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第13回

撮らなければいけないもの

 二日目の夜。

〈花咲長屋〉のお店を全部回って、そして常連さんとかの写真もほとんど撮り終わって、

〈矢車家〉に私と重さんが泊まるのは今夜で終わり。

 いくら何でも写真を撮るためだけに三日も連続で泊まるのは厚かましいし、何よりも火事の後に怪しまれてしまうかもしれない。

 三日三晩も泊まっていったあの二人は何者なんだって。

 あの二人が去った後に火事は起きたんだよなって。きっと私がその場にいたとしても、そんなふうに思ってしまうかもしれない。そして、その後にいろいろ調べられたらこんな二人は存在しないことはわかってしまうんだ。

 まぁ現実には私たちのことは、イギリスから戻ってきたセイさんが知らなかったんだからそんなふうにはならないとわかっているんだけど、用心するに越したことはないんだ。

 今夜までなら、〈花咲長屋〉の様子を全部撮影したいっていうスケジュールで許されるというか、誰も何も疑わないと思う。

 これだけ長屋にはお店があるんだから、そりゃあ撮影するのに二晩ぐらいはかかるよなって。全部のお店を撮り終わって、明日になって、ありがとうございましたそれじゃあ行ってきます! って旅立つふうにすればいいんだ。

 それで、たぶん怪しまれることはない。この後、一切訪れなくてもそういえばあんな二人がいたよな、って誰かが思うかもしれないけど、それまで。

「手紙、って」

 布団に入ってからふと思いついて、隣の重さんに言ってみた。

「うん? 手紙?」

「この時代でも、手紙を後から届ける仕組みってあるんでしょうか? 一カ月後とか、随分後になってから届けてもらうのって」

 うーん、って重さんが唸った。

「配達日指定郵便は、僕らの時代でもそんなに遅くに届けるのはなかったんじゃないかなぁ。調べきゃわからないけど、確か十日以内とかそれぐらいだったような」

「一カ月後は無理ですかね」

「わかんないけど。そうか、火事の後に、お世話になったお礼の手紙とか写真とかが届くようにしたいって思った?」

 そうです。

「だって、こんなにお世話になったのに、そして私たちはいなくなるけれど、どこかでここの火事のことをニュースとかで知るはずなのに」

 フォトグラファーの二人、朝倉敬治と篠塚吉子はその後一切〈矢車家〉には音沙汰なしになってしまう。

 お礼のハガキ一枚どころか、ここを撮った写真ひとつ届かない。

「まぁすぐに紙焼きしたものを明日渡せばそれでもいいんでしょうけど」

「そうだね。でも、存在しない二人が存在した証拠を残すのは、どうかな」

 そうなんだ。

 朝倉敬治と篠塚吉子はこの世界には存在しない人間。

「存在した証拠を残してしまうのは、マズイですよね」

「この時代のセイさんは何も知らない。僕たちの話は、帰国後にひょっとしたら志津さんたちから聞く可能性は残るけれど」

「今のセイさんの記憶にはまったくなかったんですから、私たちの話は本当に一切、出なかったってことなんですよね。そもそも私たちが現在のセイさんと一緒に来てるんだから、この世界のセイさんの記憶にそれが残ることはないんですよね」

 重さんが寝返りを打ってこっちを向いたのがわかった。

「わからないけどね」

 何度か三人で話したけれど、その辺のことはどうなるのかさっぱりわからない。

 私たちの時代にいるセイさんは、火事の前に現れた二人のカメラマンの話なんか聞いていなかった。少なくとも、記憶にはないってセイさんは言っていた。

「仮に忘れてしまったとしても、この間の、私の母の事件のときみたいに私たちに何かを感じたりするはずですもんね。もしも聞いていたら、ですけれど」

「そういうことなんだろうね。セイさんが火事の後帰国して、その後に朝倉敬治と篠塚吉子の話を誰かから聞いていたのなら、それはきっと現代のセイさんの記憶にあったはず。何もないってことは、志津さんたちは火事のショックでそんなことを話すどころじゃなかったってことだよ」

「そうですよね」

 私たちはこの時間に存在してしまったけれど、誰も二人の、朝倉敬治と篠塚吉子の話をセイさんにはしなかったんだ。

「火事で〈花咲長屋〉がなくなってしまったのも大きいんじゃないかな。僕たちが接触した人はほとんどがそこの常連さんだしね」

「志津さんも見里さんとポールさんも、火事の後、暮らしを元通りにすることで精一杯だったんでしょうね」

「自分たちの家はマンションになっちゃうしね。これは人生の中でもかなり大きな出来事だよ。風のように去っていった二人のカメラマンのことなんか、あっという間に忘却の彼方だったのかもしれない。それでも、僕らに関してのことは痕跡はなるべく残らないようにしなきゃならない」

