
<出国して宇宙を見る>
4月10日(木)、18時。
羽田空港で無事に三枝さんと合流し、ポケットWi-Fiのレンタルと換金を完了。
現地ではほとんどクレジットカード決済なので現金は少しで良いとのこと。1万円ほどユーロに替えました。オレンジやピンクや水色などが鮮やかで、きれいなお金です。デザインもかわいい。使うとき楽しいだろうな。日本のお札の色合いのシブさも、ありがたみがあっていいけども。
空港内でちょっと買い物して待ち時間にお茶をしたあと、搭乗ゲートへ。

三枝さんとの席が離れていたので、機内では別行動に。
ひとりになってふと、「すごい、飛行機に乗っている、私」などとあらためて不思議な気持ちになりました。ここまで来ればあとは進むのみ、やるべきことをやるのみ、楽しむのみ!
午後10時頃の出発予定だったのが、機内の事情で遅れるというアナウンス。
すぐに夕食が出てくる心づもりでいたところだいぶ時間ができたので、その間に、ここぞとばかりに書類を取り出して作業にかかりました。
現地でメディア取材やイベントが予定されており、質問項目が届いていたのですが、出発前はばたばたしていて内容を考える余裕がなかったのです。印刷だけしてきたので、ひとつひとつ目を通し、答えを書き込んでいきました。フランスに着く前に機内で準備が整って、まずはほっと安心。

2時間遅れでようやく飛行機が動き出し、食事が出てきたのは日付が変わる頃でした。
消灯になったのは、日本からつけていた腕時計によると午前3時。
私も他の乗客同様、眠りに入ったのですが、何度か目が覚めてしまいました。
席に設置されたモニターに「forwardview」「downview」という項目があり、空と陸の状況がリアルタイムで見られるようになっていたので、時々それを興味深く眺めたりも。

途中、downviewにこんな映像が現れました。ずっとずっと、白。白白白。
白壁のヒビみたいな、これはなんだろう。ぼんやりした頭で写真だけ撮り、深く追究せずにまた入眠。細切れに、いろんな夢を見ました。

