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第1回

僕たちの幕が上がる

 四月二十日。東京都新宿区。

 朝方の外歩きにも、長袖の服はいらなくなってきた季節。

 二藤(にふじ)(まさる)はサングラスをかけ、帽子を目深にかぶり、雑踏の中を歩いていた。

 新宿はきらびやかな街である。会社員や学生たちが行き来する街には、どこを見ても華やかな広告が乱舞している。新作のスニーカー、金融業、エステ、新しく始まる芝居。

 その広告に付随して、タレントたちが無尽蔵な笑顔を振りまいていた。

「………………」

 勝はそれらの笑顔を確かめるように眺めてから、道を急いだ。出社中である。

 芸能プロダクション、(あか)(がし)マネジメント会社。

 二十四歳の俳優である勝の、所属会社であった。

「おはようございます!」

 無数のチラシと、目隠しのすりガラス板の置かれた入り口で、勝は挨拶をした。おはよう、おはようございます、と声が返ってくる。

「二藤さん、会議室です」

「会議室? マネージャーさん、そこで待ってるんですか」

「はい。社長もいます」

「……社長?」

 十分後。

 二藤勝は混乱していた。

 がらんとした事務所の会議室は、タレント個人とマネージャーのやりとりの場としても使われているので、その広さや無機質さに戸惑っているわけではない。だが今回は、マネージャーだけではなく、社長もいる。これもまた初めてではなかったが、二人の表情がおかしかった。『大きなスポーツウェア会社の広告の仕事が決まった』とか、『再現ドラマの主役をもらった』などの、晴れがましいニュースを伝える顔ではない。

 二人も混乱しているようだった。

「あの……何なんですか」

 勝が問いかけると、口を開いたのは社長だった。四十代で芸能事務所を立ち上げた辣腕で、勝のことを息子のようにかわいがってくれている。

「落ち着いて聞いてほしい」

「はい」

(かがみ)()カイトを知っているか」

 突然の名前に、しばらく考え込んでから、ああ、と勝は手を叩いた。

「話題の演出家。すごく若い」

「そうだ。舞台演劇の脚本演出を手掛ける、まあ、才人だな。今年で二十四だから、お前と同い年のはずだ」

「そうだったんですね。その人が何か?」

 社長は黙り込み、ちらりとマネージャーを見た。おとといが三十六歳の誕生日だった女性マネージャーは、膝の上で拳を握っていた。

「勝さん。あなたにオファーが来たんです」

「……鏡谷カイトさんから?」

「はい」

 頷いたマネージャーの前で、勝は笑った。なんとなく浮かんできた表情だった。

「鏡谷さんがテレビの仕事をするから、俺に依頼を、ってことですか?」

「そうではなく、あなたを舞台で使いたいのだそうです」

「…………俺、舞台は未経験ですけど」

「主役で」

「は?」

 そうよね、あるいは、そうだよね、という相槌を想定していた勝の前で、マネージャーの言葉は予想の斜め上をかっとんでいった。

 主役。

 主役とは? 何の?

「えっ、舞台で、俺を? 使いたいって話なんですか? 主役で?」

 何かの間違いではないんですかと、勝は問い返せなかった。社長とマネージャーの顔に、冗談の色がなかったからである。

 血液の沸騰する音と、血の気の引く音が、体の中から同時に聞こえた気がした。

「こういう企画書が送られてきた」

「……拝見します」

作品名 百夜之夢(ももよのゆめ)

企画  百夜之夢製作委員会(主催 KPPプロデュース)

作・演出  鏡谷カイト

期間  十月十七日〜二十八日 渋谷プリズム大ホール

    計 十五公演

概要   戦乱の世の果ての果て。跋扈(ばっこ)する野武士に、農民が略奪に怯える世。農民の(もも)は、野武士の頭領に見いだされ、野武士として生きることを余儀なくされる。戦いに明け暮れる中で、自分の本当の望みを見つけた百が、最期に見届ける夢とは─。

「…………」

 時代劇、それもチャンバラ活劇であるようだった。勝は舞台を想像した。話の運びはシリアスだが、絵面は華やか、エンターテインメント性の高いもの。主人公である百は、おそらく最初から最後まで舞台の上に出たままで、チャンバラに明け暮れ、演技を披露しなければならない。

