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第8回

甦らせる夢

8 甦らせる夢

 桔平さんが持ってきたのは、石像のスケッチ。
 でも、相当に古いものみたいでかすれちゃったりしていて、よくわからないんだけれども。
 千弥智依さんがそのスケッチの紙を、慎重に持って見つめて。
「これ、なんかすぐにもボロボロになりそうなのでスキャンしていい?」
 智依さんに桔平さんも頷いて、智依さん、そっと持って後ろの作業場に行って。
「五十年以上前って、誰が描いたスケッチなの?」
 桔平さんが、ちょっと考えるようにして微妙な笑みを見せます。え、どうしてそんな微妙な表情を。
「ある人、とだけ。今のところは。別にバレたらマズイとかそんなのじゃなくてね。時期が来たら教えられるけれど」
 時期って、なんの時期なんでしょうか。智依さんが戻ってきてスケッチをそっと返して、桔平さんはまた丁寧に折り畳んで胸ポケットに入れます。
 智依さんがパソコンを操作して、そこにスキャンしたスケッチの画像が出てきた。
「調整するね」
 すぐに画像が、スケッチの線がきれいに鮮やかになってきた。私もこういうの、パソコンやソフトの使い方勉強した方がいいかな、って思ってきたんだ。スマホのなら結構いろいろ扱えるんだけど。
 スケッチがきれいに見えてきたんだけれど。
「これは、何でしょう? 女性たちの絵だってことはわかるけれど、石像のスケッチってことは」
 私が言ってると智依さんが数を数えていて。
「九人いる。あ、ムーサ? これムーサってことかな?」
「ムーサ?」
「ムーサ?」
 私と千弥さんが同時に聞き返しちゃった。
「って、何?」
「ムーサはねー、ギリシャ神話の女神様だよ。英語で言うとミューズ。それなら聞いたことあるでしょー」
 ミューズって。
「芸術の女神、でしたっけ?」
「わかりやすく解釈すると、〈九つの芸術の女神〉になるのかしらね。ほらギリシャ神話ってなんだかとにかく複雑だからね」
「あー、もうひどいのよね、誰が誰とくっついて誰を産んだとか、ゼウスがとにかく誰とでもやっちゃうとか」
 千弥さん、やっちゃうって。桔平さんが笑います。
「そうだね。このムーサもねゼウスとムネモシュネが九晩愛し合ったことで生まれた姉妹なんだって。九晩だから九人、一人一晩ってものすごい乱暴な計算で」
 乱暴ですよね。でも神話ってどこの国でもそうですよね。日本神話もかなり乱暴ですもんね。
「ムネモシュネとかいうのも神様なんですか?」
「ムネモシュネはね〈記憶の女神〉とかいうものらしくて、英語のメモリーの語源らしいよ」
 へぇ、メモリーの。ギリシャ神話の神様が語源になっちゃったりするんだ。
「で、娘たちが九人いる。話によるともう一人の、あ、神様は一柱か、芸術の神でもあるアポロンと行動を共にしたらしいね。ミュージアムっていう言葉も、ムーサに捧げられた神殿や場所を意味する〈ムセイオン〉っていうものに由来するみたい、ってこれ全部辞典からの受け売りだけどね。智依は美大だから知ってるんでしょ?」
 智依さんがまぁね、って。
「習ったし。わたしはムーサは描いていないけれど。ムーサって基になるものがあんまりないので、モデルにし難いみたいな感じだったかなー」
「基になるものはないの?」
「いろいろ絵に描かれたりするし、誰か一人の石像もあったりするけれど、そんなに有名ではないかなー。わたしもこの九人が誰が誰かはわからない。九人の女神ってことだけは知ってるんだ」
「九人はね、ボクもはっきりとはわからないんだけどね、物の本によると」
 桔平さんが、ディスプレイを指差した。
「全部がたぶんだけど、これは〈ウラニア〉という名前の女神で、それは〈天空〉を意味していて天文学を司る。そしてこの〈クレイオ〉は、翻訳がこなれていないからややこしい言い方になるけれど、記念されるべきことや記録されるべき出来事を司る女神なんだって。歴史みたいなものかな? そしてこの〈テルプシコレ〉は、気持ち良い踊りを意味する言葉で、まぁダンスの神様かしらね」