再び目覚めたとき、現在地を示す画像を開いてわかりました。
そうか、あのとき、グリーンランドの上を飛んでいたんだ!
白壁のように見えたのは氷だったんだ!
目的地まであと500マイルです。
downviewは夜の街の様子が表示されているらしく、闇の中でぽつぽつと星座のように光が点在していました。地上の人々の暮らしを見ているはずなのに、宇宙みたいだな、と思いました。
この光のところに誰かがいる。私はその人のことはまったくわからないし、その人は私が空からこんなふうに思っているなんて露ほども想像していないでしょう。でもたしかに、同じ瞬間に命と命がこことあそこにあって、それが妙に愛しく感じられました。
私はゆっくりと、また目を閉じました。おやすみ、あなたも眠れますように。
<入国してパンを食べる>
予定通りの2時間遅れで、無事にシャルル・ド・ゴール空港に到着。
入国手続きを済ませ、私と三枝さんは先方が手配してくださっていたタクシーに乗ってホテルへ向かいました。
パリでは午前10時になっていましたが、つけっぱなしの腕時計が指しているのは17時。自宅から空港へ向かったときの時刻がそれぐらいだったから、ほぼ24時間後ということになります。ぐるっと一日で横浜からパリに移動。
なのに、今日はまだ、というか「また」、4月11日の朝なのでした。時差、おもしろい。
私は2025年4月11日を2度生きることになる……のかな? まるでSFの世界。
ホテルにチェックイン後、三枝さんとお互いの部屋番号を確認。
スケジュールでは、この到着初日に早くも仕事が3件入っていました。
最初に入っているのは16時30分からフランスのラジオ番組出演。収録はホテル内で行われることになっていたので、16時過ぎに待ち合わせるとして、それまでの間、いったんフリーに。
自分の部屋に入り、まずは冷蔵庫、クローゼット、水回りの使い方などなどをチェック。
4月半ばのパリは、日中は快適な春の日という感じ。でも、ちょうどパリ旅行をしたばかりの友人から朝晩は冷え込むと聞いていました。
前回お伝えした通り、私はとにかく尋常ではない寒がりです。壁に備え付けられたエアコンのパネルは20度設定になっていました。私としては冷房など要らないくらいだったし、夜になったら寒くて困ることが容易く想像できました。パネルを操作してみましたがオフになりません。ためしに温度を25度まで上げてみることに。
しかし、私が設定した「25」の数字が、ぴこぴこっと点滅したあとすぐにまた20に戻ってしまうのです。
あれこれとボタンを調整してみましたが、どうやってもパネルは20を保持したがる謎。
とりあえず身の回りのものをざっと整理してからロビーに降り、私はスタッフに部屋番号と「エアコンのパネル操作の方法がわからないので教えてほしい」と伝えました。
はい、ここで問題です。このような場合、何語を使うのが望ましいのでしょうか。
結論から言ってフランス語です。今さらですがここはフランスなのだから。
「通訳さんがずっといてくれる」「ひとりきりになることはない」「グーグル翻訳がある」
とアマアマちゃんだった私が、着いていきなり「通訳なし」の「ひとりきり」で教えを乞うという状況に陥りました。残る「グーグル翻訳」で私は日本語で簡単な質問文をスマホに打ち込んでフランス語に置き換え、それをメモした紙をフロントに持参したのですが、ホテルスタッフを前にしてとっさに口にしたのはおぼつかない英語でした。
英語を使わないフランス人がたくさんいるという認識だけはありました。でも「ホテルなら英語でも大丈夫でしょう」という浅い考えがあったことは否めません。だからその紙は「念のため」ぐらいのもので、それを見せながら私はつたない英語で話しかけたのでした。
フロントの女性は、戸惑った顔に(なった気がしました)。
グーグル翻訳を使ったフランス語は、私の打ちこんだ日本語のニュアンスと少し違ったのかもしれません。
「エアコンが壊れているのですか?」と、英語で訊き返されたものの、彼女が私と同様、ネイティブではないことはわかりました。
「いいえ、壊れているのではなくて、温度設定の調整がうまくできないので教えていただきたいのです」と、私もまたたどたどしく英語で答えます。
「わかりました」
彼女はそう答え、ちょうど通りがかった作業服姿の男性にフランス語で声をかけました。
どうすればいいのかわからず、フロント前のソファに座っていましたが指示はなし。少したってから女性に「部屋で待っていてもいいですか?」と訊ねると「Sure(もちろん)」とだけ返ってきたので戻ることにしました。
部屋のドアを開けて、思わず「ひっ」と声が出るくらい驚きました。
もうすでに、先ほどの作業服の男性がいたのです。エアコン本体の蓋を開けて作業しているようでした。私の知らないうちに、部屋のキーを預かって中に入っていたとは。
私は作業員の男性に英語でもいいですか、と英語で訊ねました。彼はイングリッシュという言葉に反応して首を横に振ります。
再びグーグル翻訳を使おうとしましたが、こういう時に限ってうまく作動しないのがデジタルあるある。文章を打ち込もうとしているのに画面が切り替わらないのです。Wi-Fiが問題なのではなく、単に気が焦っていたからかもしれません。さっきのメモはフロントの女性に渡してきてしまったし。
私は壁のパネルを操作しながら、必死のジェスチャーで「温度を上げたいのだ」と訴えました。寒いのです、と、両腕をかき抱いてぶるぶる震える仕草までしました。
すると作業員は、パネルのボタンを押して18度に設定してくるのです。違う違う、逆です、アップさせたいのです。人差し指を上に上げても、私の演技力が乏しいのか、どうにも意思疎通ができないもどかしさ。
私がフランス語ができないとわかっているはずなのに、彼はフランス語で何やらまくしたててきます。なんだか私の中で何かが荒ぶってしまい、私は思わず日本語で叫んでいました。
「温度の設定方法を教えてほしいだけなんです! 寒いの苦手なんです!」
そうしたら、通じました。
そう、通じました。ほんとに通じたんですよ。テレパス的なものが発動したのでしょうか。すごいね、大和魂って。
彼は驚いた様子でやっと「あっ、寒いのか」と理解した様子。
そしてちょっと笑って、ベッドの掛布団をめくって何か言いました。寒いならベッドに入っていればいい、という冗談だったと思います。なんだそれ、笑えないよ。
そしてまた早口のフランス語で何か説明していたのですが、申し訳ないことに私はそのテレパスはキャッチできず。すると作業員は、片手を口元に寄せてぱくぱくっとパンを食べるような仕草を見せました。なんだろう? おなかがすいている?
そこで私は唐突に「……そうだ、夕方になったら通訳さんがホテルにいらっしゃるのだった…!」と思い出しました。なぜもっと早くにそのことに気づかなかったんだろう? 仕事外の依頼で申し訳ないけど、パネル操作の方法をスタッフに教えていただけるようお願いしよう。
作業員にお引き取りいただき、私はやっと息をつきました。
言葉がわからないって、こんなささいな意志さえ伝えられないということなんだなぁ……。
そしてふと、作業員の「パンを食べる」ジェスチャーにぴんときたのです。
知ってる! あれはきっと、スマホに向かってしゃべると瞬時に音声で翻訳してくれるアプリだ!
作業員本人がそれを使っているかはわからないけど、ホテルの利用客がそれで彼と対話することがあるのかもしれません。たぶん、「あれを使うといいよ」と言っていたのです。私はすぐに翻訳アプリをインストールしました。これぐらい、出発前にしておくべきだった。今や、これも常識なのでしょう。
この異国で、自分の言いたいことが伝わらなくて本当に困っていたのは私ではありません。
むしろフランスを母国とする彼らのほうだったと反省。
<スーパーマーケットで心が躍る>
さて、気を取り直して、いったん外出。
晴れていて気持ちの良い日でした。ホテルを見失わない距離内で少し歩きます。
私がフランスで一番行きたかったのは、スーパーマーケットでした。ここで生活する人たちの日常を感じられる場所だから。
ホテルのすぐそばには、小さなスーパーマーケットが2つありました。

