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今日もスープを用意して

 不在(六歳)

 ママがいない。
 いつも、あさになると、おふとんで、となりでねている。でもきょうはいない。とびおきて、だいどころにいく。いない。
 まえに、げんかんで、たおれていたことがあった。びっくりした。ちかづいて、ママ、とよぶと、んー、といった。ねていただけだった。だから2かいめと3かいめは、ちゃんとわかった。だけどきょうは、げんかんにはいない。ろうかにも。
 おふろにも、トイレにもいない。
 もういっこのおへやもみたけど、いなかった。いないとおもった。ここはものがいっぱいで、おようふくをきがえるときとか、おもちゃをとりにいくときとか、ママがおけしょうするときとかだけ、つかう。おしいれのなかもちょっとみたけど、ダンボールでいっぱいで、ママがはいってるわけはなかった。
 やっぱり、いない。
 なみだがでそうだったけど、がまんする。のぞみはもうひまわりぐみさんだ。おねえちゃんだ。
 まえもあさおきて、ママがいないことがあった。そのときはいっぱいないた。まだすみれぐみさんだったから。
 そうだ、あのひは、たくさんでんわがなった。たくさんたくさんなった。1かいめや2かいめはでなかったけど、そのあと、もしかしたらママかもしれない、とおもって、でんわにでた。そしたら、もしもし、ってこえがしたから、ママ、ってよんだ。でもママじゃなかった。すみれぐみのみさこせんせいだった。のぞみちゃん? ってきかれて、うん、っていった。ママは? ってきかれたから、いないの、っていった。そしたら、ちょっとまっててね、っていってから、みさこせんせいがだれかとおはなしして、またあとででんわするからね、おなかへってない? ってきいてきた。だいじょうぶ、ってこたえた。
 でんわをきってから、しばらくして、げんかんのピンポンがなったのもおぼえている。ママだとおもって、はしってあけたら、そこにはえんちょうせんせいがいた。あと、おまわりさんもいた。ふたりともわらってたけど、のぞみはわらえなかった。
 ママだったらピンポンをおさないで、そのままかぎをあけるから、ママじゃなかったのに、だれなのかきかないでドアをあけてしまった。だめなことをした。ほいくえんにおいてある、『おおかみと七ひきのこやぎ』のえほんをおもいだした。ちゃいろくて、くちがおおきなおおかみ。
 のぞみがなくと、えんちょうせんせいは、だいじょうぶよ、といった。おまわりさんも、こわくないからね、といった。おまわりさんがこわくてないてたんじゃないけど、うまくせつめいできなかった。
 ふたりはなかにはいってきて、ママはいないの? とか、いつからいないの? とかきいてきたけど、なくのがとまらなくて、なかなかおはなしできなかった。
 えんちょうせんせいはやさしいけど、ママはえんちょうせんせいがだいきらい。ほいくえんでママとえんちょうせんせいがおはなししたあとは、かえってきて、いつもそういう。だいっきらい、って。すこしわらいながらいうけど、それがもっとこわい。ママがいないときに、えんちょうせんせいをいれてしまったことは、すごくだめだった。
 げんかんにいるときに、したをみると、ママのくつがいっぱいあって、もっとかなしくなった。ママのくつがいっぱいあるのはいつもとおなじなのに、ママがいないのが、さびしかった。あかいくつやしろいくつ。どれもハイヒールっていうくつで、のぞみはまだはけない。まえにはいてみたら、ブカブカだし、すぐにころんだ。ママはころばないではやくあるける。きっとおとなだから。でもほいくえんのせんせいたちは、ハイヒールをはいていない。
