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第10回

伝統と歴史と新しいものと

10 伝統と歴史と新しいものと

〈バーバーひしおか〉さんのご主人で、桔平さんのお父さんは朱雀凌次郎さんっていうものすごく立派そうな名前なんです。
 そして、ご主人なのに〈バーバーひしおか〉は〈バーバーすざく〉じゃないのかっていうのは、元々は奥さんであるミミ子さんのご実家で、ミミ子さんのお父さん、菱岡さんが開いた理髪店だったので〈バーバーひしおか〉。それで、ミミ子さんと結婚してお店を継いだ形になる朱雀さんは理容師さんでもなんでもなくて、奥さんのミミ子さんとせいらさんの二人が理容師なんですよね。
 だから、凌次郎さんはお店ではほとんど仕事をしていなくて、やってもお掃除ぐらいだそう。私は〈バーバーひしおか〉さんには行ってないんだけど、すばるちゃんが最近は髪を切りに行っていて、やっぱり凌次郎さんはいつもお客さんとお話ばかりしているんだって。
 でも、実は凄い美術品の鑑定士なんですって。若い頃にはあのフランスのルーブル美術館でキュレーターというものをしていたんだって。びっくり。まさか朱雀さんがそんなって。
 朝、〈おもちゃのチヤチエチャ〉開店と同時に朱雀凌次郎さんと桔平さん、親子でお店に来てくれて、〈万屋洋装店〉にあった〈グランドファーザークロック〉の鑑定をしてくれるって。
「そういえばあったよね〈グランドファーザークロック〉が店の一階に。前に行ったときには特に気にもしなかったんだけれど」
 そう言う凌次郎さんを、千弥さんがカウンターの裏の作業室に案内して、作業台の上に横たわるように載せてある〈グランドファーザークロック〉を、これなんですけど、って。
「これは」
 凌次郎さんが息を呑みました。時計の全部を嘗めるようにして見ていきます。
「凄いでしょう?」
 桔平さんが言うと、うんうん、って頷きます。
「なるほどなるほど。凄いねこれは。いやもうただの大きな柱時計じゃないよこいつは」
「凄いんですか? 何が凄いんですか?」
 思わず訊いちゃった。
 凌次郎さん、うむ、って大きく頷いて。自慢の髭を指で撫でて。凌次郎さんって癖だよね。あの髭を撫でるのって。
「たとえば、大時計を支えているこの爪と球のような脚ね」
「脚」
 凌次郎さんが時計の一番下の台のところに付いている部分を示して。
「これは〈クロー・アンド・ボール・フット〉と言ってね、明らかにジョージアン様式で、えーとつまり十八世紀頃のイギリスの様式なんだよね。ただの〈グランドファーザークロック〉にこんな見事な細工の脚をつけているのはね、僕は初めて見たよ」
「そうなんですか」
 正直、なるほど見事な細工だっていうのはわかるけれど、その素晴らしさがちょっと私にはわからない。
「いやそもそも、見てわかるよね? このホールクロックはただの時計じゃない。そう、〈家具〉としてもう最高級の出来具合いだよ。家具というのも立派な美術品になるというのも、美大出てる智依ちゃんならわかるかな?」
 智依さんが頷いた。
「それはもちろんわかりますー」
「あぁここの化粧板は、これはヘリンボーン・ベニヤじゃないか。いやこの細工も実に素晴らしい! これはさぞかし腕の良い名のある大工か細工師か、もしくは芸術家が指揮して造らせたものなんだろうね」
 興奮してる。ものすごいなんかもうこれ以上ないぐらい素晴らしい! って感じで凌次郎さんが。
「あぁごめんごめん。いや、そうもうこれは十八世紀頃に造られたものには間違いないだろうね。時計のムーブメントにはほらここに〈Germany〉の刻印が見えるね。だからドイツ製のものを使っているのには違いないと思うよ。そしてその頃にこのような様式でこれだけのものを置いたということは、間違いなくどこかの貴族の家に置かれていたものだろうね」
 貴族!