野菜が充実のbiocoop。
外にちょっとした休憩テーブルセットも。

特にこちらのfranprixはまさに求めていた世界!
生鮮食品、生活雑貨、ホットミールなどなど、これ一軒あれば大丈夫、愉快に暮らせるという安心感を湛えていました。




ああ、心が躍る。なんて素敵なところ。なんでもあるよ、franprix。
飛行機の中で朝食を食べたきりです。夕方以降の仕事のために、腹ごしらえもしておかなくては。
手始めに温かいピザとオレンジジュースを購入。私はすっかりfranprixが気に入ってしまい、それを機に滞在中毎日通っていました。
<ラブストーリーは突然に>
16時過ぎに三枝さんが部屋に迎えに来てくださり、ロビーへ。
ロビーのソファには、現地プロモーターのクレモンスさん、エージェントの服部氏、李さんがお待ちになっていました。服部氏は今回のために日本から出張していらしたようで、数年前に一度だけお会いしたことがあったのでお久しぶり。以前から私の著書の翻訳版に関わってくださっている方です。初めましての李さんもこのプランに参加されている他社のエージェントスタッフの中国人女性で、日本語をはじめ数カ国語が堪能でした。
ご挨拶した後、ホテルの奥にある小部屋へ移動。その場所でラジオ収録が行われるらしく、そこには黒髪の女性がひとり、テーブルについていました。
椅子に座っていた彼女は、私を認めるとすぐに立ち上がり、会釈をしてくださいました。
Miyako Slocombe(ミヤコ・スロコンブ)さん。今回のパリ滞在中、私を担当してくださる通訳さんです。
穏やかな中に芯の強さが漂うたたずまい。かわいらしくて知的で、私はひとめで彼女のことが好きになってしまいました。
パリにいる間、ずっとミヤコさんといられるのか。そう思うといろんな心細さが一気に吹き飛んで、これから始まるフランス滞在が明るいものになると約束してもらえた気がしました。
……と、ここからようやく仕事の話になるのですが、その前に件のエアコン温度設定について書いておきましょう。
ホテルでのラジオ収録(それは次回にて)のあと、さっそくミヤコさんに事情を説明し、フロントに一緒に行っていただきました。先ほどの女性とは違う女性スタッフが対応してくださり、ミヤコさんに通訳していただいたおかげでやっといろいろなことが解決しました。
このホテルの温度はセンターで管理しており、すべて20度に設定されているそう。
部屋ごとの温度調整としては、それよりも高くはできないのだとか。
ミヤコさんを通じたやりとりのあと、ホテル側からの提案で小さな暖房機を貸し出してくれることになりました。

これ! しかも、私が暖房器具の中で最も愛する温風タイプ! なんとありがたいこと!!
朝晩はやっぱり冷え込んだので、すごくすごくすごーく助かったし、嬉しくてかわいかったです。毎日、仕事を終えて部屋に帰るとこの子が「おかえり」と潤んだ瞳で見上げているような気持ちになったぐらいでした。
ちなみに、ホテルのスタッフは「寒いなんて信じられない」と言っていたらしいのですが、私ほど寒がりでもない三枝さんも夜にはフロントに申し出て暖房器具を借りたというので、やっぱり日本人の体感とは違うのかなと思います。
無事にフランスに着き、無事に宿泊状況が整いました。皆々様のおかげです。
前振りが長くなりました。次回からいよいよ本題のお仕事レポートです! 続く!