 ないてばかりいたら、ドアがあいて、そこにはママがいた。ママ、っていおうとしたけど、いえなかった。のぞみよりもさきに、えんちょうせんせいやおまわりさんがママとおはなしをはじめたから。えんちょうせんせいもおまわりさんもおこっていて、ママもおこって、それがこわくて、またないた。のぞみはあっちにいってて、とママがいったから、おふとんのところにもどって、ないた。むせきにんすぎるでしょう、とえんちょうせんせいがいったのがきこえた。ママのことをおこっているのがわかった。きいたわけじゃないけど、きっとえんちょうせんせいも、ママをだいっきらいなんだとおもう。
 おまわりさんとえんちょうせんせいとママが、どれくらいおはなししていたのかは、わすれてしまった。ただ、ママは、おしごとしてたのよ、とはなしてくれた。おしごとはいつもはよなかにはおわるけど、きょうはおわらなかったの、と。あと、こんなふうにもいってた。
「ママがいなくても、のぞみがほいくえんにちゃんといってくれればよかったのに」
 ママはおこってるわけじゃなかったけど、えんちょうせんせいやおまわりさんがきたのも、のぞみのせいなんだ、とわかった。のぞみがほいくえんにひとりでいければ、ママはおこられなかったし、おこらなかった。
 のぞみはもうおねえちゃん。ひまわりぐみさん。のぞみはもうおねえちゃん。ひまわりぐみさん。
「のぞみはもうおねえちゃん。ひまわりぐみさん」
 いってみたら、だいじょうぶになるようなきがした。いつもほいくえんにいくときは、どうしているんだっけ。トイレでおしっこはさっきした。
 そうだ、こんどはあさごはんだ。
 ぱんをたべたいけど、いつもおいているばしょに、ないみたいだ。がまん。スープはある。きのうもあったし、きのうのまえもあったし、そのまえも。
 スープはまいにちのまなきゃいけない。どうしてってきいたら、しるものはだいじなの、とママがいってた。おみそしるのときもある。おみそしるもスープもしるものっていうらしい。なにもはいってないラーメンのときとかも、スープはべつでのまなきゃいけないから、おなかがたぽたぽになる。でもしるものはだいじだから。
 あたりなのはコーンスープで、にんじんがはいっているのははずれ。ほいくえんのきゅうしょくのにんじんはおいしいけど、ママのスープのにんじんはかたくてへんなあじがしておいしくない。でものこしたら、もうつくらないよ、ってママはおこるから、がまんしてたべる。あまりかまずにのみこむんだけど、たまにのどがいたくなる。もうちょっとちいさくきってくれたらいいのに。だけどそういってもおこられそうだから、いえない。のぞみはまだスープをつくれない。おかずも。ごはんもたけない。
 いつもかおをあらうときにつかっているふみだいをもってくる。おなべのふたをあけて、いれてあるおたまで、のぞみのカップにいれる。キキララがかいてあるやつ。
 キキはみずいろのかみのけのおとこのこで、ララはピンクのかみのけのおんなのこ。ふたりはいつもいっしょにいる。うらやましいなとおもう。のぞみはひとりっこだから、そんなふうにいっしょにいるこはいない。ほいくえんのおともだちとも、ほいくえんであそぶときはあるけど、すごくなかよくはなれない。
 スープはにんじんとキャベツがはいっているやつだ。はずれ。なるべくにんじんをいれないようにするけど、ひとつはいってしまったし、いれるときにこぼれてしまった。いやだ。カップをおいて、ふみだいからおりて、ティッシュをもってきて、ふいた。ぜんぶはきれいにならない。ティッシュをごみばこにすてて、カップをテーブルにもっていく。
「いただきます」
 ちいさいこえでいった。ほいくえんのきゅうしょくのときは、おとうばんさんが、それではみなさん、といってから、いたーだきます、という。ママはなにもいわない。ごはんをたべないこともおおいから。だいたいいつも、おさけをのんでいる。
 さきににんじんをかむ。やっぱりおいしくない。かたいし、へんなにおい。つめたいからいつもよりも。なるべくいきをしないようにしてたべる。コーンスープがのみたい。
 たべおわったら、パジャマをぬいで、スモックをきて、ズボンをはいて、しゅっぱつだ。あ、でも、カギをもってない。いいのかな。いくときにあけたら、しめられない。どろぼうがきてしまうかもしれない。