「ダンスの神もいるんですね」
「各国の神にはいろんな踊りの神がいるわよ。ほら、日本の天岩戸の」
「あー、アメノウズメノミコトですね! そうだった。あれもダンスを踊ってアマテラスを」
「でしょ? 踊りもやっぱり芸術のひとつだからね。続きで、この子は〈カリオペ〉。美しい声を持つ女神ですって。こちらの〈ポリュヒュムニア〉、言い難いわよねー。彼女は〈いくつもの雄弁〉って意味だって。この辺は現代の日本人には理解し難いけど、まぁ雄弁というのも芸術なのかな。〈タレイア〉は生き生きとした喜びの喜劇、というものを司り、〈メルポメネ〉はその反対に悲劇を司る女神、この〈エラト〉は哀歌ってわかる? エレジーってことになるのかな。そういう女神で、そして最後に〈エウテルペ〉は、快い音楽を司る女神。なんですって。以上、これが九人の芸術の女神ムーサ」
 無理です。
「覚えられません」
 覚えようと思っていないとゼッタイにわからない。
「そうよねー、さっきも言ったけどこの九人の女神、それぞれにあまり特徴がないみたいなのよ。たとえば同じ芸術の神であるアポロンなんて、太陽神だし男性美ってことで、描きやすくてわかりやすい。ね?」
 智依さんが頷きます。
「カッコよくて均整のとれた美しい男を描けば、それがアポロンよねー」
 智依さんが、でも、ってディスプレイを指差した。
「このスケッチは、素敵だと思う。これ、九人の娘、女神たちをリボンのようなもので繋いでいて、そのリボンがそれぞれの背中に翼のようになっているでしょう。この解釈はすごく素敵だし、うん、いいと思う。作ってみたい」
「そうでしょう?」
「うん、すごく創作意欲を刺激される」
 智依さんの眼が輝いている。創作をする人たちって、そういう眼をするよね。
「でも、智依。石像って彫ったことあるの? そもそも石像って本当に石を削って作るものなの?」
 千弥さん。そうですよね。石像って人生で一度は観たことあると思うけど、いつも思う。これ本当に石を削って彫って作ったのかなーって。
「スゴイですよね石像って。本当に生きている人間みたいに彫っていくの」
 うん、って智依さん頷いた。
「小さいのならね、彫ったことある。石を彫るって難しそうって思われるけれど、意外と簡単なんだよ」
「簡単って」
「や、難しいのは瑠夏ちゃんが言ったように、まるで生きてるみたいに彫ることが難しいんであって、石を削ったりノミで彫ったりすることは、そんなに難しくないんだよ。それこそ石像によく使われるのは花崗岩だけれど、ダジャレじゃないけど加工しやすいんだよ。それによく使われている大理石もね。加工しやすくてキレイだから、石像に使われているのー」
「じゃあ、私たちが今観ることができる石像も、花崗岩とか大理石なんですか?」
 そう、って智依さん。
「大体がそうだと思うな。まぁ他にもいろんな石材で作られてはいると思う。その石の色合いや石像の目的とかで様々だけどー。うん」
 智依さんが、どこか遠くを見るような目つきをする。
「石を切ったり彫ったりするのは機械や道具があれば簡単。難しいのはそこからどうやって作品を生み出していけるのか、ってところかな。石は硬いけれども、その中身は千差万別で、ここにノミを打って削ったのに、どうしてそっちが割れちゃうかな、なんてこともあるし」
「あるんですか」
「あるある。石は本当に全部違うの。同じ大理石でも中身はまったく違う。石の目を読むなんていうけど、そういうこともできないと、自由自在に石を彫っていくことはできないし、そんなことできるのはマジ天才しかいない。いや天才じゃないのかな。ある意味能力者」
 能力者。
「超能力みたいな」
「本当そう思うよ。でも、石の彫刻家は、それこそミケランジェロなんていう人たちは一体どんな能力を持っていたのかなって」
 そうかもしれない。私はもちろんそういうのを写真やテレビでしか観たことないけれども、とんでもないもんね。