「そうですよね」

 そうしなきゃならない。なんか、恩知らずとかそんなふうに思われてしまうかもしれないのは悲しい感じがするんだけど、それはもう自己満足でしかないよね。

「寝よう。明日はすぐにここを発って、セイさんに丸子橋さんの話をしなきゃ」

「その後は、いよいよ火事のときにどう撮影するか、ですね」

 たぶんそれをしっかりと撮らなければ、未来の、私たちの現在に起こるかもしれない何かを解決することにはならないんだ。

「そうか」

 お世話になったお礼をきちんと言って、〈矢車家〉に別れを告げてきたことを隠れ家に戻って待っていたセイさんに言うと、少し笑みを浮かべて小さく頷きながらそう言った。

「まずはこれで、第一段階は終了だね」

「もうこれで本当に会うこともないと思うと、ちょっと涙が出そうでした」

「わかる。僕もそうだった」

 重さんが言う。

「現実の生活では、誰かとかかわって別れるときに、もう二度と会うこともないだろうって思うかもしれないけれど会う可能性はあるんだ。人生は何が起こるかわからないんだから。でも、志津さんや〈矢車家〉の皆さんには、僕たちは本当の意味でもう絶対に会えない」

「そうですよね」

 うんうん、ってセイさんも頷いているけど、本当は少しでもいいから顔を見たかったんだろうなって思う。

 最愛の妻であった志津さん。元気で若かった頃の。

「それで、セイさん。大収穫です」

 重さんが勢い込んで言った。

「大収穫?」

 スマホが使えればすぐに知らせることができたんだけど、連絡手段がないからどうしようもなかった。

「僕と樹里さん、二人で丸子橋さんと話をしてきたんです」

「丸子橋と? 会ったのかね?」

 会ったんです。

 まったく意図していなかったんですけど。

「結果として、志津さんと美礼さんの本当の関係がわかりました」

       *

 ついてきてくれって言う丸子橋さんの運転するクラウンの後に続いて車を走らせた。

 十分ぐらい町とは反対の方角に走って、クラウンが停まったのはほとんど農家みたいな一軒家。

 周りには畑と空き地しかない。車も停め放題って感じ。

 丸子橋さんは車から出てきて、入りな、って感じで手招きして私たちを呼んだ。

「俺の持ち家だ。誰もいないから安心しろ」

「お邪魔します」

 重さんと二人で並んで、玄関をくぐった。中もほとんど昔の農家みたいな作り。玄関入ったらすぐに土じゃないけど土間があって、きっと昔はここに竃があったんだろうってところに台所みたいにシンクとかがある。

「上がってくれ。茶ぐらいは淹れる」

 丸子橋さんが手で示したその反対側に、上がり口があって居間がある。たぶん座卓が置いてあるところには囲炉裏とかあったんじゃないかな。

「お邪魔します」

「お構いなく。ここが、ご自宅ですか」

 重さんが上がりながら訊くと、丸子橋さんがシンクのところで頷いた。

「元は親戚の家でな。もう持ち主が全員いなくなっちまったんで、譲り受けたもんだ。まぁ隠居用の家だな」

 隠居。

 丸子橋さん、年齢は訊いていないけれど、三十八歳の美礼さんの父親だって言うのなら、五十代後半から六十代のはず。まぁ若くして隠居するとしたらありえる年齢だとは思うけれども。

 でも、丸子橋さん若く見える。まだ四十代でも充分通用すると思う。そもそも危ない関係の人たちって、若く見えるか年寄りに見えるかどっちかって気がする。気がするだけなんだけど。

「まだ隠居するようなお年には見えませんけれど」

 座卓の前に座りながら重さんが言った。丸子橋さんがお盆に湯飲みを載せて上がってきた。

 ポットにお湯があったんだ。そういう用意がしてあるなんて本当に隠居用の家なのかもしれない。随分慣れている様子でちょっと所帯じみてるかもしれない。自分でそう感じておいてなんだけど、本当に暴力団関係の人なんだろうか。