 どろぼうがきたらたいへんだ。ちょきんばこのおかねとか、ママがたかかったっていってたバッグとか、いっぱいぬすまれちゃうかもしれない。どうしよう。
 どろぼうがくるのと、ママがまたえんちょうせんせいにおこられるのと、どっちがいいんだろう。
 わからない。でも、どろぼうはこないかもしれない。きませんように、きませんように、っておいのりしながらいこう。ほいくえんにいくときは、しんごうがあおになってから、くるまにきをつけて、みちをわたる。ほいくえんにはいってからは、ひまわりぐみのしょうこせんせいに、おはようございます、ってげんきにごあいさつする。
 ママはいつかえってくるんだろう。いま、かえってくればいいのに。スープがはいっているカップをおいて、もういっかいげんかんにいってみるけど、なんのおともしない。ママのハイヒールがいっぱいおいてある。またなみだがでそうになったけど、がんばってがまんする。
「のぞみはもうおねえちゃん。ひまわりぐみさん」


 異質

 さすがに何も変わらず迎えに来ることはないのではないか、その前に電話の一本でもよこすのではないか、とうっすら予想していたが、それは外れた。のぞみちゃんのお母さんが園に姿を見せたのは、普段と変わりない、午後五時五十分だった。本当ならば預かりは午後五時半までだから、遅刻するところまで含めて、いつもどおりだ。
 チャイムが鳴り、玄関に行くと、そこにつまらなそうな様子で立っていた。その表情も、明らかに部屋着であろう、英字のロゴが入った白いトレーナーとそろいのズボンも、昨日の彼女と入れ替えたって、まるで見分けがつかない。
 何か言うのを待っていると、望のお迎えですけど、とどこか不機嫌にも聞こえる声で言われ、いらつよりも先に驚いてしまう。他に言うことがあるのではないか、と。
「お母さん、今、お話いいですか? 園長も一緒に」
「結構時間かかります? 何の話?」
 何の話かわからないはずはないのに。なるべく手短に済ませます、と返す。まだ園児が残っているのだし、こちらだって予定外の話し合いの時間を持つことは本意ではない。
 いや、でも、何の話か本気でわかっていないのかもしれない、と、下駄箱から取り出した茶色いスリッパをしぶしぶといった感じで、裸足はだしで履く姿を見ながら思う。
 脱いだサンダルが、並べられることもなく、玄関に放り出されている。下駄箱に入れておこうかとも思ったが、嫌みな行動かとも思い、そのままにする。ヒールの高い、白いサンダル。今の服装と合っているように思えないし、それ以上に、まるでここには似つかわしくない。
 わたしは既に、この人の仕事が水商売であることを知っているが、もし知らなくたって、すぐに正解できるんじゃないかと思う。深夜に幼児だけを置いて留守にするのはよくない、昼間の仕事を探してください、と、主に園長が、再三注意しているが、探している様子はない。以前も、園長が言うと、じゃあ見つけてくださいよ、同じくらい稼げる仕事、と言い返している場面を目撃した。園長と言い争っているところは、何度となく見ている。
 隣に並ばれると、夜の匂いがした。タバコ、お酒、香水、そうしたものが混じりあった匂いだ。夜の匂い、としか形容できない。臭い、というわけではないのだが、やはりここでは違和感しかない。
 そして威圧感をおぼえる。わたしが百五十五センチで、おそらく望ちゃんのお母さんは百六十センチくらいではないかと思うのだが、もっと大きく感じる。これは、存在感、とでもいうものなのか。されてしまいそうだ。まだ二十代半ばの、自分より十五歳くらい年下の相手なのに。
 教室のドアの窓から、中を確認すると、先生と目が合った。お願いします、という意味をこめて、軽く頭を下げると、同じように頭を下げられた。美佐子先生は、昨年望ちゃんの担任だったので、望ちゃんのお母さんがどういう人なのかも、もちろんある程度理解しているし、朝にも、園児の午睡のあいだにも、話し合いの時間を持つことは伝えていた。