「……この、『百』役のオーディションがあって、それを受けろって話ですか?」

「違う。決め打ちなんだ。お前にオファーが来たんだよ。二枚目も読め」

 勝は無言でコピー用紙を受け取った。社外秘、の文字が紙の上端にでかでかと書かれている。

 日々益々ご清栄のことと存じます。さて今回の企画『百夜之夢』において、貴事務所所属俳優 二藤勝様 に、主役の 百 役をつとめていただくことを強く希望しています。『海のもりびと☆オーシャンセイバー』の主役オーシャンブルー役で、力強く躍動し、生き生きとした魅力をふりまいていた二藤様にぴったりの役柄です。模擬刀を用いたアンサンブルとの剣劇シーンも、過去剣道部の主将であった二藤様であれば─

 そこで勝の目は泳いだ。どうした、という顔をする社長の前で、勝は目を大きく開いて笑って見せた。

「うおー! めちゃめちゃ俺のこと調べてますね、この人」

「当たり前だ。だからオファーが来たんだろう」

 社長は相変わらず、静かな目で勝を見つめていた。

「受けるか」

「…………」

「勝さん、私は断ってもいいと思っています。どういった事情で勝さんにオファーが入ったのか、私たちはまだ把握できていないのですが、大きな仕事になることは確かです。あなたにとっては久しぶりの仕事が、大舞台の主演ということになります」

「まあ……そうですね」

「ハイリスクです」

 言われるまでもないことだった。そしてハイリスクとは、ハイリターンの裏返しである。

 話題の脚本・演出家の舞台で主役。渋谷の大劇場で十五回の公演。客入りの良さそうなエンターテインメント。勝の得意な剣劇。しかも決め打ち。

 破格にもほどがあるオファーに、勝は笑った。笑うしかなかった。

「……社長、確認させてほしいんですけど、これって何かバーターがあるんですか?」

「バーター? たとえば」

「俺がこの役を受けると、代わりに他の俳優さんに何か……役が来なくなったりとか」

「そりゃ『バーター』じゃない。ただの『適者生存』だ。バーターっていうのは、『人気のAを出演させるかわりに若手のBもねじこませてください』ってやり方のことだ。事務所が相手方に売り込む時のやり方で、今回のオファーとは関係ない」

「……そうなんですね」

「オファーがあったのはお前だけだよ。もちろんその他の俳優に不利になるようなことも、何もない」

 社長の言葉に合わせて、勝は何度も頷いた。

 そして最後に、にかっと笑った。

「了解しました。じゃ、もう、受けるしかないですね」

「アクションの仕事だぞ」

「大丈夫ですよ。俺、アクション俳優だし。ほんとに大丈夫ですから」

「………………でもな」

「それに、こんなに条件のいい仕事を断って、まだ俺に仕事が来ると思いますか」

 社長は黙り込んだ。

 勝には社長が言いたがっていることが痛いほどわかったし、気遣いは泣きたいほど嬉しかった。しかし現実問題として、人材の有り余っている芸能界は、『二度目のチャンス』の少ない業界である。一度しくじった人間には、それなりに厳しい。

 勝のように。

 マネージャーは厳しい顔をしていた。勝が途中で尻尾を巻いて逃げてしまった場合のカバーリングを考えているのかもしれないと勝は思った。

 部屋の中に漂う不安の黒雲を晴らすように、勝は晴れやかな笑みを浮かべた。

「やります。精一杯頑張りますので、お返事の方、よろしくお願いします! 詳細が送られてきたら連絡ください。事務所に取りに来ます」

 深く一礼し、勝が顔を上げた時、社長とマネージャーはまだ不安そうな顔をしていた。ファンタジー映画に出てくる、先の見えない冒険の旅に息子を送り出す両親のようだと、勝は少し笑い、会議室を出た。冒険の旅に出るのは主人公、主役の役どころである。まさしく今回の勝の役だった。

