私がおごっちゃる」と杏奈の分も払ってくれた。
 窓際の席に座る。泣いて涙が乾いたのか、肌がパリパリしている。鼻の頭もかゆい。ホットココアを店員が持ってきてくれた。大きめのカップになみなみと注がれている。湯気とともに、チョコレートの甘い匂いが漂った。
 杏奈はカップを包みこむように持ち、一口すすった。甘くて優しい味だ。身体と心のしんが温まってくる。
「おいしい」
 真美菜が訊いてくる。
「ちょっとは落ちついた?」
「ごめん……」
「謝らなくてもいいよ。私もおじさんのこと思い出したもん……」
 真美菜の目がうるんでいた。その表情を見てまた泣きそうになる。杏奈はあわててココアを飲んだ。
「それにしてもママはひどい……」
 悲しみをごまかすように、いらだちを吐露する。
「今日がパパの命日なのに、覚えてないんだよ」
「杏奈のママ、忙しいから……」
 杏奈が首をふる。
「どれだけ忙しくても、パパを大切に想っていたら、絶対覚えてる」
「……」
 思い詰めた様子の杏奈に、真美菜は湿った息を一つ吐くと、
「ココア冷めちゃうよ。飲んじゃお」
 そう微笑ほほえんだ。

 帰宅するとリビングには沙織が、キッチンにはマリアがいた。
 マリアは夕食の準備をしている。エプロンをつけ、手際よく包丁を使っていた。沙織はメガネをかけて、テーブルでキーボードを打っていた。
「おかえり」
 沙織が、ノートパソコンの画面から目を離さずにいう。声に感情は薄く、手元の仕事に集中している。
 パパはそういう時は、必ずパソコンを一回閉じておかえりといってくれた……。
 ざらりとした悲しみと怒りが、胸の中をかき乱した。
「お嬢さん、おかえりなさい」
 マリアが優しく声をかけてきたが、杏奈は無視して自分の部屋に入ろうとした。
「杏奈、待ちなさい」
 沙織がキーボードの手を止めた。眉間にシワが寄っている。
「どうしてマリアに返事しないの」
「……」
 口をぎゅっとつぐんだ。沙織がいらだったようにいう。
「マリアにいつも掃除や料理をしてもらってるのに、あいさつもなければありがとうの一言もいわないって、一体どうなってるの」
 だんだんと声がとがっていく。異変を察したのか、マリアがキッチンから出てきた。
「沙織さん、大丈夫です。私、気にしてませんから」
 マリアの制止にかまわず、沙織が続けた。
「無視する気?」
 杏奈はぼそりという。
「……それがあの人の仕事でしょ」
「仕事って……」
 沙織が絶句した。
「杏奈、いい加減にしなさい。あなたには心がないの」
「心がないのはママでしょ!」
 その一言で、怒りに拍車がかかった。
「今日が一体なんの日かわかってるの!?」
 沙織が淡々と返した。
「パパの命日でしょ」
 えっ……。
「覚えてたの?」
「覚えてるに決まってるでしょ」
「じゃあどうしてお墓参りに行かないの。仏壇にお線香も上げないの」
「……」
 ちょうどその時、沙織のスマホが鳴った。
「……その話はあとでしましょう」
 沙織が電話に出るのを見て、杏奈は唇を震わせて叫んだ。
「もういい!」
 そのまま部屋に駆けこみ、バタンと扉を閉めた。ベッドに飛びこんで、布団に顔をうずめて号泣する。
「どうして、どうして……」
 えつ混じりの声と涙を、布団が吸いとろうとする。でもそれが間に合わないほど、悲しみがあふれ出てくる。
 どうしてママは平気なの……。
 考えれば考えるほど涙が止まらない。コンコンとノックの音がして、「お嬢さん、大丈夫ですか」とマリアが心配そうに訊いてくる。
「ほっといて!」
 そう叫ぶと、しんと静まり返った。沙織の声は一切聞こえない。
 会いたい。パパに会いたい……。
 杏奈は、ひたすら泣き続けた。
 それから何時間が経っただろう……いつの間にか泣き疲れて寝てしまっていた。電気もつけなかったので、部屋が暗い。窓を開けていたので、カーテンが夜風にゆれていた。目が腫れて視界がぼやけているのか、何か幻想的な光景に見えた。
 その時だった。