 望ちゃんはこちらに背を向ける形で、絵本を読んでいるようだった。望ちゃんは絵本が好きだ。ひらがなを読めるようになったのも、他の子より早かった。望ちゃんのお母さんが熱心に教えたとは到底思えないので、本人が頑張って身につけたのだろう。その子が生まれ持った先天的なものと、環境によって変化する後天的なもの、人格形成には、いずれが大きいのだろうと、いつも思う。もちろん両方に違いないとわかってはいるのだが。
 午後四時半を過ぎると、園児が少なくなるので、保育はクラス単位ではなく、合同保育に切り替わる。それまでは各クラスにいた子たちはすべて、一番広い教室である年長のひまわり組に集められる形だ。五時を過ぎるとさらに少なくなり、六時近い今となっては、望ちゃんを含め、三人ほどしか残っていない。
 事務室の戸を開けると、何か書類に目を通していたらしい園長が、すぐに気づいて顔をあげた。ここでも何も言わず軽く頭を下げると、園長が立ち上がった。そのまま待つ。望ちゃんのお母さんが後ろで、はあ、と大げさなため息をつく。ため息というよりも、言葉みたいだ。
 今日に始まったことではないが、こんなにも露骨に、保育園と、わたしたちと関わりたくない、という態度を示せることに、あきれるよりも驚いてしまう。たとえば自分のこうした態度が理由で、望ちゃんの保育がないがしろにされてしまうとか、そんな可能性を、つゆほども想像しないのだろうか。だとすれば、それはそれで、純粋だとも思えてしまう。もちろんそんなことはしないのだが。ただ、望ちゃんの言動から、ふっと望ちゃんのお母さんを思い浮かべてしまうような瞬間は、他の子のそれよりも多い。
「じゃあ、ちょっと、こちらに」
 園長がすみれ組を手のひらで指し示す。
「あの、手短にお願いしますね。仕事あるんで」
 望ちゃんのお母さんが言うと、園長は、望ちゃんのお母さんではなく、わたしをちらりと見た。
 どう思う? この人、何考えてるのかしら? 信じられないわよね?
 そうしたメッセージがふんだんに詰まった表情だった。わたしは、はい、と言う。表向きは望ちゃんのお母さんに対してだったが、園長に対してでもあった。わかります。すごくわかっています。言いたいことは伝わっています。
 誰もいないすみれ組の教室で、あらかじめ並べておいた、三つに、それぞれ座る。机一つを挟んでいるのだが、机も椅子も園児用のものなので、当然どれも小さい。毎日のように園児から誘われている、ごっこ遊びのようだ、と思う。
 棚に並べられている絵本のうち、一冊が上下逆になっていることに気づいて、直したくなるが、今は我慢する。おばけの絵本で、人気が高いものだ。
【あそんだあとはおかたづけ】
【すみれぐみ】
 そこかしこに貼られている紙。ほとんどがひらがなで満ちている世界。ひどく慣れ親しんだものであるはずなのに、今日はなんだか違和感をおぼえる。理由はわかっていた。大きく異質なものがあるせいで、馴染んでいる風景が、奇妙にゆがんでいる。
「あの、なんですが、おうちにいらっしゃいましたか?」
 わたしは、向かいに座った望ちゃんのお母さんにたずねた。話を早く終わらせたいのは、わたしたちだって同じなのだ。
 家に帰ったら、急いで夕食の準備をしなければならない。高校生の娘も、中学生の息子も、家の中のことはまるっきり手伝おうとしてくれない。それらはすべて母親の仕事なのだと信じて疑っていない。
「いましたけど?」
 何らためらう様子なく、言葉が返される。想定より速い速度に戸惑いつつ、わたしはさらに訊ねる。
「望ちゃん、一人だったんじゃないですか?」
「いいえ。望が言ってたんですか?」
「いえ、望ちゃんは、ママは具合が悪いから寝てたって」
「ええ。ちょっとお腹が痛かったんで」
「連絡帳の印も、水筒もなくて」
「ああ、忘れてました。すみません」
 相変わらず言葉はよどみない。