「もう還暦だ。赤いちゃんちゃんこを着たら似合うだろうさ」

 還暦。もう六十歳なんだ。すると、美礼さんは二十二歳のときの子供。

 それに、って丸子橋さんは続けてから少し笑った。

「俺のことをヤクザだと思ってるようだが、まぁ半分は当たっているがもう引退同然のただの無職のおっさん、もしくはじいさんだ」

「引退」

「引退というか、まぁ一般企業で言えばクビだな」

 ヤクザにクビって。

「破門ってことですか」

 丸子橋さんが唇を歪めた。

「ヤクザ映画の見過ぎだ。そんなのやってるのはほんの一握りの連中だけだぜ。そんな格好のいいもんじゃない。要するに年取って使い物にならなくなったので、放り出されたってだけだ」

 そういうのもあるんだろうか。

「じゃあ、あの〈スマートセンター〉のご主人っていうのは」

「一応あそこも商店街の一部なんでな。形としてはまだ俺が経営者ってことにはなっているが、実際は違う。仕切ってるのは以前の舎弟だった木佐ゲンって男だ」

「きさげんさん」

「木に佐藤の佐に元ってかいて〈きさはじめ〉って名前だがな。皆木佐ゲンって呼ぶ。まぁチンケといやぁチンケな男だ」

 そのチンケな木佐ゲンさんが、今の〈スマートセンター〉の経営者。

「どうして形としてあなたが経営者になっているんでしょうか? 見里さんもそう思っているみたいですけれど」

 会ったときに、見里さんはそう言っていた。

「簡単だ。俺がヤクザじゃなくて堅気の人間だからさ。木佐ゲンはまんま向こうの人間だ」

 堅気の人間。

「そういうのもいるんだよ。ヤクザの中にいても堅気の人間がな」

「所属してはいないけれど、そこの仕事をしているという意味ですか」

 まぁそうだ、って頷いた。

「ヤクザがやってる店だって表向きにはちゃんとしたところですよってするためにな。そうでなきゃ商店街にだって参加できないだろ? あんたらもいろいろ知ってるなら〈花咲小路商店街〉の結束力の強さはわかってるんじゃないか?」

「わかります」

 重さんが頷いた。もちろん、重さんは〈花咲小路商店街〉の一員なんだから。ここでいう未来の話だけれども。

「だから、堅気の人間が表にいないと商売もできないのさ。俺が経営者だったから、堂々と店をやっていられる。たとえ中でどんなことをやっていようともな。堅気の俺が表に出りゃあそれで済むってことだ」

「ひょっとして」

 重さんが少し眼を細めた。

「あなたは、あそこで、〈花咲小路商店街〉で育った人なんですか?」

 商店街で。丸子橋さんがひょいと肩を竦める。

「そういう表現もできるかな。商店街じゃあないが、すぐ近くにずっと住んでいて、それこそ」

 私を見た。

「見里とも、俺は幼馴染みと言えるからな」

 幼馴染み。

 見里さんと丸子橋さんが。

「ただし、いつも遊んでいて仲良しこよしってわけじゃあなかった。丸子橋と矢車は何かと因縁があるみたいでな。祖父さんとかによく聞かされたよ。『矢車の連中とは付き合うな』とかさ」

「それは、丸子橋家も実はあの辺りの地主の一人だったと聞きましたが、それが関係しているんでしょうか」

「本当にいろいろ知ってやがるんだな。そうらしいが、そんなこと知ってるのは本当に一部の年寄り連中だけだ。だからって何があったのかなんて、俺は何にも知らない。大昔に何かがあったってだけでな」

「それでも」

 訊いた。

「丸子橋さんと見里さんは、愛し合ったということなんですね? 両家の間にあった確執を越えて」

 まるで、ロミオとジュリエットだって実は思ってしまったんですけれど。

 丸子橋さんは、大きく息を吐きながら苦笑をしてみせた。

「どうして信じて話そうと思っちまったかな。会ったばかりのあんたらに」

 私たちを見る。

「何かがあったんですよね?」

 重さんが言った。

「すべてを話して、その上で守るために動いてくれる人間が必要だと思っていたんじゃないですか丸子橋さんは。そんなときに、僕らが現れたんだ。だから、僕らを信じてしまった。ひょっとしたらどっかの神様が助けてくれたのかもしれないって」