「その貴族が誰かとかは、朱雀さんはわかるんですか?」
 千弥さん。
「いやぁ、さすがにそれを調べるのは僕でも無理かなぁ。どこかに銘とか紋章でも彫っておいてくれれば良かったんだけど、少なくとも見えるところにそれとわかる紋章とかの銘はないね。造った大工か芸術家が遊び心でどこかに名前を彫っているかもしれないけど、それを調べるには全部バラすしかなくて」
「それはちょっと無理ですよねー。造られた当時のものを全部剥がしちゃうことになるので価値が下がりますもんね」
「その通り。これは万屋さんは骨董品店で買ったと言ったのかな?」
「そうみたいです」
「もしもその骨董品店がたとえば老舗のちゃんとしたところだったのなら、どこでどうやって手に入れたとか由来とかも残っていて説明を受けたはずなんだ。でもわかんないんだよね?」
「知らないって言ってたわ昨日。買ったお店も今はもうないって。小さなところだったらしいよ」
「だろうねー。そういう小さな店が、たまたま手に入れた素晴らしいものだったわけだ。いやでもね。どこの貴族の誰の持ち物だったかはわからなくともね、この素晴らしさに変わりはないよ。見たところ大きな傷はないから掃除するだけでかなり綺麗になるだろうし、時計は直るのかな?」
「直せますよー。たぶんちょっとオーバーホールするだけで動きます」
 智依さんが言うと、凌次郎さん大きく頷きます。
「で、あるならば、今、この段階で売値を付けるとしたら、あ、綺麗にして時計も動いたならってことでね。僕は百、いや百五十万円は付けるかな」
「百五十万円!」
 びっくりです。中古で自動車が買えます。
「あくまでも日本国内で、だったらね。でもコレクターもいないだろうし需要があまりないだろうから、ひょっとしたら半分ぐらいの八十万ぐらいにしないと売れないかもしれない。だから、これは海外のオークションに出すべきだなぁ。そうすればね、ひょっとしたら二百万から三百万、熱烈なコレクターがいてくれたら、そうだなぁ、五百万ぐらいの値がつくかもしれないよ!」
 五百万円!
「スゴイです!」
「そんなに値が付いちゃったら、それはもう修理費と修繕費、手数料だけ貰って万屋さんに残りはお返ししないとならないわね」
 そうですよね。
「まぁ、そこは万屋さんと相談だね。もしも海外のオークションに掛けるんなら僕に言ってくれればちゃあんと手配するよ。あ、桔平に言ってもいいよ。そういうのは得意だから」
「できるよ。じゃあそれは修繕が全部終わってから万屋さんと話してもらうとして、金庫の鍵は開いたの?」
「金庫?」
「その下の引き出しね。鍵が掛かっていて錆びちゃって開かないんだよ。何かいいものが入ってるかもって」
 おお、なるほどって凌次郎さん。
「それがですねー、ものすごい錆びているんですけど、錆落としって液体になっちゃうじゃないですか」
「うん、そうだね、クエン酸水とかお酢とかね。重曹も使えるかな」
 凌次郎さん。そういうのも知っているんですね。
「でもこの鍵穴に水使っちゃうと中に入り込んで変色しちゃっても困るし、そもそも中にいいものが入っているならそれが汚れちゃっても困るしで、とりあえずキークリーナーとジェットノズルを使ってみたんですけど、全然ダメで」
 凌次郎さんも鍵穴を懐中電灯で照らしたりして見ています。
「あぁ、こりゃあひどいね。サビサビだ。どうしようもないパターンだね」
「それで、もう底板に穴を開けて鍵の部分だけ掘り出しちゃおうと思ったんですけど、どう思います? この底板は後で付け直していいですよねー? ただの底板なので細かな細工があるわけでもないし」
 うん、って凌次郎さんが頷きます。
「何もしていないただの板だね。綺麗に割って後でそこだけ補修して付ければ、全体の価値はまったく下がらないよ。むしろ鍵は付け替えた方が確実に良くなるんじゃないかな」
「そうします! 何かが入っているのは確実でしかもちょっと重さのある感じなので、凌次郎さんちょっと待ってて貰えます? 何かアンティークなものが入っていたのなら鑑定してもらえるとありがたいんですけどー」