「で、桔平くん。まさかこのスケッチを基にして九人の女神を等身大とか、大きい石像を彫ってほしいとか言わないよね? そんなのを作るとしたら、たぶん私がずっとそれに掛かりっきりになったとしても、三年、いや四年、五年、どころじゃないかも。下手したら十年って仕事になっちゃうよー?」
「だよねぇ」
 三年四年五年、そして十年。そんなに掛かるのか。いやでもそうですよね。ざっくり切るのは機械で切れるとしても、彫っていくのは手で彫っていくんですからね。
「これぐらいのね」
 智依さんがカウンターの上に置けるぐらいの大きさを手で示した。
「小さいものだったら、うん、頑張れば二、三ヶ月で素晴らしいものが作れるかなぁ。でも小さいと逆に難しいしなぁー。やっぱりその大きさでも一年見てもらわないと無理かなー」
「小さいと難しいんですか」
「ほら、人の形を彫っちゃうと、細い部分が折れちゃったりするでしょ? 石だから」
「あ、そうですね」
 そうだ。細いほど石は折れやすくなる。
「だから人の形を彫るならむしろ大きい方が助かるの」
「等身大の智依を彫るとしたら? 二年ぐらい?」
 智依さんがうーんって考えた。
「そうだねー。それに掛かりきりにさせてもらえるなら、面倒くさい服装とかなかったら、裸だったらまぁ一年でできるかなー」
 うん、って桔平さん、考えている。
「このスケッチはね、幻と言われている〈愛と美のムーサ〉っていう石像を描いたものなんだ。その石像はさっきも名前が出たけれど、ミケランジェロが十五世紀にローマにいた頃、聖母教会からの依頼で作ったものとされているけれど、確かじゃない」
「確かじゃないの?」
 千弥さん。
「全然確かじゃない。幻と言われているのは伊達じゃなくて、その石像が彫られたことがどうやら幾つかの歴史的な文書に残されてはいるんだけど、それが実際に飾られたという証拠が何もない。本当に幻なんだ」
「そうでしょうね」
 智依さんが言う。
「わたしも一応ミケランジェロについてはいろいろ勉強したけれども、〈愛と美のムーサ〉なんて聞いたこともないし、このスケッチを見るのも初めて」
 でも、ってディスプレイを見て少し微笑んだ。
「これをミケランジェロが作った、というのなら、少しは信憑性があるかも。そんな感じがするもの」
「え、待って。そんな幻のものならこのスケッチは誰が描いたの? 確かにさっきのスケッチ古そうな紙だったけど現代のものだったよね?」
 千弥さんが桔平さんの胸を指差した。
「そう、現代のものよ。その幻の〈愛と美のムーサ〉を見つけ出して、スケッチした人物が現代にいるの。誰とはまだ教えられないけれど。そして、あることがあって、〈愛と美のムーサ〉は現代において、本当に幻の存在になってしまったのよ」
 本当に幻の存在になった。
「本当に、現代になってから失われた存在になってしまったってことなんですね? 人知れずってことですか? そうじゃなきゃミケランジェロが作った石像が失われたなんて、スゴイニュースになりますよね?」
 その通り、って桔平さんが言って。
「何もかもが、人知れず終わってしまったのよ。ボクはね、向こうに住んでいてあることからそれを知ってね。いつかこの石像を甦らせてあげたいなぁ、って思っていたのよ。そうして日本に帰ってきたら」
 千弥智依さんを見た。
「〈おもちゃのチヤチエチャ〉があったんですね? それで」
 そうなの、って桔平さんが微笑みます。
「智依なら、この石像を作れるんじゃないかって直感したのね」
「いやー、でも」
 智依さん両手を挙げた。
「もしその話が本当なら、ミケランジェロが作ったものを甦らせるなんてものすごく光栄なことだけど、光栄過ぎて、そしてお金が掛かり過ぎて無理よ? 石を買うのだって遠くに行かなきゃならないし、どこに置くのか、いったいどれぐらいの時間を掛けられるのか。もう今の段階で問題が山積みよ?」
「うん、そうね」
 桔平さんがニコッと笑った。
「でも、ボク、石像で作ってくれ、なんて一言も言ってないわよ?」
 あれ?