 重さんの言葉に、丸子橋さんは何だか嫌そうな顔をした。

「お前、本当にただの人間か? 超能力かなんかあるんじゃないのか?」

 ある意味では持ってますよね重さん。タイム・トラベルとか引き起こしちゃうわけだから。

「正解ですか?」

 丸子橋さんは、唇を歪ませた。

「何かが起こるかもしれねぇってな。ちょいと前から神経張ってたんだ。ヤバいことになるかもしれねぇってな。だが、俺一人じゃどうにもならない。しかし誰にも助けは求められん。本当に誰にも言ってねぇんだ。知ってるのは産婆と死んだ通子さんだけだ」

 通子さん。

 その名前は初めて聞いた。重さんとちらっと眼を合わせたけど、お互いにわかった気がした。

「通子さんは、見里さんのお母さん、志津さんのお祖母さんですね?」

「そうだ」

 やっぱりそうだった。娘が子供を産んでいるのにその母親が知らないはずがない。

 そして、助産師さんに取り上げてもらったんだ。見里さんが美礼さんを産んだのは、昭和五十一年からさらに三十八年前なんだから。

 昭和十三年。

 戦前だ。

 調べないとわからないけれど、産婦人科とかの病院じゃなくて助産師さんだけっていうのもわりあいに普通だったのかもしれない。ひょっとしたら産婦人科なんていうのも、少なかったのかも。

「俺と見里がそうなっちまったのを長々と話す必要はないだろう。男と女の話だ。ただ、俺が見里を無理やりなんていう話じゃねぇ。それは天地神明に誓って本当だ」

 私と重さんの眼を見た。

「この年になるとこんなことも素直に言えるぞ。愛し合ったんだ。俺たちは。そして見里に子供ができちまった。生まれたのが、美礼だ」

 美礼さんは、矢車家の跡取りだった見里さんと、丸子橋さんの子供。一人娘。

「だが、俺と見里が一緒になるなんてことは、できなかった。叶わなかった。できるとしたら、それは見里も俺も自分たちの家も何もかも捨てて、美礼を連れて三人でどこか遠くへ行って暮らすことだ」

「でも、それもできなかったんですね?」

 丸子橋さんが溜息をついた。

「やりゃあ良かったんだよな。矢車家や丸子橋がどうなろうと関係ねぇ。見里と美礼と三人で幸せになろうって北海道でも沖縄でも、何だったらソ連でもどこでも行きゃあよかったんだ。だが、できなかった」

 小さく首を横に振った。

「通子さんはな、身体が弱くてな。心臓の病持ちだったよ、一人娘が敵対している丸子橋とくっついて子供を産んだだけで、心臓が止まる寸前のようなショックだったのに、その上、見里が、一人娘が家を捨てて出ていったら」

 顔を顰めた。

「間違いなく、そのまま死んじまっただろうよ。ましてや子供を産んだことを、できたことをもずっとひた隠しにしていて、ただでさえ心労が重なって弱っていたんだからな」

「丸子橋さんも、見里さんを自分の母親を心労の果てに死なせた娘にさせるわけにはいかなかったんですね。だから」

「そうだ」

 もしも、私がそのときの見里さんだったとしても、そうしたかもしれない。子供を作ってしまったことはともかく、そんな状態のお母さんを置いて家を出るなんて。

「それで、結論として美礼さんは矢車家の遠い親戚の子供ってことにしたんですか?」

「さんざん考えて、それしかないと思ったよ。それなら、いずれ美礼を矢車の家に引き取って育てることもできるんじゃないかってな。俺も、いずれきちんとして親として会いに行けるんじゃねぇかってさ」

 でも。

「そのときは、丸子橋さんは」

「まだチンピラでもなかったさ。まぁ片足は突っ込んでいたかもしれなかったが、見里と美礼のためにまっとうな生き方をしようと思ったさ」

 言葉を切って、少し息を吐いた。

「まぁ、所詮そんなような男だったのさ。抜き差しならねぇところまで行っちまった。何とか踏みとどまってはみたものの、ヤクザの表看板背負わされて、商店街の一画に食い込んで社長気取りさ」

「そこで、もうどうにもならなくなってしまったんですね。見里さんと一緒になることはできなくなってしまって」

「ポールさんと、見里さんが出会った」

 私と重さんが続けて言うと、唇を曲げながら頷いた。

「そういうこった。ポールはいい奴だよ」

「でも、その頃って戦争前なんじゃないですか? そんなときに、イギリスの軍人さんって聞きましたけど、ポールさんが入り婿として矢車家に入るなんていうのは、けっこう凄いことだったんじゃないでしょうか」