「もちろん、待つよ。何が入っているのか楽しみだよ」
 底の板は嵌め込んで付けてあるので、まず真ん中をIの形で切って抜き取って、そして左右の分かれた板を抜き取るそうです。
 智依さんが慣れた手つきで小さな電動ノコを使って切り取って、そして底板全体をキレイに抜き取って。引き出しの床が見えたので、今度は鍵穴のある前の方を慎重に切り取って。
「よし」
 鍵が見えたので、今度は小さな金槌とペンチを使ってゆっくりと鍵そのものを叩いていって。
「取れました」
 サビサビの鍵そのものが外れました。
「上手だねぇ。さすがだね智依ちゃん」
「恐れ入ります。さて、何が入っているでしょうかー」
 千弥智依さんが二人でゆっくりと引き出しそのものを抜き取っていくと、キレイな木の箱が。
「宝石箱じゃないの?」
 桔平さん。
「いや、これはソーイングボックスだね。裁縫箱だよ。シンプルな形だね」
 裁縫箱。お祖母ちゃんも使っているけど。千弥さんが、そっと蓋を開ける。
「わー、これは、指ぬきですね」
「うん、指ぬきだ。シンブルだね。ちょっと待ってよ皆、触らないでね」
 凌次郎さんが白手袋をつけました。
「シンブルって言うんですか?」
 初めて聞いた。
「そう、日本では指ぬきって言うけれどね。シンブルって名前だよ。指に嵌めるから〈フィンガーハット〉なんていう言い回しもあるね。結構な数だ。ざっと三十個はあるかな」
 それぐらいありそうです。
「ほとんどが陶器だね。あぁこれはフランスのセーブルだ、これはイギリスのチェルシーだし、こっちは、うーん、このマークはわからないね。どこかドイツっぽいかな?」
「ヨーロッパのものばかりですかねー」
「そんな感じだね。ヨーロッパではね、裁縫道具、主に指ぬきを集めると幸せになるなんていう言い伝えがあるんだよ。だからこれはそういうコレクションなのかな」
「全部十八世紀のものですか?」
 千弥さん。
「いや、このスポードなんかは十九世紀のものだね。だからこの時計の由来とは関係なく、どこかの時点でこの時計を手に入れた誰かが集めたものを、ここに入れて置いたのかな。このシルバーの指ぬきは意匠がないからわからないけど、造りからしてたぶん現代に近い、二十世紀のものじゃないかな」
 カワイイものばっかりだ。
「見てると欲しくなります。お裁縫なんか全然しないけど」
 うん、って凌次郎さんが頷いて。
「コレクションとしてはとても人気のあるものだよ。値段も全然高くないからね。今からでも充分集められるよ」
「いくらぐらいになるものなんですか?」
 訊いたら、そうだなー、ってちょっと頭を捻りました。
「年代の特定が難しいしいくら古くてもこのサイズだし日用品だからね。高くてもせいぜい一個五千円もしないかなー。安いものならそれこそ千円以内で買えるだろうし。何か謂れがあるもの、たとえばイギリスの女王が使っていた本物なんていうはっきりした出所がわかったとしても、せいぜい一個三万円ぐらいだね」
「じゃあ、これ全部では」
「うん、シルバーの、たぶん純銀のものが二個あって、これはもう単純に銀としての価値が加わるから、二つで二万円ぐらいはつけられるかな。その他はひとまとめでアンティークとしての価値ってことで」
「いやちょっと待って父さん。これ、外側は陶器だけど中は金じゃない?」
「え?」
 桔平さんが少しサイズが大きそうな指ぬきを持っています。
「どれ、あ、本当だ中は金だね。これは贅沢な使い方だなぁ。金の指ぬきに陶器の指ぬきカバーか。持ち主は貴族だった人で間違いないね。桔平、金は今グラムいくら?」
 桔平さんがスマホで検索して。
「グラムで二万九千円ぐらい」
「秤って、ある?」
「ありますよー」
 智依さんがデジタルの小さな秤を出しました。桔平さんが陶器の部分をポンと抜いて中身の金の指ぬきだけを載せます。
「八グラムだね」
「ってことは、仮にこれが純金だとしたら八グラムとしても二十三万円ぐらいか。凄いねーこれ一個でぐんと値段が上がっちゃったね」