 何が起こるかわからない旅であっても、最後には宝をつかみ取る。

 勝は拳を握りしめた。

 自分もまた、そうでなければならなかった。

 何故なら自分は『大成』しなければならないのだから─。

 テレビの仕事であっても、舞台の仕事であっても、関係者が最初に集まるのは『顔

合わせ』と呼ばれる日のことである。だが今回は事情が事情であるため、鏡谷カイト

はじきじきに、顔合わせの前に勝と対面する日時を指定してきた。

 場所は喫茶店などではなく、新宿のさびれた場所にあるフリースペースだった。

 現在鏡谷カイトが手掛けている演劇作品の稽古が行われている場所だという。

「忙しいのに時間を作ってくれたんだな。ありがたい」

「他にもたくさん俳優の方がいると思いますので、最初、私は挨拶まわりをします。その間、勝さんは鏡谷さんと二人でお話する方向で大丈夫ですか」

「了解です。でも怖い人だったらどうしよう、あはは」

「ハラスメント案件への対応はマネージャーの仕事です。安心してください」

「いや、そこまで心配してるわけじゃありませんよ」

『スペースぽっぽ』と書かれた、ビルテナントの二階は、いかにも芝居人が仕事をしていそうな、狭くて汚い階段をあがった場所だった。肩をすりつけながら歩く壁には、いろいろな劇団の公演案内が所せましと張り付けられている。勝には全てが新鮮だったが、いちいち驚いている素振りを見せて、マネージャーに心配をかけたくない。

 何しろ勝は主役である。

 気鋭の脚本家が決め打ちをした、世界にたった一人の俳優である。

 悠然と構えていたかった。

 案内係に扉をあけられると、二十畳ほどのスペースが広がっていた。床は黒く、粘着テープの跡だらけで、壁は一面だけが鏡張り、あとは灰色の吸音タイルだった。

 テープの張られた床の上を、俳優たちが転げまわっている。

 これは何なんですかとマネージャーが目くばせをすると、二人を稽古場にいれてくれた見張り役のような男性スタッフは、これ、と台本を提示して見せた。タイトルは『(ゲート)』。新人戯曲家の登竜門と呼ばれる若竹賞を受賞した、鏡谷カイトの代表作だった。

 スペースの中央、パイプ椅子に腰かけている。

 稽古している場面が終わるまで、十五分ほど待ってから、鏡谷カイトは開いた台本に手をうちつけ、パンと乾いた音を立てた。『ひとまずここまで』の合図である。

『役』に入り込んでいた役者たちが『人間』に戻り、床の上にどっかりと座り込む。

 いきましょう、とマネージャーが勝に耳打ちした。

 カイトは扉の前から一歩踏み出し、大きな声で挨拶した。

「こんにちは! 二藤勝です。失礼しますッ」

 ほぼ直角の礼を、勝は三方向に繰り返した。少し笑いが起こったので、勝は嬉しくなった。笑ってもらえると安心した。マネージャーに促されるまま、勝は鏡谷カイトに歩み寄った。量販店で売っていそうな冴えないトレーナーにスウェット、緑色の太縁の眼鏡。勝よりも十歳は年上に見えそうな服装の中で、くたびれて、ほの白い肌の顔立ちだけが幼い。スウェットの下の体つきは、ひょろりとした痩せ型である。公立図書館の片隅で課題に明け暮れている大学生のような雰囲気だった。

 口火を切ったのはマネージャーだった。

「鏡谷さん。こんにちは。赤樫マネジメントの豊田(とよだ)です。こちら当プロダクションの俳優、二藤勝です」

「こんにちはッ!」

 勝は再び頭を下げた。鏡谷カイトは笑っていた。笑っているように見えた。本当に笑っているのだろうかと思う前に、勝は鏡谷カイトと握手をしていた。

「二藤さん。こんにちは。鏡谷カイトです」

「二藤勝です。よろしくおね…………が…………?」

「ああ、思い出したか」

 ひとりごちた『鏡谷カイト』は、いびつな、恐らくは微笑みなのであろう表情を浮かべながら、勝とマネージャーを見ていた。

 その表情に、既視感があった。

 数日、数か月前ではなく、もっと前に。

 脚本家は勝の手を握ったまま、マネージャーに向かって喋った。

「僕と勝さんは、同じ高校に通っていたんです。僕の筆名は『鏡谷カイト』だけど、本名は蒲田(かまた)海斗(かいと)ですよ」

「……蒲田って、あの蒲田?」

「そう、あの蒲田」

 気鋭の脚本家はもう一度、不気味な顔で微笑んだ。常に勝の防壁でいてくれるマネージャーは、穏やかな表情をぴくりとも動かさなかったが、勝自身は絶句していた。

 蒲田海斗。

「おひさしぶりです、勝さん。よろしくお願いします」

 礼をする男の名前から勝が想像するのは、壮絶な『けんか』─もとい『いじめ』に満ちた高校生活を送り、無視をされあだ名を付けられ、男子トイレの個室にとじこめられていた、仏頂面の少年のことだった。