「いや、あいつは結婚する前から、何年前だったか。それこそ五年も六年も前からこっちにいたんだよ」

「そうだったんですか」

「軍で、どのようなお仕事を?」

「たぶん、情報部みたいなものだったんだろうな。ありゃあいつだったかな。まだ戦争が始まる前だから、昭和十年とかひょっとしたら九年とか八年とか、とにかくそんなような頃から日本にいたんだ。でっかい会議の通訳とかもやっていたな」

 通訳。

「もちろん日本語はぺらぺらだったんですね」

「ぺらぺらもいいところだ。何でもイギリス在住の日本人の家族と仲良しで習ったらしいな。そして奴もこの国が大好きな男でな。日本人になりたいとかいつも言っていた」

「本当に、日本人になっちゃったんですね」

 そういうこった、って丸子橋さんが頷いた。

「どうやってあっさり日本に帰化できたのかはわかんねぇけど、軍人さんだったからな。いろいろコネやら伝手やらあったんだろうさ」

 そして、見里さんは丸子橋さんとの未来を捨てて、ポールさんと夫婦になったんだ。

「見里さんとポールさんの間に、志津さんが生まれたんですね」

「そうだ」

 まさかな、って苦笑した。

「志津ちゃんまでもがイギリス人と結婚するとはお釈迦様でもわからなかっただろうよ。びっくりしたぜ。周りの人間もどんだけ矢車家はイギリス好きなんだってな」

 そのイギリス人がまさか〈怪盗セイント〉だったとは、本当にお釈迦様もびっくりしたと思うわ。

「それで」

 重さんが言って、続けた。

「何があったんですか? 何かが起こるかもしれないと予感させたものっていうのは?」

 そう、それがいちばんの肝心なところ。

 丸子橋さんが、一度下を向いてから、顔を上げて口を開いた。

「きっかけは、あのアーケードだ」

「アーケード?」

〈花咲小路商店街〉が皆の総意で作った自慢の全天候型アーケード。

「ありゃあ、確かに便利だ。皆が雨が降ろうが槍が降ろうが買い物に来られる。ほとんど反対の声は出なかったが、唯一反対したのがうちだ」

〈スマートセンター〉。

「どうしてですか?」

「写真に撮ったならわかるだろ。商店街の店で、うちだけがアーケードのせいで看板が隠れちまうんだ」

「あ」

 そうか。〈スマートセンター〉のあの文字看板は完全にアーケードの上にある。

「他の店は、全部表看板はアーケードの下になっている。どこからでも見える。二階も店になっているのはうちだけなんだよ」

 そうだ。屋根のてっぺん近くに文字看板があるんだ。

「しかもだ。もう言っちまうが中で博打もやってるうちだ。四丁目は他の丁目より店が少ないし〈花咲長屋〉もある。悪い遊びをする連中が来やすい環境だったのに、アーケードができちまうと人の流れがガラッと変わって、人が来やすくなっちまう」

「悪い遊びをする人たちも、人の目を気にして入り難くなるってことですか」

「そういうことだ」

 確かに、それはあるかも。アーケードがなければ、あの〈スマートセンター〉のところまで人の流れは続かない。

「しかも、アーケードができたら四丁目に新しい店を構えようって動きもあった。ますますこっちはヤバい商売がし難くなるってんでな」

「わかりますけど、それだけで何かが起こるというのは?」

「木佐ゲンだ」

 木佐ゲンさん。

「実質上の、店主さんですね。しかも本物のヤクザの」

「何とかしなきゃならんって、さんざんアーケード設置の妨害をしようとしたんだが〈矢車家〉と商店会の結束力は強くてな。木佐ゲンは方向を変えて、だったら〈矢車家〉の弱みを探ってそこから突破口を探そうとしたのよ。もしもそういうものが見つかったのなら、何だったら金でも強請ってもいいってな」

「〈矢車家〉の弱み」

「じゃあ、まさか」

「そうだ。あいつは、美礼が見里の娘だってことを嗅ぎつけた」

「嗅ぎつけたって、あなたと助産師さんと見里さんしか知らないんですよね」

「それでも、赤ん坊一人産んでるんだ。しかもさんざん二人は腹違いの姉妹じゃないかなんて話も出ていた。そこからひょっとしたらって考える小賢しい悪党なんか、うじゃうじゃいるさ」

 木佐ゲンさんが。

「強請られたりしたんですか」

「まだだ」

「いや、それより丸子橋さんの方でその木佐ゲンさんを何とかできなかったんですか」

 重さんを、見た。

「できるぜ。殺せばいいんだ」

 殺す。

「それは」

「いざとなったら、その覚悟はあるさ。野郎と刺し違えてでも秘密を守るってな。だが、あいつは小賢しいんだ。どうしたらこのネタを生かして〈スマートセンター〉の商売繁盛に持ってけるかってのを考えてる。もちろん、手が後ろに回らない様にな」