「純金なんでしょうか」
 千弥さんに、凌次郎さんが頷きます。
「正式にはどこかの貴金属専門店で測定器で、あ、〈田沼質店〉さんにあるんじゃないかな?」
「あります!」
 貴金属測定器は質屋には必需品です。
「じゃあ、後で調べてもらえばいいね。で、純金だとしてこれ全部まとめて売るとして、うーん三十万ぐらいでいけるかな?」
 それでも結構な金額ですよね。
「もしも売るとしたら、これはオークションに掛けても手間賃が無駄になりそうだから、もし〈おもちゃのチヤチエチャ〉で売れるんなら、全部バラで売った方がいいかもしれないね。その方がお客さんも買いやすいだろうし。あ、この裁縫箱、木箱自体はね、そうだなぁ。いつの時代のものかわからないけど、造作からして骨董品であることは間違いないけど何の装飾もないただの古い箱だから、単体で売るとしても二千円ぐらいかな」
「じゃあ、それも含めて万屋さんに相談してみます」
 そうしましょう。まずはこれをキレイにして、そして時計を直して。
「もしも高く売れるんなら、万屋さんがどこか施設に入るのならその資金に回せますよね」
「万屋さん、そんなこと言ってたの?」
「言ってました。だからもし店にあるもので売れるものがあるなら全部うちで売っていいよって」
 千弥さんが言うと、凌次郎さん、少し淋しそうな顔をします。
「まぁもう九十近いはずだしね。そういうお年だしなぁ。どんどん淋しくなるね。じゃああの店自体はどうするのかな」
「そこまでは聞いていませんでしたけど」
「そこなのよね」
 桔平さんが言います。
「父さんね」
「うん?」
「千弥智依と瑠夏ちゃんには話しているからいいんだけど、父さんにはまだ話してないことがあってさ」
 凌次郎さん、思わずちょっと引きました。
「え、なんだいなんだい。まさか千弥ちゃんと智依ちゃんと三角関係になってしまって揉めているとか?」
「ないです」
「ないです」
「ないよ」
 三人して同時に言いましたね。
「いやそんな三人して力一杯否定しなくたって。君たち仲良いじゃないか」
「仲良しですよ。桔平くんのことは大好きですけど、そういうのはまったくないです私も智依も」
「ボクもだよ父さん。そもそもボクはせいらちゃんと一緒にならなきゃ」
「え!」
「え!」
 今度は私が千弥智依さんと同時に叫んじゃいました。
「やっぱり?! せいらさんと桔平さんは恋人同士になっていたんですね?!」
 皆でずっと話していたんだ。果たしてせいらさんは桔平さんと結婚して〈バーバーひしおか〉を継ぐのかって。だって、ミミ子さんも凌次郎さんもうちの跡継ぎはせいらさんがいるから大丈夫だって言ってて、でもじゃあ桔平さんはどうなるんだって話で。
「それはお前、全然聞いてないぞ? そうなのか? いやそれは目出度い話で嬉しいけれど」
「それはまた別の話です。ちょっと置いといて。話していないっていうのは、ボクと白銀と松宮で進めている計画があって、千弥智依と瑠夏ちゃんにもいろいろ話しているんだけどさ」
 凌次郎さんが、顔を顰めます。
「それは一体何の話だい」
「父さんのコネクションで、素晴らしい骨董品や美術品、でも普通の人たちにでも買えるような良い物を通年で、ずっと長い間揃えることはできるのかな、って話。もちろん、真っ当な品物ね。危ない人たちが揃えるようなものじゃなくて」
 ふむ? って感じで凌次郎さんが口に指を当てて髭をいじります。
「そこら辺の貧乏ったらしかったりやたら高級そうだったりするような店じゃなくて、最高でありかつ素晴らしいアンティークショップに並べる品を揃えられるかって話なのかな?」
「その通り」
「そりゃあもう、間違いなくできるともさ。君は父親であるこの朱雀凌次郎を嘗めてはいけないね。学生がお小遣いで買えるような素晴らしい芸術品から、各国の美術館からぜひ譲ってくれとオファーが来るような美術品まで、取りそろえてみせるともさ」
 自信たっぷりです。
「じゃあ、瑠夏ちゃん」
「はい?」
 私ですか?