「いやあ申し訳ない。今日はこれから会見があるので、車の中でお話させてください。時間がなくて本当に申し訳ない」

 鏡谷カイトとの驚きの『再会』の後、勝とマネージャーの前にやってきたのは、稽古場の扉をあけてくれた見張り役の男性だった。名刺を渡された勝は、彼が見張り役ではなく、『百夜之夢製作委員会』の主幹たる大手プロダクション、KPPのプロデューサーであったことを知った。プロデューサーなんて何でも屋ですからねと男性は笑い、清見(きよみ)晴彦(はるひこ)と名乗った。国費留学によってイギリスの演劇研修から帰国した鏡谷カイトを見出し、『門』を始めとする興行をうち、見事に成功させた立役者である。

 鏡谷カイトが多忙であることを、清見は無邪気に喜んでおり、勝とマネージャーとカイトを地下駐車場に連れて行き、バンに乗せて車を動かした。会見のあるホテルは、車で三十分ほどの距離だという。

「念のためお断りしておきますが、会見に勝さんを引っ張り出そうと思っているわけじゃありませんよ。出演者の発表はもう少し後のタイミングですからね。ああでも、その気があるなら乱入してくださっても構いませんがね。面白くなりそうだ」

 ははは、と清見は笑った。マネージャーは作り笑いをしていた。

 前後三つずつの椅子が向かい合った後部座席で、カイトと勝は正対していた。マネージャーは勝の隣に控えている。

 膝の触れ合う距離で、鏡谷カイトは勝の目を見ていた。眼鏡ごしに見る、まっすぐに自分を見据えてくる目と、いつも周囲の全てを威嚇していた高校生が、勝の中では一致しなかった。

 癖なのか、稽古場と同じように上半身を前傾させ、勝を上目に見ながら、カイトは喋った。

「たぶん、一番気になっているのは、『何故自分なのか?』ですよね」

 勝が頷くと、カイトはいびつな表情を浮かべた。これは微笑み、と勝は自分を納得させた。人間の形をした宇宙人とコンタクトをとっているようだった。

「まず第一の理由は、一年前の『オーシャンブルー』役を見て、です。テレビの仕事と舞台の仕事は、確かに細部は異なりますが、大きな意味では同じです。オーシャンソードを使っての殺陣(たて)も、ご自身で演じていらしたと聞きました。オーシャンブルー、とても素晴らしかったです」

 勝とマネージャーは揃って一礼し、感謝の意を伝えた。

 鏡谷カイトはこの一年で流星の如く現れた若手である。マネージャーの情報によると、勝が主演していた朝の子ども番組が放送されていたのは、国費留学でイギリスの演劇学校に通い、みっちりと勉強していた時期と重なっている。リアルタイムではなく配信で見てくれたんでしょうね、という豊田の言葉に、勝は少し救われた。実際の放送以降も、自分の携わったコンテンツが人目に触れているということが純粋に嬉しかった。

 勝は、『オーシャンブルー』役以降、狭義の『演技の仕事』を受けていない。

 この一年間にこなした役は、CMが二本に、国内スポーツブランドのイメージキャラクター、あとはアクションを伴わない再現ドラマ数本のみだった。狭義のドラマの仕事はない。

 受けなかったのである。

 オファーはあったが、勝の側に事情があった。

 鏡谷カイトは眼鏡の後ろからじっと勝を見ていた。

「二つ目の理由は、今回の僕の戯曲の主人公、『百』が、あなたにぴったりだと思ったからです」

「それは、オーシャンブルーを演じた二藤を見てのお話ですか? それとも、高校時代の二藤の記憶を参照してのお話ですか?」

 豊田の質問に、鏡谷カイトはしばらく黙り、なかなか答えなかった。安直な答えを返すタイプではないのだなと、勝は新しい上司の癖をさぐるように思った。

「…………うまく説明できる自信がありませんが、最も大きな理由はエンターテイナー精神です。人々の期待に応えようとする意気に、百を感じました」

「…………」

 それは芸能人であれば誰しもが持ち合わせているものではないのか、と勝は尋ねられなかった。あまりに卑屈な問いだと思ったし、そもそもカイトは口を挟ませようとしていなかった。

