もう一度会いたい人、と問われたら。
そりゃもう何人もいる。学生時代、夜を徹して語り合っても話題が尽きず、ひたすら笑い合った友人たちが今どうしているのかも知りたいし、遠く離れた故郷の家族や親戚にもしょっちゅう会いたくなる。行き違いから疎遠になってしまった古い知り合いと関係修復の機会があるといいなと思うし、活動休止中の推しにもまたライブ会場で会いたい。
だが、これらは会おうと思えば会える人たちだ。会いたいとどれだけ願っても、二度と会えない人たちもいる。私にとっては、30年前の阪神・淡路大震災で命を落とした友人がそうだ。残された者たちは彼女を思って悲嘆に暮れた。遊びにいく約束も果たせなかった。借りた本の感想を伝えることもできなかった。何より、もう会えないのだという事実が悲しかった。あのとき、多くの場所で見られた光景だ。
浜口倫太郎『天空遊園地まほろば』を読んで、この遊園地があったなら彼女に会いたい、と真っ先に思った。故人と一度だけ会える遊園地の物語である。
大好きだった父親が亡くなって以降、母親やハウスキーパーと折り合いの悪い少女。かつて辛い別れをした恋人が亡くなったと聞いて心を揺らす、出産前の女性。米農家の父を軽蔑して自らは外資系企業のエリートビジネスパーソンになった青年。幼馴染でもあるかつての相方の訃報を聞いた売れっ子お笑い芸人。特攻隊として戦死した兄との約束が忘れられない90歳の男性。
彼らは不思議なサイトに導かれ、会いたい人の名前と希望の日程を添えて申し込む。そして山の上の遊園地を深夜0時に訪れると、その日付にタイムリープして死者と再会できる。
そこは昔確かに遊園地だったが今は閉鎖、一部の建物が残されるだけとなっている。それがその時だけ、昔の遊園地の姿を取り戻す。そして少女は父親とサイクルモノレールに、女性は元カレとメリーゴーランドに、青年は父親とパンダカーで、お笑い芸人は元相方とびっくりハウスで、老人は兄と飛行塔で、ともにひとときを過ごすのだ。
生前には知らされなかった思いや故人が願っていたことなどを聞いて、彼らの固まった心が少しずつほぐれていく。その過程が読みどころなのは間違いないが、むしろ物語の主眼は、彼ら一人一人が抱えているものの方にある。
当たり前かもしれないが、ここに登場するのは不幸な別れをした人たちばかりだ。もっと一緒にいたかったのに。もっとちゃんと話したかったのに。もっと本音が聞きたかったのに。主人公たちはみな、そんな後悔を抱えている。その後悔のせいで、あるものは自分の気持ちをわかってもらえないと攻撃的になったり他者を否定したり、狭い視野で鎧を纏ったり、またあるものは忘れようと努めたりする。
故人との再会はきっかけでしかない。なぜその人物に会いたいと思ったのか。それによって自分は何を確かめたいのか。その人が生きていたときに、ここまで踏み込めなかったのはなぜか。こんな会話ができなかったのはなぜか。彼らがフラットな視点で自分自身に向き合うことこそが、本書の核なのだ。それらの理由を知ることで、彼らはそれまでの自分の生き方を見つめ直すことになる。その過程にこそ注目してほしい。
故人は彼らに答えを教えてくれる。だがその答えは、彼らがもう少し目を開いていれば、彼らがもう少し聞く耳を持っていれば、彼らがもう少し他者を思いやれていれば、死によって分かたれる前に手に入っていたものばかりだということにお気づき願いたい。
本書は、死者が思い残しを生者に伝える物語であり、生者が死者の気持ちを知る物語だが、実際には故人にはもう会えない。死んでしまえば思いを伝えることもできない。だからこそ、会いたい人には会えるうちに何度でも会っておくこと、話したいことや聞きたいことを先延ばしにせずに語り合うことが大切なのだと伝わってくる。推しは推せるときに推せ、人は会えるときに会え、なのだ。
収録された五つの物語の中には、自分に近い環境の登場人物がいるかもしれない。どうかじっくり味わっていただきたい。そして最後にはちょっとしたサプライズも待っている。だからこの場所なのか、と腑に落ちた。
故人と会うという後ろ向きの行為が、人を前向きにさせる。あたたかな優しさに満ちた物語である。

■ 書籍情報『天空遊園地まほろば』
ここは、もう二度と会えないあなたの大切な人と「再会」できる場所――。
人生の愛おしさに温かな涙がこぼれる5つのやさしい物語。
■ 評者プロフィール
大矢博子(おおや・ひろこ)
九州生まれ、名古屋在住の書評家。著書に、『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』『読み出したら止まらない! 女子ミステリー マストリード100』『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』などがある。