「〈田沼質店〉の蔵には、流れてしまったけれども、それこそ芸術品と言えるような品から、普段使いはできるけれども素晴らしい品々がいろいろあるよね? そういうものを、外に出すことはできるかな?」
 蔵の品を。
「もちろん、できますよ。今も店の中にはそういうもので売れそうなものは並べていますから」
 ただ、普通の質屋さんにそういうのを買おうという人はあんまり、っていうかほとんど来ないけれども。質屋に買い物に来るのはもう本当にお歳を召した常連さんというか、その道の強者というか、そういう人でほんの少数。
「数えるほどしか来ないですけどね」
「もったいないよね」
「もったいないです」
 ずっとそう思ってる。でも質流れ品を大々的に売りに出すっていうのはうちはあまりやってこなかった。そういうのを商売にしているところに回すっていうのも確かにあるんだけど。
「うちの方針としてやってません」
「でも、やってみたいよね。なんでもかんでもってわけじゃなくて、そういう場所があるんだったら厳選して」
「やってみたいです」
 私がやっていいなら、いやいいんだけど。私にもそういう権限というか、好きにやっていいって言われている部分はあるんだから。
「ということは、桔平」
「うん」
「君の計画というのは、ひょっとしたら〈万屋〉さんが閉めた後の建物を買い取るか何かして、素敵なアンティークショップにして、僕が仕入れる美術品や〈田沼質店〉の蔵の素晴らしい品を売る店を出すってことなのかい?」
 アンティークショップ! 
〈万屋洋装店〉さんを!
「それにプラスして、〈おもちゃのチヤチエチャ〉で修理して買い取った玩具やいろんなものをね。だって、〈万屋洋装店〉のあの素晴らしい建築だよ? あれをわけのわからないお店とかに買われて四丁目に入られるのはイヤじゃない? あの建築に似合うお店は、時代を経ても変わらない素晴らしい品や美しい品を扱うお店じゃない? 紳士服は正しくそうだったようにさ」
 うむ、って感じで凌次郎さんが頷きます。
「それは、間違いないね。君の考えは正しい。そうか、しばらく日本にいるというのは、そういうことをやろうと思っているんだね君は」
「そうなんです。父さんには思いっ切り世話になろうかと思っているんだけれど」
 パン! と強く桔平さんの肩を凌次郎さんは叩きます。
「息子がやろうとしている正しいことを、後押ししない親がどこにいるというんだい。白銀さんや松宮さん、そして瑠夏ちゃんも巻き込んでいるってことは、四丁目を〈花咲小路商店街〉の若者たちで盛り上げようって言うんだね?」
「さすが父さん。話が早い」
 うん、ってまた凌次郎さんが大きく頷きます。
「商店会会長たちを巻き込んで話を進めているのなら、何も言うことはないよ。僕ができることは何でもするからどんどん言ってきなさい」

 凌次郎さんが帰っていって、桔平さんが私たちに言います。
「と、いうわけなんだ。なので、この〈グランドファーザークロック〉は、修理してキレイになったのなら、そのまま〈万屋洋装店〉にお返ししたいんだよね」
「そうして、あそこが桔平さんの考えるようなアンティークショップになったときには、商品として売るのね?」
 千弥さん。そういうことになるかな、って桔平さん。
「桔平くん、さっき話したことは前から考えていたの?」
「考えていたよ。だってあの素晴らしい建物がなくなってしまうなんて、とんでもない話じゃないか」
 それは、間違いなくそう思う。
「だから、〈花咲長屋〉のシンボルとして、すぐ隣に立つ〈万屋洋装店〉の建物はあのままあってほしいと思っているんだ。実はもう克己が話はしているんだよ」
「え? 万屋さんに?」
 商店会会長の白銀さん。
「もしも店を畳むときには、絶対にどこかの不動産会社とかじゃなくて、まず克己に連絡くださいってね。話は来ているよ。ただまだ建物をそのまま使うとか隣に〈花咲長屋〉を造るとかっていう具体的な話はしていないけどね」
「あー、じゃあ店のものなら何でも修理して売っていい、って昨日私たちに言ってきたのは、明け渡すためにはまずは整理しようっていうことだったのね万屋さん」
「そういうことだと思うよ。閉めるなら同じ商店街の仲間に役立ててほしいって言ってるそうだからさ。茶木さんと万屋さん、仲良かったんでしょ?」
「そう、お祖父ちゃんは言っていた」