 おそらく朝にお母さんが寝ていて、一人で頑張って準備をしたのだろう、という状態で望ちゃんが登園することは、確かに今までも何度かあった。忘れ物も他の家よりずっと多い。でも今日に関して言えば、そうしたはんちゅうにおさまるものではなかった。髪の毛もぼさぼさだったし、スモックのすそも少しだけズボンに入っていた。何よりも。
「望ちゃん、不安そうな様子でした。泣きそうな顔で、一人で玄関に来たんですよ」
 たまたまわたしが、玄関応対に入っていた。いつもなら、眠さを抱えて不機嫌な様子で、それでも望ちゃんと手をつなぐこの人の姿は、隣になかった。おはよう、というよりも先に、お母さんは? という問いかけが先に出た。
「ぐあいわるくて、ねてるの」
 声にも表情にも、緊張があった。この子はうそをついているのだろうと、普段接していない人であっても、察することができたはずだ。そのあと、別のタイミングや、別の先生からも、言葉を変えて同じ内容を質問したりもしてみたが、答えは変わらなかった。
 昨年、すみれ組だったときのことが影響しているのだろうと、すぐに推測できた。望ちゃんが保育園を無断欠席したのを心配し、自宅に電話したところ、何度かしてから、電話口に望ちゃんが出て、お母さんが留守であることがわかった。子どもを一人で置き去りにしていると、園長が警察に連絡し、警察官とともに家を訪問した。望ちゃんは激しく泣いていたという。
 わたしは昨年もひまわり組の担任だったため、直接関わっていたわけではないのだが、職員全員の間でも共有されるくらい大きな出来事だったし、一連のおおまかな流れは把握している。目にはしていないが、望ちゃんが泣いていた様子まで、簡単に想像できる。
「でも、ほとんど忘れ物なしで持ってきてましたよね?」
 望ちゃんのお母さんの質問で、わたしは思考をほんの少し悟る。何時間前かわからないが、とにかくこの人が帰宅したときに、望ちゃんの保育園に持っていく荷物が一式ないことに気づき、ここにいると察したのだ。それでもやはり、電話の一本もかけてこないのは不思議ではあるが。
 わたしはただうなずく。
「あなたねえ、子どもに噓つかせて、なんとも思わないの? それでも母親なの?」
 ずっと黙っていた園長が、我慢できない、という感じで口を開いて、声を荒らげる。わたしは内心、ひやりとするが、なるべく表情を変えないように気をつける。そして、声がひまわり組の教室に届いていないか心配になる。教室に、というか、望ちゃんに。きっとあの子は、園長先生が誰に怒っているのか、すぐに気づいてしまう。
「噓って決めつけるの、やめてくれません?」
 望ちゃんのお母さんは、声のトーンは変えずに、そう言う。園長は、だって噓でしょう、と、さっきよりは声量を落として言う。それには望ちゃんのお母さんは何も答えない。表情も特に変化しない。美人だ、と思う。こんなタイミングで思うのにはふさわしくないことだとわかっていたが。目がぱっちりとしていて、鼻筋もくっきりと通っている。全体的に淡いというか、薄い顔立ちの印象の望ちゃんとは似ていない。
 思いきりカラーリングをしている明るい茶色の長い髪。細くしている眉も、アムラーっぽくはあるが、通いはじめた数年前からそうなので、別にむろが好きなわけではなく、趣味なのだろう。ずっと長い髪なのも、園に出入りする大人の中では異質だった。
 わたしたちは当然のことながら、他のお母さん方も、たいていは髪の毛を短くするか、縛っている。わたしも、前に伸ばしたのがいつなのか思い出せないくらい、あごを過ぎたくらいの長さで保っている。そうしないと、子どもたちに引っ張られたり、抱っこしたときに、子どもの目や口に入ったり、顔にかかったりしてしまう恐れがあるからだ。
 子どもに合わせる、という発想は、望ちゃんのお母さんにはない。断言できるのは、そうしたエピソードに事欠かないからだ。
 あれは、年少さんのときだったか、二歳児さんのときか。望ちゃんが、給食のカレーに口をつけなかった。他の先生が、どうしたの、と聞くと、からいからいやなの、と言う。一口食べてごらん、と声かけしているうちに、しぶしぶ少しだけ口に運び、それから、おいしい、と驚いたように言い、結局完食した。
