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宇宙の片すみで今日も【評者:寺地はるな】

 のっけからいったいなんの話だい? と思われるかもしれないが、畑野智美さんは私の師である。もちろん直接教えを受けたことはない。だが師だ。心の師と書いてマスターとルビをふりたいぐらいの思いがある。
 さかのぼること十数年前、とつぜん「公募の新人賞で賞金せしめたろ」と小説を書くことを思いついた私は、けれども小説の書きかたなどてんでわからず、ひとまず参考にしようとさまざまな公募の新人賞受賞作品を手にとった。そのうちの一冊が畑野さんの本だったのだ。一読して「ずば抜けている」と感じ、勝手に自分の師と決めた。
 なるほどここでさりげなく主人公の年齢のような情報を入れるのだな、とか、ここで風景の描写を挟むのか、というようなことを畑野さんの本で学んでいった。師であるので、今でも(勝手に)頭が上がらない。
 技術的なことの初歩をひととおり履修させてもらううちに完全にファンとなり、畑野さんの作品だけは新刊が出るたびにすぐに読んだ。もちろん既刊も読んだ。
 畑野さんの作品にはすべて、独特の清さがあるように思った。人の、なんかこうイヤなところやずるいところも容赦なく書かれているのに、それでもなお、時には頑ななほどに清かった。読んでいる時、よく、滅菌ガーゼのようなものを連想した。そして、そのガーゼの下でうずく傷の存在を感じた。
 そして本作、『宇宙の片すみで眠る方法』にはその独特の清さが保たれたまま、よりやわらかな風合いが加わっている。滅菌ガーゼではなく、より大きく、あたたかな、上等の寝具につつまれるような安心感があった。
 本作の主人公は、婚約者を事故で亡くし、うまく眠れなくなった二十代の女性、依里よりである。彼女はけして安くはない寝具一式を購入したのちに寝具売り場で働くことになり、そこで人びとのさまざまな睡眠にまつわる悩みに触れる。
 人は、食べなければ死んでしまうのと同様に、眠らなければ死んでしまう。しかし眠ること、およびその重要性についての小説は、「食べること」について書かれたものよりもずっと少ない。食べるという行為は動的で絵になるが、眠るという行為があまりにも静的であるからなのか。
 あるいは、多くの人びとの睡眠に関する知識が乏しいせいなのかもしれない。すくなくとも私は本作を読んで、自分の「眠ること」への意識がいかに低く、寝具の素材や構造についていかに無知であるかを知った。子どもの成長にあわせて枕やマットレスを買い替える必要性があるなどとは、考えもしなかった。
 いや、重要性についてはなんとなく知っていたものの最優先事項ではないとしてあとまわしにしていた、というのが正直なところか。
 作中おしみなく披露される寝具に関する知識は、寝具販売を経験した著者の実体験によるもので、たしかな手触りが感じられる。
「たしかな手触り」については、依里その人や依里をとりまく人びとの境遇についてもまた同じことが言える。彼女たちは常に、非正規雇用であることや、収入の低さなどにまつわる不安とともにある。そしてそれはそのまま、いま現実の世界で働く女性たちの抱える不安に重なる。
 経済的な不安のない人びともまた、異なる痛みを感じている。それが痛みであると本人も気づいていないのではないかと思ってしまうほどにさりげなく、見過ごされてしまいがちな、でもたしかにそこにあって癒えない痛みだということが、たんたんと描き出される。
 たとえば、ある年配の女性客が口にする「私の頭なんて、何も入っていなくて空っぽなのにね。よく主人にからかわれるのよ」という発言。彼女がそれを「笑いながら」言うことに胸を衝かれた。「そんなこと言わないで」と伝えたくて、涙が出そうになった。
 たとえば、小さな子どもたちとひとつのベッドで寝ている女性が(彼女の夫は別室でひとり眠ることを許されているにもかかわらず)そのことを強く不満に思っている様子がないこと。だが現実にも、多くの家庭が母親のこうした小さな無理や犠牲によって成り立っている。
 依里もまた、日々の中で向き合わなければならないものを抱えている。彼女にはたんに婚約者を亡くした喪失感だけでない問題がある。それはサラリと要約することなど到底できぬほどのものであるため、ここでは言及しない。
 寝具を替えたからと言って、彼女たちの境遇が劇的に変わることはない。痛みはかわらずそこにあり、あり続け、これからも抱えて生きていかねばならない。それは不幸なことだろうか。私は、そうは思わなかった。
 読みながら、最近疲れた顔をしている友人のことを思った。父をうしなったあとに不眠を訴え続けた母のことを思った。いつも深夜や明けがたの時間帯に仕事関係のメールを送ってくる知人のことを思った。彼女たちに、いや、この宇宙の片すみで今日もひたむきに生きているすべての人びとに、この本を差し出したいと思った。
 生きていくために、人は眠る。よりよい眠りを得たいと願うことは、そのまま、よりよく生きたいという私たちの、切実な願いなのだ。
 

■ 書籍情報
『宇宙の片すみで眠る方法』
元寝具店店員の著者が贈る、眠れない夜の心と体にやわらかく寄り添う物語。自分にあった寝具の選び方や快眠のコツも満載!

■ 評者プロフィール
寺地はるな(てらち・はるな)
1977年、佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年、『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞し、翌年デビュー。20年咲くやこの花賞(文芸その他部門)を、21年『水を縫う』で第9回河合隼雄物語賞を、24年『ほたるいしマジカルランド』で第12回大阪ほんま本大賞を受賞。他の著書に、『ミナトホテルの裏庭には』『月のぶどう』『今日のハチミツ、あしたの私』『大人は泣かないと思っていた』『カレーの時間』『雫』『そういえば最近』など多数。最新刊は『リボンちゃん』。

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