 そうか、茶木さんのお祖父ちゃん、万屋さんたちと同じぐらいの年だったっけ。そうやってこの商店街で初代とか二代目の人たちがどんどん引退しちゃうんだよね。会長の克己さんも〈白銀皮革店〉の三代目だし。
「でも、桔平くん」
 千弥さんが、ちょっと首を傾げます。
「そこまでいろいろ考えているのに、〈ムーサ〉の像の詳細はまだ話せないとか、万屋さんに詳しいことは話していないとか、ちょっと計画の進め方がアンバランスなのは、どうして? 何か私たちに教えられない理由とかあるの?」
 あぁ、って智依さんも頷きます。
「あの〈ムーサ〉にしても、スケッチを描いたのは誰で、どこで発見されてどうなったのかって詳しいことがわかれば、またアイデアもいろいろ出てくるとは思うんだけどー。その辺はいつになったらわかるのかな」
 桔平さん、小さく息を吐きます。
「そうなのよね。本当なら、全部何もかも話してどんどん計画を進めちゃいたいんだけれども、まだ大っぴらにできない事情は、理由は確かにあるのよ。それはね、皆を信用していないとかそういうんじゃなくて」
 難しそうな顔を見せました。
「まだ言えないの。言ってしまうと、とても難しいことが起こってしまうかもしれないから。でも、言えるときが来たのならすぐに教えるから」
 千弥智依さん、少し顔を顰めながらも、うん、って小さく頷いて。
「難しいことなのね」
「そうね、でも、ひとつだけ教えておこうかな。あの〈愛と美のムーサ〉をね、発見してそしてスケッチを描いたのは〈Last Gentleman Thief “SAINT”〉よ」
 怪盗セイント!
 千弥智依さん、二人で同時に口を開けて。
「〈Last Gentleman Thief “SAINT”〉が、〈愛と美のムーサ〉を発見したの?」
「そう」
「え、どうして桔平くんがそれを知ってるのー? いやそもそも〈Last Gentleman Thief “SAINT”〉って本当に存在しているのね?」
 桔平さん、大きく頷きます。
「どうせ伝えることだから、これだけはまず言っておくね。一丁目から三丁目に置いてある石像は間違いなく本物で、そして本物の〈Last Gentleman Thief “SAINT”〉が置いたものよ。そして〈怪盗セイント〉も間違いなく存在しているの」
 桔平さん、真剣な顔を見せました。
「〈怪盗セイント〉は決してただの泥棒ではなく芸術の守り神なんだよ。海外にもいろんなすご腕の職人さんがいるでしょ美術系や創作系のね?」
「いるよね。絶対」
「そういう人たちの間で〈セイントの思召し〉っていう隠語があるぐらいなんだよ」
「〈セイントの思召し〉ですか?」
「引退するような職人さんの間でね。つまり〈セイントに頼まれて一緒に仕事をした〉ってことを意味する隠語。〈怪盗セイント〉は警察では美術品泥棒って認識だけど、美術界で働く職人の間では文字通りの〈セイント〉つまり〈守護聖人〉ってことなんだ。〈守護聖人〉はわかるよね皆」
 三人して頷いちゃった。全然わかる。ゲームやアニメでもその設定はよくあるから。
「美術品や芸術品を作る技術を守っているんだってこと。修復士は美術品を修復するけど、それを作った技術をそのまま使って芸術品を作った方が、ものすごく勉強になる。そういう、いわば技術の継承を〈怪盗セイント〉はやっているんだ。ベテランの職人さんたちは言ってるんだよ。セイントの思召しでいい仕事ができた。後の世代に繋げられたってね」
「じゃあ、桔平くんって〈セイントの思召し〉で一緒に仕事をした職人さんに会ったことがあるのね? ヨーロッパとかで」
 千弥さんが訊くと、桔平さん頷きました。
「今のところは絶対に内緒ね。父さんにも言ってないんだ。あるんだよ。何度もあるし何人にも会ったことがある。そしてね、皆に見せた〈愛と美のムーサ〉は、一度セイントが自分で彫っているんだ。あのスケッチそのままに」
「作ったの? あれを? 石で?!」
 智依さんがすごく驚いて。
「とんでもないことだよそれ! それはどうなったの?」
「実は、それが唯一〈怪盗セイント〉が自分だけの手で作り上げた芸術品なんだ。ボクはね、それをもう一度甦らせたいんだ。この世にね。唯一無二で文字通り〈Last Gentleman Thief “SAINT”〉の最初で最後の作品を」
 最初で最後の作品。
 その意味は。ひょっとして。

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