「そうでしたっけ?」
「そうよ? 石像のスケッチとは言ったけれど、石像で作ってほしいなどとは言ってないわー。どこまで話が進むのかおもしろくて否定もしなかったけれど」
 わー、って千弥智依さん、おでこに手を当てちゃった。
「その通りだわー、言ってなかった」
「え、じゃあ桔平くん、わたしの得意な技術を生かして作ってほしいってこと?」
「そう」
「現代の技術を、科学の知恵を結集して駆使して、まるで本物の石像のような等身大のフィギュアで作ってもいいってことね?」
 桔平さんが大きく頷きます。
「3Dプリンターで作ったっていいのよ。もちろん昔ながらの方法で銅像とか、木像とか、そして石像でも全然構わないけれど、今、作るんなら今の技術を駆使して作った方がおもしろいじゃないの」
 それは、スゴイです。
「3Dプリンターで等身大のものは作れるんですよね?」
 訊いたら、千弥智依さんは同時に頷いた。
「できるわよ。もちろんうちにそんなマシンはないけれども、あるところにはある。しっかり凄いものが作れるわ」
「等身大どころか、やりようによってはもっと大きいのも作れるしー」
 でも、って智依さんが桔平さんを見た。
「置く場所、大きさ、そういうのがはっきりわからないと、デザインも何もできないわー。どこを考えているの? そして予算は? 思いっきりお金が掛かっちゃうよ?」
 そうでした。予算。きっと一体の等身大のフィギュアを作るだけでものすごいお金が掛かるのに、それを九体分なんて。
 桔平さんが、うん、って頷いた。
「それについては、外、ってことだけ教えておく」
「外ね? 雨風は?」
「状況によっては屋根付きは考えられると思う。ただ、大きさが大きさなので全体を覆うような、たとえば、そこにある〈海の将軍〉みたいにさ、アクリルケースっていうのはちょっとキツイかなと思うけれど」
 あ、三丁目の真ん中にある石像。マルイーズ・ブルメルさんが作ったと書いてある〈海の将軍〉。〈花咲小路商店街〉にある三つの石像はどれも一体ずつだから、アクリルケースっていうのに入っているものね。あれが九体も並んだら。
「とんでもなく大きなアクリルケースを作らなきゃならないですものね」
「そういうこと。むしろ予算を掛けられるなら、強化ガラスでブースを作っちゃった方がよくなっちゃうかもね」
 そうか、よく美術館とか博物館にあるようなケースですね。
「っていうことは、予算もまずは度外視ってことねー。それでもうデザインとかは始めちゃっていいってことかな? 外に置くってことはいろいろ研究しなきゃならないから、まずはこのスケッチを基にして、どうやればいいかのデザインを考えなきゃならないかなー」
「いいわ。むしろお願い。仮にもしボクの中にあるこの計画みたいなものがダメになっちゃっても、デザイン料とかはちゃんとお支払いしますから」
 うん、って智依さんが頷いて、千弥さんと顔を見合わせた。
「それで? 桔平くん」
「どんなことを考えているの? 前に言っていたよね? 瑠夏ちゃんやすばるちゃん、商店街の若者たちにも相談したいことがあるって。この〈ムーサ〉の石像作りは、その相談したいことの一環なんでしょう?」
 千弥さん。
 そうだ、前にそう言っていたっけ。すっかり忘れていたけれど。桔平さんが、小さく顎を動かした。
「さっき樹里ちゃんが来ていたようだけど、前に、昔の〈花咲小路商店街〉の写真を〈久坂寫眞館〉の重さんに頼んで集めてもらうって言っていたわよね。それはもうそこに? ひょっとして樹里さん持ってきた?」
 あ、確かに。
「そうよー。これ、持ってきてもらったから。この後に全部スキャンして取り込む予定だけど」
「それ、ちょっと見せてもらえる? 昔の〈四丁目〉のだけでもいいわ」
 四丁目だけ。
 オッケーって智依さんが袋から取り出す。
 昔の四丁目のことは、もちろん私は何も知らない。飲み屋街があったっていうのもさっき樹里さんから聞いて初めて知ったし。
「この辺ねー。いろいろたくさんある。本当に〈久坂寫眞館〉は凄いわよね。ここにあるものだけでも、3D化してモデリングしていったら、当時の四丁目は全部作れちゃうかもしれない」