「ここは死者に会える遊園地」

 スマホから声がして、杏奈はぎょっとした。
 死者に会える遊園地!?
 今さっき、パパに会いたいと考えていたところだ。昼間に真美菜と、最近のスマホは心を読めるんじゃないかと話していたけど、本当に私の心を読んだの?
 杏奈は急いでスマホを手にとった。勝手に何かの動画が流れている。霧の中に浮かぶアーチ状のゲートが映った。『ようこそ 天空遊園地まほろばへ』と書かれていた。
 画面が切り替わる。青空に白い雲が浮かんでいる。その雲が風で流れた切れ間から、飛行機形のゴンドラが映る。回転式の遊具みたいだ。静かに、優雅に回っている。ゲームコーナーには、綿菓子やポップコーンが作れる機械があった。子供たちが満面の笑みで、綿菓子を頰張っている。
 ナレーターの男性の声は落ちついていて深みがあり、懐かしさを覚えた。
 その声の主が説明した。
 死者に会える遊園地とは、てんこまさんにある、『天空遊園地まほろば』だそうだ。
 最寄り駅の天駒駅から深夜〇時に一便だけ、特別なケーブルカーが出発する。それに乗れば、まほろばに到着する。

「遊園地で過ごす時間は、誰にとってもかけがえのない思い出です。
 もう一度、あなたの大切な人に会いたくはありませんか」

 その言葉を最後に、動画が消えた。
 しばらくぼうっとしていたが、杏奈はかぶりをふった。
 死者と会えるなんてありえない。都市伝説系の動画でも流れたんだろう。
 でもあの優しい声には、心に訴えかける何かがあった。
 ありえないとは思う。でももし、本当にパパに会えるのならば……会ってみたい。
 そこで気づいた。画面に何かのリンクがある。タップすると、まほろばのサイトが表示
された。いくつかの注意事項が書かれている。

1 当園は一生で一度しかご利用になれません。

2 再会できる死者は一名のみです。

3 当園のご利用時間は一時間のみです。

4 当園の遊具のご利用は一台のみです。

5 当園では泣くことが禁止されています。泣くと、お客様の大切なものが失われます。

 ずいぶんと制約が多い遊園地だ。1から4はなんとか理解できるが、5の泣くことは禁止とはどういうことだろう? 大切なものって一体何が失われるんだろう?

『ご利用前の注意事項を必ずご確認の上、予約サイトへお進みください』

 そう書かれていたので、杏奈は次のページに進んだ。

『再会を希望する方のお名前を入力してください』

 一度つばを飲みこんでから、『久保田隆史』と記入してみた。タップする……。

『再会を希望する時期を選択してください。以下より、ご希望の日程をお選びいただけます』

 その日程表を見て、「噓っ」と杏奈は声を漏らした。
 隆史が亡くなった日以降の日程がない……つまりこのサイトは、隆史が亡くなった日を把握している。迷った末、隆史が亡くなった日の一週間前の五月八日を選択した。

『再会を希望する日程を選択してください。空き状況を確認の上、ご予約を確定してください』

 見てみると他にも利用者がいるのか、ところどころふさがっている。でも、ちょうど明日の分が空いていた。

『ご予約を承りました。天空遊園地まほろばへのご来園を心よりお待ちしております』

 スマホを置くと、杏奈は深く息を吐いた。
 カーテンがゆれていない。いつの間にか、風はんでいた。

  *

続きは好評発売中の『天空遊園地まほろば』で、ぜひお楽しみください!

■ 著者プロフィール
浜口倫太郎(はまぐち・りんたろう)
1979年、奈良県生まれ・在住。漫才作家、放送作家を経て、2010年『アゲイン』(のち、『もういっぺん。』に改題して文庫化)で、第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、翌年小説家デビュー。他の著作に、ベストセラーとなった『22年目の告白-私が殺人犯です-』のほか、『宇宙(そら)にいちばん近い人』『シンマイ!』『廃校先生』『お父さんはユーチューバー』『ワラグル』『サンナムジャ 〜ヤンキー男子がK−POPに出会って人生が変わった件〜』など多数。漫画原作者としても活躍の幅を広げている。

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