「決め打ちの理由には弱いと思われるかもしれませんが、僕には、あなたが適任だと確信する理由があります。一緒に芝居を作り上げる人間として、勝さん、どうぞよろしくお願いします」

 建て前未満のような言葉だった。そういうことではなく、何故自分を選んでくれたのかという具体的な理由が勝はほしかった。

 だがそう尋ねる前に、車は目的地に到着してしまった。テレビ局の所有しているホテルの地下駐車場らしき場所である。

「カイト、出番だ」

「わかりました」

「スタイリストさんがついてくれてよかったねえ。そのまま出ていったら、配信動画に『寝起き?』ってコメントが飛びそうだ」

「はあ」

 あれよあれよという間に、清見とカイトは数名の警備員に何かのパスを見せ、四人は警備員に囲まれるようにビルの中へと案内された。

 宴会場のような一階ホールまでやってきたところで、清見とカイトは場を辞していった。

「……忙しいんだなあ」

「もう少しお話をうかがいたかったですね」

 勝はうんと頷いたものの、テレビマンのスケジュールが分刻みであることは、過去経験した連日の収録で痛いほどわかっていた。清見プロデューサーには他の仕事の案件もあるだろうし、カイトはまず公演間近の『門』の仕上げをしてしまいたいはずである。秋の舞台の優先順位は、まだまだ低くて当然だった。

 それにしても。

「…………蒲田……あいつが蒲田か」

「高校時代のお友達だったのは初耳でした。どんな人だったんですか」

「いや、友達っていうか……」

 勝は言葉を濁した。

 二人が過ごしたのは、どこにでもある都立高校だった。特に芸術に特化したカリキュラムがあるわけでもない、平凡な学校である。当時から「絶対に芸能界に入って俳優になる」と公言していた二藤勝は、それなりの人気者で、二年生から三年生に至るまで生徒会長をつとめていた。剣道部の主将も兼任していたため、そこそこ多忙な高校生活であった。

 同時期、蒲田海斗はいじめを受けていた。

 たとえ本人がそうと認めないとしても、あれはいじめだったと、勝は認識していた。

「勝さん? どうかしましたか」

「いえ、何でもないです。その……『知人』、くらいでした。喋ったことも、あまり、なかったし」

「そうですか」

 頷いた後、マネージャーは辺りを見回し、すみませんがと断って、小走りにトイレに向かっていった。

 手持ち無沙汰になった勝は、壁にもたれてスマホを開いた。通知はない。この一年間、ほとんど友人たちと交流を持たない生活をしていたため、メッセージが入ってくるあてもなかった。

 一分ほど経つと記者会見が始まったらしく、バチバチというフラッシュと、拍手の音が聞こえてくる。壁ごしに聞こえるくぐもった音声は、清見プロデューサーの声に似ていた。

 勝は少し歩いて、記者会見場になっている宴会場の入り口を見た。

 既に扉は閉ざされているので、記者に見つかる可能性はない。

『鏡谷カイト新作発表、百夜之夢』と書かれたA3の看板が、巨大なウェルカムボードのように掲げられている。

 この中にいるのは、少なくとも多少は、鏡谷カイトの新作に期待をしている人々であるはずだった。そしていずれ舞台の主演が二藤勝であることを知る人々だった。その時彼らが何を思うのかと考え、勝はふと目の前が真っ白になった気がした。