 そうだね、って言いながら桔平さんが写真を見ていって。
「あぁ、これが昔の〈矢車家〉だ。セイさんが住んでいた、そのまま住むはずだった家だよ。凄いだろ? 日本家屋で」
「あ、やっぱりそうだったのね」
「これが全部火事で焼けてしまって、その跡地に建ったのが〈マンション矢車〉だよ。まぁボクも話でしか聞いていないんだけど。その他にもあるね。飲み屋街とか、食堂とか、これは古本屋だよね」
「えー、昔はそんなのあったんだ」
「まだ他にもいろいろあった。喫茶店もあったし、酒屋さんも。〈花咲小路商店街〉の四丁目はかなりバラエティに富んでいて、それこそ昼の顔も夜の顔も、今の商店街にはあまりないものがたくさんあったんだよ」
 そんな感じです。
「今は、ほとんどお店はないものね」
「ないんだ。かろうじて〈万屋洋装店〉と〈轟クリーニング店〉、そして裏側にはラーメン屋の〈味源〉があるけれども、商店街側にはそれしかない」
「〈マンション矢車〉があって、あとはアパートがあるわね」
「空いた土地もあるわよね。だから本当に淋しい場所になっちゃってる」
「交番があるからいいけれどね。もしも交番、あ、あそこは駐在所か。それがなかったら一気に治安が悪くなっているような感じだよね」
 そうかもしれないです。私たちが小さい頃は空き地も多い四丁目で、特に男の子なんかは虫取りもしていた。
 キリギリスとかたくさん鳴いていたし。
「どうしてああいうふうに何も建たないのかは、私たちはよく知らないんだけど、桔平くんは知ってる?」
「権利関係かな。火事が起こって幸いにも死者はまったく出なかったんだけれど、もうそこに新しく店を出したり家を建てたりする余裕がない人がほとんどだったらしくてね。長屋の飲み屋街なんて全部消えちゃったみたいだったし。それで、その後の土地の権利関係とかがこんがらがっちゃって今に至る、って感じみたいね。うちの父が言っていたわ。有能な人が入って整理してくれれば、きっと何とかなると思うんだけどねって」
 そういう土地関係に詳しい人がですね。弁護士さんとかいろいろ。
「それでね」
 桔平さんが、私を見た。
「前に聞いたけど、すばるちゃんなんかは別にずっと〈カーポートウィート〉をやらなくてもいいんでしょう? まだ若いんだから、将来は別の仕事をやってもいいって」
「そうですね」
 それはもう高校卒業してあそこの社長になってからもずっと言ってる。お義父さんも言ってます。
「まぁ大学に行っても良かったんですけれど、本人はやりたいことも何も見つかっていないのに何を勉強していいかもわかんないから行かないって」
「そうだよね。そういうふうに考えられるだけ、すばるちゃんはしっかりしているわよね」
「瑠夏ちゃんもそうなんでしょう? 質屋さんを継いでもいいんだけれど、他の道を進んでもいいんだって」
 それも、そうです。私の場合は継いでもいいので、継ぐ気満々で高校卒業して就職も進学もしなかったんですけれど。
「ボクね、ずっと革職人として外国のあちこちで暮らしていて、そのうちに日本に帰ってきて自分の何かを作りたいって思っていたのよ」
「何かって、お店とか?」
 千弥さんが訊くと、桔平さんはちょっと首を捻った。
「ボクは職人だからね。お店は持たなくても製品をどこかに置いてもらえればそれで済むことだから。それに、帰ってくるのはここしかなくて、ここには〈白銀皮革店〉があるから、被っちゃうしね」
 今も、〈白銀皮革店〉には桔平さんの作った革製品が、財布とかバッグとかいろいろ置いてありますもんね。
 すっごくいいものばかり。革製品だからちょっと高くて私には手の届かないものも多いんだけれど、そのうちに桔平さんの作ったお財布とか買いたいなって思ってる。すばるちゃんが誕生日プレゼントに買ってくれないかな、とか。
「だから、もしもここで何か作れるとしたら、できるとしたなら、四丁目を復活させることかなって」
「復活?」
「四丁目を?」
〈花咲小路商店街〉の四丁目を。
「それは、どういう意味合いで?」
 桔平さんが、ちょっと唇を引き結んだ。