 家で食べたカレーが辛かったのだろうかと、お迎えのときに他の先生が訊ねると、望ちゃんのお母さんはあっさりと、ああ、中辛出したら全然食べなくて、泣き出したから、仕方ないからふりかけごはんあげました、というふうに答えた。他の先生は驚いて、甘口じゃないとまだ食べられないですよ、と言うと、だって甘口っておいしくないじゃない、と答えたそうだ。
 あるいはまた、去年の、すみれ組とひまわり組の合同いもほり遠足の翌日(そういえば遠足のお弁当も、不格好なおにぎり二つだけで、わたしや何人かの先生が、見かねておかずを少し分けたのだった。おまけに水筒の中身は、お水でもお茶でもなく、スープだった。それもこちらが手持ちのお水を少しあげて対応した)。遠足で掘れて得意げだったさつまいもを、せんせいにあげる、と美佐子先生に渡そうとしてきた。どうしてお家で食べないの、と訊ねると、ママ、さつまいもすきじゃないからいらないって、と半泣きで話していた。美佐子先生が、お迎えのときに、せっかく掘ったものなので、とお母さんに話して返していたが、結局捨てたのではないだろうか。あの日、園長が会議かなにかで留守だったのは幸いだった。さつまいもを返す一連の場面を見ていたら、間違いなく冷静さを失っていただろう。
「あのね、わたしにもね、こういう経験があるの。上の息子が五歳のときに、勝手に外に出ちゃって」
 園長が話しはじめる。
 長くなるな、とわたしは思う。何度となく聞いたことのある話だ。いなくなってしまい、名前を呼び続けながら、近くを駆け回った話。結局、近所のおばあちゃんの家で、お昼寝していて、深くあんしたという話。ただ、今日の状況に、どうつながるのかはわからないが。
 園長もまた、母子家庭の母親だ。もっとも望ちゃんのお母さんとは異なり、ご主人とは死別だったそうだ。男の子二人を、必死で育てあげた背景には、さまざまな物語があったようで、折に触れてはそうした話を一つずつ出してくる。
 がらり、とドアが開く音がして、全員が同時にそちらを振り向いた。二人の姿を見るのと同時に、ママ、と呼びかける声が聞こえた。望ちゃんだった。小走りになり、座ったまま表情を変えないお母さんのところへ行き、そのまま抱きつく。
 お母さんが大好きだ、と全身で伝えているかのようだった。
 他の子の同じような光景を見るよりも、胸が詰まった。
 望ちゃんは半年に一度の歯科検診でも、いくつもの虫歯を指摘されている。お母さんが仕上げ磨きをしていないのだと思う。それに、予防接種も受けていないものがある。こちらからは何度も伝えているが、全然病院に行っていない。あらゆる部分で欠けている育児をしているのは明らかなのに、それでも望ちゃんは、お母さんが大好きなのだ。
「すみません、望ちゃんがおトイレに行くときに、ドアから中が見えてしまったみたいで」
 美佐子先生が、話し合いを中断させたことを謝る。わたしは、仕方ないよ、という意味をこめて、首を軽く横に振ったが、実を言うと、少しありがたくも感じていた。これ以上話を続けたところで、和解できるような想像はし難かったし、非生産的でしかないとわかっていたから。
 望ちゃんのお母さんも、座ったまま、望ちゃんを抱きしめている。ほおをべったりとはりつけるようにして。
 園長は口を結んで黙っている。納得していないのだ。話の腰を折られてしまったのも、不満なのかもしれない。
「帰ろう、望」
 望ちゃんのお母さんが言い、立ち上がる。わたしも慌てて立ち上がる。園長もしぶしぶといった感じで立ち上がる。そして言った。
「また改めて」
「はい」
 望ちゃんのお母さんはそう言ったが、今後の話し合いは避けつづけるだろう。
「あの、じゃあ、お支度しますね。望ちゃん、行こう」
 美佐子先生が言い、うん、と望ちゃんが応える。望ちゃんのお母さんも、そちらについて行くようだった。わたしは机と椅子を片づけてから行くことにする。部屋に二人きりになった瞬間、園長が小さな声で言う。
