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眠るために、生きるために必要なことを教えてくれる物語【評者:大矢博子】

 ある統計によれば、日本人の三人にひとりはなんらかの不眠症状を抱えているという。
 仕事が押して睡眠時間が削られたり、家族の生活サイクルに合わせて早起きしたりして睡眠不足というだけならまだいい。いや、よくはないが、問題は時間はあるのに眠れない、眠りたいのに眠れないという事態の方だ。その状況は確実に体と心を蝕んでいく。覚えがある人も多いのではないだろうか。
『宇宙の片すみで眠る方法』の主人公・依里よりは、大学時代から八年半付き合った婚約者・直樹なおきがバス事故で命を落としてから、眠れなくなった。しかも直樹は、なぜか年上の女性と一緒に東北地方の温泉旅館に泊まった帰りに、ふたり一緒に事故に遭ったのである。
 この事実をどう捉えていいかわからないまま、派遣の仕事も辞めてただ呆然と日々を送っていた依里。そんな彼女にきっかけを与えたのは、デパートに入っている寝具店だった。心療内科で睡眠導入剤をもらっても眠れなかった依里は、「何かに引っ張られるように」寝具店に入り、泣きながら店長に話をする。そして勧められた寝具一式を買ったところ眠れるようになった。が、かなりの高額だったため貯金が減った。そこで、パートを募集していたその店で働くようになったのだ。
 ──というのが本書の導入部だが、これだけのことがわかるまでにけっこうページ数を費やしている。物語が始まった時点ですでに依里は寝具店で働き始めており、寝具店の職業小説の部分と依里の過去や現在の話が並行して語られるのだ。この構成が上手い。
 職業小説のパートは、寝具そのものの情報や接客の様子、顧客の事情、デパートのテナントを巡る状況に至るまでが細やかに描写され、実に興味深い。
 夫の好みに従って自分に合わない寝具を使い続けている妻。有名野球選手が宣伝しているマットレスを欲しがる成長期の中学生と、家族用の寝具は買うのに自分のためには買ったことのないその母。愛着のある毛布を手放して以来、眠れなくなった女性。
 それぞれの事情を聞き、実際に試させて体との相性を測り、アドバイスをする。ひとりひとりの体格や生活に合わせて考え、顧客の快眠のために知識と心を尽くす。その様子は接客というよりもカウンセリングに近く、それぞれのエピソードで短編小説が書けそうなくらいの深みがある。読みながら、今すぐデパートに飛び込んで「私に合うマットレスと枕を見立ててください!」と叫びたくなったほどだ。
 これだけでも職業小説としてかなりの高水準である。だがそこに依里自身の物語が加わることで、全体がひとつのテーマに収斂しゅうれんしていくことに驚いた。
 依里の働く売り場に、直樹と一緒に亡くなった女性の夫・髙橋たかはしが偶然訪れた場面から物語は大きく動く。互いに似た状況のふたりは会話を交わすようになるのだが、直樹を失ったあと、どう生きていけばいいのかわからなくなっていた依里に対して、髙橋がある指摘をするのだ。それを機に、依里は自分と直樹の関係をもう一度見つめ直すことになる。
 ここに描かれるのは、自分の人生を誰かに「合わせる」ことについてだ。
 社会で生きていく以上、自分の考えや都合を殺して誰かに合わせなくてはならないことは当然ある。家族の中でもある。だが、生き方までもが誰かに合わせたものであってはならない。自分で選ぶこと。自分で決めること。そのためにはまず、自分が何を望んでいるのかをちゃんと知ること。
 このテーマが見えてきたとき、だから寝具なのかと膝を打った。
 売り場を訪れる客は皆、自分に合わない寝具のせいで困っている。夫や家族を優先させて選んだ合わない寝具や、自分の体より世間の評判を優先させて選んだ寝具からの解放を描いたくだりはそのまま、他者を優先させたり世間を気にしたりして歩いてきた人生からの解放を意味するのだ。自分に合った寝具を選ぶことと、自分に合った生き方を選ぶこと。ふたつのレイヤーがきれいに重なる。眠るために、生きるために必要なことは何なのか。それをこの物語は静かに、けれどあたたかく伝えてくれるのだ。
「自分に合う寝具を見つけるために、まずは自分を正確に知る必要があるんです」という依里の言葉がいつまでも心に残った。終盤、依里にある転機が訪れる。その決断をどうかじっくりと味わっていただきたい。
 もしもあなたが眠れずに困っているなら、この物語をお勧めする。すぐに高価な寝具は買えないにせよ、まずは自分を大切にしようと思えるだろう。それが心のやすらぎに通じるはずだ。この本を手に取ったあなたに、心地よい眠りが訪れることを願っている。
 

■ 書籍情報
『宇宙の片すみで眠る方法』
元寝具店店員の著者が贈る、眠れない夜の心と体にやわらかく寄り添う物語。自分にあった寝具の選び方や快眠のコツも満載!

■ 評者プロフィール
大矢博子(おおや・ひろこ)
大分県生まれ、名古屋市在住の書評家。著書に、『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』『読み出したら止まらない! 女子ミステリー マストリード100』『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』などがある。

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