「海外とかで暮らすとさ、いや日本にももちろんあると思うんだけど、町の中にその町の人たちが集う場所が必ずあるんだ。そしてそこを中心にして、お店とかいろんなものが集まってきて、町以外の人たちもやってきて賑わう場所。あるいは、そこが住居だったとしてもひとつのコミュニティみたいなものが出来上がっていて、そこに来れば町の皆が誰でもわかるような場所」
 コミュニティ。町の中心。
「たとえばだけれど、四丁目の〈万屋洋装店〉の隣がずらりと空いているよね? あそこに二階建ての長い建物があって、そこの二階は住居になっていて、一階はそこの住人がやっているお店。喫茶店でもいいし、パン屋でもいい、あるいは何かの教室でもいいし、コインランドリーでもいいかもしれない。誰かがコインランドリーにやってきて、洗っている間にそこでコーヒーを飲んで、何かの教室で何かを習って、そして洗濯を終えて帰って行く。町の情報が全部そこでわかるようなものがあれば、そこで連絡を取り合ったりする。そんな場所があったら、どうだろう。若者たちが、自分たちの新しい商売を始められるような、言ってみれば〈花咲長屋〉」
〈花咲長屋〉
 それは、確か消えてしまった飲み屋街だったところの名前。
「そもそも長屋っていうのは住居のことだからね。江戸時代なんかはその長屋の表側には必ず何かの商売をやってるお店があったぐらいだ」
 千弥智依さんが、目を輝かせている。
「わかった!」
 千弥さん。
「桔平くんは、その計画の目玉としてこの!」
 ディスプレイを指差した。
「〈愛と美のムーサ〉の像を、四丁目の真ん中に置こうと思ってるのね? かのミケランジェロが作ったという幻の像を甦らせようと!」
 桔平さんが、ちょっと笑って頷きました。
「まぁ、そういうことになっちゃうよね」
「そして、あれなのね? 若い皆に協力してほしいっていうのは、そこの長屋で〈花咲小路商店街〉をもっと盛り上げるために、四丁目を復活させるために、何か商売を、あるいはやることを考えてほしいってことなんでしょ」
「そういうこと。もちろん考えるだけじゃなくて、自分たちでやってほしいんだけれど」
「私にも?」
 自分を指差しちゃった。桔平さんが笑って。
「強制じゃないよ? あくまでも若者たちの新しい考え方やアイデアで一緒に考えてほしいっていうお願いと、もちろん自分たちでやる新しい商売を考えていいんだってこと。瑠夏ちゃんにも、すばるちゃんにもね」
 すばるちゃんと。
 新しい商売。新しい四丁目の〈花咲小路商店街〉。
「〈おもちゃのチヤチエチャ〉にはもちろん、〈ムーサ〉もそうだけれど、新しい四丁目のデザインとか、3DCGでモデリングして、指針を作ってほしい、ていうのもある。そして、今から作ろうとしている〈花咲小路商店街〉のジオラマも、この計画には大いに有効かなって。いろんな意味で」
 千弥智依さんが、グッ、って二人で同時に拳を握った。
「有効よ! 大いに有効。でもね、桔平くん」
「その計画には大賛成だし、ものすごくいいアイデアだと思う。わたしたちも絶対に参加したい。でもねー、でもねー、大いなる課題、懸案事項があるよねー?」
 課題。懸案事項。
 桔平さんも頷いた。
「お金だね。予算」
 そうだった。ものすごくお金の掛かる話なんだ。
「もちろん、夢の話で終わらせるつもりはまったくないよ。〈ムーサ〉の詳細についてもそうだけど、まだ話せない部分ではあるんだけど」
 一度言葉を切った。
「心配はしなくていい、とは言っておこうかな。ある程度の目処はついているんだって。そして、この話は全部、まだ内緒にしておいてほしい。あ、すばるちゃんには話していいよ」
「いいんですね?」
「いいよ。内緒にしておくのはね」
 外を見ました。
「〈花咲小路商店街〉全ての皆さんにかかわる話になっちゃうからさ。実現するためには、ものすごーく、ものすごーく、根回しとか裏工作とか、大人の話が山ほどになっちゃうんだ」
 そうなりますか。そうですよね。
「商店街の皆は仲が良いですけれど、商売の話ですもんね」
「そういうことです」

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