「どうしたらちゃんとした母親になるのかしら」
 望ちゃんのお母さんのことを指しているのは明らかだった。
 ちゃんとした母親。それが具体的にどういったものなのかはわからないが、少なくとも、望ちゃんのお母さんがそうではないことは明白だった。
 わたしは、質問の答え(が存在するとすればだが)よりも、どうしてこの人はあきらめずにいられるのだろう、と不思議になる。望ちゃんのお母さんが変わってくれると、なぜ信じていられるのか。
 園長が望ちゃんのお母さんに抱いている、苛立ちや呆れといった感情は、正直なところ、わたしにはあまりない。ましてや、正そうという気持ちなど。
 パパ(娘も息子も、もうこんなふうには呼んでいないのに、呼び名だけが残ってしまった)と結婚し、一緒に暮らしていくうちに、あきらめるということをおぼえてしまったのかもしれない。やめてほしいと言ったことも、やってほしいと言ったことも、その瞬間には返事をするものの、すぐにまた戻ってしまう。
 子どもたちには話していないが、浮気も数回された。わたしが気づいていないものもさらにあるのかもしれない。
 かといって、離婚なんてできるわけがなかった。親にも、パパの親にも、世間にも、顔向けできない。生活だって続けていけない。
 どういったタイミングだったかは忘れたが、このあいだ職員同士で話しているときに、どんどん時代が進むとみんなの考えも変わっていくんですかね、たとえば離婚する人が増えたりとか、と誰かが言った。そんなに簡単に変わらないでしょ、と話したが、あのとき、望ちゃんのお母さんを連想していたのは、わたしだけではない気がする。
 親が離婚した子は、園にもあと二人だけいるのだが、そのお母さんたちは、まるでタイプが違う。おそらく昔の園長に近い、なんとしてもわたしが育てていくのだという気合いのようなものが感じられる。思い返すと、既に卒園した子たちの、離婚した数人の母親も、いずれもそんな雰囲気だった。望ちゃんのお母さんだけが、特殊だ。
 わたしが選べずにいる離婚という選択肢を、望ちゃんのお母さんは(見たわけではないし、詳細もまるで知らないのだが、おそらく)軽々と選びとり、けして子どもに合わせようとはせずに、生きている。
 口にはしなかったが、昨年、園長が警察を呼ぶことに、わたしは反対だった。他の職員も同じだっただろう。中には、明日や明後日になっても帰ってこないようなら連絡しましょうよ、とはっきり言った先生もいた。トラブルにはなってほしくなかったし、それは望ちゃんのためにもならないと思った。でも園長は警察に連絡した。態度を改善させたかったから。望ちゃんのお母さんが「ちゃんとした母親」になるかもしれないと考えたから。
 この人は、自分がずっと「ちゃんとした母親」だったと思っているのだろうか、とわたしは園長に対して疑問を抱く。もちろんそれを口にしようとは思わなかった。少なくとも、望ちゃんのお母さんよりはそうだ。比べるまでもなく。
 望ちゃんはどんな大人になるのだろう、とふと思う。けれど想像したところでわかるはずがなかった。わたしは園長に対して、小さく頭を下げてから、急いで玄関へと向かう。

  *

続きは10月8日発売の『今日もスープを用意して』で、ぜひお楽しみください。

■ 著者プロフィール
加藤千恵(かとう・ちえ)

1983年北海道うまれ。立教大学文学部卒業。2001年、短歌集『ハッピーアイスクリーム』で高校生歌人としてデビュー。著書に『ハニー ビター ハニー』『誕生日のできごと』『春へつづく』『あかねさす──新古今恋物語』『点をつなぐ』『そして旅にいる』『この場所であなたの名前を呼んだ』『マッチング!』『一万回話しても、彼女には伝わらなかった』『あなたと食べたフィナンシェ』『ピザトーストをひとりで食べる』など多数。現在は、小説、詩、エッセイなど、さまざまな分野に活躍の幅を広げている。

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