 ネタを生かすって。

「ひょっとして、その木佐ゲンさんは、美礼さんや志津さんにその事実を」

「かもしれねぇんだ。何をどうやろうと思ってやがるのか、わからん。間違いなくあいつは事実を掴んだのに、動いてこない」

 そうか。

 それで、丸子橋さんは手が足りないって。私たちみたいに会ったばかりの人間を信用して、何とか何も起こさずに、秘密を守れるようにしたいって。

「重さん」

 重さんを呼ぶと、私を見て頷いた。

 言えない。この場では決して言えない。

 ひょっとしたら、あの火事は、アーケードを燃やしたのは、木佐ゲンさん。

「確認ですが、丸子橋さん」

「何だ」

「その木佐ゲンさんは、最終的には、たとえば見里さんを脅して金を巻き取ることじゃなくて、〈スマートセンター〉の存続を第一にしているんですよね? 賭場をきっちり守ること」

 丸子橋さんが頷いた。

「だろうな。そうでなきゃ俺なんかはあっさり切られて、下手したらどこかの湾に沈んでいるかもしれねぇんだ。あくまでも表向きは堅気の経営者がやってる遊技場ってのを押さえなきゃならねぇんだ」

「しかも、あまり健全な商店街の中ではなく、以前のアーケードがないような形での」

「そういうこったろうな。だから、見里や美礼や志津ちゃんを傷つけるようなことはねぇって、まぁそこんところは多少は大丈夫だろうって思ってる」

 だから、一人で何とかしようとも考えていた。

「木佐ゲンさんを殺しても、その秘密が表に出ないとは限らないんですもんね。きっちり確かめてからじゃないと」

 言ったら、その通りだなって頷いた。

「奥さんもなかなか危ない方面にも頭が回る。ただやっちまえばいいってのは、それこそ素人の考え方だ」

 どうしよう。

 今この場をどうやって収めよう。

 火事は、明日の夜。

 ここで何を言っても、何かを約束しても、何かが起こるとか言っても、それは全部火事に繋がってしまって、私たちが何かをやったって丸子橋さんは思ってしまう。

 それだと、歴史が変わってしまうかもしれない。

「丸子橋さん」

 重さんが、ゆっくりと口を開いた。

「なんだ」

「わかりました。まず、ひとつ約束します。命に代えても、僕たちはこの秘密を守り通します。誰にも言わずに墓場まで持っていきます。信じてください」

 じっと丸子橋さんを見た。丸子橋さんは、こくんと頷いた。

「今更だからな。信用するぜ」

「そしてもうひとつ、約束してください」

「俺が約束を守るのか?」

「そうです。それを約束して守ってくれれば、僕たちは必死で見里さんと志津さんと美礼さんを守ります。どんな方法を使ってでも」

 丸子橋さんの眼が細くなった。

「何を約束するんだ」

「僕たちのことを、今この瞬間から、誰にも言わない、話さないってことを。たとえ地獄の業火に焼かれようとも一切口にしないと」

      *

「彼は、丸子橋は約束したのかね」

「しました」

 はっきりと。

「私たち二人のことは、死んでも誰にも何も話さないって」

 約束してくれた。

「ですから、それで歴史が変わるようなことはないと思います。実際、丸子橋さんとセイさんはほとんどまったく接点がなかったんですから」

「そうだね。そうなのだろう」

 セイさんが、うん、って大きく頷いた。

「では、今度は我々が丸子橋との約束を果たす番だね。何としても秘密を守り通す。それは実際は守られたのだから、私たちは火事を起こした者をしっかりと特定して、そして何もせずにこの時代から去ることだろう」

 そういうことになるんだ。

「まずは、木佐ゲンという人を捕捉することですね」

 重さんが言うと、セイさんがニコリと微笑んだ。

「それは、心配いらない」

「え?」

「君たちが撮影している間、私は側面から丸子橋家のことを調べると言っただろう。当然、丸子橋の周辺も何もかも調査済みだ。木佐ゲンのこともね」

Profile

小路幸也

1961年北海道生まれ。「東京バンドワゴン」「花咲小路」シリーズのほか、『三兄弟の僕らは』『マイ・ディア・ポリスマン』など著作多数。

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