 新作演劇は、時代劇アクション。

 殺陣のある芝居。

「………………」

 大丈夫、絶対にできる、何故なら自分は『大成』しなければならないのだからと、内心勝が独り言ちた時。

 スーツ姿の中年の男が二人、早口に喋りながら、勝の前を通り過ぎていった。

「まったく、どうしてあんなおもちゃの商材みたいな男を主演に」

「まあ、最近のヒーローおもちゃは馬鹿になりませんから」

「馬鹿にされているのは私たちだよ。本来ならうちの事務所の……」

「あの若い脚本家の強い希望だったそうですから……」

「交換条件としてこの公演が……」

 勝が立ち尽くしている間に、男たちはずんずんと歩いてゆき、声は聞こえなくなった。

 そのまま三十秒ほどかたまっているうち、マネージャーが戻ってきた。

「お待たせしてしまってすみません。どうします、もう十一時半ですから、何か食べましょうか」

「そうですね。じゃあ行きましょう」

 トイレから戻ってきたマネージャーと共に、勝は宴会場を振り向きつつ、毛足の長い赤絨毯を踏みつけ、ホテルを後にした。

「大丈夫ですか?」

「……え、なんでですか?」

「何か考えているみたいに見えたので」

「いやあ別に、何でもないですよ」

 勝は笑った。からっぽのペットボトルにはられたラベルのような笑顔だなと、むかいのビルのウィンドウに顔が映った瞬間、少し思った。

 その後カフェで遅い昼食をとり、マネージャーに送り届けられ、一人暮らしのアパートに戻り。

 勝はベッドの上に仰向けになって、自分が耳にした言葉の意味を考えた。ポーズを決めるオーシャンブルーや、アクションスターのポスターに囲まれて。

「………………」

 おもちゃの商材。ヒーローおもちゃ。

 誰か別人のことだと思えるほど、勝は無神経ではなかった。

 二藤勝が主演に決まったことはまだオフレコではあるものの、ある程度知れ渡っているのだなと、勝は冷えた心の隅で思考した。演技が大根であるとか、アクションが下手であるとか、そういった陰口を叩かれることには慣れていたし、芸能界に入ると決めた高校生の時から、何とも思わないように訓練してきたことだった。

 だが。

『本来ならうちの事務所の』。

『脚本家の強い希望だったそうで』。

『交換条件として』。

 勝は考えた。

 断片的な情報を総合すると、二藤勝の主演抜擢には障害が、それでなくても競合相手がいたようだった。しかし鏡谷カイトたっての希望で、勝を主演に据えることになった。

 そして希望を叶えることと引き換えに、鏡谷カイトは何らかの条件を呑んだ─。

 どうしてそこまで、というのが勝の正直な気持ちだった。

 勝は二十四歳である。今一番フレッシュな若手というわけでもない。舞台の経験もない。引く手あまたというにはブランクが長い。

 それでも勝を使いたい理由とは何か。

「……同じ高校のよしみ? いやいやいや、ありえない」

 そもそも勝は、蒲田海斗には負い目があった。生徒会長であったのに、いじめられている海斗を助けることができなかった人間である。自分が彼の立場であったら、そんな人間、顔を見るのも嫌だと思っても不思議ではなかった。

 にもかかわらず、他の誰にもオーダーせず、勝だけに主役をオファーしたのは何故か。

 わかるはずもなかった。

「……もうちょっと話せたらよかったんだけどな」

 勝は車の中での短い対話を思い出していた。

 雄弁ではなかったものの、カイトは確かに言っていた。

『確信する理由がある』と。

 もしそんなものがあるとするのなら、それを一番知りたいのは勝だった。

 過去一年間、演技の仕事はほとんどなし。事情があってオーディションも受けられなかった。アパレルのモデル仕事も、来期も継続などという話はなく、単発の仕事で終わろうとしている。オーシャンセイバーの放送中には隆盛を極めたファンコミュニティも、今やほとんど枯れかけているらしい。応援相手が、ろくに活動していないのだから当然である。既に世間の『そういえばそんな人もいた』枠になりかけて久しい。

デビュー以降、仕事を継続してゆくことが要の役者には致命的である。

 勝はしみじみと、自分が今や役者としての断崖に立たされていることを実感した。

自分自身に追い詰められ、いつの間にかたどりついてしまった場所だった。

 崖際に踏みとどまり、再び大きな道に戻ることができるかどうか。

 鏡谷カイトとの仕事には、勝の未来のほとんど全てが賭けられていた。

「……それが舞台か」

 思い浮かぶのは困難なことばかりだった。一発本番。膨大な台詞の暗記。テレビとは異なるボディコントロール。チャンバラのための筋力増強。共演者や演出との人間関係。

 共演者に怪我をさせる可能性。

「………大丈夫だ。やってやる。やってやるさ。問題ない。俺は問題ない。やれる」

 勝は目を閉じ、胸に手を当て、自分自身に言い聞かせる呪文を唱え続けた。

 やれる。

 やりとげてみせる、と。

 何故なら勝は役者として『大成しなければならない』のだから――。

  

 

※この続きは11月5日頃発売の『僕たちの幕が上がる』でぜひお楽しみください!

詳細はコチラ▼

https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8111323.html

Profile

著者:辻村七子

神奈川県出身。2014年度ロマン大賞受賞。著書に『宝石商リチャード氏の謎鑑定』『忘れじのK』『螺旋時空のラビリンス』(すべて集英社オレンジ文庫)など。

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